9 夏焼 自宅 心の影
そんなことを思っているうちにマンションのエントランスに着いてしまった。キーケースを取り出し、オートロックを開く。このあたりからなんとなく、「無」でいるようになっちゃったのはいつからだろう。エレベータの鏡に映る自分はあまりにも無表情でオバケみたいだった。「そんな顔しなくても」って思わず自分につっこんじゃったよ。
703の扉の前で一息ついて、静かに玄関ドアを開けた。直後視界に入った物のせいで俺は肩を落とした。
つま先にリボンの付いたぺったんこの靴。これがあるってことは、今夜はあの女が来てる。俺は無意識に舌打ちをした。廊下の奥に繋がるリビングの扉は閉まっている。磨りガラスに光が漏れてるから、そこにいるんだろう。俺は靴を脱ぎ捨てて自室に直行した。
電気を付けて鞄をベッドに放り投げた。ネクタイを外し、クロゼットに掛けて椅子にもたれた。コンビニで買ってきたものも、一気に食べる気が失せていく。なんてったって気分が悪い。
少しでも楽しい気分を取り戻したくて、俺はデスクの横に設置したKORGの電子ピアノをONにした。棚からバンドメンバーの肥後が書いた譜面を取り出す。それを広げていると、ドアがノックされた。無視していると声が聞こえる。
「かいとくん? ごはんあるよ? 一緒に食べようよ」
女の声だ。このまま無視して放って置いてら部屋に入ってくるかもしれない。俺はいやいや返事をした。
「いらないです」
その後の会話をする気もなく、俺はヘッドフォンをしてこの家の全てから身を隠した。バンドメンバーが作った曲を弾いている間だけは、この家でもひとりじゃないって思えるから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます