第21話 高田ケンタロウ
第21話 高田ケンタロウ
澤田はシンジを担当したが、その変わり様に驚いた。
昨日は事情聴取にこそ参加しなかったが、待ち時間中シンジとイチローとは学校のこととかゲームのこととかバカ話をして、短い時間だったがそれなりの信頼を得たと自負していた。
それがどうだろう。シンジは質問に対し、昨日答えた以上のことは一切知りませんの一点張りだった。昨日の明るさは全く消え失せていたのだ。
「昨日何かあったのかい?」
澤田は、思わず心配になってそう訊いた。
「何もある訳ないじゃないですか! 止めて下さい!」と叫び、シンジはテーブルを叩いて興奮しだした。
これには、同席した教師の方が恐縮して、
「後で事情を私から良く訊いておきます。申し訳ありません」と澤田に謝罪した位だ。
どちらにしろ、十歳の少年相手に、これ以上何かを訊き出すことは不可能だった。
イチローに対しては、外の班から一名助っ人を頼んで、事情聴取に当たらせていた。
助っ人の南沢巡査部長も、何もしゃべらず、時に震えが見て取れたイチローが、何かを知っていて、それを隠しているらしいことがわかった程度だ。
事情聴取を終えた山岡班三名の刑事と助っ人デカの一名は、小学CAFEに残っていた五年生達を探し出し、あの四人の少年達が、ゲームのことを何か喋っていなかったか訊いて回った。
だがそれも甲斐無く、めぼしい材料は何一つとして得られなかった。
メモを整理して、帰り支度をしていると、イチローの担任教師平田が山岡を呼び止めた。
平田は、山野辺イチローが何も喋らなかったのは、彼の飼い猫が行方不明だからだろうと言う。
どういうことですかと、山岡は訊いた。
「実は、一昨日の七月四日の朝、本人から学校に連絡がありましてね」と平田は切り出した。
「何でも……前日の午後から家で飼っているオスのクロネコ、名前はレオと聞いてますがね。そのレオ君が帰って来ないので、山野辺君が近所をさんざん探し回ったが、結局見つけられなかった。心配なので、今日もレオを探したいから、学校を休ませて欲しいと言って来たのですよ。その時の山野辺君は今にも泣き出しそうだったが、どうにか説得して通学させたのです。
その後、そのネコが戻って来たという話は聞いておりませんが、今朝の山野辺君を見ていると、すっかり諦めてしまった様子なのが、私としては不思議に思えてならないのです。
山野辺君は、ああ見えてとても心根の優しい子だから、心配事があるとふさいでしまうのです」という意味のことを、平田は語った。
「なるほど、それは少し気になりますね……村井シンジ君を担当した澤田の話では、彼も相当おかしかったそうですが、村井君については何か聞いておられませんか?」と山岡は平田に質問した。
「村井君が? 私は村井君のことは何も心配してなかったので、事情聴取の同席も外の教師に任せたのですが……
そういえば、今朝の村井君はどこか変だったかも知れません。どこがと言って、はっきりわからないのですが、今日は無駄口一つ聞かなかったし、おとなしかったような気がします」
何かありそうな気がしたが、これ以上この学校で入手できる情報は無さそうで、山岡は平田の情報提供の協力に対して、丁寧にお礼を述べてから学校を出た。
校外に出ると、山岡は三人のデカに、担当した少年達のこの後の行動調査を指示した。
やがて個別行動する為に、四台のシングルタクシーが、彼らを迎えにやって来た。
七月六日午後。
高田ケンタロウは、中学の授業が午前中に終わると、タクシーで真っ直ぐ南赤坂病院に向かった。
エレベータに乗り、三階外科病棟のボタンを押す。ドアが開くと、そこは白っぽく清潔で広い廊下だ。
彼はいつも、この廊下を歩くと暗い気分になる。
廊下の奥の個室には「ソフィア高田」と云うネームプレートが掛かっていた。
ケンタロウは深呼吸して病室に入る。
「母さん、ボクだよ。今日は気分良いかい?」
ケンタロウの声に反応して、ベッドの女が顔だけを向ける。無表情な顔が少しだけ微笑んだ。
「母さん。黒川新一郎は、心臓発作で大東病院に運ばれたそうだよ。今朝のニュースでやってた」
ケンタロウは、ほっそりとした初老の女性患者に、そう話し掛けた。
やつれてはいるが、色艶はそれほど悪くない。
「くろかわしんいちろう?」
患者はケンタロウを見て、聞き取った名前だけを復唱する。
「そうだよ。トミーを生き地獄で苦しめたドクター黒川だ」
ケンタロウは、聞き取りやすいようにゆっくりと言った。
「とみー…… どくたーくろかわ……」
「トミーの仇を取ってやったんだ……」
口惜しさの滲んだケンタロウの呟き。
(今の母さんには、やはりわからないのか?……)
寝た切りの患者は、ただじっとケンタロウを見詰める。
「あの黒川が、一人娘のアンナが殺されて、狂ったように泣いたそうだ」
ケンタロウはそう言いながら、患者のやせ細った手をさすってやった。
患者は気持ち良さげに目を細める。
「嬉しいかい?」
ケンタロウが目を覗き込む。
ケンタロウに握られた手が少しだけ反応する。
「後は、トミーを利用してぼろもうけした、マイクロサニーを潰して見せるよ。だからもう少し頑張るんだ母さん」
ケンタロウは、両手で母の手を握り締める。
患者はその手を弱弱しく握り返した。
患者の口が、少しだけ動いたように見えた。
「いいんだ。わかってるから」
そう呟いたケンタロウの目から、大粒の涙が一つ二つと女の手に落ちる。
患者は不思議そうな目を向けた。
ケンタロウは、母の手を何度も優しくさすった。
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