第19話 お前は普通じゃない


 包み込むような優しさを引きずったまま、ショウタは突然話題を変えた。ダイチは間抜けな声で、頼みたいこと、と言葉を繰り返した。


「プロジェクトの試験を受けてくれないか」


 ダイチは再び言葉を繰り返した。プロジェクト?

 それは、ショウタが高校時代に憧れていたものに間違いなかった。ダイチもまた、同じ時期に憧れを抱いていた。しかし、進学してからはすっかり忘れていた。


「どうして、俺が」

「お前なら絶対に受かるよ。だから、俺の代わりにあの星へ行く権利を取ってきて欲しいんだ」


 ショウタは戸惑うダイチの肩を力強く掴んだ。


「ま、待ってくれ。絶対に受かるなんてどうして言い切れるんだ。俺は宇宙に詳しいわけでもないし、適性があるかどうかもわからない」

「勉強は苦手じゃないだろ? 成績だってそれなりによかったじゃないか。正直、テストはそんなに難しいもんじゃないんだよ。大事なのは面接と適性検査だ。俺は落ちたけど、お前なら受かる」

「何を見て判断されているかもわからないんだろう? それなのに」


 ダイチを唆す彼の目には、一点の曇りもなく、心から自分の意見を信じているようだった。


「確かに、公表はされてない。でもわかるよ。俺はダメだった、でもお前ならきっと通る。だって、お前は特別だから」


 ダイチは狼狽えた。


「ち……違う、俺は特別なんかじゃない!」

「特別だよ。普通を装おうために頑張って頑張って、表面上は取り繕えているけど深く関わってみればすぐにわかる。お前には意思がない。やりたいことがない。何かに倣うように物事を判断して、好みを選んで、表情を作って」

「そんなこと」

「そんなお前が唯一自分の意思で選んだのが俺だったんだろ? なあ、お前みたいな人間でも恋心ってのはコントロールできないものなのか」

「違う、」

「メグミちゃんが可哀想だ。普通のお前に騙されて、ずうっと一緒にいたんだからさ」

「違う、メグミは!」


 大きな声が出て、ダイチは驚いた。意図せず目立つ行動をしてしまうのは初めてだった。


「メグミは……俺をよく見ている。俺が欠けていることを知っている。それでも側にいることを選んでくれている。大切な人だ。一緒にいるべき人なんだ」

「そんな人の信頼を、お前は裏切り続けてるんだろ?」


 心臓が跳ねた。


「……俺はメグミのことが好きだ」

「そうありたかったんだろ」

「……」

「もう、解放してあげたらいいじゃないか。俺たちは大人になったんだ。恋愛ごっこじゃ満足できないよ、このままじゃ二人とも幸せになんかなれない」


 彼の言葉には裏があり、思惑があった。

 昔のショウタは、道を外れようと提案してくるような男ではなかった。彼は変わってしまった。メグミと同じように。


「俺は変わりたいんだよ。出たいんだよこの何の変哲もない場所から。なあダイチ、お前が権利をとってきてくれたら俺は、お前と結婚するよ。そうしたら一緒にあっちに行けるだろ」


 それでもまだ好きだった。

 あのときとは似ても似つかない声色で、病んだ表情をしている目の前の男のことが、やはり好きだった。

 どうしてだろう。好きになったって少しも良いことなんてないのに。


「……できない」


 例え心が全く反対のことを考えていても、ダイチはそう口にするしかなかった。

 変えるのが怖かった。ショウタの言うように自分の意思で生きることができないダイチには、自由というものが寧ろ恐ろしかった。


「俺は確かにショウタのことを好いているかもしれないが、一緒にいることはできない」


 心のどこかで、ショウタが自分を許してくれるのではないかと期待していた。そんなことある訳がないのに、記憶の中の優しい友人が、また笑いかけてくれる希望を捨てきれなかった。

 だから、相手に委ねるような返答をしたのだろう。

 ダイチはこのときのことを何度も思い返しては、自分の愚かさに嫌気が差す。

 ショウタは大きくため息をついた。まるで話の通じない相手を説得しているように、うんざりしていた。


「どうしてだよ」


 ダイチは、ショウタが焦っていると感じた。理由はわからなかった。


「どうして、お前みたいなやつが、俺の欲しいものを全部持ってるんだ」


 明らかに空気が変わっていた。言葉の一つ一つを吐き捨てるように乱暴だった。


「自分のことを自分の意思で決められない、生きてるか死んでるかわからないようなお前が幸せで、精一杯生きてる俺がどうして報われないんだ?」


 あまりの迫力に、ダイチは圧倒された。つい先ほどまで、自分を好いていたと話す人間の言葉とは思えなかった。


「高校の頃からそうだ。お前はただ都合のいい存在だった。求められた言葉を正しいタイミングで言って、周りに合わせて、自己主張しない奴だと思われる前にそれなりの話題を用意して、空気にもならず目立ちもせず、そうやって世間に合わせて生きてるだけのつまらないやつだった。正しくないことも、それが一般的な意見なら平気で口にした」


