その果実は生のままですが、女神の手によって解けて冷たく淹れられます
そこの小娘神の圧によって折角生み出した
「わたしが親なのに! なんで嵐に懐くの!?」
「嵐が最初に話しかけてたしな。鳥のヒナが最初に見た相手を親だと思うアレみたいなことなんじゃないか」
それにしても、鳥の刷り込みですか。言い得て妙ですね。
嵐が首を捩って背後の冷茶比女の様子を見ていますが、冷茶比女は嵐より頭一つ分は小柄なので首が痛くなりそうです。平気なのでしょうか。
「冷茶ちゃん?」
何気なくと言った声音で嵐が自分を盾にして神御祖神から隠れる冷茶比女に呼び掛けました。
冷茶比女の方は不思議そうに瞬きを繰り返して呼び掛けてきた嵐の顔を見返しています。
「め? 冷茶ちゃんだとだめ? さっきの長くて舌噛みそうなんだけど……」
嵐は自分が呼びやすい呼び方で冷茶比女が反応してくれるか試してみたようです。灯理もそうですが、人として生きてきた記憶がある二人は古めかしい神名が長く感じるのですね。
「え、わたし。わたしも人として生きてるよ、十二年も」
煩いですよ。どうせ貴女は生まれる以前から人間であるつもりなんて一瞬たりともないのでしょうが。
「もっちろん!」
灯理、この小娘の頭をぶん殴ってください。出来れば全力で。
「いや、そんな畏れ多いことはごめんこうむる」
「
誰のせいですか、誰の。怖いとか言うならちっとは振る舞いを直してはどうですか。
こら、そこで顔を背けるのではありません。
「よい、です」
おっと。神御祖神の態度に苛立たしさが増していたら、ぽつりと冷茶比女が声を零しました。
嵐はしっかりとその声を聞き届けたらしく、体を反転させて冷茶比女をぎゅっと抱き締めます。
「かわいー!」
「わぷっ」
嵐に腕を回された冷茶比女は、彼女の柔らかな胸のクッションに顔を埋められて窒息し掛けています。
「らーん。息させてやれ、息」
「めゃ! ご、ごめんね」
「はふ……あったかくてやわらかくて、いい匂いもしました……」
嵐の色気に当てられて、冷茶比女の頬がぽやぽやと上気しています。
これには灯理も苦笑していますね。
「で、澪穂解冷茶比女、だったか。名前からすると水に関わる神なのか?」
流石に灯理は神御祖神がさらっと告げただけの神名もしっかりと聞き分けていたようです。しかし、それが却って音でなく漢字の意味に捉われてしまっていて、僅かに的を外した予測になってしまっています。
「ちっちっちー。ざんねん、澪は、実、を、だから果実を解いて、冷たいお茶にする、って意味なんだなー」
神御祖神が短い人差し指を左右に振って灯理の勘違いを指摘します。古代の日本は表意文字を持っておらず、音でだけ意味を示したので万葉仮名で意味がズレる事も多いのですよね。そのズレた意味すらも神格として取り入れて権能を拡大した神霊もいますけれども。
「果実を解く?」
嵐は実際の現象としてそれがイメージしにくかったらしく、冷茶比女を見下ろしてこてんと首を傾げています。
「あれ、もしかして冷茶ちゃんじゃなくて澪ちゃんの方が語感がいい?」
「えと……どちらでも?」
今更呼び方に疑問を口にした嵐に、冷茶比女の方が戸惑ってきょときょとしてしまっています。
ここでわざわざ話を戻したら、一向に話が進まないのですが。
「嵐、嵐、取りあえず実際にやってみてもらったらどうだ?」
「あ、なるほど。あなたの力を見せてくれる?」
ここで軌道修正をさり気なく入れる辺り、灯理はやはり嵐の扱いになれています。
嵐も素直に灯理の言う事を聞いて冷茶比女にお願いしました。
「はい」
神御祖神の時とは打って変わって、冷茶比女は素直に返事をすると、とててと灯理の立つカウンターの中へと入って行きました。
「なんで!? なんで嵐の方が保護者っぽいの!? わたしが生みの親だよ!?」
現代社会では生みの親が絶対的存在だとは限らないそうですよ。毒親という言葉もあるそうです。
「いや、流石に毒親呼ばわりまではしなくていいだろ」
こんなに喧しいのにフォローを入れるなんて甘すぎますよ、灯理。ちょっとくらい落ち込んでくれた方が静かですのに。
騒がしい神御祖神を横目でチラ見して警戒しながら、澪穂解冷茶比女は硝子製のティーポットと湯飲み、それに花梨の実を一つ持ち出して嵐の傍らのテーブルに揃えました。
そして左手を返して手首の内側に向けた腕時計の文字盤を、嵐に見せます。
「私の神器であるこの腕時計は三つの時間を刻んでます」
現代人の皆さんには、海外の時刻を刻む小さい文字盤が窓を開けたアナログ時計と言えばイメージしやすいでしょうか。
大きな文字盤の右側、その上下に一つずつ小さな文字盤が時を刻んでいる訳です。
「一つは世界の時間、一つは果実の時間、一つは水の時間」
澪穂解冷茶比女は丁寧に言葉を紡ぎながら、そっと花梨を両手に抱えました。
「果実の時間を進めれば、乾燥が進み、解けて茶葉になります」
かちちち、と澪穂解冷茶比女の左手首にある腕時計の針の一つがペースを早めました。
その音が刻まれるのに応じて、かき氷を削りように、花梨の実がはらり、はさりと解けて澪穂解冷茶比女が開けておいたティーポットへと降り積もっていきます。
「この解けた果実に水を注いで、果実の時を止めて水の時間を進めると、今度は冷たい水に果実がお茶として抽出させられます」
かち、と一つの針が止まり、代わりにちちちちと別の針が巡りの律動を上げました。
ティーポットに注がれた澄み切った冷水が、見る見る内に色に渋みを溶かしていきます。
手首を返して腕時計を見詰めていた澪穂解冷茶比女は、ほんの三十秒程で腕時計の摘みを押して全ての時間を元通りの流れに戻しました。
そして四つの硝子の湯飲みに少しずつ、時計回り、反時計回り、また時計回りにと花梨から淹出した冷茶を均質に注ぎ入れます。
冷茶比女は神御祖神、灯理、そして嵐に一杯ずつ湯飲みを運び、すっと右手を差し出して賞味を促しました。
灯理は口に含む前に香りを嗅いで目を見開き、嵐は一口飲んで目を輝かせ、神御祖神はごくごくと一息にその一杯を飲み干しました。
「めっっっちゃおいしい! え、おいしくない、これ!」
神御祖神が喝采を上げると、その音量に冷茶比女はびくりと体を跳ねさせて嵐の背中に隠れてまた服をぎゅっと握り締めます。
それを見て一口お茶を味わった灯理は湯飲みをカウンターに置きつつ、苦笑いを浮かべます。
「すごいな。香りが良くて、けど果実そのままよりもいい意味で味が薄くて爽やかだ。茶葉が混じってないのもあって……そうだな、味が透き通ってる。他の果物だとまた印象変わるんだろうな……ゼリーとかに合わせると良さそうだな」
しっかりと味の分析をしている灯理は本当に料理の神格ではないのかと疑問を抱いてしまいます。最後は食べ合わせに思いを馳せていますし、料理への拘りが見え見えです。
「ふふ。本当に素敵な味だよ。おいしい」
嵐がそう言って微笑みかけると、冷茶比女は安心しきった顔で自分が花梨をそうしたように柔らかく笑みを解けさせていました。
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