蒼のサンクチュアリ

由上春戸

1-1

 世界は暗黒に満ちている。

 自動販売機の下、電柱の陰、交差点の真ん中、人々の笑顔の裏側。

 世界中のそこかしこに暗黒は転がっている。隙あらば音もなく忍び寄り、背後からそっと肩を叩くのだ。


 世界は暗黒に満ちている。

 僕は途方もない絶望の中、巨大な圧力に責められ続けるのだ。

 綿毛が強風で飛ばされるように、川底の石が急流で削られるように、大蛇に呑まれた鼠がじわじわとその身を溶かされるように。


 世界は暗黒に満ちている。

 理由も目的もなく、ただそこにあるだけ。

 世界も、暗黒も、僕自身も。


 ☆


 朝の真新しい日差しを背に、揃いの学生服を着た若者たちが校舎へと呑み込まれていく。

 冬の冷たい朝。伏し目がちに歩くその様は、さながら冥府へと向かう亡者の行進。

 誰もが絶望を身にまとい、吐息は魂の残滓を孕んで白く濁る。

 僕は廊下の窓からその光景を眺め、小さくため息を吐いた。ここは中学校という名の監獄。校則と偏差値に拘束された囚人たちが、互いに貶め合う相互監視社会なのだ。

 周囲に田畑が広がる田舎の安閑に反し、この空間の殺伐とした感じにはいつも辟易としてしまう。

 すぐ後ろには、自身に割り当てられた一年四組の教室がある。

 僕にはここで授業を受け、級友と語らい、自己の向上に勤しむ権利と義務がある。

 だけど、いつもこの場所を前にすると足が竦んでしまう。できることならすぐにでも逃げ出したい。

 授業が憂鬱だとか、面倒くさいとか、そんな理由ではない。自分に居場所が無いのだ。確かに学校内で自分の籍はこの教室にある。でも、そんなものは書類上の話に過ぎない。

「お、おはよう……」

 散々逡巡した後、意を決して教室へと入る。

 周囲の雑音に紛れるように小さく発した挨拶には、もちろん誰からの返事もない。路上に転がる猫の死骸のように、あるいは駅前に座り込むホームレスのように、僕の存在は皆の意識の外に追いやられた。

 もう、随分前からそうだ。誰も会話などしてくれないし、顔すら見ようとしない。皆が僕のことを蔑み、疎ましく思い、いつしかそれが当然のことになってしまった。

 いったい、いつからだろう? 学校がつまらなくなったのは。

 自分の席に辿り着いて、ひとり考える。

 いったい、いつからだろう? 集団のコミュニティから疎外されるようになったのは。

 机の上には、当たり前のように菊の花の活けられた花瓶が置かれている。

 イジメ。そう呼ぶにはあまりに唐突に、あまりに理不尽にそれは訪れた。

 理由なんて無かったのかもしれない。ただ単に、自分がそこにいただけ。他の誰でも構わなかったように思う。今となっては知るすべもないが。

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