第四章 双鷹

 グラネラを出る馬車を見つけて、ドライスは行き先を尋ねる。東へ向かうと返ってくると、駄賃を渡して馬車に乗せてもらった。馬車には既に乗客がいて、リシェルよりも少し若そうな少年が、小さな竪琴を抱えてうたた寝をしていた。

 馬車が走り出しても、少年は眠ったままだった。リシェルは向かいに座るその少年と、美しい装飾が施された竪琴をまじまじと見ていた。すると、リシェルの視線に気付いたのか、少年は目を覚まして真正面のリシェルを見つめ返した。

「僕の寝顔、そんなに魅力的でした?」

 リシェルは顔を紅潮させて目を逸らした。

「ごめんなさい」

「謝っちゃうんですか。やましいところがあったと自白するんですね」

「いえ、その……」

 少年は悪戯っぽい笑みを浮かべていた。リシェルは取り繕うのに必死で、揶揄われていることに気付いていなかった。

「性格の悪いガキだな。おい、こんな奴の言うことを真に受けるな」

 ドライスが助け船を出したので、リシェルは平静に戻れた。

「珍しいな、と思って見てしまっていました。お若くて、綺麗な楽器も持っていらして」

「大層な身分ではないですけどね。顔の良い、ただの吟遊詩人です。名はロコロタ、ファルーナより北、ダルニアから参りました」

 ロコロタと名乗った少年は竪琴で旋律を奏でた。清らかな音色がリシェルの耳に触れ、安らぎと温かさをくれた。演奏を終えると、リシェルは拍手をしてロコロタを称えた。

「すごい。聞き入ってしまいました」

 目を輝かせてほめそやすリシェルとは反対に、ドライスは冷ややかな目をロコロタに向けていた。感想を告げるリシェルに水を差すようにして、ドライスはロコロタに言葉を投げかける。

「わざわざダルニアからこっちまで、ガキが一人で旅をするのは解せんな」

 ロコロタは竪琴を撫でながら、ドライスに笑みを返した。

「ダルニアは貧しい国ですから、出稼ぎで他の国へ行くなんて普通ですよ」

「そんなことは知っている。だが、お前みたいなガキまでもが出稼ぎにくるなんてのは聞いたことがない。それにその竪琴、貧しいだなんて宣う奴が持つには値打ちがありそうなものに見えるが?」

「これは形見です。両親が死んでしまったので、一人で生きていくしかないんですよ」

 ドライスは憮然とした様子でロコロタを睨む。ロコロタはおどけた素振りでドライスの鋭い視線を躱した。

「まあ、僕からしたら貴方たちの方が不思議に見えますよ。親子にも兄妹にも見えない、不釣り合いな男女二人組。男性の方はともかく、物腰の柔らかい、殺生とは無縁そうな女性が何故か剣を帯びている。どう見ても普通ではありませんよね」

 ロコロタはそう言うや、身を乗り出してリシェルの剣の柄を握った。あまりにも自然な動きで、リシェルもドライスも反応が出来なかった。ただ目だけがロコロタの動きを追い、 剣を抜こうと腕を引く瞬間を呆然と眺める。だが、剣は刃を見せることなく鞘の中に閉じこもったままだった。

「あれ、模造品でしたか?」

 リシェルは抜けなかったことに少し安心し、何気なく言葉を返した。

「神器なんです。だからロコロタさんには抜けないんですよ」

「おい! 余計な事を言うんじゃねえ」

 ドライスは形相を変えながら、慌ててリシェルを制した。リシェルは自分がどんな失言をしたのか分からず、目を丸くしてドライスを見た。


「なるほど。普通ではないどころではなさそうですね。誰にも言わないので事情をお話しいただけませんか?」

「吟遊詩人が誰にも言わないだと? 口の軽さだけがお前らの取り柄じゃねえか」

「詩にしたいほどのお話なら、練りに練ってから披露します。つまらない話なら、ついつい言いふらしてしまうかもしれません。貴方たちの物語は、どうなんでしょうか?」

 ドライスの憤怒の顔にロコロタは見向きもせず、リシェルに返答を伺った。リシェルは言うべきかどうかドライスを見遣ると、不貞腐れたのか諦めたのか、そっぽを向いて判断をリシェルに任せた。

 ロコロタが悪意を持つような人とは思えない。彼のおどけた口調に反した洞察力からも、単純な興味を感じるだけだ。なにより、清らかで美しい音色で竪琴を奏でる人が悪人のはずがない。リシェルはロコロタを信用することにし、自分の半生と故郷へ戻る旅をしていることを話した。

