山登り強行軍


 ほとんど登山に近い山道になった。


 足元に注意しながらジノヴィの動きに合わせるのに苦心しても、次第に擦れた手首は赤らみ、痛みは増してくる。

 時間の経過と共に霧が薄れて、ふと背後をみると灰色の岩が続く荒涼とした景色が広がる。


 風の冷たさが日差しを凌ぎ、指先を凍えさせる位の高度になっていた。

 足の裏が痛いのは随分前に訴えているが、軍人感覚の登山には休憩というものが無いらしい。


 突然目の前にたちはだかっていた斜面が途切れて、少し平らに近くなった地面を踏む。


 平然と背筋を伸ばすジノヴィの背後で、セトとアルヴァは少しよろけてから目を上げた。



 なだらかな斜面が岩だらけの山地の全貌を把握することを阻んではいるが、どうやら山の頂上に近い部分に辿り着いたようだ。


 上がった息を整えて、セトは手近な岩に座り込んだ。

 脚が重くて、きちんと立っていられない。



 アルヴァは2人の傍をすり抜けて、少し先の高い岩に飛び乗って辺りを興味深く見渡す。




 霧のような雲が景色の切れ目から立ち上って流れていく。

 冷たい空気で耳が痛いが、ここで冬仕様の防寒着が役に立っている。


 アルヴァは小さくくしゃみをしてから、来た方に向けて細身の剣を抜いた。

 『光よ 影と幻に姿を移せ』

 一瞬、振った刀身が虹色の光沢の残像を描いてもときた坂道に満ちる。



 見たことのない魔法に驚いたのはジノヴィのほうだった。

「アルヴァ。今の魔法は?」


 剣を鞘に収めて岩から飛び降り、アルヴァは笑顔をみせた。

「幻覚魔法です。弓矢とか魔法の初撃をごまかせますよ。ちょっと休憩にしませんか?」


「そうだよ。ここから降り道でも、脚がもう動かないよ。どうしても行くなら、最初みたいに気絶させて運んで貰える?」


「そんな面倒は断る」

 セトに対してはずっと押し黙っていたジノヴィがようやく不機嫌な顔で即答し、手近な岩に腰をおろした。

 セトも繋がれた縄のせいで、その隣に一緒に座り直す。



 ジノヴィは息ひとつ乱さずにここまで登ってきた。

 冗談ではなく、ここで気絶したら残りの山道を運んで貰えないかなと思う。

 そのくらい息が上がっていた。


 今までは馬車での移動だったし、もと1日中座って仕事するような生活だったのだから、軍人や退魔士とは基礎体力に差がありすぎる。

 休憩も無くここまで歩けた自分に驚いた位だ。



 アルヴァに手渡された水筒で喉を潤して、ささくれた気持ちが少し癒される。


 ジノヴィとの二人旅だったらと想像してみただけで、ぐったり疲れそうだ。


 ここまでの馬車旅で3人ともずっと黙っていた訳ではない。

 リーオレイス帝国がどんな国なのか、最近の辺境の治安、魔女探し達の動きの傾向。

 そういう旅人らしい話を色々と聞けたし、その話を通じてジノヴィが相当に硬い忠義で帝国に尽くしている事も感じ取る事ができた。




 セトからの話としては、他人の占いの内容を語る訳にもいかないから、記憶の片隅で眠っていた歴史の話をした。


 魔女が現れる前は戦乱の世の中だった。

 政治的な情報の遮断による地方の孤立と困窮。

 無規律に魔物が跋扈する世の中で、必要な時に必要な場所に物資と情報が行き届かないことは、悲惨な状況を招いていた。

 それに対して、今は魔女が魔物を支配し、ある程度魔物の行動原理が明らかになっている状況だ。

 戦乱には魔物が発生し、戦争には魔女が洪水をもたらす。

 それゆえにどの国家も軍事行動ができなくなっている。


 そういう状況が続いている事で国家間の情報確執がどんどん薄くなり、今や物資と情報が自由に動いている。


 この話は、歴史家である叔父の主観が大きく入ってはいるけれど、大体間違いはない。




 アルヴァが好奇心いっぱいの目を輝かせていたおかげで、長い話だったけれど、話題としては結構良かったのかな、と思う。


 シルヴィス王子が言っていたように、魔女は国や社会に繁栄をもたらしている。


 ただし、自分への今の扱いを考えると、魔女を好きになれそうにはない。




 ゆるやかな馬車旅で沢山話をして、少しは打ち解けたように思ったのに。

 不機嫌なジノヴィを、片目でみる。

 レギナという仲間と合流できたのは良かったとは思う。

 けれど、それでまたセトへの態度がより冷えたものに変わるということは、リーオレイス帝国に辿り着いた後の状況に、良い想像が出来そうにない。




 ふと視界の端で景色が揺れた。


 空気を貫くような音と共に、ほんの数歩先の地面にドスドスと音を立てて矢が突き立てられていく。

 驚いている暇もなく、ジノヴィに腕を掴まれ引き寄せられた。



「よくやった、アルヴァ。先へ進むぞ」

 素早く大剣を抜き、セトの背中を押す。


 突然の動きに転びかけたセトをアルヴァが支えて、急いで山頂の向こうへ駆け出した。



 いままで気づかなかった、強烈な殺気が、いきなりもときた斜面から登ってきていた。

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