異説三国志・督郵さんは叩かれたい

胡姫

督郵さんは叩かれたい

ねえあなた、叩かれたいと思ったことないですか?


ない?本当に?それはあなた、幸運な人だ。いや不幸なのかな。どっちでもいいや。あの快感を知らないなんて人生損してるかもしれないが、知ったら深みにはまってしまうからどっちがいいか分からないねえ。


私はね、今はこんなだが、昔は立派なお役人様だったんです。


笑っちゃいけないよ。正真正銘、本当の事なんだから。督郵をやっていたんですよ。督郵って知ってるかい?お役人がちゃんと仕事してるか監督する役目だ。官位こそ低いがそりゃあみんな私に一目置いたものさ。なんせ私が一言「不可」と言えば首が飛びかねないんだから。官位の高い方たちがこぞって私を歓待したものさ。あれはいいお役目だったねえ。大っぴらには言えないが、うまい汁もずいぶん吸わせてもらいましたよ。


え?その督郵様が何で場末の養生院に閉じ込められているかって?


ふふふ、知りたいかい。


会ってしまったんですよ。私を狂わす運命に。


ある地方の査察に行った時のことさ。安喜県だったかな、新しく赴任してきた県令が私好みのすこぶるいい男だったんですよ。ええ、ふるいつきたくなるような。恥ずかしながら私この時まで自分の性癖はひた隠しにしてきたんですがね。あんないい男に会っちまったら、ねえ。


名前は何と言ったかなあ、劉なんとか、劉姓の役人は沢山いるものだからごっちゃになっちまう。そうそう劉備、字は玄徳、そんな名だった。え、蜀の皇帝だって?本当かい。たまげたねえ。


私の性癖?こっそり教えますがね。内緒ですよ。


私、いい男に叩かれるのが、無性に好きなんですよ。ふふふ。




あの頃は黄巾賊討伐に手柄のあった奴らが官職をもらっていたからね、中にはちょっとガラの悪い無頼漢も混じっていたもんです。そんな奴らにも官位をばらまいてるんだから世も末だねえ。天子様からして売官なんぞしてたっていうから言葉も無えや。


私が監察に行かされた安喜県の劉備もその一人だったんですが、まずは普段の仕事ぶりをこっそり拝見しようかと物陰から観察してやったんです。どんな武骨な男かと思えば色白く目元涼しく凛とした立ち姿、おまけに声もいいじゃありませんか。隣にえらく筋骨隆々の大男が二人も控えていたもんだから貴公子然とした姿が際立ってねえ。目を疑ったもんですよ。聞けば評判は上々、仕事もできるらしい。こりゃ結構な人材が埋もれていたもんだ、世の中まだまだ捨てたもんじゃないねえと思って見ていたら、劉備殿がある罪人に棒叩きの刑が下したんです。


劉備殿は悲しそうな顔で叩かれる罪人を見つめていましてね。罪人に向かって、お前は罪を犯したから棒叩きを処すが、決してお前を憎んでのことではない。お前を叩く心も痛くてたまらない。辛抱しておくれ。改心しておくれ、本当はお前を叩きたくはないのだ、と言って手を取り涙を流したんです。びっくりしましたね。そんなお役人は初めて見ましたから。ちょっと感動したんですが、叩かれて呻いている罪人を見てるうちにだんだん妙な気分になってきましてね。


この人に叩かれてみたくなったんですよ。


私を叩く時もこんな風にいい声で優しいことを囁いてくれるんだろうか、泣いてくれるんだろうかって。


でも罪人ときたらこの尊さが全然分かっていないんだ。痛い痛い許してくださいって哀れっぽく叫ぶばかりでね。馬鹿なやつらですよ全く。


私ならもっと楽しめるのに。もっともっといい声で鳴いて見せるのに。そう思ったら体が疼いてどうにも止まらなくなっちまってねえ。こいつはまずい、この性癖がばれたら役人としてだけでなく人としても終わりだと思って、その場で回れ右して、宿舎に帰って、それきり引きこもりました。


