第19話 悪辣な砦と扇動者
王国も帝国も、軍隊の仕組みとしてはやや異なるものの、基本的に多くは志願制という形であった。
地域によっては兵役を血税として収めさせるところもあるが、どちらにせよ兵士達は数ヶ月ほど訓練した後予備役に編入され、その後は年に一月程度の訓練(麦の刈り入れが終わったあとの冬場が多い)を受ける。
戦争が起きれば彼等は兵士として戦場に出ることになるが、訓練中は多少給金が出る上、ひとまず飯を食うに困らない兵士は貧民の出身が多い。
クリシュタンド軍であれば伍長より上は常備軍、上級兵なる単なる兵士でありながら職業兵士というものも存在していたり、帝国であれば伍長を含めて予備役であったりなどという違いはあるが、その辺りは財政状況による差が大きい。
クリシュタンド軍を例に挙げるなら、その軍を維持する大部分の金銭は国から与えられている。
それに加えボーガンは自分の保有する鉱山や農地からの収益を用いて、伍長を含む下士官を職業兵士として雇用。
以前の大戦で手柄を上げ続けたボーガンは、自身こそ使用人一人、屋敷一つという必要最低限、質素な生活を送りながらも、その辺りには多くの私財を投入していた。
彼は高潔な軍人であり、珍しいほどに誠実な貴族であり、自分が豊かな領地を貸し与えられているのはそれに応じた義務をこなすためであると考え、その役割をこなすための軍に金を使うことを惜しまない。
そしてその下にいる者達もそんなボーガンを見習う形で多くの私財を自身の兵に使い、それによってクリシュタンドでは精強な軍が維持されていた。
クリシュタンド軍はそのように特に軍事へ力を入れていたが、王国で軍を率いる立場にあるものは多かれ少なかれそのような手法を用いていたため、それが王国軍のスタンダードと言っても間違いではないだろう。
軍の練度と質を重視する。
それが王国軍の強みである。
対する帝国軍は広大な版図を持つがゆえ、その兵力は土地の領主に依存する部分が大きく、同じ兵数であっても質は疎ら。
領主自体が許可さえ取れれば独自に戦争を行える仕組みがあるため、辺境領と内領(皇帝直轄地付近の領地がこう呼ばれる)でもその兵力、質の差が激しい。
ただ強大な資本と権力を握る法王庁の力があり、彼等が『聖戦』を唱えれば、領主は神の名の下、一致団結し僅かな期間で大軍を掻き集め、侵攻を行える仕組みがある。
今回であれば王位継承で混乱する王国が保有する肥沃な南東部一帯の切り取りを法王庁が画策し、西部領主へ『聖戦』を命じたことで十万の大軍勢が起こされた。
その資金の多くは法王庁が西部の領主達に提供し、そして占領地での利益を彼等は貪る。
領主達にとっても十分な資金提供と領地拡大を望める『聖戦』は願ってもないことで、この時ばかりは普段は仲の悪い隣接領とも協力し、事に当たる。
なぜならば兵力差はそのまま軍の優劣となるからだ。
それは何よりはじめに習う戦の常識であり、戦後にパイをどう切り分けるかさえしっかりとしておけば、他と連動した大軍での侵攻は願ってもないことである。
基本的に常に一定の練度と安定性を保ち、兵站を安定して整える王国軍と比べ、疎らではあるものの大軍勢を起こし、兵站の多くを略奪から賄う帝国。
どちらが良いかはこの時代甲乙つけがたいものの、少なくともこの時までは帝国の大軍勢の前に東部一帯を占領された王国という、軍の仕組みの差が大きく出ていた。
勝ち戦の途上にある帝国軍――その中でも名将サルシェンカ率いる北方展開軍に一兵士として参加していたクルトは貧農の生まれ。
小作農であった家の三男として生まれた彼は、搾取され続ける両親の姿、閉塞的な村社会に嫌気がさし兵士として志願した。
石を投げれば当たるような、よくいる兵士と言っていい。
兵士とはなりたくてなるものではなく、ならざるを得なくてなるものだ。
