三章 尊きもの
第38話 残念
クリシュタンドの屋敷――応接間。
雨に濡れたクレシェンタは湯を浴び、着替えを終えてここに座っていた。
対面にはボーガンとセレネが座り、ベリーが控えるようにクレシェンタの側へ立つ。
「……疑っていらっしゃるの?」
「いえ……決してそのようなことは、王女殿下」
ボーガンは首を横に振る。
国王陛下の暗殺。
そして王女は身を隠し、自身の下へと訪れた。
保護するのは当然で、それ以外の手段はあるまいとも思う。
何一つ、事前の情報も何もなく見るならばギルダンスタインは簒奪者。
国王の命を奪い無理矢理にその王位を手にしようとしたと考えるのは全くもって当然の流れであった。
クレシェンタは哀れな王女と言うべきだろう。
国王より指名され、幼き命を狙われかけ――こうして供も連れずに現れた。
悲しげな顔と不安そうな様子。
クレシェンタはただただ怯える子供のようであった。
素直に受け入れ、簒奪者を討つべき。
そう考えるのが妥当で、しかし――
『くれぐれも気を付けろ。クレシェンタは邪魔者には容赦がない。信じるかどうかはともかく、俺が言ったことを心に留めておけ。見かけに騙されると足をすくわれる女だ』
ギルダンスタインの言葉が脳裏にちらつく。
ギルダンスタインは善悪で言うなれば紛れもなく悪だろう。
邪悪と言っても良いとボーガンは思う。
とはいえ、戦場で轡を並べた身。どういう人間かはわかっている。
極めて実際的で、無駄を嫌い、人を見ぬく目がある人物であることは確かであった。
少なくとも冗談や何かであのようなことを言うとは思えない。
だからこそボーガンは王女クレシェンタという人物を計りかねた。
彼女が来てから考え込むような、不安げなベリーの様子も気に掛かる。
「ただ、疑問であるのは何故私のところへいらっしゃったのか、です。王女殿下であれば他にも――」
「ここが最も、適していると思えたからですわ。お話しせねばなりませんわね。……クリシェ様――おねえさまのことです」
「おねえさま……?」
慌てたように、ボーガンの隣でじっと座っていたセレネが声を上げ、クレシェンタはそれを見て微笑む。
クリシェだけが部屋に残され、残りは全員この部屋にあった。
「ええ、姉妹ですの、本当は。アルガン様には先日、おねえさまと一緒にその話を。その時は心の内に留めておいてくださるよう、お願いをしたのですが」
クレシェンタはベリーに目をやる。
ベリーは少し視線を泳がせながらも頷いた。
「……申し訳ありません」
「いや……気にすることはない。仕方の無いことだ」
ボーガンは首を振る。
そのような話は軽々しく口に出来ることではない。
そしてボーガン自身、王族から胸の内に留めろと言われたのなら固く守る。
「王家において泣かぬ赤子は忌み子とされます。……おねえさまは生まれてから数年、王領の塔で軟禁されて育ち、外で殺された――そういうことになっておりましたわ。先日バルコニーで見掛けた際はびっくりしました。もちろん会ったことはなかったですけれど……顔立ちはそっくりで、その塔をずっと見てらして」
嘘ではなくしかし全くの事実でもなく。
自然な調子で話すクレシェンタは、事実を知っているベリーすらがそうであったと思わせるほど、真実味を帯びた声音で話す。
「そのとき側に付いていた使用人は一目でわかったみたいでしたの。元は、おねえさまのお世話係だったそうで……おねえさまのことを聞いたのもその者から。先日会いに行ったのは、舞い上がってしまってましたからですわ」
クレシェンタは悲しむように視線を惑わせた。
「それがきっといけなかったのでしょう。……おじさまはもしかして、辺境伯に忌み子のことについてお話になったのでは?」
「それ、は……」
「わたくしも、生まれた頃に泣かなかったことで殺されかけましたの。もちろん、忌み子としてですわ。それは勘違いだったということとなり、こうして王女として育てられましたけれど……」
