この世で一番綺麗なもの

梨子ぴん

この世で一番綺麗なもの

私は綺麗で可愛いものが好きだ。

綺麗で可愛いものは見ているだけで心が躍るし、野暮ったい自分ではなりようがないから。

私はテレビに映るアイドルを眺める。

今の私の推しである虹森加奈(にじもり かな)は笑顔を皆に振り撒いて、きらきら輝いて見えた。

「加奈ちゃん、やっぱりすごく可愛い」

私がうっとりとそう呟くと、私の横に座っている幼馴染は不機嫌そうに答えた。

「愛はそういう子が好みなの?」

「好みというか……綺麗で可愛いものは全部好きだよ」

「この浮気者」

「う、浮気って……! 加奈ちゃんは鏡子ちゃんの後輩でしょ。鏡子ちゃんだって、加奈ちゃんのこと可愛いと思ってるんじゃないの」

「別に」

私はどうやら幼馴染の機嫌を完全に損ねてしまったらしい。

「ほら、鏡子ちゃんに食べてほしくて買ってきたクッキーだよ。一緒に食べよ」

私は美しい装飾が施されたクッキー缶を開けた。バターの匂いが鼻孔をくすぐる。

中のクッキーはどれも形が違っていて、すごく可愛くて美味しそうだった。

「美味しそう! ね、鏡子ちゃんはどれがいい?」

「……愛が選んだやつが良い。あーんってしてよ」

「えっ、それはちょっと照れるよ」

「文句ある?」

「じゃあ、このお花のジャムクッキーにするね……」

私は花の形をしたジャムが挟まれたクッキーをクッキー缶から一粒取って、恐る恐る鏡子ちゃんの口元まで持って行った。

「あ、あ~ん」

「ん」

鏡子ちゃんは素直に口を開いてくれたので、私は持っていたクッキーを口にそっと入れた。

サクサクという音が聞こえる。

ご機嫌斜めだった鏡子ちゃんはにんまりと笑い、言った。

「ありがとう。大好きよ、愛」

美しい顔立ちをした鏡子ちゃんの顔が近づいて来て、鏡子ちゃんの唇が私の頬に触れた。

「これはお礼。嬉しいでしょ?」

そう言って自信ありげに笑う鏡子ちゃんは愛らしかった。

でも、それ以上に私はキスをされたことに驚いてしまって、少し硬直していた。

その様子を見て、鏡子ちゃんはまた楽しそうに笑ったのだった。



私は元々、可愛いものや綺麗なものがたくさん流れてくるSNSを見るのが大好きで、よく見ていた。

推しである虹森加奈のSNSはもちろん毎日チェックしている。

いつものルーティーンで加奈ちゃんのSNSの投稿写真を見たら、私は固まってしまった。

加奈ちゃんが鏡子ちゃんの頬にキスをしていたからだ。

コメント欄はとても賑わっていて、二人を祝福する声が多かった。

綺麗なもの達が一緒にいるなんて垂涎ものだけど、私は胸がどこかちくりとした。

おかしいな。私は加奈ちゃんのファンで、そして鏡子ちゃんの友人であるなら二人を祝福しないといけないはずなのに、言葉が喉奥につっかえてうまく言えない。

「ごめんなさい」

やっとの思いで私の口から出たのは、謝罪の言葉だった。

私は驕っていたのだ。可愛くて綺麗な鏡子ちゃんがずっと傍にいてくれると勘違いしていた。

気まぐれで、でもやると決めたことに対しては真摯で一生懸命な鏡子ちゃん。

そんな鏡子ちゃんのような人の隣で、私ごときが歩いていいわけないんだ。

