第45話 賢いアーネと百人隊
魔力を扱い仮想の筋肉を構築する。
魔力は意思によって操れるもので、例えば重い物を持つ際に力んだり、という作業を繰り返せば自然と魔力が動いて肉体の拡張を行なう場合がある。
センスのあるものであればそれが筋肉とは違う別な力であると感じ取り、筋力よりもそうした仮想の筋肉を扱う術を覚えていくこともあるだろう。
『黒』と判断された素質あるものは98人。
その内、無意識にそれを扱うものは30人。
そして意識的に扱う術を身につけていたものは2人ほどであった。
クリシェはまずその二人から話を聞くことにし、意識的に魔力を扱うようになった過程を聞き、指導要領を考える。
セレネにはボーガンから教わったやり方を説明してもらっていたため、クリシェが一般的な魔力の感じ方について当たりをつけるのはそれなりに早いものであった。
クリシェはまず、彼等に過酷な基礎訓練をつけるよう、今は『黒』の訓練隊長――そして終わればその隊長となるよう内示を受けている補佐役、ダグラ百人隊長に命じた。
彼は魔力の扱いを戦いの中で学び、意識的に理解し身につけた平民の出である。
頭は比較的良く、能力に優れ、命令と規律を重視する彼はクリシェの考える良い兵士そのもので、彼女を恐れるダグラの内心はともかく重用していた。
彼の手勢も山中浸透に同行し、激戦をくぐり抜けた優秀な兵士であり、そちらはそちらで教導百人隊として新設、基本的には選別や訓練教官として使っている。
志願者の数が減ってきたところで選別作業は正午までとした。
午前の間は『黒』をダグラに任せ、午後からはクリシェが訓練に合流する。
彼等はクリシェの手勢として運用することが決まっているため、ある程度の意思疎通を取れるようになっておきたいという面もあるし、特殊な部隊であるためその速成のためには運用者であるクリシェが良く指導を行なう必要がある。
他の部隊は優秀なクリシュタンドの兵士達が指導を行なっていたため、それほど気にしなくて良かった、という判断もある。
倉庫の一部屋を用いた、簡易的な訓練室が黒の訓練に主に使われる。
あまりその訓練を見られたくないという点もあり、魔力を扱う訓練はこうした室内が用いられた。
特殊な先天的才能であるため、彼等の特別扱いを他の兵士に見せることはあまり兵士達に良くは映らないという面もある。
訓練で優秀な結果を見せれば黒へと上がれる、などということはありえないのだ。
そのため過酷な基礎訓練の類のみ外で行ない他の兵士達に見せ、魔力訓練や教育の類はこのどこか寒々しい倉庫の中が用いられた。
「総員、軍団長副官に敬礼!」
紅茶のポットなどをトレイに乗せて持って来たクリシェが部屋に入ると、ダグラの言葉で訓練生は一斉に踵を打ち鳴らし胸に手を当てる。
やや不揃いなところがあったが、入りたてが混ざるため仕方が無く、そして彼等は極度の疲労状態にある。
誰もが姿勢を正しているものの、息苦しいのか肩を少し揺らしていた。
おかげで部屋の中は汗臭い。
クリシェは眉をひそめつつ、前にある机に紅茶を置くとまず窓を開け、休んでいいですよ、と告げる。
彼等は過酷な基礎訓練の後。
ダグラと意識的に魔力を扱う術を身につけたものを交えた話し合いの結果、疲労の極地にあるほうが魔力操作を身につけやすいという結論に至ったのだった。
「今日で87人となりました」
「ご苦労様です。順調ですが、無理はさせすぎないように気を付けてくださいね」
「は」
基本的に五人一組の体制で訓練生は行動させる。
朝からぐるりと重装歩兵の完全装備で城砦を走り回らせ、そのまま休憩も取らずに剣の素振り。そして五人対五人で隊列を組ませ、大盾による押し合い勝負を行なわせ、負ければ更に城砦を走らせる。
準備運動はそのくらいで、その次には魔力を使わなければ持てないくらいの重量物を背中に担がせて行軍。
五人一組の内二人にそれを担がせ、持たない残りの三人はそれを補佐する。
五人班では最低二つ重量物を運べば良いことにし、三つ目、四つ目を運べばその分食事にデザートが増やされたりと褒美が与えられる。
基本的な訓練はそのようなものだ。
要領を掴んだものにはその教育を手伝わせ、未だ未熟なものにそのコツを教えていくことで全体的な底上げを行なっていた。
