挑む時 下

「ごめん!お釣りの小銭落としちゃって時間かかっちゃった!」

 沈黙の時間を破ったのは結果的には伊月だったが、決して悠人と謙夜の間が和んだわけではない。

「伊月、行こう」

「え?あ、うん!」

 悠人は足速に進み、伊月は訳も分からないまま悠人について行った。残された三人は少し遅れで歩き出した。

 ショッピングモール内には最近市からピアノが贈与された。『ご自由にどうぞ』の看板が建てられた人が賑わう広場の中に一際目立つ赤色のグランドピアノ。

 グランドピアノは、言葉を発さずひたすら歩く悠人の目の中に飛び込んだ。悠人もそれを信じて飛び込むように進路を変えた。

「悠人くん!どうしたの?何かあったの?」

「ごめんごめん。これが目に入って咄嗟にさ」

「これって、あぁストリートピアノってやつ?YouTubeとかで、よく街中で弾いている動画でてるよね。って座るの?」

 グランドピアノのイスに座った悠人は鍵盤を憂い気に見落とした。

 そして、そっと右手の人差し指で適当な黒鍵に触れた。その指にだけ重力を落とし込むように黒鍵を押し込むと、ポン……、と一つだけの音は休日の賑わいに吸われていった。


タタタタタン 

タリラリタリラリタリラリラン

タリララタリラリタリララタリラリ

タリラリタリラララン…………


「まあ、これしか覚えてないんだけどな。テンポも遅いし、ダセえな」

 何かの曲のワンフレーズを鳴らした両手の指はブランと下ろされ、悠人はボソッと呟いた。それが聞こえたかは分からないが伊月が手をギュッと握り明らかに興奮しながら声をあげた。

「カッコいいよ!!悠人くんピアノ弾けるの!?」

「ああ、まあちょっとだけ練習してるんだよ」

「すごいよ!カッコいいよ!」

「そうか?ありがとうな。って、こんな気の引き方はダサいだろ」

「なんで?すっごくカッコよかったよ。今までも好きだったけど、なんか、もっと大好きになった!」

 伊月の不思議そうな顔を見て、悠人の顔にも笑顔が戻った。

「可愛いな。伊月」


「ま〜た〜 今日にバイバイ♪」

「護めっちゃいい声じゃん!」

「まじ?ありがとう」

 テーブルにマイクを置いた護はグラスに入ったリンゴジュースを一口飲んだ。

「次誰だ?」

「あ、僕だ!」

「お!伊月がんばれ!」

 マイクを持った伊月はモニターを見て流れてくる音楽に声を乗せた。

 チャッチャッっとマラカスを振る渡と、伊月の歌をニコニコと聴く悠人。

 ところどころ高くて伊月は音が外してしまうが、悠人もそれを笑うことなく聴いていた。そしてラスサビに入る直前に素早い手つきで護の前に置いてあったマイクを取り電源を入れた。


『ほら、未来の〜〜♪』


 悠人は伊月の歌に被せて、そのまま一緒に最後まで歌い終えた。

 男子で原キーだと大変な曲だったために息を切らした伊月はカルピスをグイッと飲んだ。

 そしてニコッと笑い悠人を見た。

「楽しかった!」

「よかった〜、勝手に被せたから怒られると思った」

「びっくりしたけど、一緒に歌えてなんか嬉しかった」

 目を合わせながらニコニコする二人に渡がすかさず言葉を挟めた。

「いや〜声の相性も最高ですな〜。このこの〜」

「やめてよ〜」

 二人がわちゃわちゃとしている横で悠人は、ひどく機嫌の悪そうな謙夜を確認して、拳を握りしめて、そして何かを決意したように立った。

「デュエットといえば、俺と謙夜もめっちゃ相性いいんだぜ!」

「そうなのか?」

「マジだって。ケン、一曲歌って見せてやろうぜ!俺らの友情ってのを」

 悠人は、伊月の置いたマイクを左手に取り、それを謙夜に差し出した。

 謙夜はそのマイクを一度は受け取り、握った。

 しかし、口元に運ぶことはなくマイクはテーブルに置かれてしまった。

「悪い。なんか、体調良くねえから先帰るわ。代金が俺が払っておくからあとはみんなで楽しんでくれ。じゃあな」

 さっさと荷物をまとめて部屋の扉に手をかける謙夜に悠人が咄嗟に声をかけた。

「送ろうか!?」

「いや、マジでいい」

「でも」

「今日は楽しかった。ありがとう」

「待って!」

 バタン!という音は間を完全に塞いでしまった。

 冷めてしまった部屋の中で先に口を開けたのは護だ。

「はぁ〜、、マジでアイツなんなの?」

「ちょ、護」

 伊月が止めさせようとするのを聞こうとはせず、護は愚痴を漏らし続けた。

「マジで、今日一日さずっと我慢してた。朝陽がどうしてもって言うからアイツにキレないでいてやったけどさ、毎度毎度ため息吐いたり、機嫌悪い感じ出してアイツが空気悪くするんだよ」

 実際、今日の謙夜の行動は護が言っている通りだった。悠人と伊月がを実践すると、ため息や嫌味を漏らして空気は少しずつ重たくなっていった。

「なあ、朝陽。お前には悪いけど、俺アイツと仲良くなんて無理だぞ。いくらお前の中学校の頃の親友だったとしても、俺はアイツが嫌いだ。ていうか、俺的には朝陽もアイツと縁切った方がいいと思うんだけど?」

「護!やめなよ!」

「伊月止めんなよ。俺は朝陽のためだと思って言ってんだよ。伊月も考えてみろよ、今日一日アイツと遊んで、アイツはただただ二人の関係を心配してるだけだと思ったのか?」

「それは……」

「アイツは、加賀見の野郎と同じ類のクズだよ。同性愛を完全否定、それだけじゃなくバカにして見下す奴だよ」

「………………」

 すっかり下を向いて黙り込んでしまった悠人を見て、護はハッと正気に戻された。

「あ、ごめ、言いすぎた…」




 もういいか


 悠人は今にも泣き出しそうな声で声を絞りだした。

「ちょっと話を聞いてくれないか?」


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