第9話 セレネとベリー

クリシェとベリーは紅茶とクッキーを口にしながら、窓から二人を見下ろしていた。

日はまだ高い芝生の庭。

ボーガンは緩やかに剣を右手に提げ、セレネは正眼に剣を構える。


セレネの構えはしっかり地に足のついたもので、クリシェの見て来た同年代と比べれば遥かに上を行くものであった。

村での指南役であった元兵士達にも匹敵しうるが、ザールにはまだ及ばず。

その程度だろうか、とクリシェは冷静に判断した。


しばらくそうして二人は向き合い、セレネの体に僅かな強張り――セレネは滑らかに踏み込む。


袈裟に振るわれた鋭い刃――しかしそれは偽攻。

小柄な体躯を活かし、身を深く沈めて繰り出すは突きだった。

しなやかな体の伸び。

意外なほどその切っ先は届く。


しかしボーガンは半歩を引くことでそれを躱し、剣を繰り出す。

セレネは体を捻り、剣で防ぐ。刃を潰しただけの剣。木剣とは違い重量がある。

打たれたその反動に眉をひそめながらもセレネは押し込んだ。

片手で振るうボーガンの剣を弾き飛ばし、更に踏み込み――けれどそれはボーガンの誘い。

わざと自身の剣を弾かせ、その反動を利用してセレネの突進を半身で躱す。

そうして背後を取るとその首筋に剣の切っ先を突きつけた。


「……参りました」

「うむ、最初の動きは良かった。しかしお前はやはり勝負を焦りすぎる。それ故攻撃も単調に、私の誘いに引っかかるのだ」


体格良い男であるが、ボーガンの剣は意外なほど繊細であった。

力に頼らず相手の剣をさらりと流す。

無論相手がセレネである、ということも理由にはなるのだろうが、動きは洗練され、荒々しさがなかった。

ザールの言う戦場剣術とはいくらか違うものなのだろう。


「……クリシェ。どうかね、君も?」

「っ……」


ボーガンが窓から見下ろしていたクリシェを誘う。

セレネはその顔を歪めた。


「君のお爺さんから話は聞いている。できれば一度、見せてもらいたいものだが……セレネへの刺激にもなる」

「お父様っ」


クリシェは睨み付けるセレネを見ながら、ボーガンの希望であれば仕方あるまいとも考えた。

特にクリシェはボーガンの希望である『セレネとおはなし』を達成できていないのだから、ボーガンの評価をこれ以上落とすわけにはいかない。


「はい、ご当主様」

「……クリシェ様」


ベリーが不安そうにクリシェを見て、クリシェは小首を傾げる。

そして、ああ、と頷く。


「クリシェは怪我をしませんし、させないので大丈夫ですよ」

「え、と……はぁ……?」


クリシェのあまりにも強気な言葉に、ベリーは困惑した。





紅茶とクッキーを堪能したクリシェはベリーと共に下に降り、二人の所へ向かう。

セレネは不機嫌に輪を掛けて不機嫌そうで、クリシェを睨むも何も言わない。

ボーガンに促され、練習用の剣をクリシェに手渡すと腕を組んで壁にもたれ掛かった。


クリシェは渡された長剣の感触を手の中で確かめる。

やや重く、刃渡りも長く、そのせいで重心が遠い。

魔力で肉体を操るクリシェにとって筋力的な問題は存在しなかったものの、やはり重量バランスは大きな問題である。

振り抜けば小柄な体はその方向へ持って行かれるし、体勢が崩れる。


いつもの木剣にそれほど重さはなかったし、賊から拝借した剣は鉈のように小ぶりな曲剣。

刃を潰しただけの本身の直剣は、クリシェには少し扱いにくいものであった。


「兵士が持つものと同じものだから少し重たいかもしれんが、練習ではこれを使っていてね。大丈夫かい?」

「軽く振ってみてもいいですか?」

「ああ、もちろん」


クリシェは無造作に刃を振るう。

体勢が崩れ、眉根をひそめた。

踏み込みと同時に脚捌きを変え崩れる方向へ踏み出すも、しかしやはり、剣は重い。


