掌編小説・『セルフレジ』

夢美瑠瑠

(これは、今日の「セルフレジの日」にアメブロに投稿したものです)



 私は公共の場所が苦手である。


 人間は、「人の間」と書くように、本質的に社会的なものなのだ。ほかの人類と「和して同ぜず」、「不即不離」に共同生活を営めないと何かと不自由にできている。


 で、私は、だから一種の「社会生活に不自由な人」、障碍者、かもしれぬ。


 モームという作家は、自伝的小説に「人間の絆( OF HUMAN BUNDAGE )」と、含蓄の深いタイトルをつけている。

 この主人公は生まれつき足が不自由な障碍者なのだ。

 で、人間の絆というタイトルなのは、その社会との齟齬の感じを、アンビバレントというか、どこか周囲との違和感のある自分の個性を、足が不自由ということで比喩的に表現しているのである。実は不自由なのは社会性であり、それが人間存在にとって普遍的なものではないか?モーム自身にも多分そこのところに微妙な葛藤があり、タイトルが倒置法的な表現なのもそのせいだと思われる。


 だから、社会と個人、その厄介な関係…

 モーム氏はそこのところを問題にしているのだと思う。


 モームほど偉くはないにしても、同じ人間であって、日々社会生活を営まぜるを得ず、日々私も試行錯誤しつつ悩んでいる。


 で、主婦なので、毎日スーパーに行くのですが、人ごみが苦手で、煩悶しつつ、さらに無数の決断を迫られる。

 買い物自体は楽しいのだが、人間が、たくさんのいろいろな個性の人が否応なしにそこかしこにいて、そういう「極限状況」に「スクランブル体制」で対応しつつ、やるべきことを恙無く全うせねばならない。


 野菜はどれどれを買うべきか?こっちのにするか、いくつにするか?、家には何があったか?ビールは何本?肉はどうするか?麺類やパンは?総菜は?… …


 結構頭を使うこうした作業を終えて、そうしてまた、レジに向かう時も、最後の決断…と言うほどではないが、セルフか、有人レジか?問題に逢着する。


 混んでいるときはセルフ、そうでもないときや、品目が多い時は有人、ということになるが、若干迷う場合があります。


 今日はセルフにしました。


 バーコードを読み取る空間があるのですが、そこで若干の快感がある「ピニュッ」という面白い音がする。

 これはこういう仕様になっているのだと思う。もちろんクイズの不正解の時のような「BOO!」という音だと普通の人間は不愉快になるのでこうしているわけだと思う。


 電話の呼び出し音でも今はずいぶんいろんな音があるが、だいたいは綺麗で涼しげな音が多いなあ…

 アンビュランスのサイレンでも不愉快ではなくなっているのがっ現代の美風といえよう。


 だんだんに不愉快なものは駆逐されていくべきやなあ…


 そう深くうなずきつつ私は家路へ向かうのであった。

 さあ、今夜はカレーだ!



<了>

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