僕とニワトリのたまこさん【短編・全3話】

冬野ゆな

第1話

「清見君! 午後の資料だが――」

「清見、N社からさっき――」

「清見課長、急ぎの件なんですが――」

 見事なほどにかち合った会社の上司と同僚と部下の女子社員は、三人が三人とも互いの顔を見た。

 そして三人の目の前に立つ清見正一は、眼鏡を指で押し上げ、ひと呼吸置いてから続けた。

「はい、まずは橋田部長。午後の資料はこちらになります。いまコピーを頼んでいるところですので、急ぎであればコピー室の方に行けば大丈夫でしょう。杉本、N社の件についてはこちらのファイルを。必要であれば資料を渡してくれ。そのまま渡しても大丈夫なようにしてある。それで松永君、急ぎの件は何かね」

 清見は鮮やかに仕事を次々と片付けていったあと、上司は早足でコピー室へと向かい、そして部下と同僚は急いでデスクに戻っていった。清見は三人をそれぞれ見送ったあと、自分のデスクに戻ろうとして足を止めた。新人の一人が、コンビニの袋を持って部署に帰ってきたところだった。

「兼田、その袋は?」

「はいっ。今日、謝罪に伺わないといけなくて。それで、部長にお菓子が必要だと言われて」

 見せてみろ、と言うと、清見は袋の中身を覗き込んだ。コンビニやスーパーでよく売っている、ビニールの袋に入った個包装の和菓子だった。

「そうか。でもそれは謝罪用の菓子じゃない」

「えっ……、でもお菓子って、こういうのじゃ」

「ふむ。知らないのは仕方ないよな。だが今度から何を選べばいいかわからなかったら私に聞きなさい。この近くに謝罪やお土産で使えるお菓子を売っている店があるから、今から急いで買ってくること。わからなければ店員に謝罪用のお菓子を買うと伝えて、目安の値段は大体……」

 店名や地図も含めて清見が説明を終えると、何度も礼を言って走り去っていく部下を見つめてから視線を戻した。

「清見課長! ちょっと今いいですか!」

 用事はまだ終わらないようだった。

 杉本と松永の二人は、その様子をこっそりと見ていた。

「相変わらず凄いですね、清見課長。人の仕事まで……」

「あいつは同期だけどマジで飛び抜けてたからなあ」

 清見正一、二十七歳。独身。

 東京の某有名大学を主席で卒業し、現在は大手商社に勤めるやり手の商社マンである。天は二物を与えずというが、在学中から何度もスカウトを受けたというほど顔も良い。長身でキビキビと動き、あっという間に仕事を片付けてしまう。部下が困れば頭を下げられる人物で、誠実でまっすぐだ。ただひとつの欠点も見当たらない、いわば完璧超人。

 ひっきりなしに持ち込まれる案件を片付け、自分の席に座れば今度はキーボードを叩き、合間にメールと電話を飛ばす。出来る人間とはこういうことをいうのかと誰もが理解していた。ありとあらゆる感情を一身に受けながら、彼自身はそれを受け流していた。

 昼休憩になっても、彼はキビキビと動きながら仕事を片付けていた。

 彼の動きが一瞬とまり、ふうっと息を吐いた隙を見て、女子社員の一人が声をかけた。

「清見課長~!」

 部下の一人の山崎遥だった。

「山崎君、どうした?」

「もう休憩ですよねぇ? 一緒にお昼どうかと思ってぇ」

 山崎はにこやかに笑いかける。

「いや、悪いが忙しくてね」

 清見は軽く手を振る。

「それじゃ、今夜とか……」

「すまないな」

 好意と下心をあわせもつ女性部下への返答もそこそこに、部署を出ていく清見。

「クールですね……」

「クールなんだよなあ」

 杉本と松永の二人はその背を見送って呟いた。

「ああいう人って、私生活とかどうなってんでしょうね」

「や~、本当、想像つかねぇなあ」

 それこそ一般人には想像もつかないようなリッチな生活を送っているのかもしれない――そんな想像を巡らせて、あれこれと話し合う。

 一方で後に残された山崎は、眉間に少しだけ皺を寄せて立ち尽くしていた。


 その日の夜――。

 とっぷりと暮れた暗い道を、清見はスマホを片手に帰路についていた。

 ――明日はS社との面談、午後はK社との取引、午前中までにA社の仕事を終わらせて、それと電話を……。

 まだ仕事は山積みだ。それに加えて、清見を頼りにする面々が仕事を振ってくる。新人たちも一通り手が離れたと思っていたが、まだ教育しなければならない事があるらしい。そのうえ、顧客や取引相手のなかには「清見でなければダメだ」と言っている者もいる。ありがたい事このうえない。忙しくはあるが、充実した毎日だった。

