美しさが失せた世界で君を描く

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第1話 日常と異常

時代は2100年わけあって現在、日本

 超高度異形国家


 

 「おまえ人狼か?」 

 「私は占い師ですぅ!」

 「いや、やっぱコイツ怪しいな。」

 「え〜⁉︎」

 「仇とれよー。」

 「そろそろ決めてよ。」

 「...。」


 とびきり平穏な夏の昼下がり、高校の昼休み、中庭のベンチ。お決まりのメンバー。何回もした人狼ゲーム。自分だけは人狼が誰なのか知っている。勘ではない。推理でもない。ましてやズルでもない。自分のカードを一目見れば、誰が人狼か分かる。


 さて誰にしようか?


 そうして、静かに獰猛な獣が描かれたカードを伏せる。

 

 ふと急に体が浮くような感覚に襲われる。


——起床

 このところ、こんな夢をかなりの頻度で見ている。別に何かを望んでいるわけでもない。不思議だと思いつつ、そんな時は決まって登下校の道の河川敷や橋の下で夢で見た光景に似た絵を描いている。

 大きな欠伸をして、ベッドから降り、窓辺に行く。窓を開ける、湿っていて少し冷たい空気が部屋に入る。ささやかな雨音が聞こえ、雨のせいか妙に体が重く感じる。

 (また雨か。じゃ今日も絵を描くのはできないな。はぁ、学校だりぃな。)


 どうやら6月は絵を描かせることは許さないらしい。


 二階から降り、居間に向かう。その途中で無機質な何かに当たった。どちらかというと誰かに当たった。

 

 「おはよ。父さん。」

少年の目にはブラウン管のPCが写っていた。

いや、説明不足だ。少年がぶつかったのは首から上がブラウン管のPCの異形を成した父親だった。


 2026年隕石が降った。それ自体は防衛省が対処し、大気圏で破壊に成功したと。

 しかし、問題が発生した。隕石の中から特別なウイルスが観測された。お察しの通り空から大量のウイルスが散布された。そのウイルスは人体の細胞、特に脳細胞の遺伝子を書き換え、人以外の不思議な遺伝子を組み込んだ。潜伏期間はかなり長く成人になる時に発症するものだった。結果、人間は心身共に異形になっていった。

 先も話して知っていると思うが、今の日本は超高度異形国家。そう、日本はウイルスと共存することを選んだ。


 そうして身も心も人外になった今の世界は美しさが失せた。


 〈オハヨウ。リョウタ。キョウモイイテンキダネ。〉


 そう文字が画面に映っていた。

 父は異形化で天気がいいかも分からなくなってしまった。昔はよく絵を描いていたらしいが、このありさまだとどうも信じがたい。


 ちなみに母は信じられないくらい髪が伸びていて、体が隠れている。たまに目とか口がチラッと見えるくらい。腕は退化し、今は手の代わりに髪を動かして生活している。

 まだ異形ではない時代の両親は写真でしか見たことがない。どれもこれも笑っていて、今のような憂鬱な雰囲気はどこにもない。


 今日は月曜日忌々しい休日明けの登校日だ。朝ごはんを食べ、家を出ようとする。

 肩をトントンと叩かれて振り向いた。


「ああ、行ってきます。」


 そう言うと両手の人差し指を交差させ握る。父もそうする。母は髪でする。いわゆるハンドシグナルってやつで、どの家庭にもいくつかある。我が家では両親は異形化で声帯を失い、喋れないのでこれを「行ってきます。」「いってらっしゃい。」という意味として使っている。

 父の画面にはついでに、「河原デマタ絵ヲ描クノハダメダゾ。」と表示されていた。


 (そもそも今日は雨でできねぇって。)


 雨は止まず、段々と強くなっていった。傘にぽつりぽつりと音を立てて落ちてくる。そうして、いつも絵を描いている河川敷のところに来た。

 橋を歩いていると、黒いレインコートの人が何やら啜り泣きながらダンボールを川に落とし、向こう側へ走り去った。雨で本当に泣いていたかは分からないが、そんなことよりもダンボールの所在が少し気になった。雨で少々氾濫気味の川を覗き込む。

 ダンボールの中身がなんであったか、見てから理解するのに刹那すら時間は用さなかった。そして、リュックと傘を投げ捨て、川に飛び込んだ。

 

 川のなかは6月といえど冷たい。ダンボールのところまで必死にもがく。この必死さは憤りからだろうか良心からだろうか、とにかくダンボールを回収しなければならないと思った。そして、その行動にも未練を感じそうにない。

 何度もダンボールに届きそうになるが、触れるだけで掴めそうもない。アドレナリンからか疲れは感じなかったが、動かす腕を見る限り体力も限界に近い。半ば溺れている。体が沈む。水の冷たさが体を蝕む。少年は目を閉じた。


 (ああ、何もできねぇじゃん。俺。)


 少年は死すら感じた。

 現実では夢のように浮つく体はないのだな。あるとすれば、こうして冷たい水の中で死ぬのを待つ瞬間、この一瞬だけ重力を少し忘れられる。



 少年の目が覚めた。


「ケホッ!ケホッ!あー、死ぬかと思った。」


 かなり流されていたのか、隣町の河原のほとりに流れついた。太陽が出ている。雨はもう晴れていた。

 ハッとして起き上がり、辺りを見渡した。ダンボールがない。手元辺りから何やら鳴き声が、か細く聞こえた。下を向くと濡れて形がかなり歪んだダンボールを持っていた。ダンボールを開く。


 「良かった。やっぱり見間違えじゃなかった。」


 そこには鳴き声の主の子猫がいた。目が合う。子猫は震えていた。川に長いこといたので寒かったのだろう。


 「さてと、さすがに分かる。遅刻だ。」


 その事実で全身に倦怠感が押し寄せる。


 「1限は...間に合わないな。荷物は...はぁ...」


 忘れていた。リュックを置いて行っていたのだった。面倒だと思いながらも立ち上がる。疲れていたのか少しよろめく。吐き気もする。橋を渡る車の走行音がやけにうるさい。排気ガスの匂いも強く感じる。

 しかし、感覚が過敏になっているだけだろうと思い、元の橋まで子猫の入ったダンボールを抱えて歩く。

 

 言わずもがな制服はずぶ濡れ、通り過ぎる喋れる大人は無表情で、

「大丈夫ですか?」と話しかける。それに少年は無視をした。

 少年はむすっとして小声で


 「大人が心もないくせに同情なんかするんじゃねぇよ。偽善者が...」


 大人には心がない。この16年間でそれをよく知っていた。どうせ、今の言葉も事前に決めておいた会話の手札でしかないのだろう。


 (心がない大人なんか大嫌いだ。

 いや、そんなのは建前か。ホントはあの異形の見た目になりたくないだけなんだよな。)


 老けた男の髪が薄くなるように、老いた女にシミが浮かび上がるように、異形は身体の醜さそのものなのだ。


 自分もいつかそうなるかもしれない恐怖に身震いする。

 何か水溜りが少し動いたように見えた気がし、水面を覗き込んだ。

 

 そのとき驚きのあまり狼狽うろたえ、ダンボールを落としてしまった。

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