青春という名の奇妙な日常

中野ると

序章 僕と彼と彼女のプロローグ

第1話 きっとここから、僕は何かに巻き込まれていく。

 僕の人生が狂い始めたのは、両親が死んで妹が昏睡状態に陥ったあの頃からだろう。


 それは雪の降るひどく寒い日のことだった。

 あの時の僕は思いを寄せていた幼馴染に振られ、すっかり正気を失っていた。当時の僕からすれば人生の大半を共に過ごした彼女に振られたことはなかなかの大事件で、その分ショックは大きかった。


 きっと変に思い込んでいたせいもあるのだと思う。勝手に両思いだと錯覚し、ハッピーエンドだけを想像していた僕は、自意識過剰にも程があると今では思う。


 でも、当時は違った。それだけ僕は本気だったのだ。

 かなり大きなショックを受けた僕だったが、家族にはそんな姿は見せまいと過剰に振る舞うようになった。

 だが、さすがは家族と言うべきか僕に何かあったことなどお見通しのようで、父は悩みを打ち明けるように僕に言った。それでも僕は誰にも何も打ち明けることはなく、黙秘を貫いた。


 そんなある日、学校から帰宅するとリビングの机の上に「楽しみに待っててネ」と書かれた紙切れがあることに気づいた。靴や鞄が見当たらなかったのでどうやら父と母と妹は外出しているらしかった。

 一体何を待てばいいのかと疑問に思いつつ、僕は一人の時間を満喫した。


 普段はスマートフォンでこっそり見ていたアニメをテレビの大画面に写したり、買ったばかりのラノベを両親の大きなベッドで寝っ転がりながら読んだり、お菓子とジュースをお供に録画したネタ番組を見たりした。


 そうこうしているとあっという間に数時間が経ち、窓の外はすっかり暗くなり始めていた。やけに帰りが遅いと思ったが、特段気にすることはなく僕はそのまま眠ってしまった。

 どれくらい経っただろうか。誰かの声と肩を揺さぶられる感覚に思わず目を覚ました。


「ハル……! 春樹、起きて!」


 寝ぼけ眼で凝視して、そこにいる彼女が親戚の流唯るいさんであることが分かった。歳は離れているが昔から世話になっていて、よく僕の家にも出入りしていた。

 本当を言えばもう少し寝ていたかったが、やけに切羽詰まった彼女の様子に違和感を覚え、気づけば眠気は吹っ飛んでいた。


「ハル……落ち着いて聞いてね」


 彼女はその黒く綺麗な瞳から大粒の涙をポロポロとこぼしながら、絞り出すように言葉を紡ぐ。


「……ハルのお父さんお母さんと……妹が乗った車が……じ、事故にあったって……」


 それを聞いた僕はタチの悪い冗談か、夢が創り出した幻想かのどちらかを疑った。いや、信じたという方が妥当か。

 とにかく僕には彼女の言葉を受け止め、状況を理解する余裕がなかった。

 何も分からないまま、近くの大きな病院へと連れて行かれた。


 そこで見たのは変わり果てた両親の姿だった。あの笑顔も声も何もない無の姿。まるで人形のように横たわっていた。

 それを目の当たりにしても、僕はよく分からなかった。


 ──なんで笑わないんだろう。


 ──なんで喋らないんだろう。


 ──なんで?


 中学生にもなれば人の死は何度か経験がある。それでも、その度に僕はふわふわとした得体の知れない感情に心を支配されていた。


 次に僕は妹に会った。両親の時と同じようにぴたりとも動かない表情、どんなに耳をすませても聞こえてこない妹の声。

 ただ一つ違ったのは、妹だけはかろうじて生きていることだった。とはいえ昏睡状態に陥っており、僕からすればさほど違いは分からなかった。


 僕は泣きもせず、喚きもせず、取り乱しもしなかった。

 ただ、自責の念に駆り立てられていた。

 こうなったのは僕が幼なじみに振られただけで凹んで、家族に気を遣わせたからだ。


 これは後から知ったことだが、両親と妹は近くのショッピングモールに行き買い物をした帰りに飲酒運転の車に巻き込まれ事故に遭ったらしい。その時、車内に山積みになっていた荷物は全て僕の好きなもの、欲しかったものだったらしい。