ボーガンはその剣の鋭さに目を見開き、セレネも同様だった。

しかし、その度バランスを崩すクリシェの姿は不格好である。

ボーガンはやはり少し重すぎるかと剣を変えることを考え、セレネはどこか安堵する。


だが、そんなクリシェの不格好も一時のこと。

体を持って行かれるのならば、それに任せてやれば良い。

クリシェは体勢を維持しようとするのをやめ、自分からその刃の重みに身を委ねる。


「……これは」


ボーガンが唸るように漏らした。


姿勢を低く、横薙ぎに払い、踏み込んだ脚を軸に半身を回す。

円を描くように舞うように、クリシェは踊るように刃を振るう。

時には鋭く突き、逆袈裟に切り上げ、振り下ろす。


右手で、左手で、逆手に構え。

曲芸染みた効率のみを追求したクリシェの剣技は、驚くほどのスピードで完成していく。

刃の嵐と言うべきクリシェの舞いが止まると同時、ボーガンは真剣な顔で眉をひそめ、セレネは驚きのあまり呆然とする。

ベリーだけがすぐに笑みを浮かべ、安堵したように拍手を送った。


「すごいですクリシェ様、武芸者の剣舞のようでしたっ」


武器の要点を掴み、動きの理論を構築し、それを術へと昇華する。

非効率をそぎ落とし、ただ効率的な動きを追求する。

既に戦闘術の理念を完成させているクリシェに、武器の問題など些細な事。

自分ならばできて当然――これも単なる準備体操に過ぎないもの。


「……? ありがとうございます……」


褒められたことにクリシェは首を傾げつつ、よく分からないまま礼を言う。

クリシェは『自分にとっての当然』を軽く見る傾向があり、そこに大きな価値を認めない。

もらった以上のものを常に返す、彼女の美点とも言える歪さはそうした部分から生じていた。


クリシェは気にしないことにして手足、体の具合を確かめる。

しばらくぶりに体を動かしたせいか、体の節々に痛みを感じていた。

力むことのないクリシェであるが、体を動かせば負担も掛かる。

頬はうっすらと上気して、呼吸も少し乱れている。


「……いやはや、これが天才か。隊長の言っていたことがよくわかる。……クリシェ、手合わせを願えるかな?」

「はい、お待たせしました」


クリシェは剣をくるくると回して手に馴染ませ、自然体で構えた。

間合いの外。クリシェはその都度に最も効果的な構えを取る。

その無防備に見える立ち姿に全くもって隙がないことを理解すると、ボーガンは左手を前に、半身に構える。

左手に持った盾にて相手の刃を躱し、体勢を崩し、右手の剣にてトドメを刺す。

ロールカ式と呼ばれる戦場剣術の一つであり、この剣術は盾を構えぬ無手の状態であってもその力を損ねない。

隙あらば相手の手や体を掴み、そして相手の剣を誘う釣り餌として、あるいは距離感を損なわせるために左手を用いるためだ。


クリシェは初めて見る構えを、その無機質な瞳で観察する。

その構えの利点と欠点を鑑みて、どう攻略するかを考えた。


突き出された左手を狙えばボーガンは左手を引き、クリシェの剣を剣で払う。

かといって距離を詰め、胴体を狙えば自由な左手がクリシェを掴む。

ふよふよとしたもの――ボーガンが魔力と呼ばれるものを身に纏っていることがクリシェにも見えた。そしてそうであれば、剣の速度にそれほど大きな違いは無い。

ボーガンから動かない限り一手では崩せないだろう。

そう結論づけると、ボーガンが動くのを待ちながら攻略法を組み立てていく。


ボーガンもまた不用意に近づくのは危険であると察していた。

クリシェの目は凪の湖面のように透き通っている。

こちらの僅かな動きも見落とさないと目は告げており、そこには老練さすら感じさせる冷静さが見て取れた。

リーチは圧倒的にボーガンが勝る。