 馬車は車輪をがたがたと鳴らしながら走り続けている。その音に紛れていたリシェルの声が止まっても、車輪の音は相変わらずだった。そこに新たに繊細な旋律が加わった。がさつな音に混じっても旋律は濁ることなく、穏やかな調べを奏で続けた。

「人の心に寄り添うために詩をうたうのに、慰めの言葉が見つかりません」

 竪琴を鳴らしながら、ロコロタは歌うように話す。

「これまでもこれからも過酷な旅路を歩み、目に映らぬ光を求めて、戦い続けるのでしょう。その剣は貴女の意志そのものなのかもしれない。穢れのない確固たる意志が刃となって具現した。暗黒の道程をその刃の煌めきだけで突き進む。辛いかもしれませんが、希望はその手中にある、と」

「詩にしようとしてるな」

 ドライスの一瞥をロコロタは笑みを浮かべて受け流した。

「思っていたことを口にしただけですよ。しかし、強い御方ですね。おっと、そうだ。お名前を伺っても?」

「リシェルです」

「リシェルさん。それだけの過去をお持ちなのに、今、僕が目の前にしているリシェルさんは全く悲壮感を漂わせていない。僕の奏でる調べのように清廉でいて、尚且つ芯がある」

「お前も親がいないくせに能天気に見えるが」

「ドライスさん!」

 ドライスの悪態をリシェルは咎めた。言われたロコロタは気にした様子も見せなかった。

「まあ、人間なんてそんなもんなんでしょう。過去は過ぎ去るもの。わざわざ戻って取りに行こうとも思わない。だから過去と呼ぶ。それをリシェルさんは自らを賭けて取り戻そうというのだから、面白い。ああ、この巡り合わせは聖神様の粋な計らいなのかもしれません。物語が生まれる瞬間に立ち会えるなんて幸運だ」

 ロコロタは竪琴を置くと、衣服の襟袖を正して、姿勢を良くしてリシェルに向いた。

「僕もリシェルさんの旅についていきます。お役には立てませんが、お邪魔になるようなことはしません。自分の面倒は自分で見るので、お気になさらずに自分の歩むべき道を進んでください」

 思いがけない言葉に、リシェルは返答を困らせた。ロコロタが同行するのは嫌ではなかったが、マシティアに行くにあたり、どんな危険が待ち受けているか分からない。自分の面倒は自分で見ると言ったが、護身の術を持っている雰囲気はない。か弱い少年にしか見えないロコロタがついてくるには、難しすぎる旅なのではないかと思った。彼を守り切れる自信もないし、ドライスにも負担が掛かる。やはり、ロコロタを連れてはいけない。申し訳ないが断ろうと口を開きかけた時、ドライスが遮った。

「好都合だ。お前を野放しにして、至る所で俺たちのことをベラベラと話されてはいい迷惑だからな。だが、一銭もお前にはくれてやらん。賊だの魔獣だのに襲われても守ってやるつもりはない」

「ええ、問題ありません。路銀の稼ぎ方は知ってますからね。それに逃げるのも隠れるのも得意なんです。一人旅も長いですから、危険なことには慣れてまして。何に見舞われようと勝手に生き延びますので、心配は要りませんよ」

 ロコロタはドライスではなくリシェルの方を見ながら言った。自分の不安に思っていることに先回りで回答されたので、リシェルは喉まで出ていた言葉を飲み込んだ。理由がどうであれ、ドライスもロコロタが同行することに吝かでない。もしもの場合は自分がロコロタを守るしかないと腹を括り、リシェルはロコロタの同行を認めた。


 ファルーナとマシティアの国境を目指し、東へと行く。町や小さな村、道すがらにある宿場などで馬車を乗り継ぎ、順調に目的地へと近付いていった。いよいよマシティアへと入ることになるが、入るための問題も間近に迫っている。

 宿の食堂で夕食を終えると、片付いたテーブルにドライスが地図を広げた。旅の途中、何度も見たもので、ファルーナの南東部を表している。その地図の中に、ドライスはごつごつとした指を落とした。指し示したのは自分たちが今いるアルマの町だ。そこから、地図の途切れる右端へと指をなぞっていき、途中にある一点の地で止めた。

「あと二、三馬車を乗り継げば此処に着く。国境に一番近い町ランベル。此処で国境越えに向けた支度をする」

「策が見つかったんですか?」

 何者も通さない国境の門は、例えリシェルがマシティアの人間であろうと通してはくれない。国境を越えるには、真正面から突破する以外の方法を考えなくてはならなかった。

「具体的なもんはない。ランベルが最後の補給場所になるから、必要になりそうなものを揃えておきたい。国境を越えることも大事だが、その後のことも考えなくてはならん。マシティアの地図はないし、俺もお前もマシティアがどんな地か把握はしていないだろ。万が一を想定して十二分な備えをしておく必要があるということだ」