エルスレン神聖帝国の兵士とは少なくともそのようなもので、貧富格差によって生まれる貧民に兵士として仕事を与え、それによって治安の悪化を防いでいる面もある。
『聖戦』――神の御名による略奪の正当化は不穏分子のガス抜きとして丁度良い。
広大な版図故に治安維持の行き届かない帝国には、定期的にこうした戦争を行いガス抜きを行わねばならないという構造的欠陥が存在していた。
人口が一定規模に達する街に対しては虐殺をしてはならない。
そのような決まり事は聖霊協約において文言として存在しているが、それは別に人道的見地に基づいた決まり事ではなかった。
街には優秀な職人や知識人、商人が存在する。
これは略奪によってそうした人材を殺してしまうことを避けるための決まりで、例えば商人などの富裕層を殺せば反発も大きく、戦後統治に支障が出るという理由からのもの。
商人達は結束によって自分達の財産を守ろうとするため、他国の商人であってもそのような扱いをすれば自国の商業にも影響しかねない。
そのため街でそのような行いは慎むようかつて聖霊協約によって取り決めが行なわれたが、当然それに当てはまらない小さな村落に対しては無視される。
占領地の村落はその代償、暗黙の了解としてそうした欲求不満の捌け口として用いられることとなっており、そしてそれが兵士の世界の常識であった。
青年クルトも、知らずそうした魔境へ足を踏み入れた一人。
辛い訓練の最中、先輩に語られるのは当然、戦争における略奪の話が多かった。
こうした訓練は辛く苦しいが、戦争になればやりたいほうだいができるのだ、と。
普段は袖にされるような村の美人を犯してやれる、金目の物だなんだも奪い放題。
生まれて良かった事なんてなかったが、そのときばかりはこの世の春を謳歌できると。
クルトはその時こそ言葉に頷き賛同して見せたものの、比較的善良な男である。
そうした先輩たちの意見には賛同できなかった。
クルトが憧れるのは汚い現実ではなく――おとぎ話の英雄だった。
今回の戦争行為でも略奪や陵辱行為には荷担せず、むしろその不快感を押し殺すので精一杯だった。
無抵抗の善良な村人を惨殺し弄ぶ様は人の行いとは思えず、その悲鳴は耳から離れない。
人間を玩具か何かのように、そこで繰り広げられるのは口にすることも憚られるような陵辱。
その凄惨な光景は目に焼き付けられ、数日の間はまともに眠れない日々が続いた。
そんなクルトを励ましたのは、オルザンという壮年の伍長であった。
勇猛果敢、剣の腕も立つ。
大ざっぱで快活だが、少し下品で、口にするのはいつも娼館での話題であった。
当然ながらそうした略奪に加わっていたと思っていたオルザンが、その実高潔であり、陵辱行為へ不快感を示したことは意外であり、それまで彼に苦手意識を抱いていたクルトは認識を改めた。
「……俺の村も昔焼かれた。生まれは王国だったんだがな、帝国兵を匿って、それが見つかって焼かれることになったんだ」
オルザンは語った。
敵兵を捕虜として捕らえるならばいざ知らず、匿うことは王国への反逆行為である。
見せしめとして村が焼かれるのは当然で、その際に村人に対する陵辱なども見せしめのため――暗黙の了解として認められている。
しかし村を焼きに来た百人隊長は堂々と広場に現れ、村人に逃げ出す猶予を与えた。
こちらの被害は荒くれ者が何人か殺された程度。
恐らくはその百人隊長にとって、村焼きは苦渋の決断だったのだろうとオルザンは言う。
そしてそのおかげで自分は生きて帝国に逃げ込み、今こうして兵士として立っているのだと。
「その当時は恨んだが……時間が経つほど、その時の事に感謝の気持ちが湧く。百人隊長となった時には、ああいう風になりたいんだ。格好いいだろう? ……とはいえ、まぁ万年伍長止まりだがな」
