ウィッチ・オブ・アクア

夢前 美蕾

第1話 入学の手引き、まずは魔法Ⅰ

 辺りを広大な山脈に囲まれた小さな国、ディロアマ。かつては大陸の片隅に存在する発展途上の国家だったが、二百年前にとある人物が現れたのを機に情勢が一変した。


 原初の魔女、ベルドール・エーレンドはその類まれな才能で数々の魔道具を作り出し、この地に魔法という唯一無二の文化を築き上げた。


 現在はディロアマ民のおよそ五割が魔法の能力に覚醒し、街では箒と絨毯が日常的に飛び交っている。ベルドールの誕生から長い年月をかけて、魔法はどこか特別で神秘的なものから、大衆的なものへと進化を遂げたのだった。


 魔法が人々の暮らしを豊かにしていき、誰もが与えられた平和を疑いもしない世界。しかし、そんなこの国で新たな事件が起きようとしていた……




 幼い頃、私は雨が大嫌いだった


 冷たくて、悲しくて、まるで心に突き刺さるようで……


 でも今は、そこまで嫌いではないのかもしれない


 みんなの煩わしい声から解放されて、心が落ち着くから


 髪が乱れても、重く淀んだこの空気のせいにできるから


 涙を流しても、降り続けるこの雨のせいにできるから


 そう、雨は降り続ける、今も私の心のどこかで……




 ディロアマの中心街であるワズランドから大きく離れ、広大な自然の中心にある村、カルミラ。


「ひぐっ……ここ、どこ?」


 継ぎ目無い青空と光り輝く太陽に照らされたその村で、一人の少女の泣き声が響き渡った。


 カゴを持ったまま、行く先を見失って辺りを歩き回る。


「もう、ダメ」


 周りには誰もいない、助けを求めることもできない。少女は力が抜けたように、その場に蹲りかけた。


 ここで泣いてはいけない。両親のためにお使いをしないといけないのに、それなのに……


「あれれ、こんな所でどうしたの?」


 その時、諦めかけていた彼女の手を私が掴んだ。


「ふぇ?」


「もしかして迷子になっちゃったのかな。良かったら、私が連れて行ってあげようか?」


 彼女はゆっくりと頷いて私についてきた。そういえば、自分も昔はよく遊んでいる時に迷子になったかな。


「もう大丈夫だよ、お姉ちゃんに任せなさい!」


 そう言って目を潤ませた少女に笑いかける。どんな時でも諦めちゃいけない、笑顔は一番の魔法だから。


 少し勇気が出てきたのか、前に進む足取りが軽くなる。


「お姉ちゃんは誰、ここの人なの?」


「そうだねぇ……」


 真面目に名乗るかふざけるべきか。私は頭を捻って考えた後、少しだけふざけるのを選んだ。


「通りすがりの魔法使い、って所かな?」


 首を傾げるその子に向かって、私は全力のピースをお見舞いしてあげた。




 その後無事に少女はお使いを終え、日が落ち始める前に家に戻ることができた。


「良かったね、これでお母さんも喜んでくれるよ」


 実は意外と苦戦したのは内緒。それでも少女は目を輝かせて笑い、別れ際も私に向けて大きく手を振ってくれた。


「本当にありがとね、ウサギのお姉ちゃん!」


「は……えっ、ウサギ?」


 私は驚いて左右を見渡した。まさか、彼女はこの白いツインテールのことを……


「って、私はウサギじゃないよ!」


 一歩遅れて何か言い返そうとした私だったが、少女はもうそこにはいなかった。


「しょぼぼーん……」


 髪型を変えたい。ウサギって言われるくらいなら、もう少しカッコいい動物に例えられる方がまだ良かった。


「……そういえば、ここどこだっけ?」


 私は口をポカンと開けたまま、さっきの彼女のように辺りを見回した。


 私イリーナ・マーヴェリは、迷って家に帰れなくなってしまいました。




「なるほど。女の子に道案内をしたつもりが、逆に迷子になってしまったと」


 そして、路頭に迷ってしまったイリーナは今幼馴染の家にいる。


「これじゃあの子にカッコがつかないね……って、そういえば名前も聞いてないや」


「今日も絶好調だね、白ウサギちゃん」


 だからウサギじゃないって言ってるでしょ、と頬杖をついて渡された紅茶を啜り始める。


 彼女はミシェル・メルダ。産まれた頃から村で一緒に暮らしていて、私とは真逆の燃えるような赤髪をしている。


