第37話 少女が望んだ英雄譚
屋敷のエントランス。
クレシェンタを出迎えたボーガンとセレネは膝をついていた。
王女殿下が来るとなっては二人とも軍人貴族としての略式正装。
乗馬ズボンに布の胴衣――キルティングアーマーにマントを着けている。
スカートのクリシェとベリーも膝こそついていないものの腰を深く折って頭を下げた。
「まぁ、二人とも頭を上げて下さいませ。ちょっとしたお忍びですわ」
「……は、王女殿下」
お忍びと称してギルダンスタインに続き、訪れたのはクレシェンタ。
政争に関わるなと忠告を受けたボーガンとしては、この状況は胃が痛い。
どうしてこの場に彼女が現れたのか。
昨日それを伝えたベリーも困惑した様子であった。
「わたくし、同年代のお友達はいなくて……クリシェ様と仲良くして頂きたいだけですの。ね、クリシェ様」
「はい、えーと、王女殿下?」
クレシェンタは満足げに頷き、セレネはクリシェを睨むように見る。
クリシェの説明はなんともあやふやなもので、ベリーもまた同様。
王女がたまたまクリシェを気にいり、友人として遊びに来る運びになった、などという説明はどうにも不可解である。
ベリーは困ったように少し様子を見て頂きたい、とセレネとボーガンに説明したが、結局クレシェンタの真意は分からずじまいなのだった。
クリシェはどう考えても、容易く『お友達』を作れる人間ではない。
むしろ絶望的にそれが下手である。
そんなクリシェにたまたま、王女が話し掛け怒らせるどころか友誼を結ぶなどというのは、中々考えられることではなかった。
なぜ王宮へクリシェが足を運ぶのではなく、クレシェンタがこちらへ足を運ぶことになったのかも疑問であり、セレネはクレシェンタの顔を見る。
整った――妖精のように愛らしい容貌。
王女殿下の美しさは社交界においては有名で、事実その通りの美貌であった。
幼いながらも完成品のような顔立ちはどことなく、クリシェに似ている。
「クリシェ様とお揃いのドレスも美しかったですけれど、そうして正装をなさっていると凜々しくてとても素敵ですわ」
「恐悦至極に存じます、王女殿下」
「お二人の活躍はわたくしの耳にも届いてくるくらいですもの。機会あればわたくしにその時の話を聞かせて頂きたいですわ」
「是非もありません。仰せとあらばクリシェと交え、今からでも」
セレネが微笑を作りそう答えると、クレシェンタは楽しげだった。
「クリシェ様との約束ですもの。申し訳ないですけれど、今日は遠慮なさって」
「それは差し出がましいことを。お許しください、王女殿下」
「いいえ、嬉しく思ってますのよ。……部屋に案内して下さるかしら?」
ベリーはその言葉に恭しく頭を下げ、畏まりました、と答える。
無言で付き従っていたノーラも含め、四人が歩いて行ったのを見届けた後、セレネはため息をつく。
「……さっぱりわからないわね。どうして王女殿下が」
答えは返ってこず、どこか考え込む様子のボーガンを見る。
「お父様?」
「……いや、少し馬鹿な妄想をな。まぁベリーの言葉通り、少し様子を見るとしよう。ベリーは聡い娘だ」
「……そうですわね。クリシェが馬鹿なことをしなければ良いですけれど」
セレネは結局、そこが心配であった。
部屋に入ると斜め向かいのソファに座り、ベリーは二人に紅茶を注ぐ。
クレシェンタはじっとそれを見つめ、そしてクリシェがたっぷりと紅茶にミルクを注ぎ込むのを眺める。
クリシェはそれに気付いてクレシェンタの紅茶にもたっぷりとミルクを注いでやった。
クリシェは紅茶を適温にするためミルクをたっぷりなのだが、普通の量からは随分多い。
ベリーは大丈夫だろうかとクレシェンタを見るが、クレシェンタは恥ずかしそうにしながらも実にご機嫌。
嬉しそうに紅茶へ口付けた。
――こういう好みも一緒なんだ。
ベリーはその共通点を発見しながら、使用人として適度な距離から二人を眺める。
ノーラというクレシェンタの側付きは、一言も発することなくただ立っていた。
部屋に入ってしばらく、クレシェンタはあれこれとクリシェのこれまでを尋ねた。
村に拾われ、グレイスとゴルカに育てられ。
賊に二人を殺され、そしてその賊を殺したことで村から出ることとなり。
そうして祖父の知己であったクリシュタンドに預けられ、養子になった。
クリシェはベリーにもセレネにもボーガンにも恩があるし、その恩を全然返せていない。
