おいてきた厄介ごと
ジノヴィがアルヴァを連れて戻ってくるなり、出発を告げられた。
自由に教会を出歩く事を禁じられていたからそれは良いが、ひとつ気に掛かる事がある。
「村まで一緒にいた女の人は合流しないのかい? 落ち合うならここの方が分かりやすいんじゃないかな」
「……各教会に連絡の手配はした。いずれどこかで合流するだろう。どうしてお前がそんな心配をするんだ」
「心配っていうか、気になっただけだけど」
ひと睨みされて首を竦めてみせる。
本当に他意はない。
「心配といえば、本当にこの顔ぶれでリーオレイス帝国に無事辿り着けるのかなって事は心配かな。途中で盗賊にでも遭ったら、僕なんか全然戦力にならないし」
「盗賊より魔女探し達の気が変わって追って来ないかが懸念点だ。だから少数で急行する」
ジノヴィは小さく呟いて、アルヴァが眺めている地図をその頭上からのぞき込んだ。
一番妥当なのは、主要都市同士を結ぶ街道を北東に辿る道だ。
元来国境を争っていた隣国だから、その地域の道はあまり整備されているとはいえない。
ジノヴィの身に染み込んだ地理事情では、山間部を抜けたリュディア王国の最後の町を境に、馬車が通れる道ではなくなるらしい。
そこからは国境ともいえる内陸の海――広大な湖まで歩くことになる。
湖まで辿り着けば、船を帝国側に手配しておくことで旅に苦がなくなる筈だ。
その旨の連絡書を鳥で飛ばす。
アルヴァが地図を畳んで荷物に仕舞ってくれれば、旅支度は完了だ。
「この辺に小さな村があるんだけど、俺と姉さんはここの村から出てきたんだ。セトの出身はどこなの?」
ジノヴィは息をのんだ。
アルヴァが意図して訊いたのかは分からないが、すっかり懐いた様子ですごい事を訊く。
来歴を遡れば魔女である根拠があるかもしれない。
早急に帝国に帰る事ばかり考えていたせいで気付くべき事に気付かなかった。
「僕の出身地は――」
少し考えて、セトはリュディア王国の南にある、フェルトリア連邦の東部を指先で探る。
大陸の中央にあるメルド湖沼地帯に近い。
「多分この辺りだと思うけど、頻繁に移動しながら生活してたから、よく覚えてないや。歴史家の先生と一緒に暮らしてて、アルヴァ位の年頃には読書ばっかりしてたよ」
「先生?」
「叔父さん。物心付いた時にはもう一緒だったかな」
「その叔父は、今どこにいる」
「遺跡調査するとか言って、メルド湖沼地帯に向かって、帰ってこなかったんだ」
あっさり探索の糸口を切り取られ、ジノヴィは少し口を噤んだ。
そこで行方不明となれば、骨も見つからなくなる。
魔物が充満している湿地帯に、骨を拾いに行くなどありえない。
「名前は? 何の歴史の研究をしていた」
遺跡調査などの酔狂で魔物の土地に入るとは、どんな人間だったのか。
食いつくように問いただすジノヴィに、セトは小さく笑う。
「別に有名人でもないし、調べても何も出てこないよ。フェイ=リンクス。メルド湖沼地帯にあった故王国をずっと研究してた。歴史なのか分からないけど、政治の話題ばっかりで、全然ついていけなくてさ。隅っこにあった占術書と出会えたのが収穫だったかな」
「そうか……調査できる事は何でも調査する。レギナに……いや、後回しだな」
今は調査より帝国に向かうことが最優先事項だ。
ジノヴィは今のセトの言葉を心に留め置いて、地図を畳んだ。
石畳の大通りを、来た道を戻るように通り抜けて市場の並ぶ広場に出る。
会議に出ていた聖使や魔女探し達によって、事情は知られているのだろう。
ジノヴィの顔を知る者は一歩退き、次いでセトの顔をしつこく観察して足早に去っていく。
ものすごく気分が悪いが、平然としていたジノヴィが眉をひそめたのはようやく街を出る辻馬車を利用しようとした折だった。
声をかける辻馬車に、何かと理由をつけて乗車を断られ続けた。
最後には無理矢理にでも運賃を掴ませてようやく捉まえた辻馬車に乗りこんで、息を吐く。
ジノヴィが前に立って馬車を探すのではなくアルヴァに確保して貰えば早かったのでは?
