記憶喪失の僕と魔法世界の話

シオン

第1話 始まり

「お前が僕の人生をめちゃくちゃにしたんだ」

 そんなことを目の前の少年が言った。だがしかし、何の心当たりもない。それどころか、目の前の少年にすら何の心当たりもなかった。つまり、知らない人の可能性が高い。

 それにしても、他人の人生をめちゃくちゃにできるなんて、自分はどれだけ影響力があったのだろう、なんて思ったところで何も覚えてないことに気がつく。ああ、そうだ。何も覚えてない。名前も、年齢も、出身地も、誕生日も、好きなことも、嫌いなことも。記憶喪失ってやつだな、とやけに冷静に思った。

 自分の性別すら不明だな、と思うとなんだか笑いが込み上げてくる。が、それが少年の心を傷つけたらしい。

「何笑ってんだ。僕の人生をめちゃくちゃにしたことがそんなに楽しいのか」

 怒っていることは分かるのだが、その言い方がやけに可愛らしく、というより覚えのないことで怒られていても許してしまえそうな感じがある。要するに全く不快な気持ちにならず、自分の状況を冷静に分析できそうだった。

 とはいえ、できそうなだけで、自分の中には何の情報もない。ここはどこだ、などと周りを見渡してみるも、霧が凄すぎて何も見えない。

「まぁ、いい。僕の人生をめちゃくちゃにした罰を与えてやる。お前の人生もめちゃくちゃになればいいんだ」

 そう言って彼は持っていた本を開いた。人生をめちゃくちゃにされたらめちゃくちゃに仕返すことができるのは良い世界線のように感じる。本を開いたってことは魔法的なものが存在するのか。

 なんて思ったところで目の前が真っ白になり、意識が遠ざかっていった。


 目が覚めると、またもやよく分からぬ場所だった。もしかしてループするシステムなのか、なんて思ったがそんなわけではなさそうだ。

 どうやらここはどこかの施設ならしい。黒い壁、黒い床。端の方に置かれた白いチェストと白い机、椅子。自分が居るのはベッドらしく、こちらも白い。

 さて、自分の情報を知れる場所はないのか、と立ち上がる。鏡はないから、自分の顔を確認することはできない。ということでまず足元を見ると、白い人間の足が見える。手も白く人間の肌だ。ということはとりあえず人間体を保っているらしい、あくまで今のところは、だが。獣人族などの可能性も否定できない。とりあえず胸の方に手をもっていくと、膨らみは存在せず、硬い胸板が手に当たる。つまり男か相当胸の小さい女かの二択。次に履いていた黒いショートパンツと下着を脱ぐと、なにもついていなかった。なるほど、男ではなさそうだ。つまり女か、それとも魔法的なものがある世界なら中性というものが存在している可能性もある。つまりその二択だ。

 さて、次はどうするか。とりあえずチェストを開くと特に何も入ってない。机の引き出しにも机の上にも何もおいてはいない。もしかしてここは自分の部屋ではないのだろうか。気絶してここに連れて来られたのか、それとも人生をめちゃくちゃにされたあとなのか。記憶が消えているのはどういうわけなのか。

 仕方ないが何も覚えていないというのに変わりはない。

 と、黒い壁の一部が開き、女性が顔を出した。同化しているだけできっとあそこがドアなのだろう。

 茶色の髪にポニーテールの女性。スーツを着ていて、赤いフレームの眼鏡を身につけている。胸は結構あるようで、胸辺りのワイシャツのボタンが弾け飛びそうだった。

「起きたのね。貴方の名前は言える?」

 知り合いじゃなかった。自分の部屋ではないという可能性が事実に変化してしまった。

「いいえ。残念ながら何も」

 自分の声は低くもなく、高くもない。中性的な声、というものであろうか。例えるなら低めの女性、といった感じだった。我ながら好みだな、と思う。

「そう。まぁ、魔法を撃たれたのなら仕方ないわね。貴方の身体に残った魔法の残骸を調べてみたところ、あれは記憶を消す魔法とランダムな場所に飛ばす魔法が組み合わされたものだったから」

 その前から記憶がありませんでした。なんてことは言えない。相手がせっかく納得しているのならその設定で生きていけばいい。無駄な情報を与えて混乱に陥れる方がよっぽど良くない。

「覚えてないなら名前をつけてあげましょうね。……そうね、貴方の髪は白髪だし、魔法を直に撃たれても怪我もないから、この地に伝わる神様の名前をうまく使って……『ヴァイス』ね」

 ヴァイス。ここは外国ならしい、ということだけが分かる。それにしても白髪なのか、自分は。そこまで長くはないらしく、確認はできなかった。そんな感じでいろんなことを教えてほしい。可愛いとか、カッコいいとか、中性的だとか。目の色は赤だとか、青だとか、オッドアイだとか。

「神とか言われても分からないかしら。この地に伝わる冬の神様『シュネーヴァイス』様よ。冬の雪を司る神様なの。素晴らしい神様なのよ。雪の量を調節して、我々に冬をもたらしてくださるの。ここは雪国だからとても尊敬されている神様なのよ」

 なんだか調子が上ずっているから、相当信仰されている神なのだろう。そんな人の名前からとって大丈夫なのか、信仰上において何か不便はないのか、と思ったが言わないことにする。そんなことにかまっていたいわけではない。

「なるほど。僕は……今日からヴァイス、なのですね。名字は……ありますか?」

 名字は存在するだろう、という頭の中に存在していた『常識』を口にすると、彼女は怪訝な顔をした。

「……名字? ああ、もしかして貴方、どこかの貴族様だったの? 残念だけど今の貴方は庶民。そして庶民に名字という概念は存在しないわ」

 なるほど。つまり名乗るときはヴァイスとだけ名乗ればいいのか。至極簡単なことだ。

 そういえばさっき、口から『僕』という一人称が出た。前はそう言っていたのか、中性的な人間が私というのは微妙だと判断したのか。どちらにせよ、僕と言い続けた方が良さそうだ。

「ヴァイス。ここは空き部屋だからそのまま使ってもらって大丈夫よ。今日は休んで。明日になったら色々教えて上げる」

 そう言って出ていこうとする女性に僕はある疑問をぶつける為に呼び止めた。

「貴女の、名前は?」

「私? 『アポステル』よ。気軽に『アポ』とでも読んで頂戴」

 彼女――アポ――はそう言って扉を開けて去っていった。

 僕は彼女に言われた通り、休む為にベッドに戻る。そのまま目を閉じれば眠気が僕を襲ってきた。

 こうして何も分からぬ世界で僕――ヴァイス――の人生が唐突に幕を開けた。

 一体僕は何者だったのか。最初に会った僕に明確に恨みを持っていた人間が誰なのか。彼の目的は何なのか。全て分からないけれど、きっといつかわかる日がくるのだろう。その時、僕は何をするべきなのだろうか。

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