督郵が来たと聞いて劉備殿が会いに来ましたが、会いませんでした。一度や二度じゃない。何回来ても難癖付けて追い帰して追い返して、だって会ってまた叩かれたい衝動が起こったら一大事じゃないですか。劉備殿の堪忍袋の緒が切れたらどうしようかと思ったが、あの柔和な顔が怒りに震えるのを想像するとまたぞくぞく疼いちまいましてね。性癖というのはどうにも厄介なもんです。


そうこうするうち、十日位たった経った頃かな、いきなり大男が激高して乗り込んできて、聞けば劉備殿の義兄弟だか何だか、とにかくそいつが宿舎の戸を蹴破ってずかずか入ってきたかと思うと私の腕をむんずと掴んで表に引きずり出したんです。そのまま往来をずるずるずるずる、見世物みたいに役所まで引っ張っていかれたものだから私も腹が立ちましてね。ここの県令はとんでもない悪徳役人だ、天子様に言いつけてやると往来であることないこと喚き散らしてやりましたら四方八方から石が飛んできました。あれは痛かったねえ。


役所では劉備殿が冷ややかな顔で私を迎えました。「何故面会を拒むのです」と問うた声の恐ろしかったこと、怒りを抑えた有無を言わさぬ感じ、柔和に見えてもやはり戦場の男なんだねえ。ちょっと感心しましたよ。何ていい男なんだろう。あんまりいい男だから私も抑えがきかなくなっちまいましてね。気がついたら口走ってました。


「どうぞ叩いて下さい。あなたに叩かれるなら本望です」


すると劉備殿の綺麗な瞳がまじまじと私を見て、色白のお顔がみるみる赤くなりまして。びっくりなさったんでしょうね。綺麗だったですねえ。


「どうぞあなたのお手で叩いて下さい。さあ」


私が仕置き人から棒叩き用の棒を奪い取って劉備殿に差し出すと、劉備殿は心底面食らったようでした。大男は隣で叩き殺しちまえと言っていましたがね。ちょうどその時、往来で私の罵詈雑言を聞いた民が怒り狂って役所に押しかけてきまして、督郵は嘘つきで県令様を讒言してますと口々に叫びました。するとすっくと立ちあがって私を睨み据えた黒目がちの瞳の美しかったこと、ぞくぞくしましたねえ。


「人を馬鹿にする振舞、民を惑わす妄言、許せぬ」


そうして棒を掴み取り、望み通り、私を手ずから叩き始めました。


ああ何という痛み。何という快感。私を全力で叩く手のしなやかさ、きれいに筋肉の付いた二の腕、怒りに震えるお顔は想像した通り一抹の苦悩の色を浮かべており、天にも昇る心地で地獄へまっしぐら、ああこれで私の性癖が世間に知れてしまった、このまま死んだ方がいいのかもしれんと思っているうちにちょうど「二百」の掛け声がして私は気を失ってしまったんです。はい。


目が覚めたらここにいて、その後はずっとここで寝たきりです。


後で聞いた話だと劉備殿はあの後私を馬繋ぎの柱に縛り付け、県令の印綬を私の首にかけて、出奔しちまったんだそうで。よっぽどびっくりしたんだろうか。私みたいなのがうようよいる官界に恐れをなしちまったのかねえ。私これでもおとなしめの性癖だと思うんですが。もっととんでもねえ性癖の持ち主をたくさん知ってますよ。官吏ってのは昔から変な奴が多いのさ。


まあどのみち県令なんぞにおさまる器じゃない人だったから、かえって良かったんじゃないのかね。




この話、百回目だって?おかしいなあ、あんたには今日初めて会ったと思うんだが。


そういえば私は何でこんなところに閉じ込められているんだい。


私、姓は崔、名は廉って者で、信じないかもしれないがこう見えて昔は督郵を……




                   (了)


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