少しでも恩を返したいと思うし、クリシュタンドの屋敷での生活は気にいっている。
だからクレシェンタのところへは行けない。
クリシェの説明は淡々としたものであった。
いつものようにベリーへ甘えたりはせず、視線もほとんど向けない。
無表情にあるがままに考えを告げるクリシェは、どこか警戒しているようにベリーには見えた。
クレシェンタは一通り話を聞き終えると、少し思案するように紅茶を見つめる。
「……一昨日おじ様がここにいらっしゃったみたいでしたから、確認も兼ねて、だったのですけれど。わたくしの悪口でも仰ったのかしら。辺境伯は少し迷惑そうでしたわね」
そして、クリシェの話への感想などは口にせず、別なことについて口を開いた。
来たか、とベリーは内心で緊張しつつ答える。
「……そうでしょうか?」
「ええ、そう見えましたわ。アルガン様、辺境伯はどのようにお考えですの?」
わざわざ王女というクレシェンタが来たということは、単にクリシェを城内で歩かせるのが心配だった、などという言葉通りの意味合いではあるまい。
王弟ギルダンスタインが訪れた理由を探りに来たのだろう。
だからボーガンの顔を確認するため、ここへ訪れた。
「……そういう政の話はあまりしない方なので。ただ……」
「ただ?」
「ご当主様は国のため戦う純粋な軍人として、ご自分を定め、律しておられる方です。常々、そういうものとは無縁でありたい、と」
「純粋な軍人――素敵な言葉ですわ」
クレシェンタはそう言ったが、顔は不満げ。
やや唇を尖らせつつ、クリシェを見る。
「おねえさまが辺境伯のところにいらっしゃるなら、是非ともわたくしの方に来て頂きたいのに」
「クリシェはそういうことさっぱりです」
「王宮が真っ二つに分かれていることくらいはご存じでしょう? 後手後手に回って良いことはありませんの」
「クレシェンタは王様になりたいのですか?」
きょとんとした顔でクリシェを見つめ、クレシェンタは顎に手を当てた。
「だって、そのほうが安心ですわ。わたくしもおねえさまと一緒で、生まれた時には殺されかけたんですもの。忌み子と扱われて、ですわ」
「クリシェと一緒?」
「……じゃなかったら今頃、わたくしとおねえさまとで楽しい毎日を送れてましたわ。おねえさま、赤子の頃にお泣きにならなかったでしょう?」
クリシェは少し思い出すようにして頷く。
「そうですね。ちゃんと食事はくれましたし、クリシェ、不満もなかったですから」
「わたくしたちは人と異なっておりますから、そういう風に考えられるのですわ。普通はとりあえず泣くものですの」
クレシェンタは視線をノーラにやる。
「わたくしはノーラがしっかり教えてくれたおかげで、ちゃんと泣いて見せてなんとか乗り切りましたけれど、危ないところでしたわ。ね、ノーラ」
「……申し訳ございません」
「謝る事なんてありませんわ。おかげでどうあれ、わたくしは殺されることなく、おねえさまともこうして会うことが出来ましたもの」
ノーラは静かに身を竦めた。
ぎゅっと、自らのスカートを掴む。
「泣かぬ赤子は王家に災厄をもたらす――そう言われているらしいですわ。昔に色々あったのでしょう。おねえさまはそれで塔に隔離され、ノーラが世話をすることになったそう……どうにも、わたくしたちのお母様のほうが殺さないでと懇願したそうね」
クレシェンタはそんな彼女と対照的に、平然としていた。
彼女は十を少し過ぎた程度――それにしてはあまりに落ち着き払っている。
「お父様は悩んで、保留という形でおねえさまは塔に軟禁――後にわたくしを孕んだことで処分しようというお話になったとか。次の子が生まれるなら、なかったことにしたかったのでしょう」
「……なるほど。クリシェ、お喋りしたのがいけなかったのかと」
「ふふ、違いますわよ。でもノーラはずっと後悔していたそうですわ。……だって、小さかったおねえさまを森に置き去りにしたんですもの」
クレシェンタはノーラを見る。
ノーラは震え、目を揺らし、顔を伏せた。
頬を雫が伝う。
「……お許しください、わた、わたし、は……あの時、どうすることも、できなくて」
クリシェはそれを眺めて、ベリーを見る。
ベリーは悲しそうな顔でノーラを見ていた。
「ノーラはお気に入りですけれど、おねえさまが怒ってらっしゃるならノーラをあげようと思ってましたの。どうかしら?」
冷ややかで、平易な声。
