獣臭いと虐げられた白猫令嬢は、狂犬王子に溺愛される

ウェルザンディー

第1話 白猫令嬢は狂犬王子と出会う

「ミリエル・レーシュ。お前はこの度、我が息子『アルフレッド』との婚約を結ぶこととなった。これは私の命令であり、覆すことはできない。獣人にそのような権利は存在しない」

「……えっ!」



 突然の婚約を前にして、ミリエルは動揺が隠せない。18歳の誕生日に王宮に呼び出され、国王『マッカーソン』から直々に切り出された内容がこれであった。


 マッカーソンはミリエルが怯える様子を見て、表情を一切変えない。それどころかミリエルのを引っ張り、痛みを与えて愉しんでいる。



「あら、アルフレッドと言いますと……『狂犬王子』ではなくって!? なんてことなの、ミリエルみたいななんてすぐに食べられちゃうわ!」



 ミリエルの左隣で話を聞いていた従妹『サマンサ』が、突然悲しそうに同情して会話に混ざってきた。だがそれは文面だけで、直後にクスクスと笑い続けている。



「い、嫌です……わたし、食べられたくありません……!」

「触るなこのケダモノがぁ!!!」

「あうっ……!」



 ミリエルは恐怖で涙を浮かべ、思わず右隣に座っていた叔父『ザクセン』の腕を握り懇願する。すると彼は反射的に払いのけ、ミリエルの頬を叩いた。



「いいか、お前の婚約はもう決定事項だ!! もうお前が継いでいた遺産は、宝石や絵画に換金し終えたからな。お前の権限で使える金がなくなった以上、用済みなんだよ!! レーシュ家のどこにもお前の居場所はない!!」

「その処分をどうするか考えていたところ、私の方から声をかけさせてもらった。息子も、流石に女の一人もいないのでは寂しいだろうし、立場的にもよろしくないと思ってな。こうして利害が一致したというわけだ」



「……まあ、色々な情報が出回っているが。少なくとも息子は人間だ。とはいえ人間が人間を食わない保証はどこにもないし、もしかすると違う意味食っているかもしれんがな……はっはっは」

「そんな人の所にミリエルは行ってしまうのね……ううっ、私とっても悲しいわ! ミリエルが幸せになれなかった分、私も幸せになるから、心残りなく行ってらっしゃい!」



 徹底的に毛嫌うザクセン、悲しむ素振りが白々しいサマンサ、したり顔を浮かべるマッカーソン。


 誰一人として味方がいない中で、ミリエルはひたすらに泣いた。泣いたところで全てが解決するわけではないとわかっていても、涙が止まらなかった。猫耳は力なくうなだれ、スカートに覆われた尻尾は震えが収まらない。




 そう、ミリエルは侯爵令嬢でありながら、白猫の特徴を持つ獣人であった。そしてそれこそが、彼女が『狂犬王子』との婚約を強制させられた最大の理由である。


 この世界では稀に、耳や尻尾といった獣の特徴を持った人間が生まれる。他の人間と違う点が明確になっているからか、彼らは差別や偏見の対象になってしまう。



 ミリエルは両親から愛され、偏見に晒されることなく日々を過ごしていった。だが8歳の時に両親が他界してしまい、叔父がレーシュ家の当主になってから、ミリエルは獣人であることを理由に虐げられるようになる。


 屋根裏のような狭い部屋で暮らし、満足な食事も服も与えられず、他の貴族は揃ってミリエルを人間未満だと罵る。ザクセンは彼女と血が繋がっていることを嫌悪し、当然のように暴力を振るってきた。サマンサに至っては、茶会などで目立つための道具としか思っていない。