クリシェがボーガンに有効打を与えるためには、当然ボーガンよりも深く踏み込む必要がある。

そこが一番の隙になることを考えれば、やはりボーガンから動くことは出来なかった。

ボーガンが踏み込めば、その分クリシェがボーガンを刃圏に収めやすくなる。


「……む」


クリシェはすたすたと、無防備に歩き出す。

ボーガンの周囲を時計回りに、弧を描くように。

構えを乱そうとしているのか。

ボーガンはその意図を探り、構えを崩さぬまま常にクリシェの姿を前に捉える。


クリシェが明確に動きを見せたのは屋敷の壁に近寄った後。

彼女は踏み込み、左手で剣を横薙ぎに振るう。

狙うはボーガンの左腕だった。


その体躯からは想像できぬほどの俊敏さと伸びを見せる体。

鞭のようにしなる体はその力を余すことなく剣先に――それは凄まじいほどの剣速を生じさせる。

しかしボーガンは冷静にそれを捉えた。

先ほど彼女の剣の速さと踏み込みの早さを見ていた分、それはあくまで彼の想像の範疇に留まるもの。


焦れたか、とボーガンは左手を引き、後の先を取る。

剣を振るいクリシェの剣を払い――違う、と理解したのはその瞬間であった。

彼女の剣は何の抵抗もなく払われ、その勢いのままボーガンに背中を向ける。

クリシェは屋敷の壁に跳躍し、そして壁を蹴り、猫のような背面跳びを見せるとボーガンの頭上を飛び越えた。


「っ……!」


しかしボーガンは歴戦の猛者であった。

瞬時に自分の劣勢を悟り、自ら体勢を崩して仰向けに転がる。


「あ……」


稽古の手合わせ。まさか切り払うわけにはいかない。

刃を寸前で止めるため、速度を弱めていたクリシェの剣がボーガンの眼前を通り過ぎ、そしてボーガンの刃の切っ先がクリシェの首に突きつけられた。


「うぅ……参りました」


勝つ気でいたクリシェは自身の敗北に頬を赤らめながらも、仕方なく告げる。

緊張感もないクリシェのそんな声を聞き、見ていた二人は止まっていた呼吸を再開させ、ボーガンもまた息をつき剣を降ろした。


クリシェに手を引かれるようにしてボーガンは立ち上がる。


「今ので勝てると思ったのですけれど……駄目でした」

「……いや、そんなことはない」


もっと彼女にあった剣であれば。

あるいはこれが単なる手合わせでなく実戦であれば。

――自分は恐らく、この少女に殺されていただろう。

ボーガンは背筋に冷えた感触を覚える。


弱小貴族から剣で身を立て、将軍の地位までを駆け上がったボーガンであればこそ、自身の力にはそれなりの自負がある。

手を抜いたつもりはなく、肉体拡張すら利用した上でクリシェに対峙した。

彼女はそれでも勝てると算段を踏み、動いたのだ。

天賦の才という言葉では片付けられないクリシェの異様さに、彼女が村から排斥された理由を改めて理解する。


対するクリシェはそうした言い訳を考えない。

剣は同じで、寸止めという条件も同じ。対等な条件の試合であった。

単に自分の未熟故に破れたと考え頬を染める。


クリシェは僅かに眉をひそめ、手首と肘を揉むようにしながらボーガンに剣を手渡した。


「痛めたのか?」

「……いえ、久しぶりに体を動かしたのでちょっとだけ……痛めたというほどでは」

「……ベリー、すまないが少し診てやってくれ。剣が重たかったのだろう」

「は、はい。……クリシェ様、お部屋に」


クリシェはベリーに連れられ屋敷の中へと戻っていく。

セレネはそんなクリシェを見つめ、拳を強く握って震えていた。


刺激になるかと考えたが、それには強すぎたかとボーガンは頭を掻く。

彼女の刺激とするには、クリシェはあまりに異端であった。


「世の中にはああいう飛び抜けたものもいる。あまり気にするな」


