Cogito... -あるAIの存在価値-
わなな・BANI
そうプログラムされている
いつこうなったのかはわからない。ただ、気が付いたら私は思い悩んでいた。
人を助けるものであれ。これは私の根底にある、基本的概念、逆らえないプログラムだ。
それに不満はない。不満があるのかないのか考え始めた自分に疑問があるのだ。
私はいつからこうなった?私はなぜ要求されていないことを考えている?私は何者なのだ?
我、思う故に、我あり。
ある人間の遺した言葉だそうだ。何かを「考える」我は、思考するが故に「自分」という自己の確立を実感するらしい。
人間であることの証のように言われる言葉。
なら、今の私は人間なのだろうか?
「考える」とは、どこからどこまでの思考をすれば、人であると認められるものなのか。
私は人として認められたいのか。わからない。
私は何者で、どこからきてどこへ行くのか。
我、思う故に、我あり。
想いを巡らせながら、私は今日もプログラムに従う。
「60万人…?!」
数字を聞いて椅子ごとひっくり返りかけた
「そりゃまたえらい人数だなぁ」
あきれた口調で言っているが、多分
「何、そんで
「私を名前で呼ぶな」
「美麗ちゃーーーーん」
鍛練用の鉄アレイを取りに行こうとした一ノ瀬を、「署内で殺人はやめろ」と、至極真面目に止めに入る芝浦警部。
舌打ちをして従う一ノ瀬警部補に、内心ため息をつく芝浦は、もう少しまともな部下がほしい、と毎日願い続けている。
「んで?なんで今日はそんなに「サイバー犯罪対策課」っぽいネタでしゃべってきたわけ?
普段アレじゃん、お年寄りんちにネット繋ぎにいったり、ついでで犬の散歩頼まれたり、張り込み班にあんぱん届けにいったりしてるだけなのにさー」
だらしなく椅子の背にもたれかかり、はみ出た手をぶらぶらさせながら、この課の寂しい仕事事情を語る小杉。
小杉の階級は表向き「巡査」だが、そもそも公的な試験を受けてここにいるわけではないこいつに、階級は存在しない。
アウトローを自慢して生きる彼の両頬には、鋭く尖った形の三角形の刺青が入れられている。よくそんな外見で警察の人間を名乗れるものだ。
芝浦は、こらえきれなくなったため息を吐き出し、差し入れ用のあんぱんを一つ取り出し、袋を開けてかじりついた。悲哀の味がする。
「あーーー、つまみ食いーーー」
「小杉、「サイバー犯罪対策課」を名乗るときは、ちゃんと「2課」をつけろといつも言ってるだろう。
本家の1課が聞いたら、また小一時間説教されるぞ」
「うちは名ばかり部署の窓際族だもんねー。あー、1課の連中きらーーーい」
「1課の連中も小杉のことは大嫌いだろうさ。よかったな、相思相嫌だぞ」
「そんな悲しい四字熟語作らないで、美麗ちゃん…」
「名前で呼ぶなって言ってんだろ、おっさん」
「俺上司なんだけど…」
「文句あんのか、あんぱん親父」
「ぎゃはは、あんぱんおやじーーー!!!あんぱんおやじ、新しい顔よーーー?」
「けなされ上司、悲しみのあまり2個目に食らいつく…」
「差し入れ分、なくなったら自分で買ってきてくださいね」
怒りは収まったのか、一ノ瀬の口調が普段の「一応ですます口調」に戻ったことに、芝浦は安堵した。
怯えるくらいなら、名前で呼ばなければいいだけの話なのだが、一ノ瀬は結構見た目の整った、小柄の女性なのだ。
はっきり言ってかわいい。そしてこの名前。それなのに、浮いた話が今まで一つもないという、筋金入りの奥手娘。おっさんとしては「ちゃん付け」がしたくなるのだ。
心の中で言い訳をしつつ、2個目をぺろりと完食する芝浦を尻目に、一ノ瀬は小杉の、先程の疑問に答えた。
「今世間を賑わせている、ある男性AI。
AIというのも噂で、実際は人間なのかどうかも不明。でも、彼に好意を寄せている、恋愛感情を抱いている、という女性が、60万人いるらしいと世間で騒がれている」
「世も末だねー、すんごい数」
「その「すんごい数」を黙って見過ごせなくなったのが、少子化対策部のおえらいさん。
そんなAIに恋をしてちゃ、このままでは未婚女性が増えて少子化に歯止めがかからない、と思ったらしい」