「ごめんなさい」

スマホを見ると、鏡子ちゃんからメッセージの通知が来ていたような気がした。

私は何も見なかったことにして、そのまま布団に潜り込んだ。



私は鏡子ちゃんのいない日々に慣れ始めていた。

元々、鏡子ちゃんとは通っている学校も違うし、さらに鏡子ちゃんは売れっ子アイドルなので、生活リズムも違う。

私が鏡子ちゃんと一緒に過ごせていたのは、ただ単純に家が近くて幼馴染という関係性が鏡子ちゃんの気まぐれによって成り立っていたからだ。

鏡子ちゃんとの時間が減って、私は詩を書くようになっていた。

たまに詩を投稿すると、共感してくれた人もいて嬉しかった。

皆、好きな人の傍にいられないのは苦しいんだなと思った。

私は今日も詩を書いている。

一区切りついたので、紅茶でも入れようかと思っていた時だった。

ピンポン ピンポン ピンポン ピンポン

「!?」

怒涛の連続チャイムに私は慌てた。

今日は私以外の家族は皆で払っているから、今家にいるのは私一人だ。

私は怖い、と思いながらも念のためにインタホーンで連続チャイムの犯人を確認した。

そこに映っていたのは、鏡子ちゃんだった。

「えっ!?」

私は慌てて玄関を開けに行った。

「鏡子ちゃん!」

鏡子ちゃんは私を無視して、堂々と家の中に入って行く。

そのまま私の部屋の前で止まったかと思うと、無表情のまま聞かれた。

「部屋、入ってもいい?」

「う、うん」

私はいきなりの展開に戸惑ったが、鏡子ちゃんが家にいるということは素直に嬉しかった。

私の部屋ではいつもなら二人でベッドの上に座るのに、今の鏡子ちゃんは私の勉強机の椅子に静かに座っていた。

私はいつも通りベッドに腰掛けた。

「その、どうしたの鏡子ちゃん」

「それはこっちの台詞。なんで急に連絡つかなくなったの」

「見ないようにしてたから……」

「私のこと、嫌いになったの」

鏡子ちゃんは先ほどまでの無表情とは打って変わって、苦しく切ない表情をしていた。

眦には涙が浮かんでいるようにさえ見せる。

ああ、ごめんなさい。鏡子ちゃんにそんな表情をさせたいわけじゃないの。

「鏡子ちゃんのこと、嫌いになるわけないじゃん!」

「でも、無視してたってことでしょ」

「それは……」

私は言葉を紡ごうとして止める。だって、私がそれを言う資格なんて絶対にないからだ。

「言いたいことがあるなら、はっきり言って」

「……」

「愛。お願い」

鏡子ちゃんの大きくて綺麗な瞳に見つめられることに耐えられなくなった私は、言ってしまった。

「私、鏡子ちゃんと加奈ちゃんのことお祝いできないよ」

「は?」

「鏡子ちゃんと加奈ちゃんのキスのツーショット写真を見たとき胸が苦しくなって、辛かった。二人のことを祝えない私じゃ、もう一緒にはいられないよ」

「待って、愛」

「うん」

「それって私のことを、泉鏡子のことを、好きってこと?」

「えっ」

「なんで愛が驚いてるのよ。そういうことでしょ? ……ふーん、やきもち妬いてたんだ?」

鏡子ちゃんはやけに嬉しそうだ。

私は鏡子ちゃんに言われたことを、頭の中で反芻する。

私は、鏡子ちゃんのことが好きなの?

