機械人間

伯林 澪

プロローグ

『二一七五年一月七日────』

二十二世紀の真冬のある日、ネヴィル・トンプソンはそう書きつけた日記帳の上で鉛筆の動きをとめ、しばらく逡巡してからパタンと筆を置いた。──ちぢこまった日付だけが書かれたざらざらの低級紙にはまだ余白がいくらもあったが、彼の書く日記は日に日にみじかくなっており、ついに書くことが尽きたのだった。

光量を落とされた蛍光灯が弱々しく光る埃まみれの狭い部屋、そしてその中にあるシングルベッドと机、デスクトップ・パソコンと簡易調理器イージー・クッカー──それが彼のまわりにあるすべてだった。

──突然、彼のそばでスリープ・モードにはいっていたパソコンが復帰し、部屋の陰鬱さに似合わない楽しげな着信音を鳴らしはじめた。

「Polaris、読んで」ネヴィルがすこし顔をしかめながらそう言うと着信音が途切れ、ディスプレイに相手の名前とメッセージが映った。──同僚からの連絡だった。

『ネヴィルへ:共有フォルダに上からのアンケートを回しておいたから意見を書いておいてください。あとは部長から次のミーティング資料を用意するようにと伝言を預かっています。至急とのことですので急いでください』声も顔も知らない同僚からのメッセージが、乾いた機械音声で読み上げられる。──読み上げるのは「総合AI副操縦士コ・パイロット」を謳う生成AI、「Polarisポラリス」だ。いまでは用事のほとんどは「Polaris」に命令すれば事足りる。

「Polaris、メッセージに書かれたアンケートに回答、ミーティング資料を作成して部長に送信──至急」

『はい。至急、アンケートに回答し、ミーティング資料を作成し部長に送信します』

もはや面倒なスライド作成や文書作成の手間は要らなかった。「Polaris」に適切な命令さえ下せば、何から何まで指示通りにやってくれる。「北極星ポラリス」という名前は「人々を導く北極星のような存在になってほしい」との開発者の思いがあったとのことだが──今や「Polaris」はホワイト・カラーの大部分をブルー・カラーの地位に叩き落とし、ごく少数のAI関連企業に莫大な富をもたらしている。彼らはもはや商品開発をする必要はなく、必要最低限の人員さえいれば「Polaris」が勝手に自己改良してくれた。──いまや機械より、人間のほうがよほど機械らしかった。

〝仕事〟を終わらせ、彼はテレビを点ける。すると、彼の好みに合わせ、ディープ・フェイク技術で制作されたテレビ番組が映し出された。たいして面白くもない薄っぺらい内容の番組を見て、彼は次々にチャンネルを変える──だが、映るのはすべて同じような内容の番組ばかりだった。千篇一律のバラエティ番組、判でついたように同じような料理しか紹介しない料理番組、硬い調子で難解な文を読みあげるニュース番組や政府広報──たまに人間が映るかとおもえば、それはたいてい事故現場のドローン映像だった。

彼は何度目かわからない溜息をつき、ベッドに入ってまどろみの海に沈もうとした。だが唐突にピロロロ……という玄関チャイムが鳴り響き、彼の意識を引っ張り上げた。携帯電話を確認すると、それは10分前に頼んだ昼食が宅配便で届いた音だった。──3分もたてば、玄関のロボットで自動調理された昼食が、彼の眼の前にはこばれてくる。彼は面倒くさそうにモゾモゾと起きあがり、ボソボソのハンバーガーに事務的にかぶりついた。

今日は外れか──と彼はおもった。工場から出荷されてすぐであればしっとりしたバーガーがはこばれてくることもあったが、このバーガーはかるく一週間は放置されていたのに違いなかった。それに──つけ合わせのくたくたなポテトや泥水のようなコーヒーは、たとえ熱々でも食べられたものではなかった。

いつまでこの事務的な生をのだろう?──と彼は半分寝ぼけたような頭で考えた。だが、それはこれまで何百回となく考えては、答えを見出せずにほうりなげた問いだった。

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機械人間 伯林 澪 @vernui_lanove

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