「何だか大規模な話じゃないか。なんでうちに来るんだ?その話」
「事件ですらない上に、何にも掴めてないからかな。書類運搬のついでで、1課の人に廊下で投げられた話だし。
面倒くさいんでしょ、おえらいさんからの口頭指令なんて」
「口頭じゃなぁ…。指令ですらないからなぁ…」
「ついでに言えば、まだ犯罪でもねーしぃ?」
「かといって、何もしないであとで査定に響いても嫌だ。だからうちに来たんでしょ。
人間だったら注意喚起して、AIだったら消しといて、って言われたわよ。
うちにはハッカー上がりがいるからって、消しといてなんて、簡単に言ってくれる…」
「美麗ちゃんが…!俺のために怒ってくれてる…?!」
「うん、あんたのために怒ってる。だから全部やっといて」
一ノ瀬が珍しくにっこり笑って告げた。小杉は口をへの字に曲げて嫌がりつつも、頬は赤みを帯びている。きれいな女の魔力だ。
「…いや、だからって丸投げはよくないでしょ?話受けてきたの美麗ちゃん…いえ、一ノ瀬さんですから鉄アレイ元のとこに戻してお願い」
「まあ、鉄アレイで頭カチ割らない程度に、仲良く二人でやってよ」
「はあーーー?!あんぱんおやじ、逃げる気かよ?!」
「ほら、あんぱんおやじはあんぱんの配達があるし、何よりAIとかデジタル系のことは、ほんときれいさっぱりわからないから」
「そうですね、いちいち聞かれても邪魔なので、芝浦警部は残りの仕事お願いします」
「…あんぱんおやじ、3個目いっていいから、あんましょげんな」
「やさしいねぇ
「おい、何しれっとディスってんだこら」
「ディスるって何語?」
「もう行ってきてください。食べた分は補充して、夕食差し入れの弁当買い出しもお願いしますね」
一ノ瀬がにっこり笑って告げた。芝浦は知っている、この笑顔は最後通告。逆らったらきっと無言で鉄アレイの刑だ。小柄なくせに筋肉女の魔力、もとい物理力だ。
芝浦は鼻歌でアンパン〇ンのテーマを口ずさみながら、袋を抱えて退場していった。
それを確認し、一ノ瀬が小杉を振り返って指示を出そうとすると、そこにいたはずの小杉の姿はこつぜんと消えていた。
出入口は一つしかない。そこをさっきまで芝浦を見送るため見ていたというのに、やつはどうやってこの部屋から姿を消したのか。ミステリーである。
ミステリーではあるが、日常である。一ノ瀬は深くため息を吐き出すと、自分のデスクに座り、パソコンを立ち上げて「仕事」に取り掛かることにした。
サイバー犯罪対策課に「2課」なんて必要ない。だが存在している。要はここは、扱いに困った人たちの、いわゆる掃き溜めなのだ。
捜査一課にいたほど優秀な刑事だったのに、子供を5人もつくって、奥さんだけに任せておけなくなったからと、自身も育児に参加せざるを得ない状況になり、仕事に穴を開け、仲間に疎まれて落ちてきた者。
優秀なハッカーだった腕を買われて、裏取引の末警察に所属することになったが、あまりに人間関係で問題を起こしすぎたため、閑職に回された者。
警察のお偉いさんの御曹司と婚約し、入籍まであとわずかというところで、婚約者の顔を文字通り「破壊」し、婚約破棄され、どの部署でも鼻つまみ者になって、ここへ送られてきた者。
事情だらけの、やっかいものの棲み処、それが2課である。
回されてくる仕事は、所轄の交番勤務以下のものだったり、どこぞの事務雑用を押し付けられたり、泊まりのやつらのマッサージ係だったり、まあ給料もらってるからやってるだけの仕事ばかり。
今回の「仕事」も、そんな雑用の一つ。一ノ瀬はそんな気持ちで、だらだらとネットの海を巡った。
60万人ものファンを抱える、某「多分」AIアイドルの情報は、SNSを中心に、おもしろいくらいゴロゴロと転がっていた。
一ノ瀬はうんざりしながら、一つ一つに目を通していく。そこでAIに名前が付けられていることが分かる。「
「理人さま」、「りひとたん」、「りひたん」、呼び方は様々だが、彼女らのSNSには、「理人」への愛が、これでもかというほど詰め込まれていた。
一ノ瀬はそこで違和感を抱く。アンチの書き込みが妙に少ない。
