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 あれから何回か高杉君に話しかけようと試みたけれど、イケメンには他のおばさ……お姉様たちが群がっていて近づくことができなかった。関西人の圧力に宮崎から来た高杉君は少し困っているようにも見えた。でもあの中に割り込んでいけるほど私には彼女たちのような度胸はない。

 それに話したいのは音のズレのことであり、できれば彼と二人で話したかった。


 結局、簡単な挨拶をする隙もないまま、みっちり一日の練習を終えて時刻は十六時。団員のほとんどが既婚者であり、早急に片付けを済ませて家族の元に帰宅する人が多い中、私はいつも丁寧にヴァイオリンを磨き上げてから帰ることにしている。だから私が帰る頃には、部屋に残るのは僅か数人だ。


 それは今日も変わらなかったけど、いつもと違うのはその中に高杉君の姿があったこと。これは絶好のチャンス到来である。

 私は勇気を出して、イケメンチェロリストに近づいた。


「あ、あのっ。私、コンミス(コンサートミストレスの略称)の工藤和泉です。挨拶が遅くなってごめんなさい。私、高杉君に聞きたいことがあって……」


 そう問いかけると、高杉君の表情がどこか安堵したように見えた。


「なんだ、ちゃんと分かってたんじゃねぇか。だったら最初に目が合った時、反応しろよな」

「えっ? ご、ごめんなさい。私、高杉君の音を聞くまで気づかなかったから……」


 すごい、高杉君は最初から気づいてたんだ。でもいつ私の音を聞いたんだろう……? 練習の音が聞こえたのかな。

 でも思ったとおり、やっぱり彼にも周りの音のズレと、私と自分の音だけそれがないことを感じていたようだ。ようやく自分と同じ境遇にいる人と出会えて、何だか少し気が楽になった。きっと私は誰かにこの苦しみを共感してほしかったのだろう。


「私ずっと自分が変なんだって思ってた。でも良かった、同じこと感じてる人がいたんだね」

「あ? そりゃ最初は戸惑うだろうけど……仲間がいることはお前も知ってるだろ」


 おぉ、初対面から〝お前〟呼ばわり。確かに同い年だけど私は少し驚いた。

 でもそれより気になったのは高杉君が言った言葉だ。〝仲間〟とは何のことだろう。この症状を持っている人が他にもいるということなのだろうか。そう思っていると高杉君は急に周りを気にして、チェロが入ったケースを肩に担いだ。


「ここはまだ人がいて話しづらい、外に出るぞ」


 そう言って部屋の外に向かう高杉君を私は慌てて追いかけた。私より少し高い背はスマートで、歩く度に彼のサラサラな髪が揺れるのを見て、何だかちょっとだけドキドキする。

 太陽が西に傾き始めている空の下を歩き、私たちは練習室の近くにある公園で話をすることになった。途中で高杉君が自動販売機で缶コーヒーを2つ買い、その内の1つを私に投げて渡してくれた。


「あっ、ありがとう」

「別に。それより、読みどおりあの楽団にお前がいてくれて良かった。総長のお前がいなきゃ先に進まねぇからな」

「ん、総長……?」


 ベンチに腰掛けて缶コーヒーを嗜みながら、私は高杉君の話に首を傾げた。てっきり音のズレの話の続きをするのだと思ったら、高杉君は一体何のことを言っているのだろうか。コンミスではあるけど楽団長ではないし、まず団長のことを総長と呼ぶ人はいない。暴力団でもあるまいし。

 でも彼は困惑している私に気づくこともなく更に話を続けた。


「奴らはもう既に動き出しているんだ。大阪ここへ来るまでにも何度か襲撃に遭った、向こうも俺たちの存在を周知している。早くこっちから攻めねぇと手遅れになるぞ」


 聞けば聞くほど高杉君の口からは不思議なワードが次々と出てくる。もしかしてこれは何か勘違いをしているのではないだろうか。そんな気がして私は未だよく分からない話を進めている彼を一旦止めることにした。


「――から、お前も早くアジトに……」

「ちょ、ちょっと待って。ストップ、ストーップ!」

「なっ、何だよいきなり」


 突然叫び声を上げた私に高杉君は目を瞬かせて驚いていた。直前に〝アジト〟って言った気がするけど聞かなかったことにしよう。


「高杉君、何か勘違いしてる? 私が聞きたかったのは音のズレのことなんだけど」

「は……? 音のズレ?」


 高杉君の反応を見て確信した。やっぱり私たちの会話は噛み合っているようでお互いに違う話をしていたのだ。ようやく彼もそれに気づいたようで呆然としている。


「お前、ブリッランテの和泉だよな?」

「ぶりっらんて? ごめんナニソレ、聞いたことないんだけど」


 …………。

 お互いの間に、暫しの沈黙が訪れた。


 そして今度は高杉君が叫ぶようにして啖呵を切った。


「はぁあああ!? ふざけんな、どれだけ苦労して探したと思ってんだよ! とぼけたこと言わずにさっさとアジトへ来やがれ!」


 クールな印象は一変し、怒号を上げる高杉君に恐怖を覚えた。どうしよう、思っていたのと違い彼はとても乱暴な人なのかもしれない。逃げなきゃ、と本能でそう思った。

 でも高杉君もそれを感じ取ったのか、ベンチから立ち上がった私の腕を掴んで何処かへ連れていこうとしたのだ。


「逃げようったって、そうはいかねぇぞ。俺だって好きでやってるわけじゃねぇんだ、自分だけ見過ごされると思うなよ」

「やだっ、放し――」


 高杉君の手を振り払おうと必死に抵抗したけど、男の人の力に敵うはずがなく彼自身も決して放そうとしなかった。もう駄目だ、これは助けを呼ぶしかない。そう思って息を思い切り吸った時だった。


 ――私たちを取り囲んでいるの気配に気づいたのは。


「えっ……?」

「……ちっ。臭いを嗅ぎつけられたか」


 私たちを取り囲んだ正体。

 それは、鋭い牙を剥きだしにして今にも襲いかかろうとする、黒い大型犬の集団だったのだ。

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