「ベルドールさんみたいな魔法が使えたら、私だって凄い魔女になれるのになぁ……」


 別にこの村で暮らすのが嫌というわけではなかった。だが、できるなら首都ワズランドでの生活もしてみたいというのがイリーナの夢だった。


「そんなこと言ったってね……素質が無いもん、私たち」


 こちらを心配そうな眼差しで見つめるミシェルと目が合う。


そう。彼女とイリーナはかつて魔法使いを夢見て、しかし何も目覚めないまま十五歳になってしまったただの一般人。


「魔法が使えなくたって、私たちができることは他にもたくさんあると思う」


「他にもって……例えばどんな?」


 ミシェルと二人で絨毯に乗り、街中を飛び回る妄想を頭の中で繰り広げながら私は聞いた。


「カフェを開いてみるっていうのはどうかな、カルミラで」


 お客さんは来ないかもだけど、と彼女が小さく笑った。


紅茶に映し出されたイリーナたちの姿が、ほんの少しだけ揺れて波打ち始めたように見える。




「遅くなってごめんね、お父さん」


イリーナが帰った後、日が落ちる前にミシェルは花束を持って父のもとを訪れた。


 物言わぬ墓の前にそれを置き、優しく手を合わせる。


「この村は今も平和だよ。お父さんが魔導士として……呪術師と戦ってくれたお陰で」


 父が亡くなって、もう何年経つのだろう。


 戦いの末に散っていったあの人のことは恨んでいない。でも自分にもう少し力があれば、違う未来を選べたのかもしれないと何度も後悔した。


「ねえ、私はこれからどうやって生きていけば良いと思う?」


 言葉に出した後、ミシェルは自分の芯の弱さが恥ずかしくなってきた。


「……そっか、私の行くべき道は自分で選ばないとね」


 誤魔化して、忘れたふりをして。今まで避けてきた自分の未来は、もうすぐそこまで迫っているような気がした。


 届かない、足りないと嘆いている暇なんて無い。


「あの子と一緒に……そろそろ覚悟、決めないとね」


 ありがとう、と父の魂に手を振りながら、ミシェルは自分の家に帰っていった。




 日が落ちると商いをしていた店も閉まり、魔獣を恐れている村の人々は家に引っ込んで外を歩かなくなる。


「そういえば、あのお姉ちゃん誰だったんだろ?」


 先程迷子になっていた女の子……ルヴェルは、部屋で魔法使いの絵本を読んでいた。


 ページをめくるその手は、嬉しさと好奇心で少し震えているのが自分でもはっきりと分かる。


「ねえ、明日はお使いに行けないの?」


 途中まで読み進めると一旦閉じて、後ろに座っている母親に声をかけた。


「ダメよ。今日だって迷子になってたのに」


「迷子になんてなってないもん。道もちゃんと覚えたし、もう一人でも大丈夫だよ!」


 魔物に襲われたらどうするの、と母親は心配そうな表情をして彼女に語りかける。


 日中に人を襲うような危険な魔物は出てこないが、間違って森に入ってしまった時や、誰かの目から離れてしまった時のことも考えなければならない。


「魔物って……お母さんそればっかりじゃん!」


それでもどうにかして外に出たかったルヴェルは、潤んだ瞳でお願いをする。


「ずっと家にいるなんて嫌だし、お出かけさせてよ!」


 こうされると断るに断り切れず、母親は頭を抱えた。


「はぁ……」




 その光景を、陰に包まれた人物が外から静かに眺めていた。


「……」


 何の模様も飾りも存在しない黒い本を持ち、まるで標的を探すかのように辺りを彷徨っている。


確かに道の真ん中に立っているはずなのに、ルヴェルを含め、誰もその者に気付かない。


「次の生贄は……この男だな」


 本を持った謎の人物はやがて、何の変哲も無い一つの民家に目を付ける。


 明るい電灯の中にポツリと、悲しみに包まれた感情。


「さあ、君の願いを僕に聞かせてくれ」


特に躊躇うことは無く、扉をコン、コンを軽く叩いてその場を去った。




「はい、どちら様でしょうか?」


 しばらくすると、その家の主が恐る恐る扉を開けた。


 ルヴェルの隣に住んでいる青年、ジョニー。音楽を志しており、将来はワズランドで活躍することを夢としている。