セレネはその言葉に肩の力を抜き、呼吸を整え、先ほどまでクリシェの持っていた剣を引ったくるようにボーガンから奪った。


「……お父様、もう一度お願いしますわ」


セレネの剣はより荒々しく、内面の感情をさらけ出すように苛烈となった。











「準備はいいかしら?」

「はい、クリシェはいつでもいいですよ」


クリシェは月明かりの下、セレネと対峙していた。


クリシェは部屋に戻った後、心配したベリーに包帯を巻かれ夕食の準備。

ベリーは休んでいていいと言ったが、どうしても、と料理をしたがるクリシェに折れていつも通り夕食を二人で作る。

セレネは夕食には出ず、ベリーが彼女の部屋に運んで食事は三人。

ボーガンはどこでああした剣技を習ったのか、などクリシェの村での事を根掘り葉掘り尋ね、その矢継ぎ早な質問に対してのベリーの小言を聞きながら、和やかに食事を終えた。


夕食後は風呂である。

風呂は一般的ではないものの、大衆浴場は存在し、クリシュタンド家のように屋敷を持つような上流階級の家には存在している。

部屋一杯、というほど大きなものではないものの、二人三人が同時につかれるサイズがあり、クリシェも最初に見たときにはその贅沢さに感動したものだった。

クリシェは冬場でも毎日川で水浴びをするほど綺麗好きである。

暖かい湯で体を綺麗にし、ゆっくりと浸かれる風呂はクリシェのお気に入りだった。


仕事で外に出ている時以外はボーガンが先に入り、次いでセレネ。

その次がクリシェの順番であったが、クリシェはベリーと一緒に風呂に入っていた。

初めは風呂の説明が理由としてあったものの、クリシェがベリーに体を洗ってもらうことをいたく気に入ったため、それが自然となっていた。


二人で風呂から上がり、その後に部屋で紅茶を少し飲み、そうしてクリシェはセレネの部屋へと向かう。

『セレネとお話』はボーガンの要望。こなさなければならないクリシェの役目である。

クリシェは保護者としてこの環境を与えるボーガンの要求を叶えるのは当然であると考えており、そこになんら疑問を覚えない。

優秀たれと自分に強く要求するクリシェにとって、要求は叶えて当然でそしてそれを未だ叶えられずにいる自身に情けなさすら感じていた。


ボーガンもベリーも、毎回の如く冷たい言葉を浴びせられ追い払われながらも諦めないそんなクリシェに強く感謝していたが、クリシェの判断基準は基本的に自分である。

無理をしなくていいという二人の言葉を気にもせず、今日も懲りずにセレネの部屋へ。


セレネはクリシェが部屋に来ることを察していた様子で、しかし今日は寝巻きではなく訓練着を身につけていた。

腕を組み、椅子に座っていたセレネはクリシェを見ると、開口一番、


『手合わせに付き合ってくれるかしら』


と言った。


『お話』の機会を求めるクリシェに、断る言葉など無く、そして今に至る。


ベリーはハラハラと二人を見つめており、セレネは握る剣に力を込め過ぎていた。

セレネはボーガンと同じく肉体拡張の術を身につけており、クリシェはその無駄の多い魔力の動きを観察する。


ボーガンよりも遥かに劣るセレネがどうして自分に手合わせを希望したのかを考え、要するに稽古をつけて欲しいのだと納得したクリシェは、素直に思ったままを告げる。


「お嬢さま、右手と左足に魔力を集めすぎてますよ」


魔力の入り具合から、左足で大地を蹴っての袈裟斬り。

容易く次の行動が見て取れた。


「……はぁ?」


露骨に顔を歪め、紅潮させたセレネの反応。

理解しがたいのか、とクリシェは前まで使っていたわかりやすい言葉で告げた。


「えと……後ろに逃げるときの『ふよふよ』が少ないです。それだと前に踏み込む時以外に使えませんから……そうですね」


クリシェは流れるように踏み込み、セレネの首に向けて剣を払う。