……うん。そんなの、ずっと昔からそうだった。

鏡子ちゃんが笑ってくれたら自分のことのようにすごく嬉しかったし、鏡子ちゃんに悲しいことがあれば自分のこと以上に辛かった。

鏡子ちゃんに、ずっと幸せでいてほしいと思ってた。

「あ、でも。まさかだと思うけど虹森の方が好きなの? 推しだもんね」

「違うよ、鏡子ちゃん。いや確かに私は加奈ちゃんが推しだけど、私が一番好きで一番綺麗だなって思ってるのは鏡子ちゃんだけだよ」

「!」

鏡子ちゃんが目を見開いて、ひどくおどろいた顔をした。

そして、柔らかい笑顔を見せてくれた。

「あたしだって、愛のことすごく好きよ。ううん、愛してる。この世の誰よりも愛のことが好きだし、愛してるわ」

突然の愛の告白に、私は顔が熱くなってしまった。

嬉しい。でも恥ずかしい。

けど、私の中に引っ掛かりがあったから聞いてみることにした。

「鏡子ちゃん。加奈ちゃんのツーショット写真はなんで撮ったの? 普段、他の人に撮影されるのひどく嫌がるよね」

「あれは虹森が無理矢理撮ってきたの。ごめんね、不安にさせて。大丈夫。虹森はしっかりシメ……怒っておくから」

鏡子ちゃんは笑顔だったけど、めちゃくちゃ怒っていた。

私は若干恐怖を感じながらも、椅子に座る鏡子ちゃんに近づく。

「愛?」

「これからよろしくね」

私は頬に軽く触れるだけのキスをした。

鏡子ちゃんの頬はお餅のようにやわらかく、すべすべしていた。

鏡子ちゃんを見ると、顔が真っ赤だった。

「鏡子ちゃん!?」

「そういう不意打ちはずるいと思う」

鏡子ちゃんは顔を真っ赤にしながら、ぶつくさ言っていた。

そして、鏡子ちゃんの顔が近づいて来て、唇同士が触れた。

「ひえっ!?」

「お返し。これからもず~っとよろしくね?」

鏡子ちゃんの笑顔はすごく素敵で、アイドルをやっている時のものとはまた違っていて。

私はそれが嬉しくてたまらなかった。



***



私は幼い時からずっと可愛くて綺麗だった。

周りの人間はとにかく私の美しさを褒めていた。

けど、美しさというのは時として妬みを招く場合もある。

特に、思春期の女子からのやっかみが酷かった。

でも、愛は違っていた。

愛は私のことを妬んだりしないし、かといって変に持ち上げることもない。一緒にいると非常に楽だった。

「愛はさ、私といてて楽しい?」

「うん。鏡子ちゃんはね、なんか猫みたい。……髪も綺麗な黒髪だし、黒猫だね」

「ふーん?」

くすくすと笑う愛はとっても可愛かった。

いや、愛は確かに客観的に見れば野暮ったさはあるのだけれど、そこも可愛らしさに繋がっているというか……。

私といて、素直に楽しいと言える心が綺麗だと思った。

普通、男なら間違いなく下心があるし、女子は女子でしがらみの中で生きている。

愛は眩しくて綺麗だ。

穏やかで優しい性格も、やや天然パーマの入っている栗色の髪も、つぶらな瞳も、全部好き。

私は気付けば愛のことが好きになっていた。

けれど唯一、私が愛に対して許せないことがあった。

推しがたくさんいることだ。

愛はとにかく綺麗で可愛いものは何でも好きだ。人だけでなく、絵画や音楽といった芸術から、動物や建物、食べ物まで、ありとあらゆるものがその対象だ。

好きなものが多いのは良いことだけど、それは移り気すぎない?

愛が特に好きだったのは女性アイドルだった。

愛曰く「きらきらしてて、可愛くて、見ていて元気が出る」らしい。

アイドルがテレビに映った時、愛は私じゃなくてアイドルの方ばかり見る。

私はそれが不服だった。

なら、愛が夢中になるくらいのアイドルになってやる!と思い、私はアイドルになることを決意したのだった。



私は想定以上の速さで人気の売れっ子アイドルになった。

さすがに愛も私のことを見てくれるかな、と期待したら大外れだった。

愛は私の後輩である虹森加奈を推しにした。

嘘でしょ、と思った。

それでも私はめげずに愛にアピールを続けていた。

ある日、私が若干嫌いになってしまっている虹森に話しかけられた。

虹森は私のことをいたく尊敬しているらしく、それも面倒くさい。

そしてツーショット写真を撮りたいと言われて、実際に撮られたのがあのキス写真だ。

最悪すぎる。

だが、私はこうも考えた。

もしかしたら、愛が嫉妬してくれるかもしれない、と。

結果はとても満足のいくものだった。

途中、愛が私からの連絡に全く反応しなくなったのは絶望したし、虹森に死ぬほど腹が立ったけど、何とかなって良かった。

このまま愛が私と縁を切っていたら、と思うと少し自分が怖くなる。何をしでかすかわからないからだ。

でも、愛は私の傍にずっといてくれるって約束してくれたし、大丈夫だよね。

ほら、今も。

「んっ、鏡子ちゃん……、くすぐったいよ」

「ふふ。愛は敏感だから」

今は一人暮らしをしている私の部屋で愛の身体を開発している。

愛は敏感だから、優しくゆっくりしてあげないとね。

「キスしよ」

「えっ、え」

キスなんてもう何度もしてるのに、愛は狼狽えた。

あはは、可愛い!

唇を合わせて、舌を滑り込ませると、愛が迎え入れてくれる。

舌は柔らかくて温かくて、とっても気持ちが良い。

最高。

しばらくキスをしていると、愛の息が上がってくるので、そこでやめておく。本当はもっとしたいけど、嫌がられるのは困る。

私はキスの雨を愛の身体中に降らせると、愛は恥ずかしそうに、けれど少し気持ち良さそうな顔をする。

ああ、とっても可愛くて綺麗な愛。

愛。貴方こそ、この世で一番綺麗なものだから。

ずっと大切にするね。

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