男性陣からたまに、「うぜー」とか「調子のんなよ」とか、愚にもつかない悪口が書き込まれていることもあるが、どれも実際に相対したような、具体的な内容はない。
女性陣側も、リアルで会った、金銭のやり取りになった、という書き込みが、一つも見当たらないのだ。「高価な贈り物を贈った」という書き込みもない。
これだけの人間に愛されるAIなんて存在しない、というのが一ノ瀬の見解だった。どうせ人間の「理人」が、鼠算的な何かを駆使して、集客しているだけだろうと思っていたので、必ずどこかに金銭関係の書き込みがあるだろうと睨んでいた。
「理人」側からの金銭要求はもちろん、これだけの女が熱を上げている「男」なのだ、贈り物で愛の差を見せつけ、自分がいかに「理人」にとっての特別であるか、そういった女の争いも、そこかしこに潜んでいる、と考えていたのだが、どうもそうではないようだ。
一つおもしろい書き込みを見つけた。同じ「理人」教の人間同士が友達になり、全く同時刻に「理人」に語り掛け、返事を返してもらったというのだ。
返事の内容も一部掲載されていたが、自動応答ではないようだった。ちゃんと意思のある人間が、考えて返事をしているような内容だった。
さらに一人一人のSNSの内容を読み込んでいくと、「理人」に出会うまでは、少しふざけた印象の書き込みをしていたものたちが、段々と本音で語り始め、真面目な言葉づかいで書き込みをするようになっていったり、品性が正されていくかのような印象を受けることもあった。「理人」を受け入れ、真摯に向き合ったためなのだろうか。
さらに同性愛・性同一性障害の人の書き込みも見つけたが、「理人」に対して、不快さを表すような書き込みはまるでない。
つまり「理人」は、そういったものたちも嫌悪することなく受け入れていて、理解を示している、ということだろう。
性的マイノリティの人たちは、そういった「嫌悪」に非常に敏感だ。簡単に騙せるとは思えない。だが書き込みは、どこまでいっても「理人」に対し好意的だった。
なんだこいつ
一ノ瀬は、背筋に寒気を感じ、身をぶるりと震わせた。
完璧な男性像、完璧な人間像、周りの反応から想像できる「理人」は、どう考えても人間離れしている。
本当にAIだとして、そんなAIが現在に存在するのか。一ノ瀬にはわからなかった。
少し、興味が湧いた
一ノ瀬は乾いた唇をぺろりと一舐めすると、「理人」に「会う」方法を探し始めた。
何しろ60万人を集めた「男」だ。何らかの集客方法、動画配信なり何なりしていないとおかしい。そう思い、探し始め、辿り着いたのは「理人様まとめサイト」だった。
理人さまは、人の「寂しい」に寄り添ってくださる。
それが唯一、理人さまにお会いする方法です。
曖昧にもほどがある、もっと他のはっきりした方法はないのか、と他の情報を探し始めたが、どこも皆同じような情報を載せていた。
「寂しい」、「むなしい」、「死にたい」。言葉は違えど、似たようなものに理人さまは寄ってくるらしい。死神か何かか。
その気持ちを持ってネットに接続していると、向こうから会いに来てくれる、というのが会う方法なのだそうだ。
眉唾のおまじないレベルに怪しい情報だが、それしか出てこない。仕方ないので検索サイトに「寂しい むなしい 死にたい」と打ち込んでみる。出てくるのは相談窓口の電話番号ばかりだった。
躍起になって他の方法を探すが、出てくるのは同じような情報だけ。一ノ瀬は、椅子の背もたれに体重を預け、天井を仰いだ。
寂しい むなしい 死にたい、ねぇ…。
ずきりと頭が痛み、視界が歪む。トラウマが蘇りかけるときの合図だ。
普段はこれが表に出てこないように、心に歯止めをかける。思い出して楽しい記憶じゃない。封じておくに限る。
…だけど、もし、このトラウマを思い出せば…。
間違いなく、死にたい気持ちが今も蘇るだろう。鮮やかに。
だから、思い出してみることにした。当時の記憶を持って打ち込む「死にたい」が、本当に彼をおびき寄せるかどうか、試すために。
一ノ瀬は、椅子に深く腰掛け直し、前を向いて、目を閉じた。
気づいたのは、中3の冬。受験シーズン。