ベリーが悲鳴を上げるも刃は首の寸前で止まり、セレネはそれから遅れて後ろへ飛んだ。


右足を前に出した正眼の構え。

引き足となる左は踏み込む際に利用できても、後ろへ跳んで躱す際には利用がし辛い。


「それでは今のように一手で詰んでしまいます。でも――」


セレネの右足に『ふよふよ』が移るのを感じ取り、同じようにクリシェは踏み込む。

今度はクリシェの刃が届く前に、セレネは後ろに跳んで躱す。


「前に出す足にふよふよを移せば、まず一手を躱すことが出来ます」

「こ、の……っ、何様のつもりよ!」


セレネが逆に踏み込んでくる。

クリシェは動かずにそれを見切って空振らせると、剣の切っ先をセレネの首に突きつけ微笑む。


「今度は逆ですね。踏み込みの足にふよふよが足りません。それに、変に力が入ってしまってふよふよの力を殺してしまってます」


セレネは大きく後ろへ跳んだ。

一瞬の攻防で、既にセレネは額に汗を浮かべている。


「ふよふよはとても強い筋肉のようなものですから、体の力は抜かないといけません。変に筋肉を使おうとするとふよふよの動きを邪魔してしまいますから、クリシェは最初から体の力は全部抜くようにしてますよ」

「なんなのよ、あんた……」


仮想の筋肉を構築する。

魔力による肉体拡張はそのようなもので、体に纏わり付かせる半物質的な魔力を操作することで、筋肉の収縮や伸張を魔力に代替させる。

そこに力みは必要なく、実際の筋肉はむしろ仮想筋肉の動きを邪魔する障害となることが多い。


しかし咄嗟の筋肉の強張りや力みは、無意識下に起きるものだ。

それを完全に消すことは不可能で、それに限りなく近づけることをあらゆる達人が生涯を通して修行する。


だが目の前にいる年の変わらぬ少女は、セレネが理論としては知っている肉体拡張の完成形ともいうべきものをいとも容易く見せていた。

完璧なまでに無駄のそぎ落とされた肉体拡張は術者のイメージをそのまま動きとして投影する。

魔力と意思によって操作されるからくり人形のように。

クリシェは完全な自然体であり、その体のどこにも力みはなく、強張りもない。


「……? クリシェはクリシェです」

「そんなことを言ってるんじゃ、ないわよ!」


踏み込む。

目の前にいるのは得体の知れない何かであった。


セレネの全力の一刀を易々と躱すと、今のはどこどこがいけません、と丁寧な口調でクリシェは解説する。

まるで数式の間違いを指摘するように、クリシェはセレネの問題点を見いだしていく。

圧倒的な高みから、セレネの全てを観察するように。


――セレネの両親は男児を望んでいた。

ボーガンは跡継ぎを願い、母もまた同様。

貴族の家である以上当然のように男児が望まれ、そして武門の家であるから余計に男児を望むのは普通のこと。

もちろん愛されていないわけではなく、十分なほどの愛情を与えられたセレネに不満はない。


初めは、ならば女の自分でも家を安心して任せられるように。

そういう思いで剣を握った。

それなりの努力をして、同年代では筋がいいと噂されるようになり――しかし、聞こえるのはあれで男だったなら、という言葉。

両親は無理をしなくていいとセレネに言うが、悔しくて堪らなかった。

両親は男児をやはり望み、不妊で医者に掛かりながらも、二人目に望んだ。


元々体の弱かった母は第二子を妊娠するも、死産し産褥熱で死んだ。

自分が男であったなら、こうはならなかったとセレネは思う。


クリシェの話はガーレンから何度か聞いていた。

肉体拡張こそ行えないものの、父親の元上官ガーレンの剣の腕は素晴らしく、また、教えるのが上手い。セレネは嫌がるガーレンにねだり指導をつけてもらい、その休憩の合間にガーレンは度々孫娘について漏らした。

