第22話 愛で心が救えるか


 僕が欠陥品なのは、橄欖石色に輝くあの星のせいだ。

 人々は、得体の知れない星の研究と開発、果てしもない計画を自分たちの意思で選択したと思っているようだが、本当は違う。あの星を見つけるずっとずっと前から、広い広い宇宙のほんの少ししか知らないちっぽけな生命体である僕たちは、あの星の思う壺なのだ。

 これはまだ僕の持論にすぎないけれど、いつか証明されるだろう。そうなれば、先生も救われるはずだ。




 両親は僕を深く愛していた。子供部屋の押入れには、幼少期の僕をえらく可愛がっていたであろう名残りのベビーベッドやおもちゃなんかが未だに残されている。わざわざ写真を印刷して作ったアルバムもとんでもない分厚さで、時折引っ張り出して眺めては、僕に過去のエピソードを聞かせる。毎回毎回新しいエピソードが増えるから、作り話をしているんじゃないかと疑ってしまいぐらい。過去を懐かしむ両親はとても幸せそうだった。けれど幼い僕は、自分の事に全く興味がなかった。何が楽しいんだろうと思いながら彼らを眺めていた。

 幼い頃の僕の行動原理はいつも『なんとなく』だった。両親が笑うからやってみせる。困った顔をしているからやめる。泣いていたらそっと寄り添う。知らない人には笑顔を向ける。すると世界は驚くほど順調に回っていった。僕はあっという間にいい子になり、いろんな人から褒められた。嬉しいというよりも、面白かった。自分がどう思うかよりも、人がどう思うかの方が興味があった。

 五歳の頃の話だ。深夜、尿意で目が覚めた僕が子供部屋から出てトイレに向かおうとしたとき、ふとリビングの電気が付いている事に気づいた。両親がまだ起きていたのだ。中から話し声が聞こえる。父さんの声だった。


『もう、あんな奴と関わらなくて済むんだ。ここまで長かった。体に悪いことは全部やっている癖に無駄に長生きしやがった。不幸を振り撒いて困っている人間を見て平気で笑うようなゴミ野郎。でも、もうあいつは死んだ。俺が殺さなくてもよかったんだ。交通事故だって。よかった。本当によかった。ミナトがあいつの事を知る前にあっちから消えてくれて、よかった。あんな奴が自分の祖父だなんて知ったら、きっとミナトは悲しむから』


 小学校に入学したばかりの僕は、父親の言っていることがほとんど理解できなかった。けれど、何かひどいことを言っているのはわかった。誰かの不幸を喜んでいるのは確かだった。幼い僕は、父親の歪んだ喜びを目の当たりにした。

 衝撃だった。父さんが何かに対し、理不尽に怒ったり嫌な笑い方をしたりすることなんて、今までなかった。初めて見る父さんの姿だった。

 僕は、とても興奮した。

 普段温厚な父親がここまで感情をむき出しにしている様子。僕に見せない一面を目の当たりにした衝撃。人間の内側、柔らかい部分。同時に、隣で話を聞く母親が羨ましかった。

 僕も父さんの話を聞きたい。

 小さな体の内側に、明確な欲が生まれた瞬間だった。

 父さんだけじゃない。

 僕以外の誰かの話を聞きたい。

 心の柔らかいところを見せてほしい。


 『ミナトくん、お話聞いてくれてありがとう』『なんか、話したらすっきりしたよ。ありがとうね、橄原』『ごめんね……こんなこと、生徒に話しちゃダメだよね』『次、いつ会える?』


 色々な人生や想いがある。僕がどれだけ想像力を働かせても、生の人間のエピソードには到底敵わない。

 常に新しい発見があり、違う角度で興奮した。人は必ずしも自分を一番だとは思っていないけれど、一番可哀想だとは思っている。自分が一番可哀想で可愛いから生きたがるし死にたがる。進むことも逃げることも結局自分が大好きだから選択するのだ。みんな僕に好意を寄せていると見せかけて本当は自分が心底大好きだった。それは僕に嫌悪感を与えるどころか、一種の尊敬さえ感じさせた。僕には決してないものだったからだ。