 ショウタはすらすらと台本を読み上げるように円滑にダイチを追い詰めた。


「最初は可哀想だと思ったんだ。お前が気持ち悪いくらい誰かに合わせて生きているのは何か理由がある、だから、話してみようと」


 ショウタは言葉に詰まった。

 部活で怪我をしたあと、真っ先に来てくれた彼の本気で心配する顔を思い出した。


「俺は……お前を、救ってやろうと、した」


 ショウタの顔に浮かんでいるのは、後悔だった。


「でも、わかった。ダイチは生まれた頃からこういうやつなんだ」


 ショウタは、あの頃から何も変わっていない。傷を癒すために、変わろうとしているだけだ。


「お前は人間じゃない。人間に合わせて生きている、他の何かだ」

「……そうか」

「ほら……こんなに言われても少しも傷つかないじゃないか。事実だから悲しみようがないんだろ。怒る気持ちだって湧いてこないんだ」

「そんなことはない。少しは傷ついた」

「傷ついた? なら声を荒げて反論してみたらどうだ。存在ごと否定されてるのにじっとしてられるなんてどうかしてるよ」

「ショウタに好きだと言われたとき、動揺した。けれど、俺を利用するための嘘だったことを知って、とても悲しい」


 ショウタは顔を顰めた。


「悲しいのはお前の恋人の方だよ」


 汚物を見るような荒んだ目をしていた。


「その通りだ」


 ダイチの瞳は乾いていた。


「それでもまだ、彼女と関係を続けるのか」


 念を押すような問いかけに、ダイチは答えなかった。


「少しでも申し訳ないと思ってるんだったら、関係を精算して、俺の言う通りプロジェクトの試験を受けてくれよ。何の価値もないお前の人生に、俺が意味を与えてやる」


 ショウタはスマホを取り出し、しばらく操作した後顔を上げた。


「でなければ、このメッセージを彼女に送る」


 画面に映し出されていたのは、音声記録らしきファイルが添付されたメッセージだった。送信ボタンを押せば、すぐにでも相手に届けられるだろう。


「どうしてメグミの連絡先を知ってるんだ」


 宛先は、確かにメグミのものに違いなかった。


「彼女、きっとお前に飽きてるんだよ。飲み会にもよく来るらしいし、会うのはとても簡単だった。俺は連絡先交換しかしてないけど、他の男と何してるかわかんないぜ」


 確かに、メグミは大学生になってから活発になり、他者との交流を積極的に行うようになった。そこに浮気という可能性を見出せなかった自分は、よほど恋愛に興味がなかったのだろう。


「喧嘩別れするより、冷静に話し合って別々の道を歩むとかなんとか言う方が面倒が少ないだろう。嘘なら得意なんだから、絶対こっちの方がいい」


 ショウタは、ダイチに自ら言わせようとしている。


「そうだろ?」


 ダイチは手を伸ばした。指先はショウタの握っているスマホへ向かっていた。

 人差し指が液晶に触れたとき、後悔はなかった。


「ありがとう、ショウタ」


 ショウタは慌てて液晶画面を見た。それから、信じられないような顔をした。


「お前……!」

「全部お前の言うとおりだ。俺は自分がわからない。何をしたいのか考えても答えが出ない」


 メッセージにはまだ返信がきていない。彼女は今何をしているのだろう。


「だから周りに合わせて生きてきた。世間が正しいということを自分の正しいにした。世間が間違っているということを自分の間違っているにした。でも、それは誰もがしていることだ。俺だけじゃない」


 ダイチの心には諦めがあった。目の前の友人がころころと表情を変えるのを、映像を眺めるように見ていた。


「みんなはそれが嫌なんだ。自分がなくなるのが怖いからだ。だから葛藤する。これでいいのかと悩む。だから俺みたいなやつは気味が悪いんだろう。人は自分が理解できないものを怖がるから」


 ダイチの声には抑揚がなかった。


「だから、純粋なショウタが俺を怖がって、嫌いになってくれて、ほっとしている。俺はバカだ。絶対に自分を好きにならない人に好意を寄せていた」

「……おまえ」


 誰かに助けを求めるようにか細く、小さな声だった。


「気持ち悪いよ」


 ダイチの言葉はショウタに届いていなかった。けれどダイチは話し続けた。もっとも、中身のない人間だと思っていた相手の唯一の意思が、自分への好意だとしたら、それは確かに気味が悪いだろうと思った。


「大丈夫だ。もう会いにこない」


 目の前に敷かれていた人生のレールを、切り替える瞬間だった。


「もう、誰も傷つけたりしないよ」


 放置されたメッセージ画面に、メグミからの返信が届いているのが見えた。

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