田中、お前死んでるだろう
星野 ラベンダー
第1話「透けているクラスメート」
町でばったり会ったクラスメートが笑顔で挨拶してきた。その姿に、
「……田中、お前死んでるだろう」
え、と目を丸くした
下半身に向かうに従い、徐々に薄まり透明になっている体。膝から下に至っては完全に消えてなくなっている。肌面積は全て、血液の流れている気配が感じられない青白い色だ。
田中の人好きのする笑顔が固まった。ひゅー、と乾燥した冷たい風が走っていく。
直後、「えーーー!!!!!」と田中の絶叫が響き渡った。
「な、なななななんで?! どうして、は、なんで!!!」
「今まで気づかなかったのかよ……」
「いっ、いやこれ、嘘だよな?! 少し、すこーしだけ、ただ体が透けてるだけで、でも俺、別に生きてるよな!! さあ神原、今の俺はどんな風に見える!」
「死んでるようにしか見えない」
「嘘だろーーー!!!」
田中はうわーと頭を両手で抱え、スケートのイナバウアーのように仰け反った。
元気だなと感じる。今まで神原が見てきた幽霊は、全員が重く落ち込んだ空気を身に纏っていたのに。
田中はクラスの中心グループにいる生徒で、いつも多くの友人達と何かしらで浮かれ騒いでいる。死んだ後も陽気さが健在とは、それが光のグループに属するということなのか。
「何があったんだよ?」
「特に思い当たる節は……。あ、でも昨日の夕方頃、ちょっと遠出した帰りに道路で車とぶつかったんだけど……。けど怪我もしていないしどこも痛くないんだ。だから普通に帰ったんだけど、俺がどれだけ話しかけても家族は無視するし、今日も朝から友達と約束があったのに落ち合う場所に行っても全然無反応だし、最後には田中来ないなって、俺いるのに皆帰りだすし」
「なるほど、事故ったんだな」
「あの車とか?! はー、まじかよ……。ああやっと俺を無視しないやつと出会えた! と思ってたら……」
クラスメートが交通事故に遭って死んだ。その事実を知っても正直、強い寂しさや悲しさは生まれなかった。
田中とは挨拶もろくにしたことがなく、同じクラスという以外に接点を持っていない。彼とまともに話したのはこれが初めてだった。友人はおらず、一人で過ごしてばかりの神原にとって田中は、芸能人並みに遠い存在だった。
「でも、なんで神原は俺の姿が見えてるんだろう?」
「……まあ、なんというか。霊感、があるから。俺」
「そうなのか?! 初耳なんだけど!」
「言ってないから」
「言えよー! なんだよ、うちのクラスにそんな凄いやつがいたなんて知らなかったぞ!」
凄いのだろうか。神原自身はそう思っていなかった。幼い頃から何度も怖いものが見えたり変なものを連れて帰ってしまったりと、ろくな目に遭ってこなかった。強いて良かった点を絞り出すなら、幽霊に対して多少の知識と対処法を得たことだろうか。それが日常生活の役に立ったことはないが。
なのに凄いから言えなどという明け透けな物言いに、やはり田中とは相容れない種族だと改めて感じた。
「そっかあ、霊感持ってる神原にだけ見えるってことは、本当に俺死んだのか……。死んだらすぐ天国だか極楽だかに行くって思ってたから、気づかなかった」
「……成仏せずに幽霊になってるってことは、この世に強い未練があることになるけど。何か、思い当たる節はないか?」
「未練? ……あるある、超強いのが!!」
「何?」
「冬休み!! クリスマスパーティーとか除夜の鐘とか初詣とか色々予定入れて、今年の冬は思いっきり楽しむって決めてたのにー!」
「……」
それが未練? 神原は頭を片手で押さえた。
しかし田中の焦りようと騒ぎようを見るに、本気で冬休みに遊べないことを嘆いているらしい。
「これって、放っておくと駄目なんだろ?」
「……成仏できないと、永久にこの世に縛られ続ける。で成仏するには、未練を晴らさないといけない」
「うーん……。冬休みの予定が潰れたのが未練になってるから……。でも、神原以外俺の姿が見えないから……」
ぶつぶつと何かを呟きだしたその瞬間、神原は急に嫌な予感がした。同時に、田中の両目がぱあっと輝いた。