 何度も話を聞いていると、さすがにパターンも同じになってくる。細部の違いはあるものの大まかな部分で重複することが多くなってきた。初めの頃のような感動を覚える機会は確実に減っていた。

 人から話を聞き出すにはまず信頼を得なければいけない。それには相応の時間がかかる。そこで僕が考えたのは、一番手っ取り早い方法で仲を深めてしまおうということだった。人が一番心を開きやすい瞬間、それは性行為の後だ。

 中学生になってから、街に繰り出すことが増えた。困ったふりをしているといい人が助けてくれる。そうでなくともつまらなさそうに歩いている人に声を掛けるとたまに僕に付き合ってくれる。ある時は友達のいない孤独な少年、ある時は帰る場所のない非行少年。中性的な雰囲気を残す少年の体だったからか、男女問わず関係を持つことができた。どんな人でも三回体を重ねれば聞きたいことは大体聞けた。突然連絡を絶ったとしても深追いしてくる人はあまりいなかった。下手をすれば自分が捕まるかもしれないのだから当たり前だ。

 鳳メグミと初めて出会った場所は、夜も更けて人の少なくなった駅のホームだった。酔い潰れて動けなくなった彼女は、ぐったりして壁にもたれていた。僕は自販機で買ったスポーツドリンクを渡し、大丈夫ですかと声を掛けながら彼女の背中を摩った。すると彼女は嗚咽を漏らしながら胃の中のものを全て出し切った後、ようやく顔を上げた。吐瀉物と涙で顔がぐちゃぐちゃだった。一回り以上年上であることは一目見てわかったが、整った顔立ちの方が印象に残った。

 彼女は僕に迷惑をかけたことを謝りつつ一人で立とうとして、フラついてその場に倒れかけた。僕はそれを抱き止めた。それが始まり。




「忘れられない人がいるの」


 よくある話だった。昔の大恋愛をずっと引きずって立ち直れない。刺激のない生活に退屈して、過去を言い訳に非行に手を出す。自覚のない被害者意識。

 メグミは常に疲れた顔をしていた。旦那のことも息子のことも本当に愛せない。でもそれを態度に出してはいけないからずっと笑っている。本当に自分が何をしたいのかわからない。気が狂いそうになってようやく、忘れられないあの人の気持ちがわかったと。


「忘れられない人?」


 ビジネスホテルの安っぽいベッドで裸になり寄り添う男女二人。いかにもな状況を自覚しながら僕は質問する。


「ダイチ」


 呟いた後、メグミは目を伏せる。名前を出しただけで酷く辛そうだった。


「よっぽど好きだったんだね。その人のこと」


 メグミはしばらく何も答えなかった。皺の寄ったシーツの表面を眺めていた。やがて恐る恐る口を開いた。まるで罪を告白するかのようなか細い声だった。


「最近、ようやくダイチの気持ちがわかった。自分が空っぽになる感覚。自分の意思がどこかに置き去りにされているような焦り。でも今の自分が正しいことも理解しているの。今のままでいいの。それでいいはずなのに」

「メグミは偉いよ」

「偉くなんかない。ダイチのことをわかったつもりでいて、実際は何もわかっていなかった」


 隣に僕がいるのに、メグミはずっと『ダイチ』の話をしていた。彼女と会うのはもう二回目だが、どうやら僕との疑似恋愛を楽しんでいる訳ではないらしい。僕を通して誰かを見ている。その誰かがどんな人物なのか、気になった。


「酷い人だね。メグミにこんなに辛い思いをさせるんだから」

「……違うの。ダイチは生きようとしただけ」

「どういうこと?」

「普通に生きようとしただけなの」


 それきりメグミは黙り込み、話を無理やり終わらせた。

 メグミとの関係はそれからも続いたが、『ダイチ』の話が出ることはなくなった。最後まで聞きたかったのが本音だが、無理やり聞き出すのは性に合わない。

 学校生活よりも趣味に没頭していた僕の日々はめまぐるしく過ぎ去り、気づけば高校生になっていた。自分があまり頑張らなくても入学できる、それでいてどちらかというと進学校で、両親も担任も受かったことを喜んでくれる学校を選んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る