 だから、僕が気を遣わせるような態度を取っていなければあの日わざわざ買い物に出かける必要はなかったのだ。

 そうだ。これは僕のせいだ。僕が悪いんだ。僕が家族を死に追いやった。

 きっと心のどこかでそんな風に思っていたから、涙が一滴も出なかったのだ。


 僕はこれからどう生きればいいのだろう。家族をこんな目に遭わせた僕が、のうのうと生きていていいのだろうか。

 答えは否だ。人を傷つけた僕に人と関わる権利はない。これから僕が誰かと関わる度に、誰かを、そして自分をも傷つけるのだろう。


 それなら、僕が選ぶべきはたった一つしかない。

 問題は根本的な部分を排除すれば解消できる。つまり、この場合は僕が人と関わることをやめれば誰も傷つけずに済むということになる。


 だから今の僕にできるのはその未来を選ぶことだけなのだ。他の選択肢など存在しないし、仮にあっても選ぶべきではない。

 こうして僕は、誰とも関わらずに一人で生きていくことを決心した。

 もう引き返せはしないその道を一人で進み始めた。



        ▷ ▷ ▷



 田舎を象徴するような風景が、そこにはある。

 田畑が点在し、一軒家がいくつも立ち並ぶ。その上にはまるで青い絵の具を豪快に塗りたくったような青空がどっしりと構え、時折吹く心地よい風は桜の花びらをふわっと巻き上げる。


 そんなのどかな景色の中に当たり前のように溶け込むは日本一の山、富士山だ。ここ静岡県においては実に日常的な風景である。

 そんな景色を電車の窓から眺めながら、こうして学校に向かうことへの虚無感に襲われる。


 ──学校なんて行きたくない。


 そう思いながらも辛い日々を乗り越え、ついに高校生活最後の一年が始まった。この一年を何事もなく過ごしきればきっと今よりもマシな日常を手に入れられるはずだ。

 そんな風に朝から黄昏ていると、どこからか若々しい声が聞こえてきた。


「は、お前弱すぎだろ!」

「うるせぇな、お前も大して変わんねぇーよ」


 ゲームでもしているのか、スマホの画面をお互いにちらちらと見ながらひたすら騒いでいる。

 これは非常に迷惑極まりない。常識が著しく欠如してしまっている。


 こういう人間とも接しなければならないなら、やっぱり人と関わらない方が正解だと僕は思う。彼らを相手にしていたらいつの間にか僕も巻き込まれ、同じ目で見られてしまうだろう。

 その時、どこからかまた別の声が聞こえてきた。


「あのーさ、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけうるさいかもしれない? みたいな!」


 その声の主は一人の少女だった。

 綺麗なハーフアップの髪をエアコンの風になびかせ、時折スカートをひらっと揺らす。なんだか制服がやけに似合っている。


「……はい?」


 彼女の声は先ほどの騒がしい男子高校生二人に向けられており、そのうちの一人はイヤフォンを外して不思議そうな顔をしている。


「いやー、電車の中ではもうちょっと静かにした方がいいかもしれない? みたいな!」


 ──なんだその曖昧な言い方は。


 オブラートを何重にも包むとこうなるのだろうか。

 しかし、突然話しかけられてきょとんとしていた彼らは周りの視線に気づいたのか、恥ずかしそうにそそくさとスマホをしまい、別の車両へと姿を消した。


 しばらくして電車は終点の駅に停車した。馴染みのリズムと共に扉は開閉し、波のように乗客が降りてゆく。そのほとんどが学生で、中にはランドセルを背負った小学生の姿もあった。

 駅を出て、いつもの登校ルートを集団の後ろの方でゆっくりと歩く。

 歩きながら、電車内での出来事を振り返る。


 目の前で繰り広げられる一連のやり取りを傍観していた僕は、単純に彼女をすごいと思った。端的な指摘ではなかったが、あの場合はそれが功を奏した。誰を刺激するわけでもなく、場を丸く抑えたのだ。僕は密かに心の中で彼女を称賛する。


