絶頂から始まる聖女の恋

神矢みか

第1話 突然の絶頂

 ──我が愛し子よ、其方の望みと、彼の者の死を賭した願いを叶える──


 そんな神の言葉が脳裏に響いた途端、一瞬で目の前の光景が切り替わった。夜更けに大神殿の奥庭の泉で沐浴をしていたはずが、気づくと甘い匂いの香が焚かれ贅を凝らした部屋の、紗の帳を降ろした寝台の上にいた。


『え……? 何……?』


 絹の敷布の上で男に組み敷かれている聖女シルヴィアは、何がどうなっているかの理解が及ぶ間もなく、繋がった裸身を激しく揺さぶられ、濁流のような快楽の渦に呑み込まれていった。


「んっ……あっ……!」


 まともに思考することもできずに、初めて知る強烈な快感に翻弄され、唇からは意図せずあられもない声が漏れる。


『まっ、待って……なに、これ……』


 無理やり高みへと押し上げられるような感覚に、悲鳴にも似た長く尾を引く声を上げて、身体が勝手に大きくのけぞったかと思うと一気に弛緩した。


 訳が分からぬまま息を荒げているのを、目を丸くしてじっと見下ろしていた男が、やがて遠慮がちに囁いた。


「……すまないが、もう少し付き合ってほしい」

『……何…を……?』


 声をかけられてぼうっと見上げると、紗の帳越しに届く燭台の火に照らされ、金髪の若い男の顔が見えた。薄明りの中で、白く整った顔がどこか苦しげに歪んでいる。


『誰……? わたくし、一体……』


 そう問いたかったが言葉にする前に再び激しく揺さぶられ、シルヴィアは慌ててその胸を押し返そうとしたが、全く手に力が入らない。


「……まっ、待って……ああっ……!」


 抗うこともできずに、また暴力的なほどに強い快楽に呑み込まれていく。


「……やぁっ……また変…になっ………だ…め……」


 必死に手をさまよわせ、無意識のうちに自分の上の男にしがみ付いた。すぐにまた昇り詰めたシルヴィアは、息を整える暇も与えられずに何度も達し、そのまま気を失った。




 ようやくにして意識を取り戻し、力なく開いたシルヴィアの目に、間近で自分を見ている男の顔が映る。

 身体に力が入らず、頭もぼうっとしていて何も考えられない。


「オリヴィア……」


 じっと見つめていた男の顔には嬉しげな笑みが浮かんでいる。


「初夜からずっと、毎夜、私に抱かれながらも、あれほど頑なに快楽に浸るのを拒んでいたのに──」


 そう言いながら、頬にそっと手を添えて唇を重ねてくる。その短いが優しい口付けで、シルヴィアははっと我に返った。


『……皇太子!?』


 思考がはっきりとして、ようやく共寝をしている相手が誰だかに気づいた。このエテルタニア帝国の皇太子アルフレードである。

 そのアルフレードが自分に向けて呼んだ名、それは一か月ほど前に元敵国クロイツェンから、和睦のためという名目で嫁いできた十七歳の王女の名だった。


『待って……じゃあ、わたくしは今……皇太子妃の身体に入っているってこと!?』


 訳が分からない。神の声を聞いたのは覚えている。望みを叶えてやると──


『の、望みって……わたくし、こんなこと望んでなんていませんが?』


 確かに、普通の女性としての人生を送りたかったと思うことはあった。割と頻繁に。

 それほど世俗と切り離された聖女の生活は窮屈で退屈だったから。


 生まれる前から聖女との神託を受け、誕生後すぐに神官たちによって親から引き離され、攫われるように大神殿へと連れて来られた。

 神殿の奥深くで世俗から隔離されて育てられてきたために、外の世界への憧れを抱いていたのは間違いない。


 普通の女性として恋をしたり結婚をしたり──この世で唯一の聖女である自分には、叶うはずのない儚い夢であり、憧れだった。

 それが自分には許されないことだということも重々承知していた。だから、望んだりまではしなかったはずだが──


『しかも、恋とか結婚を飛ばしちゃっていますよね、これ? 初夜ならまだしも、初夜から毎夜って仰ってましたもの……もう二十回以上も致しちゃってる間柄ってことではないですか!』


 つまるところ、自分は今、皇太子妃オリヴィアとなっているということである。単なる同調なのか、憑依しているのか、それとも魂が入れ替わっているのか。どういう状態にあるのかすらも分からない。