 あとは、家に帰って眠るだけ。

 そう考えた途端、清見はため息をついた。

 ――また、ゴミが捨てられなさそうだな……。

 自宅マンションの惨状を思い出すと、清見はため息のひとつもつきたくなった。

 そう。清見は仕事は人一倍どころか二倍も三倍もできたほどだが、家事においては自分でもいやになるほど出来なかった。ゴミ出しに関してはこれで三週間連続だ。ここ一ヶ月ほどは忙しくて、ゴミを捨てる暇さえなかった――いや、あったはずだが、構っている暇がなかったのだ。なんとか片付けようとしてひとまとめにしたゴミ袋は既に数えるのも億劫なほどになってしまった。

 日本においても何件かに一件はゴミ屋敷だというが、清見の部屋もそれに近づきつつある。仕事はともかく私生活の方は見る影もない――そう言ってしまえば身も蓋もないし、認めたくはないが、事実そうなのだ。手伝いや片付け専門の業者を雇うという手もあるが、そこまで思い至らなかった。仕事はできるが、清見の悪い癖でもあった。

 ――……栄養ドリンクでも買い足しておくか。

 結婚の二文字が頭に浮かぶこともあったが、その前にせめて自宅を片付けられるようにならなければ。そもそもそれ以前に、完璧超人だと思われている清見のだらしない私生活を人に見せるのには抵抗があった。少なくともそう思うくらいのプライドはあったが、どうしようもできなかったのである。疲労は蓄積し、今日もまた帰って眠るだけになるだろう。

 家までもう少しというところで、鞄の中のスマホが鳴って震えた。

 仕事用のものではなく、プライベートの方だった。取り出して見てみると、「母・友子」と表示されている。こんな時間に何の用なのか。少しだけ不安に駆られながら、スマホを耳に当てる。

「もしもし、母さん?」

『あっ、正一? 元気にしてる?』

 その声は明るかった。普段の母そのものだ。

「……なんだ、どうしたんだ突然。連絡なら定期的にしてるだろ」

 こんな何もないときに連絡してくるなんて珍しい。

 しかもこんな時間にだ。

『あ~、そうそう。あんた、前の帰省の時もほっとんど仕事ばっかりで、ぜぇんぜん親戚の人たちと会わないもんだから』

 スマホの向こうから、爆弾のように雨あられと言葉が降ってくる。母親というものはみんなこうなのか、それとも清見の母だけがこうなのか。こっちが口を挟む隙をまったく与えずに繰り広げられるマシンガントークの止め時を、いまだに清見は見定められない。

「そ、それはもうわかったから! なにか用事があったんじゃないのか?」

 ようやく清見がそれだけ言ったが、母は暢気なものだった。

『あっ、そうそう。こんなこと話してる場合じゃないのよ』

 一方的に話していたのは母の方だが、清見のせいにされている。

『あんた、荷物か何か受け取った?』

「荷物……? いいや、今日はいまから帰るところだけど、何か送ったのか?」

『それがねえ。お父さんがね……、あっ、そうだ、お父さんといえばさあ、聞いてよ』

「父さんが、どうした。何か送ったんだろう?」

 母の話が脱線しないうちに、軌道修正をはかる。

 清見としてもいい加減切りたかったが、父の話となると聞いておかねばならなかった。

 なにしろ父はエリート気質の清見と違い、奔放な研究者だった。海外をあちこち飛び回り、たまに帰ってきては妙ちきりんな土産を持って帰ってくる。それだけならまだいいが、突然思いついたように行動すつ父の無茶振りに付き合わされたことは一度や二度ではなかった。大学で一人暮らしをするようになってから頻度は減ったが、それでも妙な土産物を手渡されたことは少なくない。

『それがねえ、お父さん、アンタがまだ結婚しないのが心配だって言って』

「……それはもう何度も言っただろ。それで、結局なんなんだ」

『そっちになんか変わった鳥を送ったらしいのよ』

「えっ、鳥?」

 鳥と結婚に何が関係があるのか、いまいちピンとこない。

 だが、すぐに思い当たる節があった。

「……まさか、鳥婚のか!?」

 思わず大声を出してしまったことに自分でもびっくりしてから、声をひそめる。

「あれは成人式の時とかにやるやつだろう!? 僕はもうとっくに貰ってるし、それに……」

『とにかくお父さんが勝手になんだか送っちゃったらしいのよ。鶏肉ならいいんだけど、もし本当に生きてる鳥なら……』

「な……」

 とにかく急いで帰らなければならないことだけはわかった。

 清見はまだ愚痴っている母親をなんとか言いくるめて通話を切ると、急いでマンションへ飛び込んだ。


 変な風習とか奇習というのは、案外どこにでもあるものだ。

 安全祈願や商売繁盛などまだ理由がわかるもの。部外者には一見おかしく見えるもの。言い伝えが絶えて久しく、何の理由でそうしているのか、やっている本人にも良くわかっていないもの――。最近は風習だとか奇習だとか言っただけで、ホラー映画に出てきそうなやつだの、因習村だの言われて茶化されたりすることもある。そして清見の故郷にもそうした風習があった。