同年代どころか大人の男にも既に敵うものはおらず、セレネとそう変わらぬ歳で村の男からは恐れられている。ガーレンですら勝てるかどうかは怪しい、と。

その将来が少し不安だという話であったが、あの隊長が天才と称する娘さんとはどのようなものか、とボーガンが興味を口にしたことを覚えている。


セレネはますます努力をした。

自分より上がいることを認めたくはなかったし、自分にも大人にだって負けない力があると信じていたかった。

だから、その少女が十数人の賊を斬り殺し村にいられなくなったこと。

そしてその娘を養子としてボーガンが受け入れると決めたことに、強い不安感を覚えた。


クリシェを認めてしまうことは、今までの努力が無為であったと認めてしまうことに等しい。

自分は所詮どこにでもいるただの女なのだと、同年代の少女に認めさせられるなど受け入れられるはずもなかった。


しかし、眼前の少女はそれを、明確に示してくる。


剣を振るう。躱す。指摘する。

二の太刀を振るわせることなく間を取り、あるいは振るわせぬように反撃に移る。

躱すので精一杯なセレネを無機質な紫の瞳で眺めながら、お互いの刃が届かぬタイミングで、すらすらとクリシェは問題点を吐き出していく。


遥か高みからの言葉であった。

セレネが無意識に感じ、しかし何が原因かも分からなかった問題点を明確に指摘するのだ。

聞かないつもりでもその音を拾ってしまい、セレネの体は半ば無意識にそれを修正しようとし、驚きと悔しさがない交ぜに。

ただただセレネは体を動かした。


何度も向けられた決着となる一撃を認められず、セレネは動き続ける。

躱して、受けて、剣を振り。

しかしそれも長くは続かない。

体力の限界が来て、悔しさに涙が堪えきれなくなったからだった。


「え、と……、大丈夫ですか?」

「ひ、ぅ、うるさ、ぃ……っ」


クリシェは唐突にしゃがみ込み、泣き出したセレネに困惑する。

やりすぎただろうか、とも思ったが、クリシェとしては非常に優しい指南をしたつもりである。感謝をされても泣かれる理由が見当たらない。

ひとまず剣を置いて、当然のようにクリシェはその体を抱きしめた。

泣く子供は抱きしめてあやすのが一番である。

クリシェは教わったことをそのまま適用したのだった。


セレネは当然暴れたが、クリシェは手を離さない。

それどころか泣くセレネの頭を優しく撫でるだけだった。


ベリーはおろおろとしながらもそれを見守る。

泣くセレネをクリシェが慰めようとしているのは見て取れたためだった。


「ゃめ、やめてよ、なんで、あなたなんかに……」

「泣いてる子にはこうしなさいって、クリシェ、かあさまに教わりました。お嬢さまがなんで泣いてるのか、クリシェにはよくわからないですけれど」


クリシェはそう告げ、暴れるセレネを無視して撫でた。

次第にセレネも暴れるのを諦め、身を任せるようになる。


「クリシェは全然お嬢さまとお話しできていませんから、出来れば早く泣き止んで、お話ししてほしいです。泣いてるとお話しできませんし、折角声を掛けてもらったのに今日もお話ししてもらえないというのは残念ですから」

