6-13

 近江さんに病院へ運んでもらってからは、それは結構大変だった。


 和泉さんは腕こそ深手を負っていたものの、比較的軽症だったから「転んで運悪く木の枝に引っかけた」と誤魔化した。……問題は僕と広だ。僕はスズメバチのせいで体中腫れているけど時期的に早すぎるし、広に至っては腹部に刺し傷がある。

 幸い毒はほとんど浄化されていて、広の傷も事後よりかはマシになっていた。恐らくこれは、和泉さんがヴァイオリンを弾いてくれたことで、僕たちの治癒能力促進作用が働いたためと思われる。とはいえ、どうにか理由を考えないと、傷害事件にされてしまう。


 それで結局、親戚の人として付き添ってくれた近江さんが――


「悪いな、先生。コイツらハリボテの剣でチャンバラごっこしてて、イトコからボコボコにされた和矢コイツがカッとなって刺しちまったんだ。いい歳こいて馬鹿か、って後でキツーく叱っとくからさ、今回は大目に見てくれよ。……な?」


 ――という無茶な嘘で押し通したのだ。

 そんな言い訳が通じるのかと思ったけど、何故かお医者さんは納得してしまった。多分、最後の〝な?〟に含まれた近江さんの圧が効いたんだと思う。僕も「そんなことしないよ!」なんて、怖くてとても言えなかったし。


 もう1つ大変だったのは、日向さんと安芸さんが病院に駆けつけた時だ。道路が流れるや否やそれぞれタクシーを飛ばしたらしく、すごい剣幕で現れたから殺されるかと思って肝を冷やした。

 二人とも口では〝皆〟を心配してと言っていたけれど、本当に心配していたのは和泉さんの安否なのだ。僕たちの最大の使命は彼女を守ることであり、それについて異論はない。


 ただ、日向さんと安芸さんの二人はそれだけじゃないことも、なんとなく分かっている。僕が首を突っ込むことではないから、口にはしないけどね。



 そんなこんなで、病室にクラシックを流していたこともあり、お医者さんが「有り得ない」と驚愕するほどの回復を見せた僕と広は1日の入院で済み、無事に予定どおりの帰宅の日を迎えた。


「和矢くーん、広くーん!」

「和泉さん! それに皆さんも、来てくれたんですね」


 僕たちのお見送りに、和泉さんたちが駅まで足を運んでくれた。

 来る時と同様、保護者役として大人の姿をしているソプラ・テナーに荷物を持たせ、僕と広の手には大量の大阪土産が握られている。どれもこれも和泉さんのオススメだ。


「本当に色々と、お世話になりました。これからもよろしくお願いします」

「こちらこそだよ、また連絡させてもらうね」


 安芸さんの言葉に、僕は力強く了解の返事をした。僕たちはここで一旦彼らとお別れだけれど、今後はブリッランテの一員として連絡を取り合い、メストの殲滅に向けて尽力することになるのだ。

 だから決して今生の別れではないのに、ただ一人……広君だけは浮かない顔をしていた。


「ひーろ、そんな顔してサヨナラしないよ。また会えるんだからさ」

「……だって、最後に演奏できなかったのだ」


 そう言われて僕と和泉さんは息を飲んだ。確かにメストに襲撃される前、和泉さんは『岩手へ帰る前にもう一度演奏しよう』と言ってくれていた。いわずもがな諸々の事情でそれは叶わなかったから、広は拗ねているようだ。


 なんだ。僕も共演を楽しみにしていたけど、広もちゃんと心待ちにしていたんじゃないか。

 皮肉にもメストとの戦いで広は和泉さんに心を開き、すっかり懐いてしまった。ほんの数日前まであんなに避けていたのが嘘みたい。


 対する和泉さんも頬を緩ませていて、嬉しそうに広の言葉を噛みしめていた。

 分かります、和泉さん。広ってこうゆう可愛いところが憎めないですよね。


 和泉さんは広と目線を合わせるようにしゃがむと、彼の顔を覗き込んだ。


「広君、次に会った時はもっとたくさん演奏しよう。それまでに私、打楽器とセッションできる曲、いっぱい練習しておくから」

「……本当なのだ?」


 確認するように広が問い返すと、和泉さんは柔らかい笑みで頷き、右手の小指を立てて彼の前に突き出した。広は一気に表情を明るくさせて、彼女の指に自分のそれを重ねる。


「もちろん、和矢君のピアノも一緒にね」

「はい、是非!」

「ズルいな、僕たちも入れてよ和泉」


 すかさず安芸さんがツッコむと、僕たちは笑い声を上げた。


 あぁ、楽しいな。僕だって本当は帰りたくないよ。岩手に帰れば、またがやってくる。広の心の底にもきっと同じ思いがあるだろう。明日からは否が応にも現実に引き戻されるのだから。

 するとその時、僕たちの様子を見ていた日向さんが咳払いをして口を挟んできた。


「おい、和泉。、ちゃんと持ってきたんだろうな。もう時間がねぇぞ、渡すの忘れんなよ」

「そうだった! 大丈夫、ちゃんと用意してあるよ」


 日向さんに言われて和泉さんは、腕に下げていた手提げ袋から細長い何かを取り出した。それを僕と広で1本ずつ受け取りよく見ると、和泉さんの封印の矢を少し小さくしたものだった。……そうか、これは。


「ダル・セーニョ……、転移術のための矢ですね」

「そう、流石よく知ってるね」


 『dal segnoダル・セーニョ』、演奏記号で〝譜面の指定の目印(セーニョ)まで戻れ〟という意味だ。それに由来してこの術は、和泉さんが集合の呪文を掛けた時、どこからでも一瞬で目印である彼女の場所に転移できるというもの。それには和泉さんと繋がっている証として、彼女のこの矢が必要なのである。

 万一に備えて、と日向さんたちが助言してくれたことは違いない。でも和泉さんが付け足した言葉で、別の役割が加わった。


「遠くても、この矢でいつも繋がってるからね。和矢君、広君」


 いつも、繋がっている――。

 これまで単独で必死に戦ってきた僕らには、どれほどこの言葉が響いたことか。共に戦ってくれる人がいるというのは、こんなにも心強いのか。


 僕と広は打ち震え、その矢を大切に胸に抱えた。


「気をつけてね、二人とも」

「はい! ありがとうございます、皆さん」

「ありがとうなのだっ」


 改めて皆と固い握手を交わし、僕たちはソプラ・テナーと共に改札の中へ入っていく。そして一度振り返り、満面の笑みで大きく手を振った。


 また会う日まで、強くあると心に誓って。

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