1-3
「……ちっ。臭いを嗅ぎつけられたか」
舌打ちをする高杉君は、牙剥き出しの獰猛な黒犬の集団を見渡してそう呟いた。一方私はただでさえピンチな状況で頭がいっぱいなのに、事の展開に理解が追いついていなかった。
「丁度良い、お前にコイツらを倒してもらおう。でなければ死ぬだけだぜ」
「えっ、え……えぇええ!?」
ほくそ笑む高杉君を見上げて私は思わず悲鳴を上げた。あろうことか彼はこの犬たちを倒せと言うのだ、そんなことできるわけがないのに。というか、このままじゃ自分だって危ないんじゃないの?
私は高杉君と周りを交互に注視しながら、手に持っていたヴァイオリンケースをぎゅっと抱き抱えた。腕は開放されたけど、どうしてこの状況で彼はそんなに冷静なのか理解に苦しむ。冷静というよりむしろ冷酷とすら思えた。
「ま、待ってよ。倒せなんて、どうしろっていうのよ!」
「まだしらばっくれる気かよ……持ってるだろうが
武器って、もしかしてこのヴァイオリンのこと?
この人ヴァイオリンを振り回して戦えっていうの!?
冗談じゃない、これは私が命の次に大切にしている宝物だ。ストラディヴァリウスのような高級品ではないけれど、それなりに価格のするものであり、大事に大事に使ってきた相棒なのだ。
仮にも高杉君だって同じ音楽家なのに、そんなこと言うなんて……。
「あなた、頭どうかしてる!」
「はいはい。文句は後で聞くから、さっさと
「だから違うってば!!」
そんな口論をしている間にも、黒犬たちはジリジリと距離を詰め寄ってきていた。涙目になって睨んだところで、高杉君は視線を外して見向きもしてくれない。この人、絶対に鬼だ!
私は震える手を押さえて勇気を振り絞り、一歩前へ踏み出すと「シッシッ」と手を振って犬たちを追い払おうとした。でも当然、そんなのが効果あるはずもなく、犬たちは鼻で笑っているような気さえする。
本当にヴァイオリンで戦うしかないのだろうか。いや、そんなこと絶対にできない。背後の高杉君を再度チラと見ると、一応犬たちを警戒しているようには見えたけど、何かしようとする素振りはない。
犬たちとの距離は1メートルを切っていた。あんな牙に噛まれたら、タダじゃ済まないのは目に見えている。
私は恐怖のあまりついに動けなくなってしまった。
「おい、ふざけるのもいい加減にしろよ。早く武器を出せ、和泉!」
「もうっ、ふざけてないって……ッ!」
後ろの高杉君の言葉に抗議して叫んだ瞬間、その隙をついて一匹の犬が襲いかかってきた。咄嗟に避けたけれど左腕を鋭い爪で引っ掻かれて、私は尻餅をついたと同時に楽器ケースを落としてしまった。
〝タスケテ〟と私は血が滲む腕を押さえながら、後方の高杉君に必死に目で訴えた。すると彼は小さく舌打ちをして、何故か担いでいたケースを開いてチェロを取り出したのだ。
嘘でしょ、まさかチェロで戦うつもり?
私にヴァイオリンで戦えっていったの、本気だったってこと!?
私は目を疑ったものの、彼は取り出したチェロを振り回すわけでもなく、前に突き出してこう叫んだ。
「
その瞬間。
チェロが光に包まれて、1本のロングソードに姿を変えた。
え……、えぇえええええッ!?
呆然と驚いている私を差し置いて、高杉君は手にした剣を構えて犬たちへ果敢に斬りかかっていった。まるでチェロと弾いていた時のように悠然と、それでいて目を見張るようなスピードでどんどん倒していく。討った犬は黒い煙となって消えた。
もしや夢でも見ているのではと思ったけど、犬に引っ掻かれた腕がそうではないと訴えていた。
そうしている間に高杉君は最後の一匹に剣を振り下ろすと、犬はゆっくりとその身を横たわらせた後に霧散した。早い、あっという間にあの犬たちを一掃してしまっている。剣の扱いに慣れているとしか思えない。
すると彼は剣を一振りして犬たちの血を払い、腰を抜かして動けずにいる私を振り返り、ものすごい形相で近づいてきた。
「お前、本っ当に何も分かんねぇのか」
「だから最初からそう言ってるじゃないっ! 今の犬たちは何なの、あなたは一体……」
そう言い返すと彼は頭を抱えて大きな溜め息を吐き、私の目線に合わせてしゃがんだ。
「1回しか言わねぇから、よーく聞け? あとこれは冗談でもねぇ」
「う、うん」
ピン! と勢いよく突き出された人差し指に私は素直に頷いた。今の彼に逆らったら、あの剣で殺されそうだし。
「奴らは暗黒軍
暗黒軍……、国守護楽団……。初めて聞く単語の連続に既に頭はオーバーヒート寸前だ。それに構うことなく高杉君はこう続けた。
「お前は、ブリッランテの総長であり
〝冗談でもない〟と最初に宣言したとおり、彼はふざけている様子もなく、至って真剣な眼差しで私を見つめていた。
何だろう、私はこの人と初対面なはずなのに、この眼差しを知っている気がする……遠い、遠い昔に。
すると急に緊張の糸が解けた私は、気が抜けて意識が遠退いていくように感じた。
「おっ、おい和泉! お――」
必死に叫ぶ高杉君の声が聞こえなくなり、私はそのまま意識を失った。
どうやら私、とんでもないことに巻き込まれようとしているようです。
そしてこれは音楽でいう、組曲の前奏である序曲にすぎない――。
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