BL掌編書き集め

貴津

末っ子オメガ、獣人王の花嫁となる

銀狐の憂鬱。

 銀狐は悩んでいた。

 新しい書を手に入れたので青蓮に見せてやろうと部屋に向かっていたのだが、途中で捕まってしまった。

 自分の上衣の裾をしっかりと掴んで離さない、黒い瞳の幼子がじっとこちらを見つめている。

「きちゅねにいさま! みつけた!」

 まだ舌足らずなようすで喋る幼子は、絶対逃がさんとばかりに、全体重をかけてふんばっている。

「青嵐、俺は忙しいんだが……」

 青嵐と呼ばれた幼子を振り払って先に進むことは容易だが、愛する弟――青蓮の子供だと思うとそれもできない。

 踏ん張る青嵐を裾にぶら下げたまま困り果てる。

「しゅぎょうみて!」

「方術の訓練は昼餉の後と決めただろう?」

「ちあうの! あたらしいのができるようになったの!」

 青嵐はそう言うと銀狐の上衣の裾を手放し、幼子にしては器用な手つきで印を組んだ。

「ちょ、おまっ、こんなところでっ!」

 その印の意味をすかさず読み取った銀狐が慌てる。

「来ッ!」

 青嵐の呼び声と共に、地面から青銅の塊が突き上げてくる。

「青嵐っ!」

「きちゅねにいさま! みて! きじゅう!」

 四つ足のケモノの姿をした青銅の銅像に跨った青嵐は得意げにふんす鼻を鳴らした。

 青銅の獣の身の丈は高く、その背に跨る青嵐は銀狐の遥か頭上だ。

(落ちたらヤバい!)

 方術を使えるとは言っても、まだ4歳児だ。

 こんな高い所から落ちたらひとたまりもない。

「青嵐、う、動くなよ。俺が今――」

「あっ! かぁたま!」

「えっ!?」

 青嵐の声に振り替えると、青蓮が目を丸くしてこちらを見ている。

「かぁたま! あっ……」

 母である青蓮に気を取られて、青嵐が高所であるのも忘れて前に乗り出そうとして――落ちた。

「あああああああああああっ!」

 場内に響き渡るような絶叫を上げたのは銀狐。

 銀狐は自分が方術士であることも忘れて、その身で落ちてきた幼子を受け止めようと落下地点へと体ごと突っ込んだ!