とのんびり考えながら、車窓の灌木地帯の景色を眺めた。
朝も昼も、この一大商業都市は人や物の往来が多い。
一度サルディスに集まった物資は、仲買商人によって国境を越えた流通力を持つ。
いくつもの村を通り過ぎ、山岳地帯に迫ると、流石に物流も分岐して静かな街道のゆるやかな田舎らしい景色になってきた。
途中の村々で馬車を乗り継ぎ、宿を借り、リュディア王国の国境の砦町に辿り着く目途がはっきり見えてくるまで7日はかかっただろうか。
最後の山道を越えれば砦町に着けるというところで、馬車が使えなくなった。
山道に車輪が対応していないらしい。
馬を借りて乗っていく方法はジノヴィに却下された。
思惑はわからなくもない。
セトに馬で逃げられては、何にもならない。
結局ふもとの村に1泊し、まる1日かけて山道を歩くことになった。
既に連日の馬車旅で尻が痛いのはアルヴァも同じで、馬車旅の終了に一瞬喜んだが、荷物量は減らさなくてはならない。
野宿用の一式を村に預けて、荷物に入っていた防寒着を身につける。
多少暑いけれど、リーオレイス帝国に入れば丁度良いのかも知れない。
初秋から冬へと時間を縮めているようだと思いつつ、翌日に備えて早めに就寝をとった。
夜中に、トンと扉を叩く気配でジノヴィは目を覚ました。
あとの2人が眠っているのを片目でみて、音を立てずに起きて扉に耳を当てる。
小さく女の声が外へ出ろと促すのに従って、静かに細く開けた扉の隙間から、するりと廊下に身を出す。
明りの無い夜の闇の中で、久しぶりの相棒に腕を引かれて宿の外へ出た。
星の薄い明かりでようやく疲れた顔を確認して、すこしだけ安堵する。
「これほど離れるとはな。何処まで撒いてきたんだ」
「あの一般人なら山で迷子にしてあげたわよ。それより、大変な事になってるの、きいてないの?」
「真っ直ぐ帝国に直進していた。特に変わった情報は聞かない。何があった?」
「要点は2つ。リュディア王国の王が急逝して、王位継承権を巡って王都で内紛になってるわ。今あなたにくっついて来ているお目付け役の少年の姉が参戦中よ。第2王子陣に引き抜かれたらしいわ。状況は分からないけど、彼が帰国してから報告する先が残っているかは不明よ。もうひとつ。サルディス教会の会議情報を耳にした一部の魔女探し達が、あの炭坑の村を襲撃して殲滅したの。緘口を徹するべきだったわね。もっとも、リュディアのあの国民性では、無理からぬことだろうけど」
「馬鹿が――――」
怒気を押し殺して奥歯を噛む。
悔やんでみても仕方無いが、わざわざ自分達が村人に害をなさないように苦心した配慮を何だと思っているのか。
魔女探しを名乗る旅人は、旅先に住む人々を害すべきではないし、常に味方であるべきだ。
そうでなければ、各地の教会の協力どころか、庇護も求められなくなってしまうだろう。
しかし、その背後の事件を考えてみると、リーオレイス帝国へ急行した事は目的としては成功しているといえる。
王位継承の内紛や魔女探し達の追跡を考えれば、見事に厄介事を回避している。
あとはひたすら前へ進むのみだ。
アルヴァには進退を確認する必要がある。
彼が子供ながらにしっかりしているのは、何をしても強い力を発揮する姉を信頼しているからだし、その言動は、姉の真似をしている部分もある。
「村を襲った魔女探しも適当な集めで、統制が取れている訳でもなさそうだったわ。私は単身で馬で走ってきたから奴らより速く追い付いたけど、追々追いついてくるわよ。……魔女を倒しにね」
「魔女探しだった俺達が、魔女の護衛という事か。――いいだろう。見つけ出した段階で、俺達は帝国軍人に戻ったということだ」
長期間仲間としてきた魔女探し達を敵に回す。
そうでなければ、魔女を帝国へ連れ出すことは叶わないのなら仕方ない。
そう目を瞑る。
「ジノヴィ」
震えるような声を押し出すレギナの肩を、ぐっと胸元に寄せた。
その、帝国人である薄銀髪が、土埃の匂いをつれて眼下でゆれる。
野を駆け抜けてきた、軍人の匂いだ。
細い腕が着古した旅服の背中に強い皺をつくる。
「運ぶのが死体になったっていいじゃない。何で私たちが、仲間の仇を守って、仲間達と同じ連中と戦う必要があるのよ――――」
彼女の怒りが胸中に伝播する。
けれど、その感情に任せて行動する事は無い。
それをお互いに、確認しているだけだ。
魔女を倒すのは、『帝国』でなければならない。
夜が明ける前の起床と出発に、アルヴァが目を擦る。
寝起きにジノヴィが姉が王都で継承争いに巻き込まれていると説明したのに、動揺した様子はない。
平然とした様子で一緒に行くというのだから、スティアの実力を信頼しているのだろう。
濃い朝霧が冷たく足元の土を濃く染めて、水と土の匂いがたちこめる。
「もし魔女探し達に急襲されたら、アルヴァは守りに入れ。俺が敵を潰すまで安全な場所を探して持ち堪えろよ。レギナが後方の支援はするが、基本的には当てにするな」
「はい。レギナさん、無事で本当に良かったです。でも何で一緒に行かないんですか?」
「一緒に急襲されていたのでは意味がないだろう。後方から様子見だ。……霧が濃いな」
ジノヴィは靴紐を結んでいたセトの腕を取り、右手首に縄をかけた。
「ちょっと、縛らないって言ったじゃないか――――」
口を尖らせて抗議するが、念の為だと言い捨ててその縄を引く。
引っ張られると痛い荒縄に、セトは慌てて彼の動きに合わせた。
ジノヴィが素っ気無いのはもともとだが、長時間その無造作に合わせるとなると、辟易としてくる。
「どうして怒ってるの? 僕は逃げないよ。あの村が襲われたのだって君が悪いんじゃないし、君の任務は結局成功してるんじゃないか……というか怒らないといけないのは僕の方なんだけど」
黙ったまま怒っている人間の傍にいなければならいなんて、本当に疲れる。
今までは馬車に大人しく座っているだけで良かったから気に留めなかったが、改めて魔女扱いされるのが鬱陶しくなってきた。
めずらしくセトが言葉を尖らせたのに、ジノヴィは一瞬驚いたような目を向けた。
が、すぐに前を見てひたすら山道を先へ急ぐ。
「こうなったら、そっとしておいた方が良いです」
アルヴァも大人の軍人の歩速に息をあげながら小走りに近い状態でついてきている。
セトとしても出来ればそっとしておきたい。
手首を荒縄で縛られていなければだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます