勇者の十字架

凪野 晴

第一章

第1話 ハーフエルフの初出勤

 ハーフエルフのカタリナは、霞ヶ関の片隅にある雑居ビルのエレベーターに乗った。乗客は彼女一人だ。コートはすでに脱いでいて左腕にかけている。スーツ姿で背筋を伸ばし、その美しく碧い瞳でボタンパネルを見つめている。


 長い金色の髪が少し揺れる。行きたい階は五階であるが、そのボタンは存在しない。四階の次が六階になっているのだ。事前に指示されていた順番で、他のいくつかのボタンを押す。エレベーターの扉が閉まり、階上へと動き出した。


 緊張している。なぜなら今日が初出勤だからだ。働く場所は、『転生・転移管理事務所』。まさか採用されるとは。


 国が関係する準公務員。仕事内容は、事務処理と窓口業務だ。腕時計で確認した時刻は、八時五十分。九時の出社には遅れていない。


 五階に到着したことをエレベーターの音声ガイドが告げてくれる。


 心臓が高鳴り、手に汗がにじんでいる気がする。短い廊下に出て進むと、転生・転移管理事務所という看板が目に入った。


 ドアをノックする。応答はないが、開けて中へ入った。人感センサーによって事務所の明かりが点く。


 ということは、一番乗りらしい。


 どうしていいかわからないので、ドアの近くで立って待っていることにした。九時になれば誰か来るだろう。


 エレベーターの扉が開く音が聞こえ、足音が近づいてくる。


 ノックもなしにドアが開くと、

「うわっ! びっくりした」

 入ってきたスーツ姿の男性が言った。


 誰もいないと思い込んでいたのだろう。


 その男性は、おそらく平均よりも背丈があった。そして、細身だが鍛えてある印象だ。少しパーマがかかっている柔らかい髪の色は黒。鋭い視線がカタリナを射抜く。


 驚いて高鳴った鼓動を抑え込みながら、すこし上擦った声で、

「お、おはようございます。今日からお世話になるカタリナ・オクトベルです。よろしくお願いします」

 と、応えた。


「ああ、おはよう。そっか。今日からだったか。よろしく。俺は、クロス・マサト」


 彼は鞄を椅子に置き、コートを脱ぐと、スーツの上着から名刺を取り出しながら言った。


 受け取った名刺には、黒須真人とある。役職はマネージャー。携帯電話番号も伝えたかったらしい。


「歓迎するよ。人手不足だったんでね。助かるよ。荷物は、そこらへんに置いていい。ロッカーは奥にある。鍵が付いたままのところなら、どれを使ってもいいよ」


 カタリナは鞄を近くの机の椅子に置くと、ロッカーを見に行った。雑居ビルの事務所らしい古めかしい金属製のものだった。鍵が付いているロッカーはいくつもあるので、あとで選ぼうと思った。クロスの元へと戻る。


「では、あらためて、さっそく本事務所の仕事内容を説明しようか」


 クロスはそう言って、カタリナへ近くにある椅子に座るように促した。


 そして、一時間程度、説明を受けた。


 聞いた話を整理すると、転生・転移管理事務所の仕事はざっくりと次の通りだ。求人募集で目にした内容と大きく変わらない。


・異世界転生または異世界転移の申請受付

・その申請について、審査結果の通知

・転生または転移する場合には、本人への案内


「基本的に事務処理だ。申請の受付と審査はシステムが自動処理でやってくれる。その結果をお伝えして、申請合格の本人の判断によっては、転生または転移の段取りや注意事項を説明するというわけ」


 西暦2040年。外国へ行くように、異世界へ行けるようになり始めて数年になる。


 異世界との政治的な外交が行われ、行き来するのにルール、異世界協定が締結され、施行された。


 そして、管理するためにこういった事務処理が必要となり、転生・転移管理という仕事が生まれたのだ。平たく言えば、外国に入る時の入国管理のような業務だそうだ。


「ここまでで、何か質問あるかい?」

 クロスが聞いてきた。


「えっと、職員というかスタッフは、私たちだけですか?」


 説明を受けている間も、広い事務所に二人きりだったからだ。


「もう一人いるんだけれど、今は育休中」と付け加えた。


「あと一ついいでしょうか。審査の後は、オンライン面接と言っていましたが合否に関係なく行うのですか?」


「ああ、残念ながら、不合格者とも面接する。面接しても合否は覆ることはない。正確には、転生には合否があって、転移についてはほとんど期間の提示になる」


 カタリナが困惑した顔を見せると、

「転生と転移の違いはまた別途、説明するよ。で、オンラインとはいえ、申請者全員と面接する理由は、後で大騒ぎされて炎上しないためさ。真摯な態度が必要ってこと。あとは時に犯罪者がまぎれこんでいる可能性があるからね」

 と、付け加えてくれた。


 つまり、犯罪者は今や海外に逃げるのではなく、異世界へ逃げて、あわよくば転生して新しい人生をということらしい。


「基本的にオンライン面接のシステムが精巧に偽装したアバターも解析処理するし、整形の疑いも照会処理する仕様になっている。本人特定してくれる。ただ淡々と結果を伝えればいいだけだよ。まあ、面倒だけれど、面接があるということが犯罪者の逃亡抑止になるからね」


 今日は、クロスの仕事ぶりを横で見学するということになった。審査の不合格を伝えるのは、非常にあっさりとしていた。数分程度の会話で終了する。


「高橋さん、先週一月七日にご申請いただいた異世界転生申請の結果をお伝えします。審査の結果、残念ながら異世界転生は不合格です。異世界転移を希望される場合、許可されるのは二泊三日です。転移される場合は、ご案内している会話AIフォームから日付と転移先をご指定して申請ください。なお、本結果は四ヶ月間保持されます。再度、異世界転生申請が可能となるのは五月七日以降となります。それでは失礼します」


 といった感じで、オンラインの画面越しとはいえ、淡々と結果を伝えるだけだった。転生が不合格の理由も伝えない。


 中には不服に思って食い下がってくる者もいるが、ある程度話させた後に「貴重なご意見ありがとうございます。今後の参考とさせていただきます」という定型文で応えて、通信を切ってしまう。


 さっき真摯さがどうのと言っていたけれど、実用最小限の対応で済ませてるのではと、カタリナは思った。


 転生合格率はかなり低いようだ。逆にほとんどの申請者は、短いとはいえ転移は許可される印象だった。


 午前中から先輩の仕事ぶりを横で見ていたが、転生について合格した申請者は二人くらいだった。


 午後は、合格し異世界転生を希望する人へ具体的な案内をするそうだ。



 ……待って。


 転生ってことは、その前に"死ぬ"ってこと?

 "人を死なせること"を、お役所が管理しているってこと?

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