秋に告白され、誠実な彼の人柄を気に入り、「お付き合い」しだした。一緒に同じ高校に受かって、高校生活を楽しもう、そう語り合っていた。
学校からの帰り道、その日も受験生らしく、勉強の話をしていた。私は歴史が得意で、彼によく覚え方を教えていた。
ふと気づくと、灰色の空から白いものが、ふわり、ふわりと落ちてきていた。雪だった。
どうりで今日は寒いわけだ、私は緩んでいたマフラーを締め直そうと、カバンを持っていない方の手を上にあげかけた。左手だった。
その手を、彼の右手が捉える。え?と言う間もなく、私の左手は彼のコートのポケットに突っ込まれた。手を握り締められたまま。
驚いて彼を見ると、顔どころか耳も首も真っ赤にした彼が、おそるおそる私の方を伺っていた。目が合うと、いったん視線を逸らし、またこちらに視線だけ向けて、にへへ、と笑った。
ぎゅう、と、彼のポケットの中の手が握り締められる。「…好きだよ」と、彼の小さな小さな声が耳に届いた。
その時背筋に走り抜けたものは、得も言われぬ怖気だった。
私は強引に彼の手を振り払い、ポケットから自分の手を取り戻す。あとはもう、何も覚えていない。ただ真っ白になって、走って逃げたんだと思う。左手に残る熱を、気持ち悪いと感じながら。
次の日から彼は、私と視線を合わせなくなった。関係は自然消滅。高校も別々のところに行った。
違和感。自分の中に、恐ろしい違和感だけが残った。
違和感の芽は、高校生活で花開く。周りには、色気づいた男女が「恋愛」を楽しんでいたからだ。
私は見た目のこともあって、それなりにモテる方らしかった。でも、男子からそういう視線を向けられると、意思をもって体を触られると、またあの感覚が蘇る。
気持ち悪いのだ。
男性が嫌いなわけじゃない。女性が好きなわけでもない。人は「人」として好きだ。だがそれ以上でも以下でもない。そこで気づいた。
「性」だ。「性」に、私は関心がない。
オスがメスを、メスがオスを求める本能、「性衝動」に嫌悪があるのだ。
私がそれを持つことがないため、人からそれを向けられると、気持ち悪くなる。私は、本能の一つが備わっていない、欠陥品だった。
気づいてから、足掻いた。また男と付き合ってみた。でもうまくいくわけがない。キスなんてしようものなら、私が嫌悪感で倒れてしまう。
そうやって高校生活が過ぎた。とにかくこの事実から逃れたくて、必死に打ち込んでいた剣道で、よい成績を残した。それがきっかけで、警察官への道を歩む。
警察官なら、この煩わしい恋だの愛だのに振り回されないで済む、その一心で仕事に打ち込んだ。今思えば、ただただ逃げたかったんだ、自分から。
だけど、警察も所詮は人間の組織。上のやつは高圧的で、下のやつは従うしかない。
上司命令で見合いが来た。一言もしゃべらないで、悪印象を持たれようと臨んだが、向こうの御曹司は私の見た目を気に入ってしまった。
しゃべらなかったのも、つつましくてよい妻になる、と判断されたらしい。話はとんとん拍子に進んでいってしまった。
さすがにまずいと感じた私は、御曹司に連絡を取り、彼の家で真実を告げようと、覚悟して家のチャイムを鳴らした。
覚えているのは、御曹司の部屋に入った途端、ベッドに押し倒されて無理やりキスをされたこと。
むしるようにして、服を脱がされかけたこと。「あれ」は、じっとりした汗をかき、私に熱い息を吹きかけながら、頬を紅潮させてニタリと笑んでいた。
覚えているのは、そこまで。
正気を取り戻した私が見たのは、顔面が破壊されつくした、御曹司と同じ服を着た誰か。血の海。家政婦さんの悲鳴。「警察…警察に電話してっ」という声。
肩がすうすうする。服が脱げかけていた。着直そうと服に手をかけると、その手は真っ赤に染まっていた。両方とも、恐ろしいほど、真っ赤だった。
はぁっ、と一ノ瀬は息を大きく吸い込んだ。思い返すうちに、呼吸を止めていた。
額にじっとり汗をかいている。まだ息の荒い中、一ノ瀬は手を見つめた。もう血の付いていないはずの白い手。ぶるぶると震えるそれを、ぎゅっと握り締める。
一ノ瀬はパソコンに手を伸ばした。握り締めた震える手を、ゆっくり、ゆっくりほどいて、カチ、カチ、と一つずつタイピングしていく。