想像ですけれど、と続けた。
「おじさまはきっと、当時のことをよく覚えていらっしゃるでしょう。おねえさまがどこで殺されることになったかも含めて。わたくしたちの顔はそっくりですもの。……もしかしたら、わたくしが軽率にもおねえさまに会いに行ったせいで、おねえさまがその時の忌み子だということに気付いたのかも知れません」
目を伏せる様はただ美しく、憐憫を誘う。
出された紅茶には全く口をつけなかった。
「……クリシュタンドがわたくしの味方につくことをおじさまは恐れ、それで、今回のような――恐ろしいことをしてしまったのではないか、と」
ボーガンはその言葉に考え込み、セレネもまた同様であった。
ギルダンスタインへの信用は当然ある。
とはいえ、クレシェンタの言い分も説得力があった。
クリシェを見たときのギルダンスタインが一瞬、妙な反応を見せたことには気付いている。
実際彼女とクリシェの容貌がよく似ているとは思っていたし、そしてこうして間近に見れば嘘偽りない真実に思えた。
彼女の説明には穴がないのだ。
クリシェが失われた王女であり、クレシェンタも本来クリシェと同じ立場の忌み子であったとする。
そして、そうした二人が結びついたのであれば、クリシュタンドが王女側につくことは当然と思われる。
少なくともギルダンスタインからすればそう見える。
ギルダンスタインは事実上王都を手にしている。
自身が王に立つ大義名分として、クレシェンタが忌まわしき生まれの娘であったと高らかに宣言するだろう。だから国王陛下を暗殺したのだと。
そしてその王女をクリシュタンドが匿う理由は同じ忌み子、クリシェにあると告げる。
であれば、今は自分の娘となっているクリシェを守るためにもボーガンは剣を取らねばならない。
仮にどちらが正しかろうと、ボーガンはクレシェンタを保護しなければならない立場にあるのだ。
あまりにも話が出来すぎており、完全に巻き込まれた状況。
ボーガンの意思とは無関係に、これでボーガンは動かざるを得なくなっている。
ボーガンは様々なことを考えながら、目を伏せ、顎に手を当てる。
ギルダンスタインの悪名を知るセレネは、父が迷う理由を不思議に思いながらクレシェンタを見た。
見れば見るほどに、クリシェによく似ている。
王家の忌み子、と言われてクリシェについては納得が出来た。
赤子の頃に泣かなかったと言われれば納得も出来るし、彼女が明らかに普通でないことはセレネも誰より理解している。
セレネは彼女が異常者であることを否定しない。
その上で愛しているのだから、そうしたクレシェンタの言葉で真実を知っても、それほど驚きはなかった。
けれど、気になるところは一点。
――クレシェンタはどうなのか、であった。
忌み子クリシェの異常さは明らかで、明確である。
だがクレシェンタは違う。
見た目には幼くしてよくできた王女である、と感じられたものの、クリシェに比べクレシェンタは良くできすぎているのだった。
クレシェンタは視線に気付き、首を傾げた。
「セレネ様、何か?」
「いえ……ただ、クリシェとよく似てらっしゃると」
顔立ちはよく似ている。
姉妹と言われればそうだろう。
いや、それだけではなく――
「……ふふ。嬉しいですわ。不思議ですの、クレシェンタも、クリシェも、不思議と別々に育ったのに同じ――月に由来した言葉ですもの」
ふと告げられた言葉に、セレネはどこかカチリとハマったような感触を覚えた。
「セレネ様も一緒、ですわね。なんだか縁というものを感じますわ」
「月になぞらえた名前は多くございますから、それもありますけれど……確かに。でも、よくご存じですね」
「……え?」
「クリシェはあまり聞かない、北の古い言葉のはずですから」
