第22話 7月25日 諫早万灯川まつり です
本日7月25日は、毎年開催される「諌早万灯川まつり」の日なのです。びーる男爺さんがこの世に生を受けた翌年(67年前)に発生し、数百人の犠牲者と多数の重症者や家屋損壊など甚大な被害をもたらした”諫早大水害”の鎮魂を目的とした花火大会が、夜8時のサイレンとともに毎年開催されています。
全国津々浦々で、夏休みに入ってからの花火大会は開催されていると思いますが、災害の犠牲者を弔いその見舞われた災害の教訓を忘れないための大規模な花火大会は、そう多くはないのではと思います。
1957年、当日の大雨(集中豪雨)にて諌早市中心部を有明海へと流れる”本明川”に想定以上の濁流が流れ込み、元凶となってしまった「諌早の眼鏡橋」が強固であったがために崩れることなくガレキを堰き止めてしまい、大勢の市民が暮らす中心市街に溢れさせてしまったのです。もし橋が壊れていたとしたら、被害ははるかに少なかったと推定されています。
その諌早の眼鏡橋は、歴史的な石積みの橋として万灯川まつりが開催される本明川のすぐそばの諌早公園に移築され、里帰りしたミニチュアの眼鏡橋と親子のように鎮座しており、観光の名所として、またお土産のパッケージなどにも使われています。
ちなみに、今朝の長崎新聞に掲載されていたこの大水害事故の記事に目を通して、初めて気付かされて驚いたことがありました。それは、びーる男爺さんが記憶している殆どが本明川の氾濫に伴う家屋の損壊や犠牲者の事だったのですが、その記事では本明川からは遠く離れた山あいの部落の豪雨による山津波(土石流?)の記事だったのです。
当時諌早高校の弓道部に所属していた前田フミ子(旧姓)さんは、前日の24日にお隣の佐賀県で開催された全九州高校体育大会に出場して団体優勝を勝ち取っての帰りに大雨のため列車が止まり、全員が途中で家に帰ることできなくなってしまったのです。そして翌25日も大雨のため、列車は動かず歩いて家に向かっていながら諌早の被害が大変な事になっていることに気づきだしました。
地元に帰ると残念なことに、前日、「雨が心配やけどみんなと一緒に頑張って来てね・・」と送ってくれた両親を含め、県外にいた長女を除き自宅で一緒に暮らしていた家族8人が亡くなってしまったのを目のあたりにされたのです。自宅の裏山が以前に崩れたことがあったので、家族全員で避難所に逃げていたにもかかわらず残念ながら大災害に見舞われたとの事でした。
何とも信じがたい記事で、土葬されたばっかりの八つの墓の前でしゃがみこんで泣いてるフミ子さんと、数名の麦わら帽子を片手に持った男性たちの下半身だけが写ってる色あせた白黒写真が掲載されていました。
長崎はつい先日梅雨が明けましたが、暑くなるとともにいつもの台風のシーズンがやってきます。近年、線状降水帯による集中豪雨により、あちこちで災害が発生しており、現に本日もテレビやSNSなどによると、東北地方で大きな災害が起きだしているようです。被災程度が軽く、犠牲者がいないことをせつに祈っています。
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