過酷な訓練を強いる代わりに休憩や食事の面ではきっちりと与えることにしてあり、糧食の人間にもその辺りの面倒はきっちり見るよう伝えている。
「さて」
クリシェはぐるりと訓練生を見渡し、それなりに満足のいく結果であると頷く。
五人一組。多少の連帯感は生まれており、体力もついた。能力自体も悪くはない。
今日からは運用についての基礎的な講義に入っていく。
「ナルガ、あなたは今からここにいるダグラと戦わねばなりません。目的はダグラの殺害。これは確実に行なわなければなりません。前提条件としてこの部屋にあるものを全て使って良いこととします。どうしますか?」
「え、あ……は、はい、軍団長副官。えと……私は……」
「では次、オーダル。同じ質問をします」
そうして繰り返す。
五人目ほどになるとようやく反応が出来た一人が答えた。
「では次、ミア。同じ質問をします」
「は、はい。ここにいる仲間に協力してもらい複数で掛かります」
「そうですね、よくできました。現状ダグラを一人で殺せると豪語できる方はいらっしゃらないでしょう。であれば数を増やす。兵力的優位を作る。どの軍隊もまずは戦略とし、相手を上回る兵力を用意しようと考えます。その方が有利だからです」
クリシェは背後の鉄板に磁石を貼り付けた。
設立中の参謀部で使われていたもので、磁石には兵科や地形を表わす図形が描かれている。簡単な説明であれば扱いやすくて良い。
「戦いの基本は兵力の優越。兵力劣勢側が優勢なる敵を打ち破ることは英雄譚にも良く語られますが、これはそもそも兵力を集められなかった劣勢側がそれを戦術によって補ったにすぎません。兵力劣勢という時点で戦略的には敗北です」
クリシェは磁石を張り付け、先日の戦いを再現する。
「つまり、先日帝国が攻めてきた際の戦いは、クリシュタンド軍の戦略的敗北に他なりません。敵に倍する兵力優越を作っていれば、クリシュタンド軍はそのまま正面対決でサルシェンカ軍を打ち破れば良かったのですから」
クリシェの言葉はクリシュタンド、ひいては王国軍への堂々過ぎる批判であった。
訓練生達は顔を見合わせ、ダグラが傾注と叫ぶ。
その様子を見ながらクリシェは続ける。
「兵士の訓練強度、指揮統制、そして戦術によってクリシュタンドはサルシェンカを打ち破りました。ですが、クリシェはそれを勘違いして頂きたくはありません。まず大切なのは兵力の優越。ミアが言ったように、複数でダグラを殺すというのが正解です」
クリシェは言いながら紅茶を注ぎ、蜂蜜を二杯入れて、ミルクをたっぷりと注いでかき混ぜる。
話の内容とは裏腹に実に満足げな表情であった。
「でも、やはりそれは理想論。場合によって優勢な敵と対する必要もあるでしょう。ダグラ、この部屋にいる訓練生が一斉に掛かってくるものとします。あなたはそうですね、部屋の外に味方が二人しかいません。対処は?」
「は。背後の窓からこの場より一時退却します。その後身を隠し、追ってきたものと三対一、もしくは三対二の状況を作り始末します」
「素晴らしい答えです。全体の兵力劣勢は変わりませんが、局所的な兵力の優越を繰り返すことで優勢なる敵を優位な状況で始末する。やはりここにあるのも兵力の優越。戦術とは単純、全ては局所的な兵力優位を作る手段に他なりません」
紅茶に口付け、甘ったるい味にクリシェは頬を緩ませる。
「戦略的敗北はままありえることです。大事なのは与えられた条件の下、いかに兵力優位を作り上げるか。逆に相手の兵力をいかに遊ばせ、兵力として使えない状態に持ち込むか。例えば戦列同士が押し合う最中、背後から矢を飛ばすのも同様の原理。押し合う戦列の中で戦っているのは互いに先頭だけです。でも遠隔武器を使うことでこちらは背後からでも攻撃機会を増やすことが出来る。だから戦場では弓が使われます」
クリシェは磁石を様々な形に貼り付けていく。
包囲、半包囲、中央突破、背面攻撃。
「正面に対して戦列を組んでいる以上横や後ろには攻撃し辛いですから、敵の横から攻撃し、包囲する。中央を突破し相手の戦列を崩壊させて背面を狙う。迂回して背面へと攻撃を叩き込む。行軍縦列の敵を側面から伏撃する。これらもそうです。相手が反撃し辛い状況で、一方的に攻撃するという行動もまた兵力優位を作り出す手段に他なりません」
