正しさの洪水

@xxyyyzz

散文

 僕はね、いままでなら、こうやって思ったことを文章にしようなんて考えなかったはずなんだ。それをこうやって人目に付くところに提出してやろうなんて、我ながら突飛なことをするなと思ってはいるよ。


 なぜかって疑問に思うだろうね。

 僕が書く文章はね ――どうも、読む人に言わせれば日本語じゃないらしいんだ。

 断っておくんだけど、僕は生まれも育ちも日本だし、日本国内で住居は転々としてはきたけど母国語は日本語だし、訛りもない―― 今書いているのも日本語のはずだ。

 でも、大学のころに書いた論文、日々のメール、SNS でのちょっとした投稿とかそういったものを読んだ人からすると、とにかく、僕以外にとっては、カタカナと平仮名と漢字の羅列に見えているってことらしい。

 一つ例を挙げると、僕がまだ大学にいたころ、助教に僕の学生論文の添削をお願いしたことがあってね、その助教はページをめくるたびに、日本語って難しいなあ君、と何度も言っていた。本人は嫌味で言っているんじゃないのかもしれないけどね。


 とにかく、僕が書く文章は読みづらい、というのが総評のようだ。


 ああ、ここまで読み進めてきた君が誰かは知らないけど、ここは「主語をはっきりさせればよい」だの、「結論を先にかけばよい」だの、プレジデントあたりの雑誌か、ビジネス書から拾ってきたビジネスライティング(と、いうらしい)蘊蓄を語ってほしいわけでも、僕が語ったりする場でないことだけははっきりさせておきたい。


 「正しい」日本語、とはいったいなんだろうね?

 彼らのいように、「主語」「述語」「結論先出」を守れば正しい日本語フォーマットなのだろうか? しかし、日本語に「主語」なるものはみつからないし、しかれば呼応する「述語」もあやふやになってしまう。

 結論を先に出せば、その背景がわからないと突っ返された僕にとっては、結局、わからないままだ。


 僕が書く文章は日本語ではない。これが僕が日本語の文章を他人に披露したくない理由の一つだ。


 もう一つは、こちらのほうが本質で……、本質は往々にして根が深く、語るに長いものなのかもしれない。


 さて、僕らが言葉にするとき、何を考えているだろう?

 君はどうだろう? 例えば、君がかじりついているLINEやXの投稿ではさ、何を考えているのだろう? 写真を撮ったケーキがおいしかったとか、見かけた飼い犬がかわいかったとか、そういうシンプルでポジティブな感情の発露なら、大したことは考えていないのかもしれないね。


 たとえば、所謂政治系の投稿、ニュース、仕事関係の記事なんか、君は見たことがあるだろうか?

 あそこでは、皆断定的に各々が「べき」論を書いているかと思えば、便乗して物申す輩が湧いて出てきて、さらにクソの塔を高くする。完璧でない言葉は日本語でないのなら、あそこには神話で読んだバベルの塔がスマホ基地局のような手軽さでぶっ建っていっているわけだ。


 皆が皆、自身の「正しい」を武器に他人を攻撃し、時には自分を擁護する盾にしている。彼らの武器と防具の強さは、古の情報源ベースの信頼性に基づいている。つまり、科学的な論文、政府発表、NGOの報告資料なんかだね。彼らの正しさは、これらのエビデンスといわれる情報源によって担保されている。

 彼らは正しいことしか言わない。そして彼らの視点で、正しくないと考えられるものを攻撃する。

 たとえば、僕はちょっとした精神疾患を抱えていて、毎月精神内科に通っている。

 ときに、日中の気候の差で具合が悪くなると、その日一日はもうだめになっちゃうこともある。だいたい、夕方ごろには薬の効果が消えるのか、考えがまとまらなくなったり、イライラが止まらなくなったり、もうこうなってしまうと仕事に手が付けられない。


 こういうことを僕が言うと、「ストレスのせいなので、ストレスを解消する方法を考えましょう」「向き合い方を変えましょう」「それは薬の効果ではないです」というありがたいご指示をいただく。


 くそくらえだ。


 ストレスが解消できりゃこういうことにはなっちゃいないし、向き合い方を変えたところでカラスが黒から白になるわけでもなく、薬の効果でないと分かったとして、今僕が感じている、このイライラが「そうかぁ薬のせいなら気のせいだな!」なんてことで霧散するわけもない。


 どっかで聞きかじってきた「対処法」を押し付けてこないでほしい。


 皆が皆、自分の思う「正しさ」を持ち寄って世の中を進めていこうしている。

 それが民主主義だというのなら、限りなくクソに近いもんだと思うね。


 彼らの「正しさ」ってのは武具でしかないんだ。論理的に正しくて、多数のエビデンスで補強されてはいるものの、結局身を守るものにしかなっていない。

 誰かほかの人のためにふるっているものじゃないんだ。

 だから、その「正しさ」ですくいきれないケースは


 世の中には「正しいこと」ばかりだ。規範というほどの強制力はなく、ただ個人を言外で縛るだけの「正しいこと」。

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