オーダーメイドの絵画達

三日月 青

第1話

青あざのように染み付いた絵の具。

洗っても洗っても、色素は抜けず手の皺をくっきり浮かび上がらせる。

これほど努力しても報われない、

この怒りを何度キャンパスにぶつけたか。

この部屋で唯一、おめでたいほど平和的な、純白を染め上げていく。

まだ生乾きの絵が、揺れ動く炎の光を反射した。

禍々しいテカリを塗りつぶすように、さらに濃い色を重ね続けた。


自転車のキューブレーキで目が覚める。

アトリエのガラス窓から覗くと、メールボックスに手紙が放り込まれるところだった。

ピンと立ち上がった、手紙の存在を知らせる赤い旗。

随分長い間使われていなかったはずなのに、ちゃんと仕事をしている。

眠気をかき消すように、つんと灯油の匂いが鼻をつく。辿ってみると、昨日消し忘れたランプがすすけて、惨めな姿になっていた。

いっそ、俺と俺の作品ごと燃え尽くしてくれば

誰も良さが分からないのなら俺だけのものにしてしまえばいい。


リビングへ続くドアを開け、カビともみまがうくらい、厚く埃が積もってしまったパンをかじりながら、続いて外に出た。

手紙を取り出してみると意外と分厚く、差出人の名前は無い。

俺の住所だけが乱雑に書いてあった。


______________________________________

初めまして 


失礼ながら、窓からあなたのアトリエを拝見させていただいたところ、

その才能に感銘を受けまして、私の理想の画家だと思い、この手紙を書きました。

率直にいいますと、あなたに絵を描いて欲しいのです。

訳あって素性を教えることはできませんが、絵の具と十分な報酬は提供いたします。

絵の具は明日早朝にお届けします。

同封してあるのは前金です。

描き終わり次第、アトリエの窓へ外から見えるよう飾ってください。

こちらで確認次第、前金と同額の金額をお送りいたします。

複数依頼があるため、受け取りは最後の一枚が終わってから、また連絡しますので、それまで保管しておいてください。

なお、これから送る手紙も保管してください。

最終日、絵画と共に受け取ります。

一枚でも紛失があった場合、全ての依頼は取り消し、全金額も返していただきます。


それでは早速、描いていただきたいものは、女の絵画です。

長い黒髪、黒いワンピースの女が橋から首を吊っており、下には血の池が広がっています。1週間後までに。

それではお願いします。


あなたを必要とするものより

______________________________________


クシャ

力んだ手が紙を歪ませる。

心が弾んだ。

依頼主の傲慢さも、プライベートを侵害された不快さも吹っ飛ぶほど、

自分の作品が誰かの心を打たせたという事実は、想像以上に乾いた心を潤わせた。

本来、依頼を受けるより自信が生み出しだ作品を売るのが本望だが、今は悠長なことは言ってられない。この機会を利用し、知名度を上げていけば、いずれそのチャンスは来るだろう。

同封してあった札束を取り出すと、なるほど、こんなぶしつけな態度でも帳消しになるほどの金額が入っていた。


急いで家の中へ駆け戻り、一番奥の棚に札束をそっと置く。棚なんて置ければなんでもいいと思っていたが、今となっては心もとない。

踵を返し、アトリエへ入る。

筆の入れ物や過去の作品をなぎ倒しながら、一番上等なキャンバスを探す。

いや、窓辺に置くのだから、あまり大きくてはいけない。

最終的に、横幅は少し大きいが、縦の窓枠には収まるキャンバスを見つけた。

早々に下書きを始める。


随分残酷な描写だ。

死人、もしくはこれから死にゆく人。

余白を持たせることで、孤独感を出したらいいだろうか。

橋から吊り下がっているなら、橋の下にフォーカスをいかせるために女は中心から下に配置して、

血の池ということは事前に怪我をしているということか?

自殺に見せかけた殺人か、だとしたら、そんなドラマチックな要素はどう入れるか。

久しぶりの高揚感に身を任せ、鉛筆を握りしめた。



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