あげる、とは、どうとでもしろということなのだろう。
とはいえ、クリシェにその気もなかった。
「ん……クリシェは特に怒っていませんよ? ノーラさんは沢山クリシェをなでなでしてくれたりしましたから」
「っ……」
「確かにお腹がすっごく空いて死ぬところでしたけれど、ちゃんと拾ってもらうことはできましたし……あ、巡り合わせですね」
クリシェは微笑み指を立て、クレシェンタは小首を傾げた。
「クリシェはノーラさんに捨てられて、村に拾われて、それからクリシュタンドのお屋敷に来て、ベリーやセレネに可愛がってもらってます。クリシェは今とっても満足してますから、怒ったりはしないのです」
「……巡り合わせ」
「はい。クレシェンタみたいに上手くやれたら、クリシェも王宮で暮らしていたかも知れません。でももしそうなったらベリーやセレネと今みたいに楽しい生活を送ってませんから、やっぱりクリシェは今が満足です。ね、ベリー」
ベリーはその言葉に嬉しそうに微笑み、しかしクレシェンタは唇を尖らせる。
「ふぅん、おねえさまはそうなのですね」
「はい。……クレシェンタは全然楽しくないんですか?」
「ええ、楽しくないですわ。王女だからと言って結局、忌み子だって言われた事実は変わりません。……全然安心だってできませんし、お食事だって毎日毒が入っていないか気を使って、変だって思われないよう適度に馬鹿な振りをして――おねえさまはそんな風に脳天気に楽しんでらっしゃいますけれど、わたくしは違いますの」
頬を膨らませる。
クレシェンタは随分と喋るのも、表情を作るのも上手だった。
その点に関して言うならクリシェも努力はしてきたつもりではあったが、クレシェンタはもっと頑張ったのだろう。
それくらいは分かって、立ち上がって隣に座るとその頭を撫でてやる。
「な、何してますの……?」
「なでなでしてます」
「そ、そうじゃなくて……」
クレシェンタは顔を赤くしながらベリーとノーラを見て、しかし続きを言うことなくされるがままになる。
「クレシェンタは安心したいんですか? だから王様になりたいんですか?」
「……それ以外に理由が?」
「いいえ、単なる確認です。クレシェンタがクリシェをそんなに必要とする理由がちょっとわからなかったので。……クレシェンタは自分が安心するために、クリシェに協力して欲しいんでしょう?」
「はい。その代わり、クレシェンタもおねえさまをちゃんと安心させてあげますわ」
当然のようにクレシェンタは答える。
そんな彼女の言葉をクリシェは平然と受け止め、微笑んだ。
それから頬を撫でて、
「クレシェンタは今ここで、きちんと殺しておいた方が、随分とすっきりかも知れませんね」
その手を首に。
クリシェは微笑んだまま、そんな言葉を平然と告げる。
「戦うならクリシェのほうがずっと強いですけれど、クレシェンタはお喋りが上手ですし、沢山勉強をしてるみたいですから、クリシェに対する嫌がらせは沢山出来そうですし」
告げられた言葉の意味、内容。
そこには虚飾も何もなく、無邪気な殺意だけが示されていた。
瞳は冷酷に、手の中に囚われた蝶を眺めるように。
ただ、冷ややかな紫色の光が灯っていた。
それを見上げる王女の瞳も同様――無機質な紫色でクリシェを眺める。
その気になればクリシェには容易いことだとわかっていた。
本当にクリシェが殺す気ならば、もはや殺される他ない。
そういう諦観で、観察するように自分を捕らえた相手を見つめた。
「……わたくしを殺しますの?」
利益と不利益――互いの利害が一致しなければ、それで終わり。
勝算はあったものの、クレシェンタは最初からこう告げられることを考慮に入れてこの場にあった。
しばらくの静寂があって、クリシェは困ったような顔をする。
「クレシェンタは放っておくとそういうことをしそうですし、ちょっと考えました。でも、王女様を殺すとなると色々クリシェの方にも問題がありますから、とっても面倒です」
どこか歪な会話――ベリーとノーラは息を飲んでそれを見つめ、
「そこでクリシェは考えたのです」
クリシェはクレシェンタの頬を両手で挟み、告げる。
「クレシェンタもお屋敷に来ればいいじゃないですか」
「……え?」
「ちょっ、く、クリシェ様……っ」
慌てたように声を上げたベリーを見て首を傾げつつ、クリシェは再びクレシェンタの目を覗き込むように続ける。