 僕にとっては、彼女に拍手を送ることさえも人と関わるという判定になる。強く決心した以上、声を掛けるわけではなくとも自らリアクションを起こすことは僕の信念に背くのだ。

 しかし、その信念に背かずに自己表現をできる唯一の方法が存在する。それが“心の声“だ。


 それは人生において必要不可欠なものだと言える。

 本音を言ってもどうせ誰かに否定されるなら、せめて自分の内の部分くらいは何をどんなに曝け出してもいいのだ。むしろそうでないと息苦しくて仕方がない。


 心の声ならば、なにを言っても反論してくる奴はいない。そこでは独断と偏見と自己満足が許容されるのだ。他の誰も介入できない自分だけのもの。それが心の声である。

 そんなことを考えていると、いつの間にか山の麓まで辿り着いていた。


 僕が通う学校はこの山の上にあるため、ここからはもはや登山だ。きちんと舗装されてはいるものの、それなりの傾斜の坂道を進まなければならない。

 草木が生い茂り、虫があちこちを飛び回っている。木漏れ日と時折吹く春風だけが気を紛らわせてくれる。まるで某アニメ映画にでも出てきそうな雰囲気だ。


 三年目になっても未だ慣れない坂道をやっとの思いで登り終え、ついに学校へと辿り着いた。

 ちなみにこの学校に登山部はない。あったら強そうだとか適当なことを考えながら、僕は教室へと向かった。


 教室に入ると、新学期特有の嫌な雰囲気が僕に襲いかかってきた。それに押し潰されそうになりつつも、読書をしてなんとか正気を保っていた。


『お、お前もこのクラスか!』

『結構当たりじゃない?!』

『俺この席嫌なんだけどー。席替え希望』

『担任どんな人かなー』


 わざわざ教室中に聞こえる声で喋らなくてもいいでしょ、と思わずツッコミを入れてしまいそうになる。そんな彼らの声が僕の読書の邪魔をしてくるので、心の中で「はぁ」とため息をつく。


 だが、担任がどんな先生なのかという点においては僕も共感できる。

 もはや僕からすればクラスメイトなんて極論どうでもいいが、担任教師はかなり重要な要素だ。特に高校三年ともなると進路関係で密接なやり取りをしなくてはならない。三者面談やら何やらは否が応でも受けなくてはならない。


 まぁ、僕の場合は親がいないから二者面談か。親代わりならいるが、あの人はお節介すぎるのであまり一緒にいたくない。三者面談に来るなんて全力拒否案件だ。

 ふと時計を見ると、時計の針はちょうど八時半を指していた。途端、始業を告げるチャイムの音が学校中を駆け巡る。


 本来ならここで担任教師が入ってきて黒板に名前を書き、出欠を取ったりするはずなのだが未だ教壇には誰も立っていない。

 教室内には「あれ、担任は?」的な空気が流れ始め、誰もがこの異常事態をなんとなく察知しているようだった。

 すると、廊下の方から足音が聞こえてきた。それはドタバタと騒がしく、全速力で走っているのが分かった。


 ──誰か遅刻したのか?


 多分、誰もがそう思っただろう。新学期から遅刻するなんて一体誰なんだと、皆がその足音に耳をそばだてる。次第にその音は近づいてきて、やがて止まった。

 そして教室の扉が勢いよく開いた。全員の視線は教室前方の扉に集中する。


 扉から現れたのは黒いスーツに身を包み、不適な笑みを浮かべている謎の男だった。

 その男は教壇に立つとすーっと息を吸い込み、隣のクラスまで聞こえそうなほどに声を張り上げた。


「お前ら! 楽しんでいこうぜぇーい!!」


 それが謎の男の第一声だった。

 僕は直感的に思う。

 今、まだ誰も知らない何かが始まっている。

 それはどこか異質で、どこか不思議で、どこか奇妙な始まりだ。


 ──僕は、きっとここから何かに巻き込まれていく。

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