「神原!! 俺と冬休みを遊んでくれ!」
「どうしてそうなる」
このまま立ち去ってしまおうと歩き出したが、「待ってくれ、成仏のためなんだ!」と立ち塞がれてしまった。透けているのでそのまま通過できるが、仕方なく立ち止まる。
「だって今高二だろ? 来年の冬休みなんて受験であってないようなものなんだからさ、今年が存分に遊ぶ最後のチャンスなんだよ! 頼む神原! な、人助けだと思って!」
田中がぱーんと音を立てて両手を合わせた。
もう死んでいるのだから受験も何もないのではないか。しかし真剣で力の入った眼差しから、ふざけているわけではないらしい。正面からの真っ直ぐすぎる視線に、体がぐいぐい押されるようだった。神原は腰に片手を当て、長く息を吐き出した。
「……何をしたらいいんだよ」
「付き合ってくれるのか! ありがとう神原ーーー!!!」
飛び跳ねそうな勢いで、田中は全身で喜びを露わにした。この世の存在ではなくなったのに、光る生命力が溢れ出ているようだった。この曇りなき快活さが、田中の人気の理由だったのだろう。
冬休みが明けて学校が始まったら、田中が死んだ報せは伝えられるはずだ。田中と仲良くしていた多くの友達やクラスメートが悲しむことだろう。しかし自分はその場面にいても、特に涙は流さないと思った。平然と、昨日と変わらない今日を過ごす姿が目に浮かぶ。
それくらい薄い関係だったとしても、クラスメートはクラスメートだ。相容れないとしても、もうこれきりの関係だろうし最後に人助けくらい行っても。そう考えたのだ。
「早速なんだが、買い物に付き合ってくれ! 手袋と、あとマフラーが欲しいんだ!」
「……別に、いいぞ。俺もちょうどマフラーを買いに行くところだったし」
「神原もか! 偶然だなあ、尚更良かった! じゃあ行くぞー!」
田中はくるりと背を向けて、うきうきと歩き出した。実際は足がないので、ふわふわと浮いているような移動の仕方だ。神原はその後ろを静かについて行った。
弾む背中を見ながら、ふと神原は、全然話したことがないのに自分の名字を知っているのだかと思った。伝えると、振り返った田中はにっと得意げに笑った。
「クラスメートの顔と名前は全員覚えてるぞ! 記憶力はいいんだ、俺!」
「それは……素直に凄いな」
「ふふん、唯一の特技だ!」
田中は親指を立てた。唯一など、そんな謙遜を言うとは少し意外だった。田中は神原には持っていないものをたくさん持っている。勉強は苦手のようだがスポーツは得意で、部活もバスケ部所属。共に笑い合える友達が大勢いて、違うクラスの人でも異性でも年上でも年下でも、誰とでもすぐ仲良くなれる。根元から明るくて裏がなく、笑顔でいることが多い。
どうして下半身が透明になっても明るくいられるのか、笑うことの少ない神原にとって全然わからなかった。
洋品店に着くと、神原はマフラーの売り場に向かった。普段はまず来ないところだが、先日うっかり紛失したので新しいものを買いに来たのだ。
とりあえずこれでいいだろうと適当なものを選んで田中を見ると、彼はまだマフラーを選んでいた。選んでいるマフラーは大人の男性用、女性用と子供用で、自分が首に巻くためのものには見えなかった。
「マフラーは、クリスマスに家族にあげようと思ってるんだ。両親と弟にな! プレゼントは毎年贈ってて、今年は本当は手編みに初挑戦してみるかと思ってたんだ。難しいし時間が足りないしで無理だったんだけど……」
「田中って孝行者なんだな」
「当たり前のことをしているだけだって! 家族は大切だからなー!」
しばらくマフラーを選んでいた田中だったが、なかなか決められないようだった。あれもいいしこれもいいしと迷いを重ねていくにつれ、徐々に渋い顔つきになっていく。最終的に、「一旦手袋見に行くわ!」と一つも決められないまま保留になり、手袋の売り場に向かった。
「手袋も家族にあげるのか?」
「えっ! あっ、いやー……」
急に田中は言葉に詰まった。もごもごと声になっていない声を漏らしながら、視線を忙しなくさ迷わせる。
