第十四話 散りゆかむかも
あしひきの 山の
この
(あしひきの)山間を照らすように咲く桜の花。
この春雨に散り去ってしまうんだな……。
万葉集 作者不詳
* * *
九月になった。
暑さが和らぎ、過ごしやすくなる。
(あ、右の子、かわいい。もっと体型がふくよかなら、言うことないんだけどなー。)
ちらちら、とオレは女二人を観察してしまうが、女二人は、こっちを見ようともしない。
ところが、
医務室でお世話してくれた女官なんて、クシャミして米菓子の粒が飛んだら、
「汚いっ! ばかっ!」
となじってくる始末だ。
名前がないとさ、こうなんだよ……。
オレは知れて良かったよ……。
すれ違った時、女官たちの噂話が耳に入る。
「そう、それに優しそうな顔してるわよ。」
「優しいのかしら……?」
「そりゃあ、佐久良売さまの心を掴むくらいなんだから……。」
「そうよね、
(は〜、真比登のことか。良いなぁ。)
いや、何も思うまい。真比登と佐久良売さまはお似合いだ。
そう、それ以上は思ってはいけない。
嫉妬してもさ。
オレは昔のオレに逆戻りするだけだし。
真比登と争って、佐久良売さまをどうこうしようとか、思えねぇよ。
前はさ、真比登が佐久良売さまと薬草園で楽しそうに話してるのを見て、面白くなくて、
「いい目見やがって。くそぅ。」
と真比登に言った事もあったけど、二人が婚姻した今では、
───幸せになれよ。
もう、その言葉しかない。
そりゃあ、真比登が佐久良売さまと縁談……しかも、
すぐに救出されたが、恐ろしい思いをしたろう。
その心を慰めたくて、オレは早朝起き出して、百合を摘んで花束にした。
……でも、まだ、自分で渡しに行く勇気がなくて。
(今、佐久良売さまと会ったら、オレは佐久良売さまの目にどんな風に映るだろう?
やっぱり、会って数秒で、オレの浅はかさ、とるに足らなさを見抜かれてしまうのだろうか。)
そうやって、佐久良売さまに会う事を怯えて、オレは休みの日だった源に、花束を託したんだ。
源は何も言わずオレから花束を受取り───、とはならず、ニカッと笑って、
「佐久良売さまを恋うてるの?」
と訊いてきやがった。
「……違う。ただ、心配してるんだ。」
オレはそうとしか言えなかった。
たしかにその頃のオレは、非番の日、医務室を押し出し
綺麗な佐久良売さまの顔が見たくて。
でも、これは恋じゃない。
オレはもっと、オレの存在に関わる、深淵なる悩みを抱き、
それを上手く言葉にできなかった。
「ふうん?」
源は、そう言って笑うだけだった。
(佐久良売さまが、この花束を持って、笑顔になってくれれば───。
その瞬間だけでも見たい。)
そう思って、物陰からこっそり、医務室をうかがった。
コソコソした真比登と出くわして、あの時は本当にびっくりしたなぁ……。
そのあと、伯団に遅れて顔をだして、
オレがやっと、佐久良売さまに会いに行く気になったのは……、佐久良売さまがいきなり伯団戍所に来て、真比登が、名前を源と偽っていたとばれた夜のあとだ。
あの時、佐久良売さまは、オレのすぐ前を通った。
佐久良売さまは、オレの顔を見たはずだ。
でも、ものの見事に無視された。
声を出すわけでもなく。
驚くわけでもなく。
オレの事がわからなかった?
それとも、オレの事がわかって、それでも無視をした?
佐久良売さまにとって、オレは、そんなものか。
そう思うと、いてもたってもいられず、翌日はちょうど、オレの休みの日だったので、とうとう、佐久良売さまに会いにいったんだ。
佐久良売さまは、源に偽りの縁談をされたと知った時の怒りが凄まじく、見てるだけで、ちびるかと思った。
本当に怖かった。
でも、その恐ろしい顔の裏で、深く傷ついていたんだ。
翌日、道を歩く佐久良売さまを見つけた時、それがわかった。
彼女は、泣きながら、歩いていた。
悲しみにうちひしがれ、足取りはゆっくりで、今まで見たことがないくらい、弱々しい姿だった。
何を考えていたのか、自分で自分の、涙に濡れた頬を叩きはじめた。
(そんなに、自分で自分の頬を叩いてはいけない。見てられない。)
だから、オレはその腕をつかんで、頬を叩くのをやめさせた。
佐久良売さまとの話し合いは、不思議なほど穏やかで。
オレは、今まで、ずっとオレを苦しめていた、胸の重しみたいなものを、取り去る事ができた。
佐久良売さまは、オレの浅はかさを看破して、縁談の初めからオレに冷たかったのではなかった。
オレとの縁談の席についたくせに、佐久良売さまは、はじめから誰とも婚姻するつもりはなかったんだ。
それは、彼女の心のあり方の問題で……。
(でもさ、男に恋ができない、なんてさ。
それ、本当かな?
今の佐久良売さまを見てると、ちぐはぐな気がする。)
その疑問は、その後、地面に投げ出された真比登にすがって大泣きする佐久良売さまを見て、確信に変わった。
そこには、いつも冷静な豪族の娘の姿なんて、これっぽっちもなかった。
(あなた、真比登に恋してるよ。
恋した男に裏切られたから、そんなに傷ついて泣いて、恋した男が死にそうだから、そんなに取り乱して泣いてるんだよ。
男に恋ができないなんて、本人の思い込みで、人から見たら、もう立派に、恋してるよ。)
佐久良売さまは、オレと一緒に走りながらも、オレがおぶった真比登を悲しそうな、死なないでほしいと願う顔で、ずっと見つめていた。その顔を見ていたら、
(それって、恋する男を見る顔だよ。
──教えてやりたいな。)
どうしても言いたくなった。
「
きっと、言って良かったんだ。
こう伝えたあと、佐久良売さまは落ち着いたから。
真比登を医務室に送り届けたあと、佐久良売さまに手を握られて、
「感謝します。嶋成さま。ありがとうございます、ありがとう……。」
と言われた。
嬉しかった。
そして、これで良かったんだなぁ……、という言葉が、胸に自然と浮かんだ。
これで良かった。
オレはここに来て、良かった。
オレは、先に進む事ができる。
そう、実感したんだ。
あれは幸せな瞬間だった。
↓挿し絵です。
https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093075700062521
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