その探索者の彼女は死地に挑むのに疲弊したいたのですが、神霊どもときたら力業で救済しようとしてきます

 探索者の乙女は小さく一口ずつ、灯理とうりのお手製のレアチーズケーキと澪穂解冷茶比女みをほどくひさひめの淹れた林檎だけを茶葉にした冷茶を運んで、ほぉ、と溜め息を零しました。

 言葉にされるまでもなく、その美味しさにときめく姿を見守るらんが嬉しそうに体を揺らしています。

「外の張り紙は本当だったんですね」

「はりがみ?」

 探索者の彼女が漏らした言葉に神御祖神かみみおやかみが疑問の声を返します。どうやらその張り紙とやらは神御祖神が用意した物ではないのですね。

「はい。このダンジョンは、ダンジョンマスターに手を出さなければ安全だと書いてありました。どうせ私一人じゃダンジョンマスターのいる深層部に行けないだろうし、危険なダンジョンはもういっぱいいっぱいだったから、本当に安全だったらいいなって思って……そしたらこんな美味しいものが出てきて、驚いちゃいました」

 無邪気に微笑む彼女の前で、神御祖神が何とも微妙な顔をしています。深層ではなくてエントランスですが、思いっきりダンジョンマスターがいますものね、目の前に。

「なにそれ。人のことを蜂みたいな扱いして。誰よ」

 貴女、根本的には人間じゃないでしょう。あと危険物としては蜂とは比べ物にならないという自覚くらい持ってください。

 そして誰がやったかだなんて考えるまでもありません。このダンジョンの事を知っているのはダンジョン対策管理室の二人だけですから。探索者が迂闊に手を出して返り討ちに遭う事のないように総司が注意書きを張っていったのでしょう。仕事が早くて素晴らしいです。

 機嫌損ねて首を落とされただなんて、普通の人間ならトラウマものなのですよ。

「ダンジョンってやっぱり普通は危ないとこなんだね?」

 このダンジョンなんて名ばかりの喫茶店の皮を被った神域しか知らない嵐が、危険なダンジョンに挑戦するのはしんどいと零す彼女に呑気な声が訊ねます。

 それなりに経験を積んでいるのでしょう、彼女は嵐の物言いに信じられないと目を見開き、震える肩を自分で抱き締めます。命を落としかねない危機に遭ったのを思い出していのでしょう。

「危ないよ……死ぬかと思ったことも……人が死んだことも、たくさん、あったよ」

 海の底へと沈みこむような彼女の小さな声に、嵐は悲しそうに眉を下げます。

「怖いんだったら無理してダンジョンに挑まなくてよくない?」

 ちょっと、そこの小娘。空気読めないのですか。軽い調子で言うんじゃありません。

「そうできたらいいんだけど、仕事だし、ギルドからのノルマもあるし、転職も上手くいかないし……」

 聞いているだけの灯理がかなり渋い顔をします。高卒でランタンのクリエイターとして、本業を持たずにバイトで食い繋いできた前世を持つ彼は、経済苦の話は痛い程、身に滲みるのでしょう。

「はーい」

 彼氏の表情と比べて何とも明るい声で嵐が手を上げて発言権を要求します。特に誰もそれを拒否するつもりはないので、指名を待たずに嵐は声高らかに質問を述べます。

「ギルドってなーに?」

「なんだっけ。探索者を取り纏めてる……私的な組織……やくざ?」

 うろ覚えでさらっと暴力指定団体扱いするのではありません。どちらかと言うとダンジョンの方が国家反逆の気があるでしょうに。

「いや、あの、ダンジョンギルドは探索者の管理とかダンジョン探索の斡旋、ダンジョン探索に必要なアイテムを探索者に提供したり逆に探索者が持ち帰ったアイテムを買い取ったりしてくれる組織ですよ?」

 流石に自分の所属する組織が極道だと勘違いされるのは憚れたようで、探索者の彼女が正しく教えてくれます。

 珈琲を口に運んでいた灯理はカップを下げて、ちらりと天井に目を向けます。

「つまり探索者の斡旋所とか派遣会社みたいなもんか」

 灯理の物言いは身も蓋もありませんが、確かにわたしが得た知識と照らし合わせても齟齬がありません。

 今の日本では国内に幾つものダンジョンギルドがあり、探索者の殆どを抱えて生活を支えています。

「ヤクザではなかった」

 貴女、まだ引っ張りますか。目の前の彼女が苦笑いを浮かべていますよ。

「えー、でも、探索者にダンジョンへの挑戦回数を課したり、レアアイテムを端金で取り上げたり、アイテムボックスに適性があるからってダンジョン攻略が社会貢献だとか建前付けて逃げられなくしたり……ヤクザじゃん?」