そう言って訓練生を見渡した。
「相手も当然それを狙ってくるのは承知の上。だからそれに対し防護する。そして同じことをこちらに行なおうとするでしょう。戦術は局所的優位の取り合いです。だから軍は戦列を組む歩兵の他、一部をわざと予備隊として兵力を遊ばせ、局所的な優位を作るため、あるいは作らせないために運用します。そしてこの部屋にいる人はその予備隊として動いてもらうことになります」
また紅茶に口付けた。
クリシェには全く緊張感がなく、口調は静かで落ち着いている。
当然士気があがる訳もなく、皆の顔にあるのは困惑。
内容は理解できたものの、いまいち実感が湧いていないのだった。
クリシェが視線をダグラにやると、ダグラは頷き、告げる。
「この部隊は皆が皆、魔力という特殊な才能を扱うもので構成される。それによる身体能力の高さは、鍛え上げればいずれも並の兵士など相手にならぬ力を貴様らに与えるだろう。その力は百人で千人を斬り殺すことを可能とし、その機動力は敵を攪乱しその脆弱部を貫くものとなる。要するに、貴様らは常に戦場における勝敗の分岐点で働いてもらうということだ」
ダグラはにやりと笑う。
「それは他のどんな部隊よりも大きな手柄を立てることができるということを意味する。お前達が狙うのは戦列の維持ではない。敵の戦列を崩し、敵将の首を刎ねるという決定的戦果だ。そんな誰もが望む大役のみを担うこととなる。……これ以上の栄誉が、兵士にあると思うか?」
訓練生は一様に顔を見合わせ、喜色を浮かべた。
――とはいえ、兵士が皆それを望むという訳ではない。
ミアという栗毛の少女はその一人で、ここには兵士というか、糧食の運搬くらいなら手伝えるだろうと志願した一人であった。
北部の村に生まれ、識字もできない。
兄弟姉妹が多かったため、仕送りをして家計の助けになれば良いという考えで、セレネが派遣した勧誘の兵士についてきた。
しかしミアは軍で求められている兵站部隊が識字算学の出来る優秀なものであるとは知らなかった。クリシュタンド軍は基本は民間人や商人を雇って兵站活動を行なうため、兵站部隊はその管理や書類仕事を主に行なう。
当然そこには専門的な知識が必要とされ、求められるのはエリート。
単なる無学な村人が割って入ることはできないのだ。
配属された大隊の中で糧食の担当となればミアが望む役割を得ることが出来るが、大隊に存在する以上兵士であり、戦えなければいけない。
剣を持って戦うなんて、とミアは内心嫌で仕方なかったが、かといって今更帰るわけにもいかない。
どうして軍ではなく街の運送屋や商人達のところで仕事を探さなかったのかと、自分の馬鹿さ加減を呪いつつ選別を受けることとなり――
『あ、手前から二番目は黒です。そのまま黒の場所へ』
などというクリシェの声を聞いたのであった。
糧食の運搬くらいなら手伝えるだろう、そう考えたミアにも理由がある。
筋肉質というわけでもないのに、人一倍力持ち。
体に纏わり付く魔力というものをなんとなく認識していた彼女は自然、それを扱う術を生活の中で身につけていたのだ。
ここに来た当初から意識的に魔力を操れる彼女はもう一人の男、タゲルと共にクリシェとダグラに何度か呼び出され、話を聞かれた。
そしていつの間にか優秀な兵士の一人としてダグラには目を掛けられ、流されるままに今に至るというわけだ。
「――というのが想定された状況です。どうしますか?」
先ほどの部屋の隣にある小部屋。
クリシェは椅子に座り、その隣では鷲鼻禿頭、強面のダグラが立つ。
クリシェは紅茶を飲みながら仮定の戦場を説明し、その場における最適な状況を尋ねる。
訓練生は一人一人部屋の中に交代で入り、それらの質問に答える。
今問われている状況は、徒歩で渡れる程度の川を挟んで向かい合わせ。
互いに弓兵を有する一個大隊1000人で、向こうはこちらへの渡河を企てる。
こちらはそれを防がなければならない。防御するのはどこが適切か。
「えと……川から少し離れて陣形を整えます」
「理由はなんですか?」
黒銀のワンピースに、鷹と雷の紋章のついた黒の外套。
クリシェという将軍令嬢をミアは眺めた。
流れるような銀の髪。