 そのことを、目の前の皇太子に気づかれて大丈夫なのかどうか、その判断すらも付かなかった。


「──今夜は、まるで別人のようだな」


 そんな言葉が息がかかるほどの間近で紡がれ、シルヴィアはぎくりとして身が強張るのを感じ、慌てて顔を逸らそうとした。

 だが、腕の中に抱き込まれてしまっていて、目を背けただけで顔を隠すことすらできない。


 正体を暴かれそうで怖くなったシルヴィアは、覗き込んでくる蒼い瞳から逃れようと必死になるあまり、皇太子の胸に額を押し付けていた。

 そんな態度が、よけいに皇太子を喜ばせているとも気づかずに。


「本当に、別人のようだ……。やっと、私の妃であることを受け入れてくれたと思っていいのだろうか」


 その声には安堵と共に、どこか罪悪感のような負い目を感じさせる響きがあった。ふと、皇太子妃の境遇を思い出す。


『そうだわ……オリヴィア妃は人質同然に身一つで嫁いできたはず……』


 大神殿の奥からほとんど出たこともなく、世俗から完全に隔絶させられていた身ではあるが、教団で把握している聖女の力とは別に、シルヴィアには誰にも知られていない力があった。

 鳥や動物たちや草木に感覚を同調することで、外の様子や人々の声を見聞きする。だから、その身は間違いなく清らかではあるものの、決して世情に疎いわけではない。


 そうして知った。大神殿を訪れる貴族たちの密やかな話や、庶民たちの口さがない噂話などから導き出された、王女オリヴィアがこの国に嫁いでくるに至った経緯を──




 オリヴィアの故国クロイツェン王国は、帝国とは北の国境を接する隣国である。大陸には数多の国々があるが有史以来、ほとんどの国が同じ神を崇めている。

 その神を祀る教団の総本山である大神殿が国内にあることも理由の一つだが、このエテルタニア帝国はいくつかの国を従えた強大な宗主国だった。


 国境を接する他の国は恭順しているが、北側のクロイツェンとはずっと折り合いが悪く、何かにつけて諍いを起こしていた。

 それなりの大国であって、ずっとエテルタニアとも国力は拮抗していたのだが、ここ十数年の間の政争やら度重なる内乱により、国力は下落の一途を辿っていた。


 もともと戦争の発端は、国境付近にある金鉱を狙ってのクロイツェンからの侵攻だったが、国内事情から継戦が危うくなり、決定的な敗戦となる前に和睦を申し入れて来るに至った。

 帝国としては単なる防衛戦に過ぎず、戦争による特需景気も十分に得られたこともあり、継続する意味もないために、表向き渋々といった体で受け入れることにしたのである。


 そういった理由から和睦といっても五分となるわけはなく、帝国は国境線を北に大きく押し上げた。事実上の勝ち戦である。

 それでも、あくまで和睦にこだわりたい王国は、未だ七歳の第二王女を皇太子の妃にと申し入れてきた。


 だが、帝国皇帝は相当な不快感を示して一蹴。いずれ王太子になると言われている唯一の王子の実妹とはいえ、実質は敗戦国の側妃腹の幼い王女が、戦勝国の皇后腹の二十一歳になる皇太子の妃に相応しいわけがない。

 王国が言い出した政略結婚話だったが、皇帝が皇太子や廷臣たちと話し合い、亡き王妃腹の第一王女オリヴィアであれば受け入れると申し入れた。

 第二王女を推していた側妃の派閥は抵抗したが、事実上の敗戦国には他に選択肢はなかった。


 王国では十数年前に王妃が早逝したことにより、側妃が大貴族の後ろ盾を得て王宮を支配していく中、オリヴィアの同母兄であり幼かった王子は病がちとなって夭逝。毒殺が囁かれはしたものの、結局はうやむやになってしまった。


 その後、国王もまた病がちとなって、既に王子を産んでいた側妃が権力を強めていき、幼いオリヴィアの身を護るため、乳母と忠臣たちが修道院へと逃がした。

 十歳になったオリヴィアは、王権すらも不可侵とされる教団の中に安住を求め、自ら志願して修道女となったのである。


 それから七年、神の敬虔な僕として俗世を捨てて生きてきたオリヴィアは、敵の侵略を受けて、国民が蹂躙されても構わないのかとの大貴族たちの脅しや泣き落としに屈し、ついには還俗させられて帝国に嫁すことになった。


 王女の嫁入りに際し、侍女や侍従と称して敵国の間者が皇宮に入り込む危険を嫌った帝国は、花嫁の引き渡しの場となる国境の砦に大勢の迎えを送り込んだ。

 慣習と称して王国のものは持ち物、衣装、ビン留め一つに至るまで全て帝国のものに替えさせ、王国人は一人残らず入国させずに送り返させたが、王国側は文句を言える立場にはなかった。


 王女オリヴィアは身一つで、たった一人、皇都に連れて来られたのである。だが、そんな事情にも関わらず、嫁入りの行列は贅を凝らした華やかなものだった。

 帝国製の最上級のドレスに装飾品、帝国が用意した皇帝並みの立派な馬車に最上級の嫁入り道具、傅く侍従や侍女も全て帝国人ではあったが。

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