目をきらきらさせて語るオルザンはまるで少年のようで、クルトはそんなオルザンを素直に尊敬した。
戦争で殺し殺されは当たり前。
しかしだからと言って外道が許されるかと言えばそうではない。
そう語るオルザンはクルトの中ではおとぎ話の英雄そのものだった。
夜には月明かりの下、剣の稽古に付き合ってもらい、下品な馬鹿話にも付き合った。
そうする内にオルザンと仲の良い男たちが、自分の想像とは違い、強い克己心を持つ立派な兵士たちであることを知る。
これからは彼らと共に進んでいこう。
そして、いずれは成り上がり、こうした軍の腐敗を正す。
そういう目標がクルトの中へ生まれる。
まだ若いクルトの願望を男たちは笑って受け入れ、それでこそ男だと肩を叩く。
クルトにとって、そうした仲間たちの輪の中は何より暖かい居場所となっていた。
そして今日――
「おいおい、そんなに気を張るな。大丈夫だ、ここなら矢は当たらねぇよ」
「わ、わかってますよ、伍長……」
川にしゃがみ込み、その段差の影でクルトたちは身を潜めていた。
地獄のような渡河。
川は朱色に染まっており、そこら中に死体が浮かんでいた。
帝国軍は三日前に川のせき止め解除に成功。
川の流れが収まった今日、総攻撃を掛けることになったのだ。
サルシェンカ軍はせき止め工作地点を巡る争いに圧勝、その制圧に成功した。
敵が総崩れとなり逃げ――少なくとも山中指揮を執るダクラーシャ副将の伝令はそうアレハに報告する。
山中、湖の側では帝国に兵数的な優位があった。
ダクラーシャ副将はそれなりに優秀な将である。
勝利することは半ば必然であったが、しかし想像以上の戦果にアレハの中で疑念が踊る。
鮮やかなクリシュタンドの後退戦術を知るアレハには、クリシュタンドがみすみす要所となる拠点を放棄するとは思えない。
その報告を聞いたアレハの内側ではもう一度状況を見つめ直す時間を欲しがり、慎重策を取りたがっていた。
その辺り彼は確かに優秀ではあったが、周囲のものはそうではない。
クリシュタンドは望まぬ戦に浮き足立っているのだと歓喜し、ダクラーシャとアレハを褒め称えた。
此度の侵攻で熟練の将軍カルメダを討ったアレハ。
彼の鮮やかな手腕を知るが故に、彼等は盲目の羊となっているのだった。
ボーガン=クリシュタンドは王国中央の命により望まぬ戦へと踏み出しているとする考えは、当初のアレハの考えに沿ったものであり、そして勢いもついてしまっている。
彼等の言葉通り、ここが攻め時であるのかもしれないと考える部分もあった。
何より勝利に慣れ、そして山中での大勝利という話を知った兵士達の士気も高い。
周囲の熱狂に飲まれる形で、大規模な攻撃を掛けることをアレハは決断したのだった。
そしてその攻撃の中クルトたちは左翼に配され、敵砦の攻略部隊にいた。
敵の名将クリシュタンドの娘――クリシェ=クリシュタンドが自ら指揮を執り築いたとされるそれは、実に不格好な砦である。
いかにも粗末なものに見え、押せば吹き飛ぶように見えた。
昨晩はあの程度の砦を崩すのは赤子の手を捻るようなものだ、と皆が豪語した。
美しいとされるクリシュタンドの娘二人を裸にひんむいてやる、と下卑た妄想を口にするものもいた。
しかし矢の雨の中で見るその砦は、クルトにはまるで天まで届かん大城塞のようにすら感じられる。
震える体を必死で押さえ込み、呼吸を整える。
「びびってるのか?」
「び、びびってませんよ……っ」
「がはは、そう言うな。俺は金玉がすくみ上がっちまってるぜ。なぁおい」
オルザンは隣の男に告げる。
隣の伍長も笑って頷き、さっきは小便漏らしちまったぜ、などと軽口に乗る。
「汚ぇぞこのやろう。……まぁ、なんにせよ、この状況で怖くねぇのは頭がいかれてやがる奴だけだ。みんな一緒だから安心しな」
「……はい」