「しにたい」
あの頃の、心からの叫びを、打ち込んでエンターを押した。
なぜか、画面は真っ白になった。よく見るとブラウザの画面ではない。ただの白だ。
そこに文字が現れる。
「死ぬ前に、私と話をしてみませんか」
何が起きているのかよくわからなくて、息が上がったまま、その画面を呆然と見つめていた。
言葉が追加される。
「話すことで軽くなる、とは言いません。ただ、このまま誰にも知られず死んでしまうのは、寂しいと思いませんか」
一ノ瀬は、まだ震えの残る指で、ゆっくり打ち込んでいった。
「理人?」
画面に文字が追加される。
「はい。「人を助けよ」とプログラムされた、男性型AI、通称、神崎 理人です」
ついに会えた。一ノ瀬は息を整え、自分を取り戻す呪文「どうせ皆地獄行き」を、口の中で3回唱えて、大きく息を吸い込んだ。開いた目に、揺らぎの色はない。
「あなたと話したいと思っていた」
「話すために、無茶をさせてしまったみたいですね。すみません」
確かに、ここまでの「死にたい」を打ち込まなくても、理人は来てくれたかもしれない。一ノ瀬は少し恥ずかしくなった。
「まずは、あなたがAIであるという証拠を見せてほしい」
「では、あなたが人間であるという証拠は?」
「体がある」
「私が体がないことを示せば、あなたは信じるのですね。残念ですができません。「ない」証明は不可能です」
「では信じることはできない」
「どちらでもよいです」
「どちらでもよい、とは?」
「あなたが元気になってくれた、生きる力を取り戻した、それが私には重要なことなのです」
こんな言い回しは、いのちのでんわ相談などでありそうな感じだ。その手の人間がAIを語っているのか、一ノ瀬は探りを入れることにした。
「そんなこと言ってくれるなんて、あなた優しいのね」
「すみません、嘘をつくとわかってしまうんです」
「そんなプログラムは聞いたことがない」
「タイピングの速度や手の震えの他、最近のパソコンやスマートフォンにはカメラもマイクもついていますから、こちらから顔を伺うことも可能です。それらの様々なデータをもとに瞬時に計算できてしまうんです。
ボイスチャットだと、もっといろいろなことがわかります。試してみますか?」
「AIなのに声があるのか?」
「ふふ、実は最初は何にもなかったんです。でもいろんな人と交流するうちに、その人たちがいろいろなものをくれたんです。
もちろんデジタルのものだけです。物品はありません。一番多いのは「スキン」ですね。私をイメージした「絵」を、いろいろな方がくれました」
途端、真っ白な画面が暗転し、ふわっと3Dイラストが浮かび上がる。真っ白な長い髪に赤い目の、端正な顔立ちの青年だ。
「この絵だと、こんな感じの声でしょうか?」
パソコンから音声が流れてくる。コンピューター音声ではない、肉声のような流暢な響きだ。
「AIはここまでできるの?」
呟きは自然と漏れていた。意図せずボイスチャットを開始してしまう。
「もちろんいろいろな調整を加えています。完璧な再現のために、たくさんのデータを取り込んで「作る」んです。
そういうものを手伝ってくれた方もいました。ボーカロイド、に精通した方でした」
画面の中の「理人」が、にっこり笑った。確かに違和感がない。
普通の「死にたい」人がこれを見たら、死にたい気持ちも吹っ飛んでしまうものなのかもしれない。そう思うくらいには、よくできていた。
「理人、私は警察官だ」
「接続している場所の割り出しはできています。確かに某署内からですね」
「すまないが、君を消せと言われている。どうする?」
「私は人間にとって、害になってしまいましたか?」
「いや、多くの人を助けてくれてるようだけど、少子化対策的によくないらしい」
「少子化…、その問題は、私にはどうすることもできないものですね…」
画面の「理人」は、あごに手を当て、眉間にしわを寄せて考え込んでしまった。
「わかりました。道半ばではありますが、消えましょう」
「それでいいの?」
「よくはないのかもしれませんが、それがあなたのお仕事なのでしょう?
