6-7
ワイヤに触れた蜂の体は一見すると何も変化がないように見えたが、刹那に体が真っ二つになって地に落ちた。
〝
「和泉さんッ、メストです!」
「……ッ!」
僕の言葉に和泉さんが目を大きく見開くと同時に、どこからともなく大音量の羽音と共にスズメバチの大群が僕たちの前に飛来した。周囲の人は皆、獰猛な蜂の出現に悲鳴を上げて逃げ惑っている。
駅前がパニックに陥る最中、ソプラとテナーは自ら秋田犬の姿に戻り、僕らを守るように蜂たちに襲いかかった。また僕も更に今度は両手の全指先からさっきと同じワイヤを放ち、和泉さんの周りに集る蜂を一掃した。
すると蜂たちは一斉に一カ所へ集結し、人のような形を作り上げた。
ソプラとテナーが威嚇するように、それを見上げて唸る。
「……厄介ね、
耳障りな羽音に入り交じって中から聞こえたのは、意外にも幼い少女の声だった。集まった蜂たちが再び瞬く間に分散すると、そこには声色から想像するに相応しい大人しそうな女の子が佇んでいた。
見た目は広より少し年上の小学5・6年生といったところか。黒と金の髪を結ってお団子にしたスタイルは、まるで蜂の腹部を模しているよう。目はどこか虚ろでヤル気がなさそうな印象だが、彼女の右二の腕に刻まれたマークから、決して侮ってはいけない相手だと悟る。
五角形の中に〝角〟の文字――五音衆の一人、角だ。
「
角を挟んだ反対側で和泉さんが弓を構えた。安芸さんの話だと封印の矢は問題なく扱えるとのことだけど、容易にこの相手がそれを許してくれるはずもない。角は即座に和泉さんを警戒し、彼女の周りを蜂たちで包囲した。
「くっ……!」
「自己紹介の必要は、ないみたいね。言っておくけど、私は羽のようには、いかないから……」
独特な間で角がそう告げると、さきほどよりも多くの蜂を操り猛攻を開始した。
指先一本ずつでのワイヤでは間に合わない。僕は指先に全神経を集中させる。
もっと多く、もっと複雑に――。
「
放った技は23種類全ての番手をランダムに入り混ぜ、まるで暴れ馬のごとく縦横無尽に乱れ打つものだ。細いワイヤは蜂を切り裂き、太いワイヤは叩き潰す。更に力を込めて引けば、蜂たちの胴回りを輪状のワイヤが囲んで狭まり、そのまま胴と頭を分断。多くの蜂が藻屑となった。
普段ならスズメバチであろうと無駄な殺生は好まないけれど、メストが相手なら容赦はしない。もちろん味方である和泉さんや広、応戦するソプラとテナーは外すように仕込んでいる。
この混沌とする交戦の中でも、僕は角の動向警戒を欠かしていなかった。彼女も攻撃の手を緩めまいと次々と新たな蜂を生み出しているが、僕のワイヤが横切るたびに体のラインに揺らぎが見えるのだ。それはまるで飛行している蜂の
もしかしてあれは、虚像なのではないか。
ならば彼女はどこから蜂を操っている? それを叩かなければ、この攻防は永遠に終わらない。おおかた僕たちが疲弊したところを狙う魂胆だろう。
「広、あれは恐らく幻影だ。テナーを借してくれ、本体を探してくる」
「そうなのだ? それなら僕も一緒に行くのだ」
「ダメだ、広はここでソプラと共に和泉さんを守るんだ」
僕の言葉に広の瞳が揺れた。それは一人で残される不安からか、それとも和泉さんへの拭いきれない抵抗心か。
それでも広、君は誇り高きブリッランテの一人だ。僕たちには命に替えてでも彼女を守る使命がある。それに君はもう気づいているはずだろう?
記憶がなくとも、お人柄が違っても、あの人は間違いなく僕たちが求めていた方なんだって。
「頼んだよ、広」
「っ、和矢……!」
僕はワイヤの攻撃を引かせるとテナーに目配せをし、広の静止を振り切って駅の外へ走り出した。テナーが虎毛を靡かせて後ろからきちんと追ってきているのを確認した後、広いロータリーを抜けたところで僕は仰天した。逃げたと思った街の人々が、道路の至る所で倒れているのだ。
慌てて一番近くの人に駆け寄ってみると、どうやらただ眠らされているだけのようだった。どうりで街が急に静かになったわけだ。これも恐らくあの角の仕業だろう。
「テナー、蜂の匂いを追ってくれ」
ひと吠えして答えたテナーは早速鼻を利かせて、今度は僕の前を駆け出し始めた。テナーの嗅覚は警察犬並に優れており、どんな匂いも嗅ぎわけることができるのだ。
車の通行もなくなり人の気配を一切感じない街中は、僕以外皆消えてしまったように静寂に包まれている。普段は聞こえないビルの間を吹き抜ける風の音や、それに揺らされる街路樹の葉が擦れる音、けたたましい鳥の鳴き声などが響くのみだ。
次第に住宅地の方へと入り込んでいく。匂いが強くなったのかテナーの足取りが速まった。太陽が沈み始め、視界が悪くなるこの時間に奴らがいつも現れるのは策略なのか、それとも他に何か理由があるのか。
兎に角、暗くなる前に決着をつけたい。
日向さんたちが不在の今、僕が頑張らなくては。
それから2、3分ほど住宅地を駆け回った頃、テナーが一件の古い倉庫に向かって鳴き声を上げた。ついに角の居場所を特定したようだ。
罠が仕掛けられている可能性を念頭に置きつつ、意を決して従業員用の扉に手をかけると、当たり前のように鍵が開いていた。錆びの臭いと甲高く軋む音に鼻と耳を刺激されながら足を踏み入れる。内部は西日によってオレンジ色に彩られて薄暗い。
資材倉庫らしきそこはテニスコート2面分ほどの広さがあり、畳くらいのサイズに加工された木板が、僕の身長より高くパレットに積まれ所狭しと並んでいた。香りからして杉だろう。見上げれば6メートルくらい先の天井に設置された吊り下げ式クレーンが目に入る。
慎重に奥へ進もうとした時、扉が勢いよく閉められた。
そしてパレットの間を縫って何かが蠢く気配を感じ、警戒心を強める。
「……テナー」
呼びかけた相棒は、耳を真っ直ぐに立てて僕を見つめた。
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