「おい、第一陣はどうなってる?」
「失敗だな。たどり着けてねぇ……ロープが張ってあるって声は聞こえた」
「くそ、下らねぇ罠を仕掛けやがって」
そこで百人隊長の号令が掛かる。
体が震え、剣と大盾を持つ手に力を込めて耐える。
「――総員、突撃に移れぇい!!」
響き渡る大音声に全員が立ち上がり、川から出た。
不思議な浮遊感。恐怖と高揚。
足は宙を浮くように不確かだった。
「行くぜオルザン、死ぬなよ」
「ああ、お前も――おい!」
先ほどオルザンと笑い合っていた伍長の足に、運悪く矢が突き刺さる。
頭上を大盾で守っているとは言え、隙間は当然あるのだった。
そして転倒した伍長の体に無数の矢が突き立ち、苦しみ悶えるように伍長は死んだ。
「……クルト! ぼさっとするな! お前らも行くぞ!」
「は、はい……っ」
周囲を見れば兵士たちは何かに足を引っかけ転倒し、そして矢の雨によって死んでいく。
足元に罠がある、気をつけろと度々号令が飛ぶ。
しかし頭上から降り注ぐ矢の雨の中で足元を警戒することなど不可能に思えた。
「ちっ」
オルザンが剣を振るい、足元のツルで出来たロープを切断する。
「クルト、盾さえ上に構えてりゃ後は運だ。見てようが見てまいが死ぬときは死ぬ。目の前の地面――いや、お前は黙って俺の足でも見てろ。それだけでいい」
「わ、わかりました……!」
少し離れた場所で、矢の集中射撃を受けた百人隊長が死ぬのが見えた。
強面で、兵卒からのたたき上げだった。
剣はオルザンだって敵わない。
並の兵士なら二人がかりだって軽々と手玉に取っていた百人隊長。
しかし、その死に様は呆気なかった。
「見るな、前、前だけ……前だけ見ろ……」
クルトはそれを見たのを最後に、オルザンの言葉だけを信じて呟く。
視界の端で倒れていく仲間の姿が見える。
気にしないように努める。
ただオルザンの足を追う。
「ぐ……っ」
オルザンの足に矢がかすめる。オルザンは悲鳴を漏らしながらも足を進める。
次々に矢が飛んでくる。
またオルザンの足に。いや、隣を通り過ぎる風切り音や、盾に突き立つ矢の音を聞けばすさまじい数の矢がこちらに向かってきていることがわかる。
上はどうなっているのか。
それでもオルザンは走る。
クルトは追う。
オルザンの苦悶の声が聞こえる。
クルトは追う。
オルザンが倒れ込む。
クルトは立ち止まる。
「お、オルザンさん……っ」
「いげ、構う、がまうな……!」
――ハリネズミのように矢の突き立った盾。
右腕には三本の矢が突き立っている。肩にも、あちこちに――うつぶせになったオルザンの脇腹から鏃が生えていた。
周囲を見渡す。
ほとんどが死んでいた。
いつの間にかオルザンと二人、先頭を走っていたことを知る。
隊の仲間の姿も見えない。
股間に暖かい感触。
失禁していた。逃げようと背後を見れば川は遙か彼方に感じられた。
代わりに目の前には砦があった。
「あ、ぁ、あああああああぁぁぁ!!」
こちらに向けられるのは無数の弓。盾を構え、ただ走る。
そこにあったものは恐怖か、それとも勇気か。
オルザンの死体を越え、更に先。
矢がすぐ側に突き立つ。
運が悪ければ死ぬ、見ないでいい。
柵が目の前だった。ここを乗り越えれば、矢は来ない。
「え?」
いつの間にかクルトは地面に倒れ込んでいた。結ばれた草が足に引っかかっている。
身もだえるように暴れ、立ち上がろうとする。
そして転び、目の前を見た。
やはり無数の弓が自分に向けられていた。
右足に突きたち、左腕、腹。
右目が見えなくなり、胸に当たる。
苦しみに悶え、蠢く。
何が起きたかもよくわからないまま、学んだ剣を振るうこともなく。
そうしてクルトの若き夢と人生は潰えた。
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