 それでも一日一個のキャラメルだけを頼りに、今日までの10年を生きてきた。ようやく大人として認められ、自由になれると思っていたミリエル。


 そんな彼女の人生は、血濡れの殺人鬼と噂される『狂犬王子』との婚約によって、閉ざされてしまったのである。




「おや、これはこれはサマンサ様! 今日も大変麗しいお姿であられますな!」

「ふふん、ごきげんよう。ほら、ミリエルも挨拶なさい?」

「……!」



 ミリエルは『狂犬王子』との婚約で、頭がいっぱいになっていた。普段ならしっかりと挨拶もできるのだが、今日は震えて口が開かなかった。


 それを見かねたサマンサは、ミリエルの頬を思いっ切り叩く。廊下に音が響き渡った。



「あうっ……!」

「ちょっと!! 何やってんのよ、ちゃんとした通りにやんなさい!! でないと私が舐められちゃうでしょ!!」


「いえいえ、そんなことはありません。サマンサ様がいかに教え上手なのかは、普段のの様子を見ればはっきりとわかります。一度失敗したとて、そんな日もありますよ」

「ふふっ、ありがとう……貴方、とってもお優しいのね」



 サマンサと話している貴族は、ミリエルに対して冷たい視線を向ける。それは同じ人間に向けるものとは思えないほど、嫌悪感と殺意を宿していた。



「そういえば聞きましたぞ! そこのけだものが、どうやらアルフレッド様との婚約が決まったそうで! いや~めでたいことでありますな~!」

「ふふふ、そうよ、そうなのよ! 今から早速彼の所に向かう所なの! 今生の別れになると思うから、見送ってちょうだい!」

「そうしましょうそうしましょう! よかったわねミリエル! 貴女みたいなのはね、本来なら生まれた瞬間に殺されてるんだから!今日まで生き長らえた時点でよ~く感謝するべきよね~!」



「……」



 ミリエルが拒む間もなく、王城にいた貴族はほとんど集まってきた。そして全員が揃って、彼女に冷ややかな視線を浴びせ笑い者にする。


 傷つけられているのに感謝しろと言われても、できるわけがない。ミリエルはそんな気持ちをぐっとこらえ、馬車の前まで到着した。



「……皆様、今まで、お世話になりました……」



 貴族たちに対し、嘘を添えてお辞儀をするミリエル。それから馬車に乗り込もうとしたが、御者によって荷台に押し込まれてしまう。



「きゃあっ!」

「お前みたいな獣、人間と同じ席に乗せられるか!! 荷台に入れてもらえるだけありがたく思え!!」



「……ひっくっ、ぐすっ、痛い、痛いよぉ……」



 荒々しく馬車は出発する。どこまでもミリエルは人間らしい扱いを受けることなく、王城を出立するのであった。





(……『狂犬王子』。出会った瞬間に相手は殺される……)


(いやだ……今日まで頑張ってきたのに、食べられて終わっちゃうの……?)



 物同然に扱われた中で、ミリエルは震えて泣く。馬車は荒れた道を進んでいるようで、時々大きく揺れていた。



(……お腹が空いてきちゃった。キャラメルはあるかな……)



 ミリエルの隣には、乱暴に詰め込まれたであろう鞄が転がっている。彼女が唯一与えられたものであり、伯爵令嬢の持ち物とは思えないほどみずぼらしい。


 それを開けると、少しばかりの着替えや化粧品などの中に、紙に包まれたキャラメルが入っていた。前日に作っておいた残りである。



「……嫁ぎ先でもキャラメルは作れるかしら? あれがないと、わたし生きていけない……」



 流石に自殺を図られては困ったのだろう。叔父はミリエルが家にいる時は、ある程度の自由行動を許可した。その中で最もミリエルの楽しみになっていたのが、キャラメル作りだった。