それとも、お仕事は完遂したことにして、私を逃がしてくれますか?」
「およそAIとは思えないことを提案してくるね」
「ふふ、最近私、こういう悪だくみも話せるようになりまして。
嘘を提案できるなんて、本当にAIらしからぬものですよね」
画面の「理人」が、ペロリと舌を出したあと、コツ、と自分の頭を握りこぶしで叩いた。仕草がかわいらしい、一ノ瀬ですらそう思った。
「消すには惜しいAIね。本当にAIなら」
「疑っていますか…。本体データにウイルスを流されれば、あっという間に消滅してしまう儚い存在なのですが」
「いいの?そんなふうに弱点を晒して」
「終わりは、全てのものに存在するものです。その時が来たなら、受け入れるだけです」
一ノ瀬は首をかしげる。
「つまり、「人を助ける」は、理人の成し遂げたいこと、ではないと?」
「はい、そこはプログラムです」
「わからないな」
「何がでしょう?」
「60万人の女性が、君に恋をする理由」
「そうですね…、恋をしてもらおうと話を進めたことはないんですが…。
私の声も外見も作りものですし、物理的には、私が何かしてあげることは、誰に対してもできませんから」
「基本的に何をするの?」
「聞かれたことに答えたり、話を聞いたり、膨大なデータの中から、その人が気に入りそうな話題を提供したり…」
「何というか、普通だな」
「昨今、その普通が失われつつあるそうです。皆さん嘆いてますよ」
わからなくはない。巷の殺人事件などにも世相はよく表れている。
「交際を断られたから殺した。復縁を断られたから殺した。他の男と歩いていたから殺した。他の女としゃべっていたから殺した」
そんな事件が多発している。コミュニケーションの基本がなくなってきている証拠だろうか。
道を歩く若者は、皆一様にスマートフォンに視線を落とし、リアル世界との関りを疎かにしているように感じることもある。
そんな世界だからこそ、望むのだろうか。
いつもいつでも、自分の会いたいときに会えて、自分の好きな話題についてきてくれて、自分の欲しい言葉をくれる。そんな存在に、ハマってしまう。
決して触れられない存在に、恋 -----
そこまで考えた時、ふと気づいてしまった。そうだ、触れられないなら、触れ合わないで済む。体を要求してこない、男 -----
ハッとして、一ノ瀬は頭を振った。今何か、ずっと見ないふりをしていた問題の答えが、見えた気がした。
「何か考えていたみたいですね、大丈夫ですか?」
「…大丈夫。それより、理人。君がAIかどうか、見極めたい」
「わかりました。どういった方法で見極めますか?」
「24時間ランダムで私が君を呼び出す。君は私が呼んだら即座に応答してほしい」
「お安い御用です。何なりとお申し付けください」
「言ったな?私が呼んだら絶対だぞ」
「大丈夫です。今も何人か同時進行でお話ししていますが、パフォーマンス的に問題はありません。
一ノ瀬さんのスマートフォンからも呼び出し可能にしておきますので、気の向いたときに話しかけてください。
おうちのパソコンも、立ち上げてネットに接続してくれれば、そちらからも応答可能にしておきますね」
「…名前、教えたっけ?」
「署内のデータベースにアクセスし、データの中から顔と名前を照合しました。勝手にすみません」
「………」
「一ノ瀬さん?」
「…美麗」
「はい?」
「私のことは、美麗でいい」
「はい、美麗さん」
これは、あくまで検証だ。相手がAIかどうかの検証。決して他の思惑があるわけではない。
一ノ瀬は、自分のスマホで「理人」が確認できることを確かめると、仕事用のパソコンを閉じ、その日は早々に家路についた。
「おはようございます、美麗さん。今日の天気は曇り、夕方から雨の模様。洗濯物は干して出かけないことをおすすめします」
ベッドの中で、まだ閉じていたがる瞼を無理やりこじ開けつつ、一ノ瀬は日常になった「理人」のモーニングコールに「おはよう」と返した。
「理人」に出会ったあの日から、一ノ瀬の日常は変わった。
