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 小川が四年三組の教室へ向かうと、教頭は廊下に立って、窓の外に見える校庭の風景に目をやっていた。

「毎年思いますけど、一年生はかわいらしいですね。帽子もぶかぶかですよ」

 小川も校庭に目をやる。水溜まりの無い校庭の真ん中で、カラーコーンめがけてボールを転がしている。狙い通り的へ当てた子供が大袈裟にガッツポーズをすると、飛び跳ねて拍手をする子供もいた。

「塚田先生は、服がぬかるんだ土で汚れたので着替えてくるそうです。海叶君は中に戻っていますか?」

 小川が聞くと、教頭は身体の向きを教室側に向けた。

「みんなには国語の教科書を読ませています。海叶も大人しく座っていますよ。伯母さんを呼ぶと言われたんでしょうね。しゅんとした顔ですぐ分かる」

 廊下から海叶の席を覗き見ると、海叶は机に突っ伏していた。

「中に入ってもいいですよね?」

 小川が教頭に断りを入れて教室の後ろのドアを開けた。子供たちの視線が一斉に小川へと向いた。

「そのまま読んでいてください。もうすぐ塚田先生も来ますから」

 子供たちには、まだ小川がどういう人間か掴みきれていないのだろう。小川の言葉にそのまま従って、教科書へと視線を戻した。学年がもっと下だったり、逆に上だったりするとまた反応も違ってくるはずだ。

 それでも小川へと向けて、チラチラと視線を向ける子供もいたが、小川はそれに気付かないふりをしていた。一方で、小川が来ていることに気付いているはずの海叶は、全く動かない。それは塚田が教室にやって来て、日直の号令がかかってからも同じだった。

「ごめんね、遅くなって。これ、後ろに回して」

 塚田はそう言うと、手作りの漢字テストを列の先頭の机に配って回った。児童から不満の声が聴こえない所を見ると、国語の時間は毎時間やっているテストなのかもしれないと小川は推測した。

「それじゃあ……四十五分までね。回ってきたらすぐ始めて」

 時計の針は九時四十分を指していた。五分で書けということだ。

 海叶の前の席に座っている女子は、そのテストを黙って海叶の机の上に置いた。海叶はまだ体を起こさない。小川がそれを見てテストに手を伸ばした。

 漢字の読みが十問。書き取りが十問。手書きでモノを書かない生活が長かった小川にも、かろうじて全部書ける漢字ばかりだった。

 そのテストを表に向けて海叶の前に置くと、肩を二回叩いた。

「海叶君、テストだ。まずは名前を書こう」

 肩を叩かれてはさすがに無視するわけにもいかないと思ったのか、気怠そうにしながらも、海叶は起き上がって鉛筆を手に取った。

 ――四年三組二十四番増田かいと

 小川は気付いた。「かいと」と書く前に、さんずいを書こうと鉛筆が動いていたことに。だが、その最初の点を打ち終える寸前にひらがなに切り替えていた。海叶は、自分が展望台で語ったことと整合性を取って見せたのだ。小学校四年生の子供が神経を使うべきところではない。

 小川はどうしようもなく虚しくなった気持ちを追い払うように、名前を書いただけで再び机に突っ伏した海叶の頭を軽く撫でた。

 海叶は何も発せず、撫でられた頭を、より深く机に沈めた。

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