第一話『異界転生』

 翔は長い眠りから目を覚ましたような気分に陥った。不思議な感覚だった。


「……なんだ……」


 翔の目線の先には青空が拡がっている。この時点で自分が今、外にいることを認識した。そして仰向けで寝転がっていることも分かった。

 翔はとりあえず上体を起こしてみる。自分の身体を自分で操れていることに若干驚く。

 しかしそんなことよりも目線の先の光景の異質さに気づいた。そこには大きな街並みがある。中世ヨーロッパのような街並み、行き交う人は日本人とは少し異なった顔立ち。服装もローブを羽織っている者や鎧を纏っている者までいて、まさに多種多様といったところだ。

 翔はまだ頭の整理が追い付いていない。深呼吸をしてからまずは身体の異変を確認する。五感はすべて生きている。次に手探りで刺された箇所を触ってみた。しかし傷の痕など、どこにもなかった。状況が飲み込めないせいか、翔は体力が徐々に削り取られていくような気がした。

 翔はすぐ一つの結論を出した。


(……これが天国か)


 自分が刺されて死んだことは事実。だからこそ死後の世界ともいえる天国に翔はいるのだと理解した。人は死ねば、天国か地獄にいくのだから。

 実際天国にいると思うと、ここまで五感が機能していることには驚いたが、それ以外は特になんの感想も出なかった。

 翔はこれからどうするかなど考えもせず、再びベンチの上で仰向けになり目を閉じ、心地よい風が当たるのを感じた。


「――そこの君!」


 誰かがそう叫んでいる、と思った次の瞬間その声の主は翔の肩を叩いた。君というのは翔のことを呼んでいた。

 翔が目を開けるとそこには女性の顔がある。翔は体を起こし、彼女の前に立った。見た目は翔と同い年か少し下くらい。身長は翔より低い。可愛らしい顔をしている。光沢が見える長めの銀色の髪、透けるような乳白色の滑らかな肌、大きく美しい青色の瞳、桜色の唇。一言で言ってしまえば美少女だ。


「……俺?」


「君だよ。ちょっとこっち来て」


 銀髪の少女は翔を引っ張って商店街の路地裏に連れ込んだ。人通りの声は聞こえてくるが、人目に付くことはないような場所だ。


「君、名前は?」


 少女は息を切らしながら尋ねる。


「江口翔」


「いつここに来たか分かる?」


「……さっき目覚ましたけど、いつの間にかここにいた」


「そっか、よかった」


 翔は現状が分からないまま、少女を見つめるばかりだった。翔の様子を察した少女は「あ、急にごめんね」と話を続けた。


「初めまして、私はミア・バーンシュタイン。よろしくね」


「……よろしく」


 ミアは挨拶とともに軽くハグをした。まるで外国人の挨拶の仕方だと翔は思う。


「いきなりつかぬことを聞くけど、カケルはここどこだと思う?」


「確証とかないけど天国とか」


「まあそう考えるのが普通だよね。けど、ここは天国でも地獄でもないんだ」


 翔は死んだ魚のような目でミアを見つめる。ほんと急に何を言い出すんだ、と言わんばかりの目だ。


「ここは『リスリール』ていう星。『異界』と呼ばれる星の一つなの」


「……急に何の話」


「この広大な宇宙にはね、『異界』と呼ばれる星が存在するの。その数は有限か無限かは分かってないんだけどね。地球は太陽系に属してるわけだけど、その外側の宇宙には別の銀河系が無数にある。そこに属してるのがリスリールだったりする異界って訳。ここまでは理解した?」


「まあ……」


「カケルは不幸ながらも地球で死んでしまったけど、異界にやってきた。そういう人を『異界人』と呼ぶ。特に地球からの異界人のことを『転生人』と呼んだりするんだけど、簡単に言えば、君は転生してここに来たの」


 ミアは異世界転生的な事を言っているのだろう、と翔は簡潔に理解した。『異界』とかいう話はあまり親身に聞いてはいない。

 翔でも、異世界転生や異世界召喚のファンタジー小説が溢れている事くらいは知っている。周りの風景を眺めていれば、その『らしさ』はよくわかる。だが――


「そうか。ただ、信じてはいないから」


「え? 異界の事を?」


「ん。異世界なんかあるはずもない。仮にここが異世界なら、なんで俺とお前は同じ地球人の身体の作りしてるんだよ。言葉も日本語が通じてるし。地球と同じような星が他にあるとも思えないから。だからここは、結局夢の中なんだよ」