よくわからなかったが、そんなに苦しくなるなら無理に言うことではない。神原がそう言うと、「いや待て!」となぜか逆に引き止めてきた。田中は俯いて頭を掻いていたが、やがて顔を上げた。
「佐藤さん……いるだろ? 図書委員の」
「ああ……。……ってことはもしかして」
「そう、そうなんだよ……!」
田中にしてはかなりの小声で打ち明けてきたことに、神原は納得した。
佐藤さんとは、色白の可愛らしい顔立ちと長い黒髪が特徴的な、隣のクラスの女子生徒だった。穏やかで大人しいが地味すぎるというわけではなく、仲の良い友人も何名かいる。美人で優しく気立ての良いことから、密かに人気があった。
「前々からいい子だなあ、素敵だなあとは思ってたんだけどな! 今年の夏にな、俺アイスを買ったんだよ。三段重ねのやつ。でも、ぼとって地面に全部落としちゃって! がーんって動けなくなってたら、そこに現れたのが佐藤さんだったんだよ! 佐藤さんな、まだ口つけてないからって、自分の持ってたアイスを丸ごとくれたんだ! でもさすがにそれじゃ格好悪いし、新しいのを買い直して佐藤さんにあげたんだ。そうしたら、なんだかこのやり取りおかしいねって、可憐なすぎる笑みを浮かべたんだよっ! 流れで一緒にアイスを食べたんだけど、もう、この一件で、完全に落ちてしまったんだ俺は……! ……あっ、お前絶対に取ったりするなよ?!」
「そんな趣味はない」
田中は手袋を選びながら、聞いていない話を延々と話した。話しているときの田中は普段と異なり、鼻の下を伸ばしただらしない笑みになっていた。
「で、この前新しい手袋が欲しいみたいなことを言っているのを偶然聞いたから、これはチャンスだと思って……! そう、プレゼントと共に告白するつもりなんだ! 佐藤さん、クリスマスには予定があるらしいから当日には渡せないんだけど。でも多少遅れたって、気持ちがこもっていれば関係ない! そうだろう?!」
「そう思うならそうなんじゃないか?」
神原が右から左へほとんどを聞き流していることに、まるで田中は気づいていない。語りながら、若い女性用の手袋を幸せそうに吟味している。こういうのが似合いそうと、パステルカラー調でリボンなどがついた可愛らしいデザインを中心に選ぶ田中を見ているうち、ふと神原はある事実に気がついた。
田中は霊体で、ものを買えない。そもそも、霊感のある人以外は見えなくなっている。
つまり、手袋を買えないし、渡せない。告白も伝わらない。
しかし田中は、どれにしようかなと、視線を手袋の上で行ったり来たりさせている。とても楽しそうだった。自分がどういう状態なのかすっかり忘れているようだった。
この事実を、どう伝えればいいのか。考えたが答えは出ず、途方に暮れるがままに店の窓の外を見る。
その向こうの光景に、思わずあ、と声を上げた。それが大きな失敗だったと遅れて気づいた。「神原?」と田中が、止める間もなく視線を辿った。
同い年くらいの二人の男女が、店の前の歩道をちょうど横切るところだった。女性のほうは、どう見ても例の佐藤さんだった。可愛らしい服を着ており、黒いストレートヘアーは、編み込みの入ったお洒落な髪型になっていた。
男女は手を繋いでいた。手と手を絡ませた恋人繋ぎだった。二人は仲睦まじく笑いながら、目の前を通り過ぎていった。部長、と田中が呟いた。ごっそり感情の抜け落ちた声だった。
「男のほう、部長だった……」
「……」
「いつからそうなってたんだろ……」
クリスマスに予定がある、と佐藤さんは言っていたという。きっと手袋は、相手がプレゼントするのだろう。どのみち田中が手袋を贈ることはできなかったわけだ。
ううううと絞り出すような呻き声が聞こえてくる。神原は、そっと田中の様子を窺った。
田中は四つん這いになっていた。壊れて水が止まらなくなった蛇口のように、ぼろぼろと涙を流していた。
全身から負のエネルギーを放出する田中の姿に、やっと幽霊らしい姿を見せたと全然関係無いことを考えた。
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