2-4

〝誰しもが最初から完璧な人なんていない、努力の積み重ねの結果さ〟


 荒井君のこの言葉に私は強く胸を打たれたと同時に、自分の発言を恥じた。

 彼の言うとおりだ。皆、日々の厳しい練習を重ねて腕を磨いているのだ。才能も理由の1つとしてあるのかもしれないけど、きっと荒井君や高杉君だって血の滲むような努力をしてきたはずだ。


 勿論、私だって。


「ごめん、軽率だった」

「あ、いや、そうゆうつもりじゃ……ま、僕は生まれ持った逸材だけどね~」


 フフンと得意げに鼻を鳴らす荒井君の戯けた姿に、罪悪感を感じていた私は思わず笑ってしまった。やっぱりクラリネットの音みたいに優しい人だな、荒井君って。

 彼ならあの話、真剣に聞いてくれるかな……? 今ならまだ誰もいないし。


「あの、荒井君。聞きたいことあるんだけど」


 私は意を決して荒井君にそう切り出した。

 すると彼はパッチリとした大きな目を私に向けて首を傾けた。


「ん、何?」

「荒井君は、音のズレを感じること……ある?」


 それは今、私が抱えている悩み『音のズレ』のこと。これは楽団の他の人が奏でる楽器の音に限らず、日常生活でも発せられる音にも感じている。学校のチャイム、コンビニの入店音、電車の発車の音……他にも街で溢れる音全部の『D3』が微妙に低いのだ。私と荒井君、高杉君の音を除いて。

 私は全てを打ち明けると、荒井君は考え込むように腕を組み、眉間に皺を寄せて唸ってしまった。


「僕も絶対音感はあるけど、気にしたことないな。D3もいつもどおりに聞こえるし」

「そっか、じゃあやっぱり私が――」

「いや、和泉には他の人より何倍も正確な絶対的音感があるんだと思う。それが君に授けられた特別な能力なんだとしたら……朝はやめておこうと思ってたんだけど、少しだけ昨日の続きを話していいかい?」


 荒井君はチラと周りを気にする様子を見せ、最後は控えめな声でそう言った。どうやら彼は私がまだ混乱していると思って、昨日の話の続きをすぐにはしないようにしてくれていたみたいだ。でも荒井君の口調からして、私のこの悩みが何か関係しているのだろう。

 時刻は九時、集合時間までには一時間ある。大体皆、三十分前くらいに来てウォーミングアップを始めるから、少なくとも十分から十五分くらいは余裕がありそうだ。


「大丈夫、お願い」

「分かった。じゃあまずはメストについてから」


 『Mestoメスト』――それは私たちブリッランテと敵対している暗黒軍のことだ、と荒井君は言った。


 結成当初のブリッランテは町のトラブルを解決したり、犯罪者などを捕まえる警察のような働きをしていたのだけれど、突如として暗黒軍を名乗る集団が出現し始めた。この集団は人の心の闇に取り憑く能力を持っていて、人間を操り犯罪行動を起こさせていた。

 でも幸い、その闇は守護楽団の音楽によって浄化することができた。当然、暗黒軍は彼らの奏でる音楽を妨害しようとし、ついに守護楽団と奴らは敵対する関係に発展する。


 ちなみに、この集団に『Mestoメスト』という呼称をつけたのはブリッランテだという。これも音楽で『悲しげに』という意味の曲調指示用語だ。


「メストの長の名は黒使こくしといって、奴はとにかく強かった。最終的にブリッランテは黒使を倒すことに成功したけど、彼らは後世の時代に奴は復活する可能性があると考えたんだ。でも奴が復活を果たすまでには、百年以上の歳月がかかるだろうと思われた」


 流石にブリッランテの誰もがそんな永きに渡って生きることはできない。だから彼らは『転生』という方法を思いついたのだ。後世の自分たちが意志を受け継ぎ、再び黒使を倒すことを信じて。あまりに壮大な計画だ。


「でもメストだって馬鹿じゃない。奴らの勢力は以前よりも断然落ちているから、僕たちと直接の戦闘は極力避けたいだろう。だから今世ではある方法を思いついた」

「ある方法……?」


 私が聞き返すと、荒井君は自身のクラリネットを眺めて、少し悲しそうに答えた。


「この世から『音楽』そのものを奪うことだ。音楽そのものがなくなれば、誰も奏でることはできなくなるからね」


 『音楽』をこの世から奪う。

 それがブリッランテの敵、メストの狙い。


 その話に私は言葉を失うほど驚愕した。音楽は私の人生と常に共にあった存在だもの、それがなくなるなんて絶対に嫌だ。そして私がブリッランテの生まれ変わりだというのなら、音楽家としてもブリッランテとしてもメストの暗躍を許すわけにはいかない。

 そんな私の気持ちを悟るように、荒井君は再び真剣な表情で話を続けた。


「メストを倒す方法はふたつある。ひとつが致命傷を与えること。昨日日向が倒したのは奴らが従える『闇犬やみいぬ』という下僕で、その程度の雑魚なら致命傷でいい。もうひとつは和泉が放つ矢で〝封印〟することだ。特にメストの上位クラスは封印でしか倒すことはできない」

「そうなんだ……だから昨日、高杉君は〝お前がいないと先に進まない〟って言ったのね」


 私は自分が持っているヴァイオリンを見つめる。昨日このヴァイオリンは〝変化ヴァリエ〟の発言で古びた弓矢に姿を変えた。まだ自分に特別な使命が課されているなんて信じられないけど、あの変化も荒井君が話すことも全て現実なのだ。


「まだメストがどうやって音楽を奪おうとしているのかは調査中なんだ、これは今世で奴らが始めたことだから。でも和泉が話してくれたD3のズレは、きっと何か関係しているんじゃないかと思う。だからやっぱり僕らには和泉の力が必要なんだ」


 そして荒井君はクラリネットを膝の上へ寝かせると、私の前に右手を差し出した。


「和泉、一緒に戦ってくれないか。君のことは僕らが……いや、僕が必ず守るから」


 真っ直ぐな大きい瞳に囚われ、鼓動のテンポが徐々に上がるのを感じた。まだとても怖いけど、彼のこの真摯な願いを断ることなんてできない。

 ……否、断るわけにはいかない。私の大切な音楽と、大切な人を守るために――。


「分かった、これからよろしくね。荒井君」


 私は荒井君の手を強く握ると、彼は安堵して嬉しそうに微笑んだ。

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