「きゃあっ!」

 青嵐のどこか愉快そうな声とベシャッと間抜けな音はほぼ同時だった。

「……何をしている? 銀狐」

 青嵐によく似た褐色肌の美丈夫――渾沌が、我が子、青嵐を腕に抱えたまま、地面に突っ伏している銀狐を見て呆れ声で言った。

 考えてみれば、この城の中で渾沌が溺愛する我が子のことを見ていないはずがない。

 そう思いいたるが、疲れ切った銀狐は、地に転がったまま「暑いので、石畳で涼んでいるだけだ」と負け惜しみを言ってそっぽを向いたのだった。


「青嵐を修行の出そうと思うんだけど」

 銀狐のかわいい弟である青蓮は、深刻な顔で銀狐を自室に呼ぶとそう言った。

 青蓮の隣には従者の銀兎が控えているが、そちらは何も言わずに傍観している。

「修行って、あの子はまだ4つだぞ?」

 こまっしゃくれているが、幼子であることは間違いない。

 まだ母や父の傍にいて、愛情を注がれるべき年頃だ。

「でも、このままだといつか大事になると思うんだ」

「それは……」

 母である青蓮の心配はもっともなことだった。

 青嵐は幼くして方術に興味を持ち、方術士である銀狐の見よう見まねで術を習得してしまった。

 青嵐に才能があることは、方術を使う銀狐にもよく解っている。

 修業は早いに越したことはない。銀狐も幼いころから厳しい修行によっていろいろと身に着けたから今がある。

 何も知らないまま方術を使い続ければ、今日のようなことでケガをするかもしれないし、術の暴走で命を落とすこともあるのだ。

「それでさ、兄さんに青嵐を――」

「断る」

 青蓮の言葉にかぶせて銀狐は断った。

 青嵐は愛しの弟である青蓮の子供だ。銀狐にとってもかわいい甥っ子であることは確かなのだが――父親の渾沌に生き写しなのである。

 獣人でこそないが、黒髪、褐色の肌、気の強そうな瞳に、その不遜な態度。渾沌の複製かと思うほど、内も外もよく似ているのだ。

「兄さん……」

「それに渾沌が嫌がるだろう? あいつは子を溺愛している。こんな幼いうちに人に預けるなど許すはずもなかろう」

 いい理由を見つけたと思った銀狐であったが、それを銀兎が遮った。

「それはご心配に及びません、渾沌様からはご許可が出ております。幼子であれど才あるものを親の愛で潰すわけにはゆかぬ――とお言葉をいただいております」

「チッ」

 銀狐は思わず舌打ちをしてしまった。

 あんなに子供を溺愛しているのに、どうしてこういう時ばかり簡単に手放すんだ。

「この大陸のどこにいても渾沌様ならすぐに駆け付けられるから、別に子を手放すとすら思ってないんだよ」

 青蓮はそう言うとふうっとため息を吐いた。

「……お前はいいのか? 青蓮」

「僕? そうだね。まだ早いかなぁと思うけど……」

「だろう? 幼いうちは親の元にいるべきだ」

「でも、このままじゃ、困ることになるのは兄さんにもわかるよね?」

 母親である青蓮としては複雑な心境のようだ。

「まぁ、僕も会いたくなれば渾沌様にお願いすればいいし、兄さんに預けるなら心配はないしね」

 そう言ってニコッと微笑む青蓮は、やはり銀狐にとってかわいい弟。

 こんな顔でお願いされたら否とは言えないのだ。

「……とりあえず、本人と話そう。親から離れるのを嫌がるかもしれないだろう」

 それが銀狐が唯一提案できたことだった。


「しゅぎょうにいく!」

 即答だった。

「おれは、つよいおとこになって、かぁたまをおまもりする」

 青嵐の口調はいっちょ前である。

「おれは、きちゅねにいさまをこえる!」

 その言葉に銀狐は眉間のしわを深くした。

 そうなのだ。一番の問題は、青嵐が銀狐を「愛しい母親を取り合う敵手ライバル」と思っていることだった。

 修業を見ろ、術を教えろと慕っても来るのだが、隙あらば銀狐を倒そうとする。

 本当の敵手はお前の父だと言いたいところだが、渾沌の複製のような青嵐は父も大好きなのでそこは問題ないらしい。

 と言うわけで、青嵐の目下の目標は「打倒! 銀狐」なのである。

 そんな青嵐と二人で修行に出ると言うのは問題ではなかろうか?

 もちろん、こんな幼子にしてやられる銀狐ではないが、面倒なことは間違いない。

「お前、俺が師でいいのか? 師匠のいう事は絶対だぞ?」

「だいじょぶ」

「本当か?」

「でしは、いつか、ししょーをこえるもの。きちゅねにいさまをたおして、いちばんになる!」

 こんな調子なのだ。

 しかし、青嵐の成長が凄まじいのも否めない。

 このまま放っておくことが得策でないことは銀狐も理解している。

 じっと悩みこむ銀狐の上衣の裾を、青嵐は握りしめてきた。

「おれは、きちゅねにいさまとしゅぎょうしたい」

「青嵐……」

 銀狐は自分の膝ほどまでしかない幼子を抱き上げる。

 すると青嵐はぎゅっと銀狐の首に抱きつく。

 銀狐は青嵐が生まれた時からこうしてよく抱っこしていた。

 憎ったらしい渾沌と生き写しであるが、溺愛する弟、青蓮の子でもあるのだ。可愛くないはずがない。

「おれは、きちゅねにいさまがいい」

 ぽそっと恥ずかしそうにつぶやいたこの言葉に、銀狐は心の臓を打たれた。

「そうか……俺がいいか」

 この子の師となり、修行をつけてやれるのは銀狐しかいないのだ。

「では、冬が来て、年が明けたら俺と修行に出よう。お前の母の国に行って修練を積むのだ」

 銀狐もそろそろ母国へ戻る頃合いだと思っていた。

 わけもわからず獣人に嫁いでいった青蓮の身を案じて、従者として長くこの獣人の国に残っていたが、銀狐は母国のこの方術兵でもある。

 最近は帰国を促す書も届き始め、頃合いは見計らっていたのだ。

(青蓮は、多分、それも心配して青嵐の修行を言い出したのだろう)

 方術の修行となれば、方術の素地がないこの国で修行するより、方術に長けた者の多い母国で修行するのが最善だ。

 いつまでも弟離れしない兄を案じてのことでもあるのだろう。

 腕に抱いた小さく温かなこの子を連れて国に戻るのも悪くはないかと、銀狐は静かに思う。

 そんな銀狐に青嵐はしっかりと告げた。

「でも、おれが、きちゅねにいさまをたおす!」

「……ああ、そうかよ」

 やっぱり渾沌の子だと、銀狐は苦々しく思いながらも、幼子をもう一度ぎゅっと強く抱きしめるのであった。


―― 終



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