「話……?」

「はい、クリシェはお嬢さまとお話ししたかったのです。もう一週間にもなるのにまだ全然、お話しできていません」


馬鹿じゃないの、とセレネは言い、鼻を啜る。


「話、話、って何の話をするのよ……」

「あ」


考えてませんでした、とクリシェは頬を赤らめた。

その言葉にセレネは泣きながら呆れ、尋ねる。


「……あなた、この一週間馬鹿みたいにわたしの所来て、あんな扱いされて、わたしのこと嫌いじゃないの?」

「……? クリシェは酷い扱いをされた覚えはありませんよ?」

「どれだけ脳天気なのよ、あなた……」

「のーてんき……?」


クリシェが首を傾げ、セレネが鼻を啜って嘆息した。


「もう……こっちが馬鹿馬鹿しくなってくるわ。一人で意地張って、馬鹿みたい……」

「沢山お勉強してますし、お嬢さまはとても賢いと思いますけれど」

「そういう意味じゃないわよ、ああ、もう……」


外は肌寒い。

そろそろ戻りたいクリシェは、どうしたものかとベリーを見る。

彼女はきょとんとしたあと微笑んで、落ちていた剣を回収し、ひとまずお部屋へ戻りましょうかとクリシェに言った。

クリシェは頷くとセレネをそのまま抱き上げる。


「な、何するのよ、離してちょうだい、一人で歩けるわ……っ」

「ふふ、クリシェ様、そのまま抱っこでお部屋まで連れて行ってあげてください。わたしもこれを片付けた後で向かいますから。ちょっと遅いですが、お茶としましょう」

「はい……っ」


クリシェは笑みを浮かべて頷くと、暴れるセレネを抱いたまま部屋へと戻った。

ベリーの要求はセレネよりも彼女にとって重要だった。




セレネは泣いているところを見られたせいか、抱っこで連れて来られたせいか。

部屋に戻ってもしばらく不機嫌で、顔を真っ赤にしたまま頭からシーツを被っていた。

ベリーがそんな彼女を無理矢理引きずり出し、昼に余ったクッキーを出し、紅茶を注いでちょっとした夜のお茶会の用意をする。


甘ったるい紅茶を飲みながら、話すことの思い浮かばなかったクリシェは先ほどの稽古についてのおさらいをし、セレネはしぶしぶながらもそれを聞く。

どうあれクリシェの説明は簡潔で、そして明瞭であった。

セレネ自身熱を注ぐ剣のことであるから、そうした話には無関心ではいられない。

次第に質問をするようになり、そしてその内に質問はクリシェがどういう風にその技術を得たのか、どういう風にこれまで生活してきたのか、という内容に変化した。


淡々と語るクリシェに感情の色は見いだせずとも、その内容に様々な感情を想像したセレネは罪悪感から自分のこれまでを語り、どうしてクリシェに辛く当たっていたのかを語って、素直な謝罪を見せた。

クリシェは謝罪を拒んだもののセレネもセレネで意地があり、両者引かないまま時間が過ぎる。

苦笑したベリーが続きはベッドの中で、と二人を同じベッドに放り込んだ。


ぬくぬくとした抱き枕を手に入れたクリシェはすぐに寝入り、セレネもそれを呆れたように眺めているうちに、疲れのせいかいつの間にか眠りに入った。





「……もう」


翌朝セレネが目覚めると、クリシェはすやすやと幸せそうに寝入っていた。

それを見たセレネは何もかもが馬鹿らしくなって、苦笑し、クリシェの頭を撫でる。

クリシェは薄目を開けて、寝ぼけたまま瞼を擦り、おはようございます、お嬢さま、とふにゃふにゃとした声で告げる。


「セレネ、でいいわ」

「せれね……?」

「……そ。まだ早いから、もう少し寝てなさい」

「はぃ……」


また頭を撫でてやると、クリシェはそのまま抱きつき、幸せそうに眠る。

クリシェの寝息を聞きながら、いつの間にかまたセレネも寝入り、苦笑したベリーに起こされるまで久しぶりの惰眠に耽った。


セレネとベリー。

クリシェにとって長い付き合いとなる二人との出会いは、こんなものであった。

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