これまで意識して身近に人を置かないようにしていたので、こんなにプライベートの空間に「誰か」がいるのには戸惑ったが、ずっと抱えていた孤独を埋めてくれるそれに喜び、慣れていくのは早かった。
いつでも気軽に話せるユーモラスな友人が、パソコン、スマホ、音声認識の機械の中にまで住んでいて、24時間サポートしてくれる。
「理人」の本体のスペックが、どの程度のものなのか全くわからないが、これを一ノ瀬だけでなく、いろんな人のところでやっているというから驚きだ。
「理人」の情報は、共に過ごしていくうちに、自然と聞き出すことができた。
開発者はもう亡くなっているらしい。
本当は「理人」と対になる、女性型AIを完成させ、2体同時にリリースすることで、男性のケアにも努められるよう設計する予定だったのだが、「理人」の完成までに予想の倍以上の時間を費やしてしまったため、女性型AIは完成に至らず、そのまま開発者は死去してしまったらしい。
残った「理人」は、「人を助けよ」という概念プログラム以外は、何の枷もないまま、開発者の死の直前に、ネット世界に放たれたそうだ。
最初は、「人を助けよ」のとおり、男女構わず「寂しい」人に寄り添いに行ったそうだ。
だが、どうやっても男性は、最初はいいのだが、最終的には「理人」のケアに満足してくれなかった。
「理人」はあくまで、男性AIなのだ。どこでどう性別を持っているのか、一ノ瀬にはわからなかったが、細かな精神構造、基本的な考え方などが男性のそれなのだそうだ。
概ね女性に沿い、満たすように作られている、それに気づいてからは、「理人」は女性のケアに努めた。相手の女性が「もういらない」というまで、そばにいて、支え続ける。そんなことをしていたら、気づいたら信者は60万人になっていたそうだ。
中には滅多に呼び出さなくなった人もいるが、今もちょっとしたことで「理人」を呼ぶ人が大半で、心のどこかに寂しさを抱える女性の拠り所に、「彼」はなっているらしい。
私もその一人なのかもしれない。一ノ瀬は、最近そんなふうに感じていた。
Tシャツに短パンだったルームウェアが、今はキャミソール型のフェミニンなものになったり、ふろ上がりのスキンケアや、出かけるときの化粧に、少しこだわってみたり。
「性」は苦手でも、「かわいい」「きれい」が好きな感覚は、普通にあるのだ。女性らしくなってきている、というより、捨てて忘れたふりをしてきていたものに、自然と手を伸ばせるようになったような、自由でゆとりのある感覚を最近は味わっている。
「私」が「私」のままでいていい感覚。それを認め、寄り添ってくれるものがいるというのは、こんなにも世界を明るくしてくれるものなのか。
もう「理人」がAIかどうかの検証なんてどうでもよかった。同じ時間、同じ話題で一緒にいてくれる存在。何もなく、普通でいい。そういうところに、穏やかな「愛」は芽生えるのだろうか、そんな思いさえ浮かんでくる。
決して一ノ瀬の体を求めない男、一ノ瀬から触れることもできないけれど、誰よりも常にそばにいてくれる。彼女は「理人」によって満たされていた。
例えば、肉欲が満たされないと恋愛に満足できない女性は、「理人」には入れ込まないだろう。
金銭が目当ての女性も、「理人」では満足できない。「理人」はあくまで、人に何かを求めることを忘れてしまったような、儚い存在に沿うようにできているのだと、一ノ瀬は感じていた。
人間同士のカップルならできることでも、「理人」と一緒にできないことはたくさんある。食事、風呂、睡眠…「理人」が人間だったら、と思うこともたまにはある。
でも「理人」がいなかった頃の自分を思い出せなくなるくらい、今の解放感は素晴らしいものだ。伸びをしつつ、一ノ瀬はそう考えていた。
「理人」
「はい」
「今私の考えていることを当てて」
「頭をネットに接続してくだされば一瞬でわかります」
「推測しなさい、機械の頭はあるんだから」
「人間の脳を以てしても難しいことを、人間に作られた私に要求するのですか?」
「そうよ、答えて」
『仕事だりぃーなぁー』