瞼ははっきりとした二重で、長い睫毛に包まれた紫色の瞳は大きく美しい。
芸術品のように整った顔立ちは無表情に近く、どこか超然として見えた。
蜂蜜とミルクをかき混ぜ、甘ったるそうな紅茶を飲む姿は可愛らしいものであったが、強面の百人隊長であるダグラが彼女をどこか恐れる風がある。
この姿で無数の首を刎ねたという噂話は少なからず事実であるのかも知れない。
剣を振ることを覚えてからは直感的にわかるようになった。
この少女を斬りつけられるイメージがさっぱりと湧かないのだ。
悪魔、処刑人、死神、化け物。
噂話に流れる彼女は、その美しさや愛らしさと共にそうした言葉で形容される。
軍団長セレネに関する話は性的なものも合わせそのほとんどが好意的なものなのに対し、そんなカリスマ溢れる姉とは違い彼女は歪な天才であると噂は語る。
接する機会が多くあったため、それらの噂は全くの的外れではないとも感じていた。
一言で表わすなら、何を考えているか分からない変な少女なのである。
天才と言われれば確かにそんな雰囲気があり、そしてこの愛らしい彼女がいとも容易く人を殺すのだと言われれば、確かにと頷ける。
どこか無機質に思える目は冷たく、時折背筋に寒気を覚えるのだ。
「川岸で防御するなら相手の弓の射程に入ってしまいます。けれど少し距離を離して陣形を組むなら、こちらは一方的に相手の前衛に攻撃できるのではないかと考えました。えと……それに、川を渡ったりする間に服が濡れて重たくなりますし、必然的に向こうは攻撃がしにくくなるのではないでしょうか?」
「良い答えです。こちらは攻撃力を集中し、相手は攻撃力を発揮できない。水際防衛自体がいけないというわけではありませんけれど無駄に被害が生じますから、基本的には川から上がった相手を叩くのが良いです。どうしても敵の陣形は乱れますから攻撃は防ぎやすいですし、敵弓兵が遊ぶことになりますから」
クリシェは満足げに頷き、ダグラを見る。
「質問は大体良い答えでした。ダグラ、クリシェはやはりミアが優秀だと感じます。兵長にしたいのですが」
「へ?」
「確かに、頭は良いですね。優秀さは認めますが……」
ダグラは渋面を作りミアを見た。
ミアは体を強ばらせる。
「まだ少し若すぎます。年嵩の者も多いですから、貴族でもなく実績もない人間を優秀だからと上位に置くというのは反発が、その、軍団長副官に表立ってのものではないでしょうが……内心では不満に思うものが出るでしょう。十二分に訓練期間を設けられるならば解消されるかも知れませんが……現状どれだけ時間を取れるかは分かりませんし」
「うーん、そうですか……でも、一兵士として間違って死んでしまうと勿体ないです。賢いのに」
「あ、あ、あのっ、軍団長副官! わ、わたしは文字もわからない田舎ものです、そんな、兵長だなんてとても……っ」
兵長は百人隊長の下、約五十人を指揮する。
あまりにも大出世過ぎるのだ。
「クリシェはあなたを優秀だと判断しました。知識と経験は後からいくらでも身につければいいです。でも、頭の良し悪しは生まれついてのものですから、とっても貴重。ミアがどう考えても、判断するのはクリシェです」
「でも……」
「でも、だと? 上官に口答えをするな馬鹿者が!」
「ひっ」
ダグラが怒声を張り上げ、クリシェは迷惑そうな顔でダグラを見る。
「失礼を。……軍団長副官、指揮権を与えるならば性格の面も考慮する必要が。兵長となれば先頭に立ち、兵を鼓舞できるものでなければなりません。この娘の優秀さは認めますが、この気性でそれは難しいでしょう」
「なるほど、それもそうでしょうか……」
クリシェは少し考え込むと、ぽん、と掌を叩いた。
「じゃあダグラ、あなたの副官として使えばいいです」
「しかし百人隊ですが……」
百人隊においては兵長が二人の副官を兼ねる。
副官がつくのは大隊からであった。
「特殊運用の百人隊です。状況に応じて難度の高い任務を命じる必要もありますし、それにそれを言うなら先日の五百人隊の時もクリシェが副官でした。大隊でなければ副官をつけてはいけないという決まり事はないですし、いいのではないでしょうか?」
「それは確かに……」