「……誰も、いない」


 謎の人物は既に姿を消していた。代わりに地面には、先程その者が持っていた黒い本が置かれている。


 触ると危ない。本能でそう思いつつも、まるで何かに導かれるように拾ってページをめくってしまう。


「オオカミになった男……?」


 人間からオオカミの化け物となり、見境なく暴れる絵が描かれている。何も知らないかつての友人が体を引き裂かれ、貪り食われ、無残な姿になる、そのような光景。


 すると突然、その本から怪物の手が這い出てきた。


「うわっ、何だ!?」


 ジョニーはその場を離れて助けを呼ぼうとするが、既に彼の全身をその腕に掴まれていた。


 闇のオーラが心にまで侵食していき、怒りや憎悪といった感情の奔流に押し流されていく。


「ァァァァッ!」


 身体は毛が生えて一回り大きくなり、手足には禍々しい爪が生え、最後に顔がオオカミのものへ。


 男は謎の人物が残した本によって、「オオカミになった男」に変化してしまった。


「人間は……どこダァァ!」


 地響きを村に轟かせながら、怪物は新鮮な獲物を求めて歩き始めた。




 暗く重苦しい夜が明け、いつもの平和な朝がまた訪れる。


「うーん……」


 イリーナは意識がはっきりしないまま、パチパチと目を開けて起き上がった。窓を見ると村のみんながもう外に出ており、自分が遅くまで寝ていたことが分かる。


「眠いなぁ、二度寝しよう……」


 まだ子供である彼女には仕事は無い。都会の暮らしには確かに憧れるが、遅寝遅起き遅ご飯ができるのはここの醍醐味である。


 間抜けサボり引きこもり何とでも言うが良い。結局、適度に休める人が最後に勝つのだから。


「ちょっと、イリーナ!」


 と思ったのに、下からこちらを呼ぶ声がする。寝ぐせをそのままにしたまま、母のもとに向かった。


「ああ……おはよう」


「遅よう、ねぼすけさん」


 皮肉交じりの声と共にパンが優しく置かれる。言いたいことはあったが、大人しくイリーナはいただきますと叫ぶ。


「仕事をしろとは言わないけどさ、せめてもう少し早く起きたらどう?」


 健康にも悪いわよ、と母が心配をしている。確かにそうかもしれないと思いつつも、実行に移せないのが現実だ。


「ミシェルはさ、お母さんのお手伝いとかちゃんとしてるのかな?」


「きっと……ね。あの子は真面目だから」


 まるでこっちは真面目じゃないみたいな言い方、と頬を膨らませたが、そう考えるともっと頑張らなくちゃとイリーナも思う。


 彼女は自分の軸を持っている。ぐらぐらなのは私だけ。


「そういえば、夜に使う食材が切れちゃったから貰ってきてくれない?」


 そんな浮かれない表情を察したのか、母が軽くこちらの肩を叩いてきた。


「行ったら健康にも良くなるのかな?」


「さあ、それは知らない」




「はぁ、ちょっと遠いな……」


 太陽が何の遮りも無く照っているからか、外はいつもよりも少し暑かった。


 汗を軽く拭きとり、もう行き慣れた道をゆっくりと進む。


「おや?」


 一歩、また一歩と進んでいると、イリーナは何かを見つけて足を止めた。何度か目を向けて、首を傾げながら歩み寄る。


 どこにでも咲いている白い花だった。しかし彼女の見つけたそれは道にはみ出ており、馬車が通れば間違えて轢いてしまいそうだった。


「……どこかから、種が飛んできちゃったのかな?」


 イリーナはは何も考えずにしゃがみ込み、その花を優しく撫でた。


 みんなが咲いている場所から外れ、いつまでこうしていられるかも分からない。けれども、花はしっかりと道の片隅に根を張っている。


「よしよし、強い子だね」


 はぐれ者、茨の道、行く先全てが前途多難。それでも明るく咲き誇るような勇気と輝きを、私も持って前に進みたい。


「さてと、こっちも食材調達に行きますか」


 先程よりも軽やかさを感じながら、イリーナは足に力を込めて立ち上がった。


 冷たい風にツインテールがなびき、そして……


「ん、あれ?」


 彼女は再び、目の前に広がる光景が信じられずに首を捻った。




 空に黒い雲がひしめいている。有り得ない、この一瞬で。