 そういう黒いダンジョンギルドが社会問題になっているのは確かですが、明け透けに言い過ぎです。

 尤も、顔を青くしている彼女を見ると、正にそんなブラックな所に所属していそうではありますが。

「そもそもノルマってどんな感じなんだ?」

 灯理は彼女の悩みを打開する道はないのかと探る為に、具体的な話を求めます。

 夜闇の中で灯りを授け道を指し示す神霊ですから、苦悩する人間を放って置けないのは性格所ではなく本質なのです。

「わたしは週五勤務なんですけど、勤務日は必ずダンジョンに挑戦した証拠として一定レベル以上のアイテムの提出が必要なんです」

「へー。一定以上ってことは石とかじゃダメなんだ」

 石なんてダンジョンなくてもそこら辺で拾えてしまうではないですか。それでは何の証立てにもならないでしょうが。

「具体的に言うと傷を瞬時に塞ぐポーションとか、貴金属とか宝石相当の素材とか、あとは銘刀以上の質の武器防具とか」

「ぁあ?」

 探索者の彼女が告げるラインナップに灯理が不機嫌さを隠そうとせずに唸りましたが、気持ちは物凄く分かります。

 ダンジョンに挑戦した証なのだから現実で簡単に手に入らない物を提出しろと言われたらそれまでなのですが、どれもが販売価格が数百万は下らない物です。それを毎日提出しなければならないなら、その度に死ぬような目に遭ってもおかしくありません。

「あ、でも、ある程度のレベルなら普通にクリアできますし、私がやっぱり弱くて向いてないだけなので……」

「取りあえず、お前何才だよ」

「え、十九ですが……」

「二十歳前の女の子とベテランでノルマが同じでそのレベルのアイテムを強要してるとかヤクザだろ」

 かなり灯理の怒りが煮立って来ていますね。あと一押しのきっかけがあれば、そのギルドに出向いて壊滅させて来そうな勢いです。

「潰す?」

 だから貴女は、安易に社会組織一つ壊滅させるような発言をするのではありません。灯理も神御祖神の後押しがあるならやってもいいかみたいに悩む素振りを見せないで下さい。

「え? そこがなくなって困ることって何かある? そのノルマで出してたアイテムをネットオークションで売れば、ダンジョンに行くの二日に一回とかにしても生きていけるでしょ。確定申告がめんどくさい?」

「確かにあれは面倒だけど、税金を多めに払うのは手間を省いた分くらいの感覚でやれば少なくとも法律違反にはならないぞ」

 その小娘と自己責任主義者、そういう実務だけの話ではありませんよ。人は社会性の動物なのですから人間関係だとか身の振る舞い方とかあるのですよ。

「眠る家と凍えない為の服とお腹いっぱいになるだけのご飯以上に何か必要? 現代のいいところは、それがお金があれば揃うことだし、お金は入ってくる算段ついてるし」

「少なくともそこのクソみたいな会社に義理立てしても損するだけだろ。しかもその支払いが命や健康って、とっとと捨てていいやつじゃんか」

 駄目です、この二柱と来たら人間社会に頓着しなさ過ぎるのでまるで話が通じません。

「確定申告のやり方は俺らが知ってるのとそう変わらないんだろ? だったら俺も嵐も教えてやれるから、困ったらここに来たらいい」

 行き当たりばったりで行動してから後始末を放り投げる小娘と違って、灯理は堅実に問題点を潰していきます。

 そう言えば嵐も職にしたのは灯理のランタンを販売する個人事業主でしたね。海外にも気軽に足を運んで個人企業問わずに相手の心を掴んで灯理のランタンを売り、世界に広めていった手腕は目を見張るものがありました。

 自分が話題に上がってもぽけぽけとぬいぐるみを動かして冷茶比女と遊んでいる嵐ですが、こう見えて勉強が得意で事務仕事は灯理よりも優れていたりします。人は見た目に依りませんね。

「え、いや、あの……えぇ?」

 そして当事者である探索者の乙女が話に付いて行けなくて戸惑っているではありませんか。奥ゆかしくて思慮深い女性で良かったです。

 下手に、それいいね、なんて気軽に言うギャルだったら、この二柱が本気で乗り込んでいた所です。

 だから早くオーケー出してくれないかななんて虎視眈々と期待しているんじゃありません、この小娘。会社が一つ潰れるっていうのはそんなに簡単な話ではないのですよ。何人を路頭に迷わせるつもりなのですか。

「え、そんなとこに加担してるやつとか、路頭に迷って反省させた方がよくない?」

 良くありません。何の為に人間が自分達で法律を作っているのだと思っているのですか。神託を受けてまつりごとを決めていた古代ではないのですよ。

「もー、なによー。他にギルドなくなって困ることあるの?」

 くりんと神御祖神が目を向けると、探索者の彼女は可哀想なくらいに怯えて肩を跳ねさせました。すみません、噛み付いてきたりはしないので、そこだけは安心して下さい。ああ、わたしの声が届かないのが口惜しいです。

「え、あの……ギルドでポーションとか武器とか買えない困る、ね。一般価格で買おうとしたらすぐに破産しちゃう……」

 ダンジョン探索に必要な物は割安で手に入るのですね。社員価格というやつでしょうか。

 そうやってダンジョン攻略を進めさせて、最終的には利益を上げるという方式なでしょう。

「あ、そうね。怪我したり死んじゃったりしたら困るもんね。傷薬は大事」

 幾ら小娘でも死んだらお終いだという常識は持ち合わせていたようです。

 何故わたしはそんな最低限、当たり前過ぎる当たり前を持っていてくれている事に感動しなければならないのでしょうか。言っていて自分で自分が悲しいです。

「じゃ、ギルドで買わなくてもいいようにうちで手に入ればいいわけね」

 かと思ったら、小娘が自信満々に顔を輝かせて常識を引っ繰り返す宣言をしやがりました。

 わたしの感動を返してください、この常識知らず。

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