「あの時はクリシェが先導して殺す役、セレネはダグラ達を運用する役でした。上手な人間が上手なことをその場に応じて役割分担すればいいんです」
ダグラの顔が何かを思い出したように引き攣り、諦めたように頷く。
先導して殺す役、という言葉を平然と言ってのけるクリシェに、ミアはやはり噂は正しいのだろうと呆然と考えた。
副官にさせられようとしている現実から逃避したい気持ちもある。
「……この娘の優秀さは確かに、単なる兵卒とするには惜しい。使い物になるよう私が責任を持って教育をします」
「はい。伍長はひとまず確定。兵長の一人はタゲルですけれど……ミアが駄目となるともう一人はどうしましょうか」
ミアは流されるままここに来たこともあって、この面談に来たのも最後であった。
クリシェは一通り彼等の選別を終えたことになる。
タゲルはハキハキとした男で人当たりも良く、若くは見えるが三十半ば。過去に軍へ在籍していたこともあって、ダグラも彼を兵長としたことに不満はない。
伍長も基本的には軍務経験者で固めていた。
「そうですね……よろしければ外部から推薦をお許し頂きたいのですが。私の元部下に当たる兵長です。それほど巧みではありませんが一応魔力も扱えますし、指揮運用は優秀で頭が切れます。以前私と共にクリシェ様と山中浸透にも同行しています」
「じゃ、その人を連れて来てください。一人くらいならいいでしょう」
魔力を扱うものは当然既に軍へ在籍していたものがいたが、大抵の場合兵長や百人隊長、大隊長やその副官などという立場にある。
その能力の高さ故に戦果を挙げ、生き残ることが多いからだ。
そんな兵卒からの叩き上げを引き抜いてしまうと、組織全体として能力が低下する懸念があり、基本的にはしないようにとセレネに言い含められていた。
「ひとまず形はできましたね。以降の訓練計画は?」
「兵士としての基本動作はある程度形になりましたが、兵長や伍長に指揮経験を積ませるためにも明後日くらいに近くの森で軽い演習をさせたいところです。この部隊の運用目的を考えれば森林での活動は学んでおいた方が良いと感じますが、いかがでしょう? できれば教導に他へ行ってる部下を何人か使いたいのですが……」
「そうですね。あなたの部下は山中でも優秀でした。十人程度を黒の訓練名目で引き抜く許可を与えます。人選は今日中に提出を。明日の昼にはこちらに顔を出せるようクリシェが処理しておきます」
「ありがとうございます」
クリシェは考えるべきことは考えるが、後は自主性に任せ――要するに丸投げをする。
ダグラのように人を率いる『扇動者』となり得る存在で、なおかつ規律を守り個人としても優秀な存在があるならばこのように全てを預ける。
自分は目的と方針を告げる立場にあり、そしてそれを実行するのは部下であって自分ではないと考えているからだ。
その辺りの考えがセレネとは大きく異なっていた。
例えばセレネは兵士の様子を良く観察し、それを鑑み目的と方針を告げる。
逆に自身の正しさを疑わないクリシェは先に目的と方針を告げ、不可能であれば不足を補う。あるいは自身を含めたそれが可能な人間に首をすげ替えることを考える。
常にベターを目指すセレネと、常に最上を求めるクリシェの違いと言えた。
当然労力は増すもののセレネは配下に慕われ、人望を集め、安定した結果を生む。
クリシェは場合により無茶を要求することで配下に嫌われ恐れられる代わりに、彼女の労力は分散され最高に近い結果をはじき出す。
通常はセレネの在り方が良しとされるものの、クリシェには結果を生み出す力がある。
そのため、両者はどちらが良いとも言えない対極の立ち位置にあった。
ただ、クリシェは同時に無茶が無茶でなくなるよう、その希望に沿うよう必要なものを可能な限り揃え、そこに労力を惜しまない。
それはダグラのように能力の高いものにとっては非常にやりやすいもので、クリシェのそうした部分をダグラは素直に尊敬し、評価していた。
ダグラが個人的に配下として指揮されたいのはセレネである。
そしてもしその身が窮地に陥ったならば、その身を挺して必ず守ろうと思えるほどに、ダグラは彼女へ忠誠を抱く。
しかし戦場に出るとなればクリシェほど頼りになるものはいないとも考えていた。