セレネは満月を、クレシェンタは三日月を。
古い西部共通語の言葉で、貴族では比較的良く見る名前ではある。
幸福に満たされるようにとセレネは名付けられ、その美しさを讃えるようにとクレシェンタは名付けられる。
しかしクリシェという『欠けた月』を意味する言葉は、古い蛮族の言葉であるらしく、耳慣れないもの。
それなりに勉強をしていたセレネも、その名前の由来はクリシェから聞かされるまで知らなかった。恐らく村自体の源流がそこにあったのだろう。
蛮族を征服した王族が教養として身につけるにはおかしな言葉であることは違いない。
もちろんクレシェンタが、偶然そうした書物を見掛けたという可能性はある。
とはいえ不思議と、直感的にそうではないとセレネは感じた。
――十二という年齢にかかわらず、この王女は博識で、高い知性を有しているのだ。
まるで、クリシェのように。
「自分の名前の由来を調べていたときに近い言葉があって、それで覚えましたの。記憶力はいいほうですから」
そして、そう告げながらセレネを見る目が、それを正しいと言っていた。
その目は、クリシェが時折見せるそれに限りなく近いものだった。
無機質にただ――観察するような瞳。
それはすぐに逸らされ、再びボーガンへ向けられる。
「わたくしがここに来た理由はそれだけですわ。……わたくしは飾りで、実際の政治に関してはあまりよく知りません。だから……おねえさまを愛し、ご自身の娘として可愛がっていらっしゃる辺境伯以外に、頼れる場所が見当たらなかったのです」
「……お話はわかりました。どうあれその事情を聞いた以上、私はクリシェを守るためにも立たねばなりますまい。セレネと同じ……本当の娘だと感じておりますから」
クレシェンタがどうであれ、結論はそうなるほかない。
既に泥沼の――その中央に入り込んでしまっているのだ。
セレネもクレシェンタが普通でないことに気付きながらも、その決断には口を挟めなかった。
セレネもボーガンと同じ結論に至っていたからだ。
「……辺境伯には迷惑を掛けます。ですが必ずや、この恩義に報いること――クレシェンタ=ファーナ=ヴェラ=アルベランの名にかけて誓いましょう」
「は……ありがたきお言葉です」
話が終わり、クレシェンタはベリーを伴いクリシェの部屋へ。
クレシェンタはネグリジェを着て寝る準備をしたクリシェに擦り寄るようにしながら、不安そうに彼女を見つめていた。
「おねえさま、怒ってらっしゃいますの?」
「……クリシェはお屋敷に来たらいいとは言いましたけれど、クリシュタンドを戦に巻き込んでいいだなんて言ってません」
「でも、いけないだなんてことも仰ってないですわ」
クリシェが眉をひそめて睨むと、クレシェンタは慌てたように首を振る。
「……ごめんなさい。お許しになって。おねえさまが怒るっていうのは、本当はちょっとわかっていましたわ」
「じゃあ、どうしてですか?」
「だって……悪いことだけではありませんもの。わたくしが王位を手にしたら、クリシュタンドは一生安泰で、おねえさまだって安心出来ますわ。辺境伯は貴族の筆頭、元帥として王領に。セレネ様やアルガン様だって、おねえさまの大切な方々は一番安心できるところにいることができますの」
クリシェは冷静にその損得を計算し、目を閉じた。
長い目で見るならば、確かに悪くはない。
「わたくしだっておねえさまのことをちゃんと考えてますわ。この前の戦は辺境伯とおねえさまがいらっしゃなければ南東部一帯が完全に失われていたでしょう。わたくしにも、おねえさまにも限界はありますの。国土が失われて、兵力が失われればいずれ平和は失われます。わたくしがこの国をちゃんと安定させて、そしてその中央におねえさまがいらっしゃれば、何より安心でよいと思いましたの」
「それは……そうかもしれませんけれど」
