第2章 モモノフvs黒沢会18 秘密1

 桃屋旅館は、鳩ノ巣渓谷の谷底にある。

 国道脇にある、うっかりするとすぐ見落としてしまいそうな、背の高い杉林の中の細い九十九折の坂を下りた先に、突如として現れる。眼下には透き通ったエメラルドグリーンの川が流れ、対岸には天を突くような断崖絶壁がそびえ、外部からけして見えない、渓谷の中に隠れるようにひっそりと佇んでいる旅館である。


 敷地内には和モダンな新館と歴史を感じさせる木造三階建ての風流な本館とがあり、さらにその奥に本館と渡り廊下でつながった木造の旧館があって、旧館は桃沢家の居住スペースとなっている。


 「ただいま」

 玄関のドアを開けて桃李がそういうと、着物姿の旅館の仲居が何人か出てきて一列に並ぶと「おかえりなさいませ」とお辞儀をして出迎えた。


 桃李の後から怜が入ってくるのを見かけた仲居たちは驚いて「怜様! いらっしゃいませ」と再びお辞儀をすると、一人が慌てて奥へと引っ込んでいった。


 桃李は怜を連れて旧館へとつながる渡り廊下を渡った。


 渡り廊下の下は旧館の裏手にある双竜の滝から流れ出る川がザアザアと流れていて、二十四時間その音が途切れることは決してない。


 旧館のリビングに入るとそこは外観からは想像がつかないほどモダンな作りにリフォームされている。ソファに座ってファッション雑誌を読んでいた紫生が顔を上げて「おかえり」といった。


「おう」

「やあ」

 桃李と怜が答えた。


「怜! うちにくるなんて去年の春以来じゃない?」

 紫生は雑誌をぱたんと閉じ声を弾ませた。


「それくらいになるかな」

「うん。海が戻ったら喜ぶわ」


 桃李はキッチンに入ると冷蔵庫から裏の双竜の滝から汲んできて常備してある水をコップに入れてがぶ飲みし、怜にも別のコップに水を注いで勧めた。水を飲むと二人の手や首筋にあった擦り傷がみるみる消えて行った。


「海は?」

 水を飲みながら、桃李が聞いた。


「まだみたい。もう小学校は終わってるからそろそろ帰ってくると思うんだけど。私もさっき帰ったところなの」

 海は紫生の弟で、小学二年生になったばかりである。


「そうか」

「ところで桃李。ホントに秘境クラブに入るの?」

「ああ。なんで?」

「だって……」紫生は少し渋い顔をした。

「なんだよ。不服そうだな。自分の婚約者が同じサークルに入るんだから、もっと喜べ」

「ほら。そういうこと絶対に言わないでよ。モモノフにでもバレたら大変なんだから」

「いうわけないだろ」


 紫生と海が一年以上前から桃沢家で暮らしているというのは、怜と巴萌以外は誰も知らない秘密である。幸い、鳩ノ巣は町から離れているし、同じ駅を使う学生もほとんどおらず、桃沢家の立地からしても紫生と桃李が同じ家に暮らしているということがバレる心配は、いまのところない。


 しかし、桃沢家の最大の秘密はもっとほかにある。

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