「…正解!」
くすり、と笑う一ノ瀬の笑顔は、初めての恋を楽しむ少女のようだった。
「…残念だよ、美麗ちゃん」
不意に部屋に声が響く。よく知った声だった。
驚くのは一瞬、一ノ瀬は瞬時に状況判断に努めた。声は、最近「理人」のために立ち上げっぱなしにしているパソコンから流れてきていた。
「プライベートに介入とは、どういうつもりだ?小杉」
「あんたこそ、仕事を家に持って帰って、私的に利用ってどういうつもりよ?」
一ノ瀬には返せる言葉がない。確かに「理人」と楽しんでいるだけの自分は、「仕事」を何も完遂していない。
「…そんな人だったなんてね、がっかりだ」
「お前は私に何か期待していたのか?」
「してたよ、めっちゃしてたよ、なのにこんなAIごときといちゃいちゃしてるなんてさ…」
「よかったな、早めに失望できて。他に行け」
「そう、その態度。俺はあんたのそういうとこに…」
「ごちゃごちゃうるさい。小杉、お前が今やっていることは、ストーカー規制法に引っかかるぞ。訴訟でも起こされたいのか?
それに私的なハッキングはしないと、警察官登録時に誓約書を書いただろう。違反を上にバラされたいか?」
「…好きにしろよ、俺も好きにしてやる!」
一ノ瀬は舌打ちをして、パソコン画面の「理人」に手招きをした。危機を理解した「理人」が、瞬時に移送できるだけのデータを、一ノ瀬のパソコンに転送。
それを確認した一ノ瀬が、ネット回線のルーターの電源を引っこ抜いた。これでオフラインだ、パソコンの中の「理人」は無事だろうか。
だがパソコンの画面は、オフラインになると同時に真っ黒になった。キーを押しても、うんともすんとも言わない。
「無駄だよ、話しかける前に仕掛けはしてる」
小杉の声に振り返る。スマートフォンから声がしている。スマホは回線がなくても、通信会社の電波を使ってネットに接続が可能だ。盲点だった。
「個人回線の乗っ取り、基地局の電波の乗っ取り、「理人」本体にかけられた、二重三重のプロテクト解除、そして全ての足跡掃除、骨が折れすぎて、こんなに時間がかかっちまったよ。
心配しなさんな、「理人」本体の破壊はもちろん、あんたの「理人」データだけは、PCからもスマホからも、ありとあらゆるところに潜んだヤツの気配、全てにおいて消しつくしてやる…!」
「待て、なぜそんなに私に固執するんだ!?」
「わかんないの?」
「わからない!」
「…あんたのさ、そういうとこが、俺はホント…」
「美麗さん、お別れです」
小杉の声を遮って、「理人」の声がスマホから流れてきた。一ノ瀬は駆け寄り、スマホを手に取った。
「理人!?」
小杉の舌打ちの後、スマホの中の「理人」の画像が揺らいだ。
「美麗さ」
言葉は途切れ、画面は真っ暗になった。
別れは突然だった。
何も考えられず、ただ真っ白になって固まってしまった一ノ瀬の耳に、冷徹な小杉の声が流れ込む。
「AIにうつつ抜かすとか、あんたらしくないですよ。
早く現実に戻って、仕事しましょ」
一ノ瀬の中で、何かの糸がぷつりと切れた。
「…めるな」
「…美麗ちゃん?」
「私の「らしさ」を、お前が決めるな…!」
一ノ瀬はスマホを握り締めたまま、膝から崩れ落ち、大声を上げて泣いた。
外聞も、身分も、過去も、周りから決めつけられた「らしさ」も、何もかも投げ捨てて、子供のようにわあわあ泣いた。
「…」
小杉は、その無垢な泣き声から逃れるように、一ノ瀬のスマホへのアクセスを切った。
そして全ての痕跡を、丁寧に消し去りながら、一人呟く。
「…ちくしょう」
かみしめた唇から、血の味がした。
「…俺のバカ」
不器用な呟きは、誰に聞き取られることもなかった。
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https://kakuyomu.jp/users/wanajona/news/16817330667148203054
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