「おねえさまはわたくしよりずっと強いのでしょう。わたくしは剣なんて握ったこともないですし、戦の勉強だって全然ですわ。忌み子ですもの、変なことに興味を持って疑われちゃいけないってずっと気を使ってましたから。……でもその分、おねえさまより広くて長い視点で物事を見ているつもりですわ」
クリシェはクレシェンタの目を見て、少し考え込んだ後そのまま抱きしめた。
「……わかりました。このことにはクリシェ、もう怒ったりしません。でも次からはちゃんと言ってください。こんなのはクリシェ、嫌です」
「もちろんですわ。もうしません」
クレシェンタはほっとしたようにクリシェの胸元に頬を寄せた。
「……あの、王女殿下」
「クレシェンタ、でよろしいですわよ。外でそう呼ぶわけにはいかないでしょう?」
「はい、クレシェンタ様。……その、ノーラ様は?」
「死にましたわ」
「それは……その」
「殺したわけではないですわよ」
クレシェンタは顔を少し上げて告げる。
何を考えているのかわからない無表情だった。
「ノーラと一緒に逃げて来ましたの、途中まで。偽装馬車ですから、他に兵士もいたのですけれど」
「襲撃にあった、ということですか?」
「ええ、それもありましたけれど……まぁ兵士達とはそれで別れることになって、到着の前日かしら。わたくしに死なせて欲しい、と」
「死なせて……?」
クレシェンタは頷く。
「それなりにお気に入りでしたの。本当ですわよ? わたくしが泣かぬ赤子だとわかって殺されそうになった時、必死に泣くように叩いたり、怒鳴ったり、わたくしに必死で泣くことを覚えさせたのはノーラですの。……おねえさまを森へ放り出したことを、ずっと後悔していたんですって」
クリシェに身を預けながら、ぼんやりとした目で告げた。
「わたくしがお父様を殺したことに耐えられなかった、だなんて。……死んだ理由もよく分かりませんわ。わたくしがちゃんとこのお屋敷につけることを確認できたから、自分は死んで、これまでの罪を償いたいんだとか」
「……それ、は」
「……おねえさまはどうだか知りませんけれど、わたくし、小さな頃から色々な手段で邪魔な相手を殺しましたわ。そうじゃないと殺されますもの。でもその頃は下手でしたから危ないところもあって……そういう時もちゃんと、ノーラは手伝ってくれましたわ」
思い出すように、不思議そうに。
「今回も一緒でしょう? わたくし、ノーラにはこれまでちゃんと理由を説明してきましたわ。それでノーラはいつもきちんと納得してましたのに」
ベリーはいたたまれない気持ちになって目を伏せる。
罪の意識を抱えていて、でも、クレシェンタのために。
クリシェが彼女のようであったなら――自分もそうするのかもしれないと思えたからだ。
「……ノーラ様はクレシェンタ様を愛しておられたのでしょう」
「ならどうして死ぬのかしら? 愛していたなら、なおさらわたくしのために生きてくれるのが道理ではなくて? 幸せになってくださいなんて言いながら勝手に死んだって何の意味も無いんですから、普通はそうするべきですわ」
「ずっと、罪の意識があったのでしょう。クレシェンタ様のためにそうして、でも罪の意識は消えず、だからこの屋敷に着く前にそうされたのです」
「ノーラとまともに会話もしてないのに……随分わかったような口ですわね」
「……わかります。クリシェ様のお側に仕えてきましたから」
ベリーは目を閉じて呼吸を整えた。
無礼とはわかっていても自分が言わねば、ずっとこのままなのだ。
そして自分の死を持って、彼女はそれを期待したのではないか――ベリーはそう思う。
「クレシェンタ様の中では仕方の無いことだったのでしょう。必要であったのでしょう。クレシェンタ様は今も罪だとは思っていないのだと思います。でも、その代わりにノーラ様は、その罪を自分のものとして受け止め、死で償った。……クレシェンタ様の分まで、です」