 これだけ饒舌に話したのは、何年ぶりか。翔は若干息が上がった。ミアは豆鉄砲をくらったような顔をしている。

 翔は、間違った事は言っていない。ただ、異世界がないという証明もされていない。そんな事は不可能である。

 しばらくの沈黙の後、ようやくミアが口を開いた。


「……細かい事は気にするな!」


 なぜか翔が怒られた。どうもよくわからない少女である。

 翔が呆れた顔をしている僅かな間に、ミアはすぐに表情を変えた。翔がその理由がわかったのは、実物を視認したからだ。路地裏の入り口付近に、二人の男が立ち塞がっていた。

 男たちの侮蔑と嘲弄まじりの視線、それを受けながら翔もまた彼らを値踏みしていた。

 見た目はおそらく二十代半ばくらいで、ガタイも良い。ギラギラな身なりと、内面のいやしさがそのまま顔に表れたような雰囲気。亜人ではないようだが、善人でもありえない。


「でかい声出すから」


 翔は少しだけミアを責めた。ミアはそれに対して不服そうな顔をしている。


「何ぶつぶつ言ってんだ?」


「俺たちは争いたいんじゃないぜ? ただ金を借りてぇだけだからよ」


(嘘丸出しだな)


 顔を見ればわかる。どうせ金を出さなければ殺されるのだ。ただ、翔の今の所持金はゼロである。お先真っ暗というやつか。


「すまないが、生憎俺は金持ってないんだ。だから、どうぞ殺して臓器でも売ってくれ」


 厄介な話を馬鹿丁寧に聞くくらいなら、死んだ方がマシだ。

 翔は依然そういう考えだが、幾分そんな考えの人間は少数派であるから、さすがに男二人組も翔の発言に唖然としていた。


「そ、そうか。じゃあお言葉に甘えて売らせてもらうz――ってお前、まさか異界人か!?」


 男の内の一人が驚きながらそう尋ねた。それに釣られてもう一人も気づいた様子だ。


「しまった――!」


 この時ミアは臨時態勢に入ろうとしたが、翔はそんな事知る由もなく安楽な会話をしている。


「よくわかったな」


「そんな暢気な事言ってる場合じゃなくなった。とりあえずお前はここで殺す!」


「――好きにしてくれ」


 翔は男が刃物を取り出したのを見て、目を閉じた。これでようやく、ちゃんと死ねる。そんな事を考えながら、男たちのされるがままになっていた。

 ミアに別れの言葉でも言おうかと思ったが、男たちに会ってからミアの存在は空気同様だったので、どうでもよくなった。

 さらば、この世界――そう思いながら翔は目を閉じた。


「――カトラ・ビバイェット」

 そんな声が聞こえたかと思うと、翔を刺そうとしたした男が「ぐおっ」と情けない声を上げた。翔が目を開けるとナイフの男は翔の後方数メートルに吹き飛んでいた。


「カトラ・ビバイェット」

 もう一度同じ声が聞こえると、今度は翔を拘束していた男も吹き飛んだ。

 こんな事が出来るのはこの場にはミアしかいない。翔がミアを見ると、彼女は左手に大きな杖を持っていた。ミアの身長より少し低いがそれにしても十分な大きさであり、柄の部分は複雑な構造をしており、先端には赤色に輝くガラス玉のようなものが包まれていた。まさに、魔法の杖と呼ばれるものだ。

 ミアはそのまま吹き飛ばした男二人を拘束した。


「クッソ、てめえ……」


「ごめんね。けど、君たちみたいなのがいると困るんだよ。だから君たちがあの異界人について情報を漏らそうとした時に死ぬ呪いをかける事にする」


 そうしてミアはどこからともなく一匹の蛇を召喚させ、男二人の首に蛇を噛ませた。痛みは無いらしく、その儀式が終わればミアは二人の拘束を解いた。


「さ、早くどっか行って」


「覚えとけよクソガキ共!」


 ありがちな去り台詞を吐いて男二人は路地裏から出て行った。

 翔は何が起きているのか全く理解する事が出来ないままミアを見つめる事しか出来ないでいる。


「あの二人はすぐに死んじゃうかもなあ。カケル、大丈夫? ちょっと助けるのが遅くなっちゃった」


「まあ、大丈夫」


「そっか、よかった。じゃあカケル、ちょっとそこでじっとしててね」


「なに?」


 ミアは地べたに座る翔の背後に立った。一体何をするつもりかと思っていた矢先、とんでもないセリフが聞こえた。


「髪を染める魔法」


「は?」

 直後、翔の視界が謎のキラキラしたもので覆われたかと思うと、ミアは鏡を差し出してきた。そこには、髪色が黒色から茶髪へと変化した翔が映っていた。


「……お前、何してんの」


「怒らないで聞いてほしんだけどね。黒髪だとカケルが異界人だってすぐにバレちゃうんだよ。だからそれを防ぐため」


「俺が異界人だったら何か問題なのか」


「さっきそれで殺されかけたんだよ、キミ」


 君は何も分かってないんだね、と言わんばかりのミアの顔。翔は暢気に「あー」とだけ返す。まるで危機感の欠片も無い。


「詳しい話は後でする。だから今は、信じて一緒に来て欲しい」


「何かしらの条件を後で付けるなら」


「いいとも――ところで、もうこの世界の事は、信じた?」


 ミアは、私の勝ちと言わんばかりの勝ち誇った顔をしている。


「少しは」


「お堅いなあ」


 こうして二人は、バディ(仮)となって路地裏を出るのであった

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