 それが鳥婚だ。

 昔は獣婚ともいったが、子供を、鳥や獣と擬似的に結婚させる儀式だ。

 説明だけすると顔を顰められることも多かったが、元をたどれば子供の成長を願ったものである。

 昔は「七つまでは神のうち」というように、子供はすぐに死んだ。

 例えば北海道のアイヌの人たちは、子供にわざと変な名前や汚い名前をつけ、悪鬼どころか善神からも嫌わせることで、気に入られて魂が持って行かれるのを防いだ。鳥婚も似たようなものだ。まだ年端のいかない子供を鳥や獣と擬似的に結婚させ、『この子は人間じゃないですよ、ただの動物ですよ』とやるわけだ。子供の厄を獣に背負わせる意味合いもあったらしい。

 結婚といってもほぼ儀式的なもので、その後は鳥は放したり、場合によっては親族間で食べたりしたらしい。

 現在ではさすがに結婚ごっこのような事はせず、成人式に鳥の置物を送ったり、鶏肉を食べたりする習慣として残るのみ。清見も成人式で、女性会の主婦たちが作った鳥のキーホルダーをもらったのを覚えている。

 マンションに飛び込むと、はやる気持ちをおさえ、エレベーターで自分の部屋のある階へと登っていく。そこに何が待っているのか。よく考えれば住人がいなければ不在票が置いてあるだけだろうが、清見には頭になかった。

 ――鳥を飼う暇なんて……、いや、そもそもあんな部屋で生きものを飼えるわけない!

 チンと音がして、エレベーターが開く。エレベーターホールから出ると、まっすぐに伸びた廊下の先を見る。自分の部屋の前に、何かが見えた。足早に近づく。


 何か白くて丸いものが玄関先においてあった……否、いた。

「……えっ」

 清見は足を止めた。

 それは鳥と言われて想像するどんなものとも違っていた。

 丸い。とにかく丸い。もふもふとしていて、ホームセンターや総合ディスカウントストアなどで売られているような丸形のクッションにも似ていた。

 まん丸でつぶらな黒い目。

 ちょんと突き出た小さな黄色いくちばしのようなもの。

 背中からは何故か小さなコウモリの羽のようなものが一対、小さくぱたぱたと動いている。

 そして、どういうわけかお尻の方からこっちを見ている、つぶらな瞳の緑色の蛇。

 極めつけは、羽を手のように使ってぎゅっとリュックのようなものをお腹に抱えていた。

 ――なんだ、これは……。

 清見が幻覚を疑いだした瞬間、白い塊がおもむろに清見を見た。目が合う。非現実的だが、ぬいぐるみのようでもある。

「はじめまして。きよみしょういちさんですか」

 見た目に反してというか、見た目と同じくというか、可愛らしい声だった。

「えっ、ああ、……き、きみは?」

「わたし、ニワトリのたまこといいます!」

 深々とお辞儀のようなものをする。

 絶対にニワトリではない。

「きよみいちろうさんにいわれて、ここにきました」

「清見一郎は、確かに私の父だが……」

 鳥なのか。

 そもそもこれは鳥なのか? 

 さっきから尾羽じゃなくて緑色の蛇が白い体に隠れるようにしてこっちを見ているが、本当に鳥なのか。鳥というにはとにかく丸いし、そもそも鳥はこんなに流ちょうに日本語を喋るものだっただろうか。自分は何を普通に喋っているのか。

 清見は目の前の現実を受け容れられずに、困惑とパニックでよくわからなくなっていた。もはやどうしたらいいのかわからない。父はいったい、何を送ってきたというのだ。

 愕然としていると、後ろでガチャッと扉が開く音がした。

 ハッとする。

 果たして目の前の生物を見られていいものかという不安がよぎった。

「と、とにかく中に入ってくれ!」

 清見は自分の体で謎の自称ニワトリを隠しながら、急いでドアの鍵を開けた。

 中にニワトリを押し込み、ドアを閉めて鎖をかける。

 ふうっと息を吐いて、いまのが現実かどうか確かめようと振り返る。よれた靴下やゴミが散乱する廊下。かろうじて畳まれたまま、積み上げられた通販の段ボール。その廊下を、白くて丸いクッションのようなものが、ひょこひょこと黄色い足を動かして――ついでに、シッポから確かに出ている緑の蛇がキョロキョロとあたりを見回しながら――奥に向かうところだった。

 清見は現実を受け止めきれず、疲労とショックで気を失うように倒れ込んだ。

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