「…………」
「人は愛する相手が罵られると怒ります。蔑まれれば悲しくなり、賞賛されれば嬉しくなります。それと同じように、愛する相手が罪を犯すのはとても辛いことです。クレシェンタ様はお辛くなかったのかも知れません、でも、ノーラ様は辛かったのでしょう」
クレシェンタの前で膝立ちになると、その肩に触れた。
「わたしはクリシェ様に対してそのように思っていますから、わかるのです。クリシェ様は心の優しいお方です。ですが、クレシェンタ様と同じ、普通とは異なった考えをお持ちです。クレシェンタ様と同じように罪と感じず罪を犯すのかもしれません」
「ベリー……?」
ベリーは苦笑しクリシェの頭を撫でた。
「クリシェ様がこの先どんな罪を犯そうと、わたしはクリシェ様を愛し続けます。でもやはり、愛する方が知らずにでも罪を犯すのはとても辛いことで、そうならないようにとわたしはクリシェ様に様々なことをお教えしました。……罪を犯さぬまま、ただ幸せにお過ごしになってほしいからです」
そしてクレシェンタを見つめる。
「しかしそれも叶わないのであれば、やはりそうして導くことのできなかったわたしの責任でもありますから、わたしは代わりにその罪を償うでしょう。ノーラ様と同じように」
「ノーラと……?」
「……ええ。愛するクレシェンタ様が犯した罪を、自分のものとして受け止めたのです。そしてこれから先は、罪を犯すことなく幸せになって欲しいと、そう願われたのではないでしょうか。これまでの罪は全て自分が背負うから、と」
クレシェンタは考え込むように目を伏せ、唇を尖らせた。
眉をひそめてベリーを見る。
「ノーラと同じようなことを言いますのね。本当勝手な言い分ですわ。わたくしが気にしていないことを勝手に気にするだなんて」
「人は勝手な生き物でございます、クレシェンタ様。それが良いことと思えば、そうするものです。現にクレシェンタ様はクリシェ様にとって良いことだと思い、今回の……騒動を起こされたのでしょう?」
「ぅ……」
クレシェンタは逃げるようにクリシェにしがみつき、クリシェはその頬をつまんだ。
「ベリーはクリシェの先生ですからね、ちゃんと聞かなきゃだめです」
「……おねえさまの先生ですの?」
「はい。クリシェはベリーの言うことちゃんとわかりますよ。クリシェはベリーが大好きですから、ベリーが馬鹿にされたりしたらすごく嫌で、不愉快です。こういうのを共感……えと、あれ? なんか違いますね……」
「え、ええ……ちょっと違いますけれど、ふふ……ありがとうございます」
困ったように笑みを浮かべ、もう一度クレシェンタを見た。
「無礼を承知で申し上げるならば、クレシェンタ様はクリシェ様と同じく他人の心を読み取るのが苦手な方なのでしょう。クレシェンタ様は人の行いの上辺だけを見て、考えていらっしゃるのではないですか?」
「……それ以外の何を見ますの?」
「クレシェンタ様がクリシェ様のことをお考えになる時のように、もっと深いところでございますよ。クレシェンタ様はクリシェ様のことを一番理解できると仰いました。クリシェ様をご理解できるのであれば、他の方を相手にもできると思うのです」
クレシェンタは考え込むようにしたあと、嘆息する。
「時間の無駄ですわ。おねえさま以外はみんな馬鹿ですもの。そんなことをして何の意味があるのかしら?」
「わたしも含め、世界はクレシェンタ様の言う馬鹿で満たされておりますから」
にこりと笑顔を浮かべて言った。
「そうした世の中で上手く立ち回るのであれば、その馬鹿の心を読み、感じ取る術を身につけるというのは、クレシェンタ様のためになるのでは?」
「……理屈はわかりますわ。なんでそんなことをわざわざわたくしに?」
「クレシェンタ様がクリシェ様とお過ごしになることを望まれたからです。……言ったように、わたしはクリシェ様を愛しておりますから」