「どういうこと……!?」


 改めて見てみると、まだ日中なのに村を歩いている人はいなかった。どうして今まで気付かなかったのだろう。


 まるで何かに襲われたかのように、辺りがゴーストタウンと化している。


「すみません……すみませーん!」


 誰かいませんか、と通り過ぎる家々に声をかける。


 まさか魔獣ではないだろうか。そう思ったが、日も落ちていないのにどうして。


「何があったの、もう!」


 みるみるうちに雲が完全に空を覆った。肌寒い風が全身に吹き抜け、嫌な汗が額をじんわりと流れる。


「……あっ、あの子は!?」


 もうここには誰もいないのか。そう思った時、大きな木の陰に昨日会った女の子が隠れていた。


 屈みながら小刻みに震え、周りを気にしている。明らかに普通の様子ではなかった。


「お、お姉ちゃん……!」


 しばらくして向こうもこちらの姿に気付くと、表情を崩して歩み寄ってきた。


「また会えて良かった。えっと……」


「ルヴェル、私はルヴェルだよ」


 ひとまず周りの様子に気を配りつつ、彼女の手を繋いで安心させる。


「ルヴェルちゃんだね。どうしてこんな所に隠れてたの?」


 昨日と同じく迷子に……という雰囲気ではなかった。どちらかというと、何かに怯えているよう。


「ま、魔獣! 大きな魔獣が襲ってきて、それでっ……!」


「襲って、きた?」


 悪い予感は的中してしまった。でも、起きた時はそんな気配なんて全く無かったのに。


 彼女を刺激しないように気を付けながら、イリーナは恐る恐る話を聞こうとする。


「その大きな魔獣ってどんなやつ?」


「腕にオオカミみたいな爪があって、言葉を……ひいっ!?」


 しかし、ルヴェルは突然目を見開いて口を覆った。ゆっくり、ゆっくりとこちらの背後を指差す。


「そ、そこ、後ろに」


 一瞬遅れて何かの影が見えたイリーナは、身構えて振り返った。


「まさか……!」


 獣のような鋭いまなざし、大きな爪と白く光る牙。


 それはオオカミの魔獣というよりも、巨大なオオカミ男のような姿をしていた。


「白髪の女か……この辺りじゃ珍しいな」


 息を荒くして近付くその魔物は、私たちが使っているものと何も変わらない言葉を喋っていた。




「まずは、こっちのガキから食ってやるとするか」


「ううっ!?」


 何も反応できなかった。オオカミ男が手をかざすと、イリーナは向かいの家の壁まで吹き飛ばされていく。


「さっきはよくも銀貨を投げつけてくれたな。せっかくの食事を邪魔しやがって」


 ペロリと舌を出し、後退りをするルヴェルに迫る。


 まさに異形の存在だった。自我を持ち、人の言葉を喋る魔物なんて聞いたことが無い。


「ま、待って……!」


 このままではルヴェルが食べられてしまう。イリーナは必死に、何か武器になる物を探した。


 私はどうなったって構わない、だけどせめてあの子だけは。


「お願い、許してっ!」


「今更謝ったって無駄だねえ……っ!?」


 石が背中に当たり、オオカミ男の視線がこっちに向く。


「こら、そんな小っちゃい子をいじめるな!」


 再び石を何度か投げたが掠り傷すら負わない。イリーナが怯んでいると、途端に奴は走り出した。


「命知らずな女。そんなに死に急ぎたいのかァ!」


 距離を詰められた彼女が胸倉を掴まれるまで、恐らく数秒もかからなかった。


「ぐっ、うぐ……!」


「窒息か、バラバラになるか、食われるか。お前はどの死に方がお好みだ?」


 やめて、とルヴェルの泣き叫ぶ声が聞こえてくる。だが視界はオオカミ男に遮られ、彼女の姿は見えなかった。


「どれも嫌に……決まってるでしょ。私はまだ、未練タラタラなんだから!」


 まずい。このままじゃ、私は確実に死ぬ。


 頭が必死に警鐘を鳴らしていたが、不思議とイリーナは諦めることを忘れていた。


「そうか。じゃあ、一番醜いやり方で殺してやるよ!」


 オオカミ男の爪が胴体に迫る、走馬灯は流れない。


「ウサギのお姉ちゃんっ!」


 最後に自分が助けたルヴェルの声を耳に残しながら、彼女は静かに目を閉じた。




 だが、感じるはずの痛みはいつまで経っても来なかった。