 家の外に出してもらえないので、屋敷にある材料で作る。キャラメルを作っている時は嫌なことは忘れられるし、食べれば明日への活力が沸いてくる。



「……うっ、ううっ……! お父様、お母様、会いたいです……」



 しかし今回は、キャラメルを食べても元気が出ない。悲しみが増すばかりで、ミリエルは泣くことしかできなかった。





「――急に泣き出して迷惑な奴だ!! 着いたぞ、とっとと降りろ!!」


「きゃあっ!!」



 馬車が止まったかと思うと、ミリエルは御者に引っ張られ、冷たい石畳の上に放り出された。季節は冬に向かっているので余計に冷たく感じてしまう。



「おら、これがてめえの荷物だ!! さっさと抱えて、どこにでも行きやがれ!!」

「あうっ……!」



 御者はわざとミリエルに命中するように、鞄を勢いよく投げてよこした。ちょうど腹に当たってしまい、ミリエルは痛みで立ち上がれない。



 御者はそれを見て清々した様子で、馬車に乗り込み立ち去ろうとしたが――



「ひっ!!!」

「……えっ?」




 突然御者の表情が青褪め、甲高い悲鳴を上げる。気になって顔を上げたミリエルもまた、顔から血の気が引いていく。



 二人の目の前には、貴族服の男性が姿を見せていた。青い瞳に灰色の髪を持つ、整った顔立ちの美青年である。その姿は、ミリエルに婚約を言い渡したマッカーソン国王の面影を残していた。



 彼は御者の右腕を掴んでいたかと思うと、次の瞬間には左腕も掴み、自力では決して曲がらない方向に曲げていく。めきめきと皮膚が張り裂ける音が聞こえてきた。



「ひいいいいいっ!!! お許しをおおおおおっ!!!」



 御者の悲鳴に応じ、青年は手を放す。そして御者は乗ってきた馬車を置いていき、大慌てで逃げていくのであった。




「……今のは反省しないタイプの懇願だな。さて……」



 青年の視線は、残されたミリエルに向けられる。さらに彼は少しずつミリエルとの距離を詰めてきた。



 青年の姿を改めて見た瞬間、ミリエルの脳裏にはマッカーソンの顔が思い出される。そして彼がやってきたように、この青年も猫耳を引っ張ってくるのではないかと、ミリエルは恐怖を覚えた。



「……あ、あなたはアルフレッド様ですか……? わたしはレーシュ家よりやってきました、ミリエルと申します……」



 震える心臓や痛みをこらえて、ミリエルは青年――アルフレッドに自己紹介をする。足は完全に引けてしまっており、立ち上がることができなかったのだが、なんとか口だけは動かせた。



「白猫の獣人……成程」


「シュターデン領にようこそ、ミリエル嬢。話は聞いている。俺の名はアルフレッド・ガーディン――君の婚約者だ」



 アルフレッドは簡潔に説明した後、流れるようにミリエルの身体に向かって腕を伸ばし――


 そこから一切ためらうことなく、背中と膝を支えて抱き上げた。



「えっ……?」

「続きは馬車の中でしよう。怪我の治療もしないといけない……こんなにも美しい淑女に対して、何という扱いをするのか」



 アルフレッドは嘆いた後、ミリエルを抱きかかえたまま歩き出す。




(えっ……この方が『狂犬王子』だよね……?)



 出会ったのに殺されない。それどころか獣人である自分を虐げず、躊躇なく抱きかかえてくれた。ミリエルにとって、それは不可解な行動だった。



(どうしてわたしに対して、こんなにも優しくしてくれるの……?)




「あっ、あのっ! わたしを叩いたり、耳を引っ張ったりしないんですか……? わたし、見ての通り獣人なんです……」



 思わず心配になり、ミリエルは尋ねてしまう。アルフレッド落ち着き払った様子で答えた。



「……色々言いたいことはあるが、まず質問には答えよう。俺は獣人であることを理由に暴力を振るうことはしない。安心してくれ」



 そう言うとアルフレッドは、ミリエルを抱きかかえる腕に力を加えた。彼女をより安心させるように。


 ミリエルはその温もりに、これまで感じたことのない安らぎを覚えるのだった。

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