ベリーはそのままクレシェンタの頭を飛び越え、クリシェへと口付けた。
クレシェンタはそれを見て目を驚きに見開き、硬直し、クリシェはクレシェンタの前でそうしたことにびっくりしながらも、嬉しそうに頬を綻ばせた。
「わたしはクリシェ様のためならば命だって惜しくありません。……クレシェンタ様にわかりやすい言い方をするなら、わたしはクレシェンタ様なんてどうだって良いとすら思っています。重要なのは、クリシェ様がお幸せかどうか。わたしが愛するクリシェ様を不幸にするならば、クレシェンタ様などむしろ邪魔な存在です」
「……言いましたわね」
クレシェンタは笑みを濃くしながらベリーを睨んだ。
まるで蛇に睨まれた蛙のような心地で、しかしベリーは笑顔を崩さず見返す。
「ベリーにそんな顔しちゃ駄目です」
「うにゅ……っ」
クリシェはそんなクレシェンタの頬を手で押し潰す。
「な、なにしますの……っ」
「クリシェの言葉です。ベリーに手を出そうとしたら殺すって、この前クリシェはちゃんと言いましたよ」
「うぅ……睨んだだけですわ」
ベリーはくすくすと笑って、告げた。
そして少し恥ずかしそうに目を泳がせた。
「こう言うのはちょっと、その……あ、あれですけれど。クリシェ様も、わたしのことを愛してくださってます。相思相愛です。……わたしには何の力もございません。ですが、クリシェ様に問うことは出来ます。わたしがどうしてもクレシェンタ様を嫌いになったとして、クリシェ様に、わたしとクレシェンタ様のどちらを取るか、と」
「ベリーですね」
「え……?」
即答である。クレシェンタは呆然とクリシェを見る。
クリシェは首を傾げた。
「だって、ベリーはクリシェに一杯色んなことを教えてくれて、なでなでしてくれたり、キスしてくれたり、一緒に寝てくれたり……クリシェが嬉しいこといっぱいしてくれますから。返しきれないくらい一杯恩がありますし」
「わ、わたくしがおねえさまを一番理解できますわ! それにそれくらいわたくしだって……」
「ベリーもちゃんと、クリシェのこと理解して、理解しようとしてくれます。理解するより理解しようと努力し合うことが大切で、一番素敵なんですよ」
ベリーは嬉しそうに微笑み、頷く。
「クレシェンタ様ほど、わたしはクリシェ様のことを理解することが出来ないかも知れません。……でも、クリシェ様を一番幸せに出来ると信じています。だからクリシェ様に、クレシェンタ様の仰る馬鹿しかいない世界で幸せになって頂けるよう、色々なことをお教えしているのです」
「……わたくしだって――」
「――そして、クレシェンタ様が幸せを求めてクリシェ様とご一緒したいというのであれば、わたしはクレシェンタ様がクリシェ様と同じ幸せを得られるよう沢山のことをお教えしたいのです。……いえ、したい、ではありませんね。これは、義務です」
「……義務?」
「ええ。クリシェ様は馬鹿しかいない世界で幸せになろうとしているのですから、クレシェンタ様も馬鹿しかいない世界で幸せになれるよう、努力して頂かないと」
不満げにクレシェンタが睨み、ベリーはその頭を撫でた。
クレシェンタは咄嗟に払おうとするがクリシェに止められ、撫でられるままになる。
「心の底で、わたしを殺したいと思っても良いです。でも、わたしのことはクリシェ様が守ってくださいます。クレシェンタ様がわたしを殺そうと思うなら、まずはクリシェ様にわたしよりずっと、愛してもらうことが一番の近道でしょう。……だからそれまでは、ちゃんと義務を果たして頂きます」
「……あ、クレシェンタ、毒も駄目ですよ。ベリーが原因不明の体調不良になったらクリシェ、クレシェンタのせいにしますから」
「うぅ……」
考えてなかった、とベリーは若干冷や汗をかきつつ、一息を付く。
「わたしがひとまず言いたいのは、それくらいです。ご無礼をお許しください」