「ぬうっ……あ!?」


 目を開けると、イリーナは氷を帯びた手でオオカミ男の爪を掴んでいた。冷気が腕を伝って体に伸び、奴は苦しみ悶える。


 まるで私が、私じゃないみたい。この力は一体。


「なっ、何これ!?」


 わけが分からないまま、彼女は氷を帯びた腕を横に振った。雪の結晶と共に、眩い光がオオカミ男を押し戻す。


「ぐわあっ!」


 突然の光景に、イリーナだけでなくルヴェルの表情も凍り付く。


 手の平に残る軌跡と、僅かに感じる冷たい感触。かつて私が夢として追いかけ、手に入れたいと渇望していた……


「これって、魔法……?」


 意外にも嬉しさは無かった。今心の中を包んでいるのは、どうしてという疑問符の山。


「お前、まさか魔女だったのか!?」


 だが今目の前にいるオオカミ男を追い払うには、得体のしれない力とはいえこれに頼るしか無い。


 保ってくれ、ろくにあるかも分からない私の魔力。


「……オオカミ男め、あっちに行きなさい!」


 ちゃんとした詠唱なんて知るはずも無く、イリーナはやけくそに力を込めて地面に手をかざした。


 だが魔法はそれに応え、二人の間に大きな氷柱を作り出す。


「ええっ!?」


「凄い、綺麗な氷……!」


 それは互いの姿が映る程に透き通っており、そして何よりも強靭な盾だった。


「くそっ、良い餌だと思ったのによ!」


 何度か爪を立てて引っ掻こうとするが、傷一つ付かない。


 間一髪で氷柱の攻撃を躱したオオカミ男は、凄まじい速さでその場を去っていった。




「や、やっつけた……」


 オオカミ男がいなくなったのを見届けると、イリーナは倒れそうになりながら木にもたれかかった。


「お姉ちゃん、大丈夫!?」


「はぁ、ちょっと疲れただけ……」


 しばらくすると氷柱は光とともに消滅した。いきなり大きな魔法を使ったからか、まだ手足にしっかり力が入らない。


「オオカミ男が行ったのはあっち。ルヴェルちゃんは今のうちに、安全な場所に早く逃げて」


 でも、と彼女は心配そうな表情をする。なるべく平静を装っていたつもりだったのに、ここまで息を荒くしていたら流石にバレるか。


「お姉ちゃんはどうするの?」


「私はみんなを逃がす。この辺りは大丈夫そうだけど、まだ避難が遅れている人がいるかもだから」


 家に残っている母やミシェルのことも気にかかった。だがオオカミ男と鉢合わせになるかもしれないと考えると、ルヴェルを一緒に連れて行くわけにはいかない。


 みんなはきっと助かる、私が助けてみせる。自分自身にそう言い聞かせ、イリーナはよろめきながらも立ち上がった。


「またどこかで会おうね……必ず」


「分かった。絶対の絶対に無茶はしないでね!」


 ルヴェルは泣きながら、そして手を振りながらその場を走り去った。彼女の姿が涙でぼやけて、はっきりと見えない。


 ああ、私はあの子を置いて行ってしまった。


「ごめんね……ごめんなさい。ルヴェルちゃん」


 歩き出す前に自分の手を見つめる。魔法が使えるようになったんだという、少し嬉しくも恐ろしい不思議な感情が私の心に押し寄せる。


「やるべきことを全部やったら、私もそっちに行くからね」


 イリーナはゆっくりと、先程オオカミ男が逃げていった方向に歩きだした。




「そんな、あの子が氷の魔法を……」


 騒ぎを聞きつけたミシェルは、二人がオオカミ男を退ける姿を見て硬直していた。


 杖は持っていないはず。でも親友が女の子を守るために使ったのは、間違いなく魔法だった。


「何が、どうなってるの?」


 突然現れたオオカミ男と、イリーナが使った氷魔法。目の前で起きた出来事が頭をぐるぐると回って、やがて何も考えられなくなっていく。


「あいつはまだやられてないし……どうすれば!?」


 あの人ならどうする。こんな時、一流の魔法使いだった父ならまず何をしていた。


「……行かなくちゃ、私」


 ミシェルは静かに顔を上げ、二人に見つからないようにとある場所へ向かった。




 続く

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