 ドライスは地図上に書かれたランベルの文字を指で叩く。

「保存の効く食料とか野営に使えるようなものも欲しい。足となる馬も欲しいところだが、国境を越えるのに邪魔になるかもしれない。まあ、ランベルを拠点として国境沿いを何度か調べてから必要な物を揃えることとしよう」

 此処までの旅は馬車で街道を行き、宿で体を休める不自由のないものだった。賊に襲われることもなく、魔獣もグラネラの洞穴で遭遇したきりだった。だが、マシティアでの旅はそれが保証されるものではないとドライスは言う。故郷のある国が、ファルーナのように安全でないなど、リシェルには信じられなかった。自分が暮らした町は平穏そのものだったし、町の外で魔獣はおろか、凶暴な獣にすら遭ったことはなかった。

 そこでリシェルはふと気付く。魔獣、という生き物について故郷では一度も耳にしたことがなかった。町に住む人も、外から来る人も魔獣という言葉を口にする人は誰一人としていなかった。祖母ですら、町の外へ遊びに行く時に、野犬に気を付けなさいというだけだった。

 神器や聖神についても認識していなかった。不思議な力を持つ聖と魔の存在が自分の故郷にはなかったことが腑に落ちなかった。話を終えて部屋に帰るドライスを見送りながら、リシェルは卓上に残った地図に目を落としていた。

 誰かがテーブルに近付いてくる。リシェルは視線を地図から離して、ドライスが座っていた椅子に座ろうとする人物を見る。

「ロコロタさん」

 ロコロタははにかんで応えた。

「浮かない顔をしてますね。もうすぐで故郷のマシティアに辿り着けるんですよ? 嬉しくないんですか?」

 外で演奏をして帰ってきたようで竪琴を持っていた。そのため、竪琴が傷付かないようにテーブルから椅子を遠ざけて座っていた。その分、リシェルとも距離が遠い。ロコロタの目線はリシェルの周り全体を俯瞰で見ているように感じられた。リシェルはその圧力の薄い眼力と、心を撫でるような声色で語り掛けられたので、蟠っているものを話す気になれた。

「ロコロタさんはダルニアから来たんですよね? ダルニアには魔獣とか神器ってあるんですか?」

「魔獣はかなりいますよ。神器は王家に一つある、というのは聞きます。魔獣が多いのは神器がないからなのでしょう。ですから、魔獣の討伐はファルーナから派遣された聖絶士に任せているんです」

「魔獣がいるのも、神器があるのも、当たり前のことなんでしょうか」

「差はあると思いますが、神器も魔獣もこのクオンタール大陸では存在は認知されています。マシティアではどうだったんですか?」

 リシェルは躊躇いながら、その問いに答えた。

「此方に来るまで、魔獣なんて生き物がいることも、神器なんてものも知りませんでした。私の住んでいた町では、誰からもそんな言葉を聞いたことがありません。此方では当たり前のことが故郷では全くない。本当にそんなことがありえるのでしょうか」

 ロコロタは濁りのない目を天井に向けた。手癖なのか竪琴を軽く弾き、椅子の前二本の足を浮かせて、微かになる弦の音に合わせて揺れていた。

 小さな旋律が山場を迎えそうになった時、指が弦から離れた。ロコロタは椅子を正し、顔をリシェルの方へと戻した。

「これも詩人の性なのか、僕の頭の中にいくつもの空想が浮かんできます。どれを語っても真実とは言えないですし、余計な不安を煽ることになってしまいそうです。考えるだけ無駄なのかもしれませんよ。どうせリシェルさんはマシティアに行くことになるんです。その時、外の世界でしか知りえなかった知識を得たリシェルさんは、故郷の地を懐かしく感じるか、違和感を覚えるか。望めば、その違和感の正体に近付くことも出来るのではないでしょうか。そのアルテナの剣が導いてくれるような気がします」

 リシェルは視線を腰の剣に落とした。アルテナの力が宿ったこの神器と共にマシティアに行くことはリシェルの祖母への思いだけではないものを含ませてしまっていた。。魔獣もいない、神器もない国に、神器と神に選ばれた人間が潜り込む意味を、ロコロタが暗に示してくれたようで、今まで背負っていたであろう責任の重さを初めて実感した。

 どうして私なんかが、アルテナ様に選ばれてしまったのだろう。

 この剣がなければ妙な不安も感じずに済んだかもしれないと思ったが、剣があったからこそ助かったこともある。魔獣を葬った瞬間を思い出し、恨むに恨めないまま、リシェルは剣を弱々しくねめつけた。


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