「……王宮ならアルガン様の首が飛んでますわね」
「ここはお屋敷ですから」
クレシェンタの唇をそっと押さえ、ベリーは笑う。
クリシェが手を掴んでいるせいでクレシェンタは抵抗も出来ず、恥ずかしそうにしながらただ睨む。
ベリーはもう一度微笑むと、エプロンドレスを脱ぎ、棚からネグリジェを取った。
「……もう遅い時間ですし、ひとまず今日はお休みといたしましょう。クレシェンタ様もお着替えしましょうか。クリシェ様が以前着ていたものが丁度でしょう」
「わかりましたわ」
ひとまず納得した様子のクレシェンタの服を脱がせて着替えさせ、そして自分も。
そのままクリシェと一緒にベッドへと手を引く。
「あの、アルガン様も一緒ですの……?」
「え、えぇと、はい……クリシェ様といつも一緒に」
「……愛しているとか仰ってましたけれど、その、き、キスもして、おねえさまと、その――」
「ご、ご想像されてるようなことはありませんっ」
「……なんだかそうやってムキになられると、すごく怪しいのですけれど」
ベリーは怪しくないです、と言いながら二人をベッドにいれ、そして自身も潜り込む。
それなりの大きさのあるベッドは三人が入ってもゆとりがあった。
「あ……」
「こうやって、抱きしめながら眠ってるだけでございます。クリシェ様はこうされるのがお好きで、わたしもそうです。クレシェンタ様もそうなのでは?」
向かい合う二人を一緒に手を伸ばして抱きしめて告げる。
クレシェンタは少し迷うようにしながらも、背中を押しつけてくる。
「……悪くは、ないですわ。暖かいですもの」
「ふふ、クリシェ様と違ってそういうところは素直ではないのですね。クリシェ様はどうですか?」
「クレシェンタは胸がぺったんこなので、そっちがいいです」
「う……」
ベリーはくすくすと笑って、クレシェンタを撫でた。
「今日からは、クレシェンタ様も眠るときは毎日こうしてご一緒しましょうか。これならぐっすりとお眠りになれるのではないですか?」
「……おねえさまと二人っきりがいいですわ。こんな状態でぐっすりなんて、アルガン様が変なことをなさらないか心配ですもの」
「し、しません……っ」
ベリーはため息をつくと、更に抱き寄せた。
「……もう。変なことを仰ってないで、お休みください。少なくとも命の不安をお抱えになったままお眠りになるよりは、ずっと安心が出来ますでしょう?」
「まぁ……そういうことにしておきますわ」
すぐにクリシェの寝息が聞こえて、クレシェンタは呆れたようにクリシェを撫でた。
そんなクレシェンタを撫でてやり、ベリーは囁くように言った。
「……ノーラ様も、本当はこうやってクレシェンタ様に優しくして、安心させてあげたかったんだと思います。クレシェンタ様が不安ならそれを解消してあげたいと、そう思ってクレシェンタ様を手伝ったんだと。クレシェンタ様が安心してお休みになれるように」
「…………」
「罪の意識で死を選ぶくらいに、クレシェンタ様のために尽くして、愛そうとしたのは事実です。それは馬鹿なことなのかもしれません。でも……ノーラ様がそのようにクレシェンタ様を愛してらしたことだけは、ちゃんと、覚えていて頂きたいのです」
クレシェンタはクリシェを優しく撫でながら、静かに答えた。
「……お休みくださいって言ったり話し掛けたり、寝てて欲しいのかお喋りしたいのか一体どっちなのかしら」
「ふふ、申し訳ございません」
「物覚えはいい方ですわ。それに……残念。そう、それくらいには思ってますわよ」
そう言って体の力が抜ける。
ベリーはその言葉に目を見開き、安堵して、二人を抱く手に力を込めた。
「……はい。差し出がましいことを申しました」
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