天性の殺戮者であり、恐ろしくもある。だが彼女は不可能すらを可能としてみせるような圧倒的な力があり、その力は自分達を必ず勝利に導いてくれるのだと思わせる。
そしてそんな相手が自分を評価し自由な裁量を与えてくれるのだ。
それは何よりの誉れであるとも感じていた。
方向性の違いはあっても似たようなもの。
共に尊敬を感じるのは確かであり、クリシェはダグラのような優秀な者にはこうして知らず尊敬と評価を積み上げていた。
「肉体の拡張を覚えていないものに関しても同行させ、その前日の優秀成績を残した班によって教導。その名目で演習訓練免除とすれば褒美も兼ねますし、問題は解消します。日程に関しては提出を?」
「いえ、ダグラの裁量で構いません。兵站部に対しては必要なものを与えるようクリシェから伝えておきます。百人程度であればどれだけ使っても問題にはならないでしょう。他特別必要なものがあればなるべく事前に報告を」
クリシェは紅茶を傾けつつ、固まったままのミアを見て続けた。
「この部隊は少数精鋭。戦列を組まずともある程度連携が取れなければなりません。個々の能力向上は当然ながら、索敵能力、判断力、そして過酷な任務に耐えうる集中力。ミア、森の中で演習する際重視すべきは何だと思いますか?」
「えと……その……」
「口ごもるな馬鹿者! 貴様は私の副官となるのだ、毅然とせよ!」
「ひゃ、ひゃい!」
ミアは姿勢を正して敬礼を行なう。
「は、離れて集まる訓練は重――」
「散開と集合と言え、ここはお前の田舎村ではなく軍だ。常に明瞭な言葉を使え」
「さ、散開と集合の訓練は、そのっ、重視すべきだと」
強面のダグラに睨まれ、よく分からないまま副官にされ。
ミアはほとんど泣きそうだった。
「続けていいですよ?」
「さ……、索敵役が集中力を途切れさせぬよう、えと、は、配置や割り当て、小まめな配置移動がスムーズに行なわれるようしなければなりません。た、例えば隊を兵長ごとに二つに分け、互いをその……仮想敵として訓練させ、伏撃の訓練などを繰り返し行なえば良くなるのではないかと……」
ちら、とクリシェとダグラを見る。
二人は何も言わなかった。続けろということだと理解し、胃の痛い思いをしながら頭を使う。
「通常の剣などを用いた訓練中も歩哨を立て、片方はその間隠密裏に近づいて奇襲するなど、緊張感を常に持たせて賞罰を、その、与えます。大休止等も同様にし、常に敵地での行動を想定させれば自ずと意識は高まるのではないでしょうか。油断させる状況や戦力を分散せざるを得ない状況を常に与え、片方にそれを襲撃させます。それによって個々の判断力を身につけさせ、伏撃や奇襲に対する逆襲といった対処能力を養います」
「良い提案です。他には?」
「その、怪我が予想されますのでお医者さ――ち、違、医療に明るい方が何人か。剣は木剣とし、全員に鎧の着用を義務づけた方が良いのではないか、と。実剣の訓練は森でなくとも良いですし、それよりも実戦的な連携や動きの訓練を重視したほうが良いのではないかと、その、思います……」
クリシェはじっとミアを見つめ、紅茶に口付けた後ダグラを見る。
ダグラは満足そうに頷き、口を開く。
「出来るじゃないか。より詳細な訓練案を明日の朝、私の所へ報告しにこい」
「はい……」
「明日の昼に、教導の者が来てから検討を行なう。明日は準備にたっぷりと動いてもらう。休めると思うな」
「は、はい……」
どうしてこんなことに。
ここに来たことを呪いたくなったミアに、ダグラは笑いかけた。
「そんな顔をするな。代わりに今からの訓練には参加しなくて良い。訓練案を考えるのが貴様の仕事だ。終わったら今日はしっかり休め」
「っ……本当ですかっ!?」
「言葉遣いに気を付けんか馬鹿者! 行って良し」
「は、はいっ」
満面の笑みを浮かべて敬礼し、足取り軽やかにミアは部屋を出て行った。
クリシェはそんな彼女にどこかアーネに似た雰囲気を感じ取る。
「私の娘もあのくらいの年頃でしてね。どうにも、他人には思えません」
「そうですか」
ミアはちょっと賢いアーネかもしれないと、心の中でアーネと同じアーネカテゴリへと放り込んだ。
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