人が猫になるわけがない

みかさやき

人が猫になるわけがない

 仕事帰りの飲み会ほど気まずいものはない。特に同じ職場の人との飲み会は最悪だ。

 職場での良くもないし悪くもなれない、そんな距離感を保った人間関係が続く中で飲食することは楽しいはずがない。とはいえ断れなかったこともあるし、色々考えたくなかったこともあるしで、私はちょっとお酒を飲みすぎていた。

「ここどこだろう?」

 駅から家までの帰り道。1日2回行く道だから、何があっても忘れないはず。それなのになぜ私は今見覚えのない道にいるのだろうか?

 これは酔っ払ったせいだろうか? 確かに今頭は痛いし足下もおぼつかない。ふらふらしていないと断言できないので、いつも知っている道でも迷ってしまったのかもしれない。それ以外で、今の状況に理由をつけることができない。

「ニャー」

 靴に柔らかい物が触れた後、鳴き声がした。

 目の前に猫がいる。今の空よりも深く暗く、思っていたよりも小さい。そんな猫が私の目の前に今いる。

「フニャー」

 猫は私のことを気にせず、とことこと歩いていく。壁に手をついて、私は猫をぼんやりと見送る。

 野良猫なのだろうか? 首には何もつけていないし、何よりも今は夜中だ。飼い猫が真夜中に散歩するなんて、飼い主が許さないイメージがある。そこであの子は野良猫なんだろう。

「ニャーニャー。これでいいかな?」

 ピカッ。目の前が激しく光る。私は思わず目を閉じた。

 なぜ光が出てきたのか、私には分からないけど、目をゆっくりと開けた。

 さっきまで猫がいた場所。そこには今猫じゃなくて、人がいる。性別が分からないけど、とにかく今まで会ったことがないほど綺麗な人だ。

 もしかして猫が人に変身した? そんなことありえるわけないか、絶対見間違いだって。



 小さな黒猫が、強烈な光の後で、人になる。そんなわけない。

 きっと酔っ払ったから、見間違えたのだろう。猫は人にはならないから、それ以外の答えなんてない。

 小さな黒猫が光の後で、黒い髪で綺麗な人になることなんてありえない。

 ちょうど今目の前にいるような人になるわけがない。第一今は朝であって夜じゃない。私は今酔いが昨日の夜と違って覚めているから、見間違えることもない。

「おはようございます」

 目の前にいる人が、近くにいるかっちりとしたスーツ姿の人と話し始めた。

「おはようございます」

「そういえばこの前おすすめされた洋菓子屋へ行きました。パンプキンのクリームが使われたシュークリーム、美味しかったですよ」

「それは良かったです。もう秋ですから、かぼちゃとかが美味しい季節になりましたね」

 今会話をしている、黒い髪で黒いTシャツに黒のチノパンという黒ずくめの格好の人。何よりも男っぽさと女っぽさが同居する綺麗な顔立ちは一度見たら忘れない。

 そこからこの人は昨日猫から変わったように見えた人、それで間違いはない。

「レインボーのクッキー、ホワイトチョコレートのコーディングもあって美味しかったです」

「私もそのクッキー好きです。セクシャルマイノリティを応援するために売られているらしいこともあって、色々な人に知られて欲しい」

 うん、絶対目の前の人が猫から変わったなんてありえない。

 ごくごく普通に会話して、怪しさは全くない。猫の話もしていないし、猫が食べられないチョコを避けているような言動もない。

 そうだ、猫が人になるわけがない。猫と人は別の生き物で、関係性があったらむしろおかしい。

「冬になったら鍋料理が恋しくなります」

「そうですね。私は長ネギをいっぱいいれたキムチ鍋が好きです」

 安心して私はゆっくりと目の前にいる人達と離れる。猫に変身するかもしれないと疑ってしまったから、このままここにいるのは気まずくてできなかった。



 仕事にやりがいや生きがいがあるわけない。他人と会話したくないけど指示は出したい、そんな上司とのやり取り。何よりもかわり映えのしない事務作業だったり他部署からの無茶振りだったりで、疲れ以外のものはない。

 とはいえ酔っ払っていないので、疲れているけど、周りのことはちゃんと確認できている。

「ニャー」

 小さな黒い猫。この前人に変わったと見間違えてしまった猫かもしれないし、そうじゃないかもしれない。小さな黒い猫なんてあちこちにたくさんいるわけではなくても、ここの近くに一匹しかいないわけではないだろうし。

「ニャー」

 もう一度小さな黒い猫が鳴く。その猫をじっと見るのをやめて、再び歩き出す。今は仕事から帰っている途中で疲れているから、猫なんて構っている暇はない。

「ニャアっ」

 悲痛な声がした。

 目を離した隙に、大変なことになっていた。

 ここは狭い道だから、歩道が車道の隅っこにある。そんなわけで猫は歩道を歩いている人を避けるように、車道を歩いていたのだ。歩道を歩いているのは私だけだから別に気にしなくていいけど、猫にそういうことはできないし。とはいえ歩道の近くだから、危ないわけでないだろう。

 そんな猫の所に誰が見てもスピード違反といえる車が突っ込んできたのだ。当然のように猫が車にぶつかり、宙を舞う。

「猫が車にひかれてるっ」

 思わず、声が出た。でも私の声に気づかず、車はスピードを落とさずに立ち去っていった。

『どさっ』

 黒いTシャツに黒いチンパン。何よりも頭から出血して倒れている人がいた。さっきまでこの道には私と猫しかいなかったはずなのに、いつの間にいるんだろうか? 何よりも車にひかれたのは猫のはずなのに、負傷しているのは人間だ。

「すみません。ひき逃げされています」

 慌てて私は救急車を呼んだ。

 はねられた猫はいなくて、負傷した人間がいる。そこで猫が人に変わったのだ。そんなありえないこと、考えたくないのにさ。



 疲れが取れなくても仕事がなくなるわけではない。

 猫から人に変わったナニかが巻き込まれた交通事故から一週間が経ち、何か特別な影響が残っているわけではない。それよりも疲れが取れていない方が問題だ。

「おつかれさまです」

 そんなわけで仕事をさっさと終わらして、定時で帰る。私と同じように定時で帰る人もいるけど、定時なんて言葉を無視して帰らない人もいる。

 そんな状況、いつもと変わらない日常。

「すみません。この前私が巻き込まれた交通事故で、救急車を呼んでくれた人ですか?」

 黒いTシャツに黒のデニム。頭には包帯を巻いているけど、骨折とか他には怪我をしていなさそう。そう猫から人に変わったナニかが私に話しかけてきた。

「そうです。体調は大丈夫でしょうか?」

「大丈夫です。頭を強く打ったのですが、あなたがはやめに救急車を呼んでくれたおかげで助かりました」

「そうですか。では今後は気をつけてください。車は危ないですから・・・・・・」

「そうですね。気をつけて歩きたいです。では失礼します」

 ナニかは頭を下げて帰って行った。

 私が警察署で働いているから、ナニかは私にお礼を言いに来たのかな? 流石に一般市民の情報がほいほい手に入るわけじゃないし。それとも警察で事故に関する手続きをして、その帰りに寄っただけかもしれない。

 それにしてもナニかがどこからどう見ても人間だ。猫耳や猫の尻尾みたいなものはなく、猫っぽい雰囲気もない。

 そう猫が人になるわけがない。あの人が元々猫だったわけなんて、ありえるわけないのだ。

 そこであの人が猫から変身したとこを見た。その事実を忘れよう。

 そう決意した私は、いつもの通りに職場から家に帰るのであった。

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