「そうすればクレシェンタは食事の度心配しなくていいです。クリシェとベリーが作りますから。クレシェンタは自分が変だって思わなくていいです。クリシェもベリーも個性だって思いますから」
頬を撫で、唇を指で擦り――
「――クリシェがクレシェンタをなでなでしてあげます。ぎゅって抱きしめて、一緒に寝てあげて……クレシェンタもクリシェに同じことをしてくれたらいいです。そうすればクリシェも、クレシェンタも満足でしょう?」
「え、と……」
「クレシェンタは理解して欲しいって言って、クリシェのことを理解してくれるって言いました。お互い理解しあおうとして、お互いが相手の望むことをしてあげる関係はとても幸せで素敵なものだって、クリシェはそう教わりました。……クリシェもそう思うのです」
クリシェは言って、手を滑らせる。
頬から顎、そして再びクレシェンタの首を両手で包み込むように。
その柔らかい肉をなぞって、弄ぶ。
鼻先が触れ合うような距離にあって、しかし。
「クリシェはクレシェンタが不愉快なままでいると不安です。殺しておいたほうが良いのかも、と思います」
その紫色の瞳だけがただ、無機質に見えた。
「……でも、クレシェンタが不愉快でなくなるなら、クリシェだってクレシェンタに安心出来るでしょう? クリシェもそれならクレシェンタを安心させてあげられますし、クレシェンタもそうでしょう?」
クレシェンタは呆けたように、クリシェを見つめていた。
自身の喉元に纏わり付く手の感触を味わい、また唇を尖らせてクリシェを睨む。
「昨日から思ってましたけれど……おねえさまって、ちょっとお馬鹿ですわよね。わたくしは王女ですのよ?」
「クリシェは馬鹿じゃないです。王宮のことはさっぱりなので簡単に考えてみただけで。……折角考えたのに、嫌なんですか?」
「……嫌じゃないですわ」
クレシェンタは身を寄せるとそのままクリシェの上に乗る。
そしてそのまま抱きついて、微笑んだ。
「……でも、そうですわね。とても悪くない考え。おねえさまはわたくしに、同じ鳥籠へ入れと仰るのね? おねえさまにとってもわたくしにとっても、素敵で安心出来る鳥籠であればそれでいいと。……そうすれば鳥籠を守るため、おねえさまとわたくしは協力が出来るから、と」
「鳥籠……」
「ちょっとした例えですわ。おねえさまは本当、会話が苦手ですわね」
くすくすとクレシェンタは笑い、クリシェは頬を赤らめる。
「……鳥はわたくしたち。鳥籠は屋敷や王宮という共同体。おねえさまが可愛がっていらっしゃる同じ鳥籠の鳥をわたくしも可愛がるならば、おねえさまはわたくしに優しくしてくれて、わたくしのことを守ってくださる。……そしてわたくしたちの鳥籠に悪さをするものがいれば、二人で一緒に――そういうことでしょう?」
「はい、そんな感じです。遊学だとかそうした理由を適当につけて、お屋敷に来ればいいんじゃないでしょうか。とっても簡単でしょう?」
楽しげにクレシェンタは頷き、クリシェの頬に頬を押しつける。
「ええ、ええ。理屈はとっても。問題はいくらかありますけれど、算段はある程度つけられました。おねえさまがそのように考えてくださるのなら、わたくしも、ちゃんとおねえさまのために頑張りますわ」
クリシェは偉いです、と言いながらクレシェンタをそのまま撫でた。
クリシェにとって子供はそうするべき存在であり、そう教えられている。
そうされるクレシェンタは実に幸せそうな笑みを浮かべて、そのままクリシェの髪を撫で、目を細めた。
「でも、準備に少し時間が掛かりますわ。やっぱり、王女――それも王位継承を争うような立場にあるわたくしが辺境伯のところへ行くというのは、そう簡単ではないですもの」
「それは、まぁ……それくらいはクリシェにもわかります」
「王宮社会は少し複雑で、面倒が多いですから、それを済ませてからにしますわ」
「何をするんですか?」
クレシェンタはクリシェを見て、ベリーを見る。
「あまりお気になさらないでくださいまし。丈夫な鳥籠をつくる準備、ですわ」
「……丈夫な鳥籠?」
「まぁ、事が済んでから説明しますから、安心なさって。それより……おねえさま、このまま寝てもいいかしら?」
「ふふ、クレシェンタは甘えん坊さんですね」
クリシェはいつも言われている言葉をそのまま告げ、頬を膨らませたクレシェンタの顔を指でつついて空気を抜く。
ぷひゅー、と間抜けな音がして、クレシェンタの頬が赤く染まった。
「わたくし……一度、ぐっすり寝てみたかったのですわ。ずっとずっと、安心して寝られませんでしたの。眠ってしまうと、殺されるんじゃないかって」
ベリーはそう告げる彼女の顔を見て、目を伏せる。
彼女はクリシェと同じなのだ、と思った。
どこまでも無機質な――時折硝子のように映る瞳。
自分が他人と違うことを理解して、それでも上手く馴染もうとして、望まれるように振る舞い、ただただ安心を、幸せを求めようとする。
しかしただ眠ることすら、この『小さなクリシェ』には許されなかったのだろう。
何とも言えない感情が湧いて、ベリーはベッドから毛布を持ってくると、二人を包み込むように掛けた。
「そのまま寝てしまうとお体を崩してしまうかもしれませんから」
クレシェンタは不思議そうな顔をして、それから頬を綻ばせた。
「アルガン様は、優しい方ね」
そして、おねえさまが懐くのもわかりますわ、と――無機質な、紫の瞳で告げる。
翌日には王都を出て、クリシェ達は来た道を帰った。
クレシェンタはベリーに口止めをし、帰り際に出迎えたボーガンには、クリシュタンドの屋敷に今度遊びに行きたいというだけに留める。
ベリーはどう説明するべきかを少し迷ったものの、ボーガンが「王女殿下が何も言うなと言ったのであれば言う必要はない」と留めたことで胸に秘めることにした。
それからは、何事もなかったように屋敷へ。
行き道と同じようにクリシェと過ごし、屋敷に着いた後はまた普段の日常へと戻る。
しかしその数日後、国王陛下が崩御なされたとの報告をボーガンが受けた。
病ではなく、それは完全な毒殺であったと使者は告げ、そして王女が失踪したとも。
その知らせに背筋を冷たいものが流れるのを感じ、ベリーはそれを押しとどめた。
しかし更に数日後――雨の夜に扉を叩いた少女の姿に硬直することとなる。
「……半月振りですわ、アルガン様」
雨に濡れた外套から覗く髪。
優美な金はどこか赤みがかった輝きを見せた。
その下から覗くのはクリシェによく似た幼い――人を惑わす妖精の美貌。
「国王が暗殺され、政敵である王弟に殺されることを恐れた王女は、晩餐会で知り合った忠臣、クリシュタンド辺境伯のところへと身を寄せますの。そうしてクリシュタンド――おねえさまと共に王弟に立ち向かったわたくしはこれに勝利し、王位と安寧を手に入れる……」
外套のフードを外すと、濡れた髪からは煌めくように雫が落ちる。
夜闇の中にあって、彼女の姿は現実味がなく、幻想的な輝きを伴っていた。
「……ね、とても良い筋書きだとは思いませんこと? おねえさまはお気に入りのクリシュタンドを離れることなく、わたくしはおねえさまと一緒に暮らせて、そして民衆はクリシュタンドとわたくしを賞賛することでしょう」
雨の音が響く中、甘く冷ややかな声は静かに、確かに。
「……それなりに勉強しましたの。いつの時代も指導者を盤石にするのは民衆の支持。普段は大人しい彼等を味方につけるのはいつだって物語ですわ。広く親しまれている物語を参考に、筋書きを描いてみましたの。……ね、素敵でしょう?」
――これぞ、誰もが望む英雄譚というものじゃないかしら。
クレシェンタはそう、妖しい微笑を見せた。
――王国歴457年。
アルベラン王権戦争と呼ばれるその大きな内戦の起こりは、エルスレン神聖帝国の侵略を防いで間もなくのことであった。
大病を患っていた当時の国王シェルバーザの暗殺。第一王女であったクレシェンタは王位を争う王弟ギルダンスタインを恐れ、当時の英雄、クリシュタンドへと身を寄せる。
これに激怒したギルダンスタインは、これは王女側の策謀であるとし、自身の王位を主張。クリシュタンドに王女の身柄を引き渡すよう要求する。
しかしギルダンスタインが王位を継ぐことへ以前から反感を覚えていた王女派貴族たちは、国王暗殺をギルダンスタイン側が行ったものとし、クリシュタンドの側へとついた。
当時優勢にあった王女派が国王を暗殺する理由はないとし、ギルダンスタインを王位の簒奪者であると声高に叫んだのだった。
激化する対立はやがて言葉と政治には留まらず――
――王国を真っ二つに裂いた、アルベラン王権戦争。
その始まりはそう史書に記録されている。
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