四月の魚

山元やまもと とも

フランス国家憲兵隊(GIGN)本部/イヴリーヌ県ヴェルサイユ市/フランス共和国

平成43年4月1日



 いったい、この空気は何なのだ。


 山元やまもとともは自分を包む空気の異様さを感じていた。アタシがオフィスを通る度、背後から漏れるクスクス笑い。フランス国家憲兵隊(GIGN/ジェイジェン)研修派遣当初はよくあることだったが、今更何だというのだ。腹立たしい。




 フランス研修へ向かう飛行機を見送りに来てくれたのは、同期の風間だけだった。決して大っぴらには言わないが「女ごときがGIGNで何が出来る」「女の狙撃手の実力などたかが知れている」「どうせ税金で研修に送り出すことなど年度末の収支合わせの調整のようなものだろう」エトセトラエトセトラ、アタシの派遣を良く思っていない連中は山ほどいた。陰口を叩いてくださるのは日本だけでなく、特殊部隊式狙撃術の研修として送り出された先のGIGNでも同様。10人いれば9人はイヤミったらしく「淑女様マドモアゼル」と呼んできた。




 その文句を吐き散らす口をふさぐには、実力を見せつけてやるのが一番いい手だというのは、仙台市警にいたときから心得ていた。GIGNの基礎体力訓練でも、日頃の訓練プラスアルファで鍛えこんでいたおかげで、決して男相手にも見劣りする成績ではなかったし、格闘訓練でも風間直伝の「なんかブラジルかどっかの格闘技のすごいキック」の組み合わせで190cmオーバーの奴らから失神ダウンを奪った。狙撃についても、決して足を引っ張るようなことはしなかったつもりだ。そして、それでも納得しない連中相手には、訓練終了後にバーで“延長戦”を行い、コニャックやアルマニャックで少なくない数を“制圧”してやった。




 そうして、研修を通じて、それなりの実力者として認められてきた頃だと考えていたところに、この騒ぎである。アタシの背中に笑える顔した幽霊でもくっついているのか?




 事務官オフィスに入り、気心の知れた事務官のソフィーに聞いてみる。

調子どうサ・ヴァ、ソフィー?」

「ああ、トモ、おはよう。ねえ、バンソウコウ持ってない?」

「あるよ。大きい? 小さい?」


「小さいのちょうだい」


 小なら左胸ポケットだ。台紙から剥がして1枚手渡す。

「はい、どうぞ」

「メルシー。こういうものをちゃんと持ち歩いてるのが『ヤマトナデシコ』なのかしらね」


 こうしてチョコチョコとアタシが喜ぶポイントを突いてくれるのがソフィーだ。一瞬、イライラを忘れそうになる。いけないいけない。


「ねぇ、ソフィー、アタシ“が”背中に何かついてる?」

 ソフィーは一瞬きょとんとしたあと、眉をひそめた。

「トモ、あなたもしかして『私“の”背中』って言いたいのかしら?」

うんウィそうですテュアレゾン了解ダッコーたぶんプロバブレモン

 思いつく限りのフランス語の肯定表現を並べる。ソフィーは思いっきりため息。

「ハァーッ、ねえトモ、あなたフランスに来て何カ月経つの? 主格の活用形くらいいいかげん覚えなさい! 中学生コレージュの子供だって間違えないわよ!」

「だって! 戦闘訓練じゃ『私が撃つ!』とか『私が先に行く!』とかしか言わないし!」

「あの筋肉バカ集団の仲間入りがしたいの、あなた?」

「いやだ!」

「なら覚えなさい。GIGNとしてじゃなく、淑女様マドモアゼルとして」

「アンタもその言葉言う! 淑女様マドモアゼルって言うな!」

「ハイハイ、で、背中? 一体何が……」


 アタシの背中側に回ったソフィーは、他の連中と同じようにクスクス笑いを始めた。


「ソフィーも笑った! アタシ怒ってる!」


「アハハ、ごめんなさい、トモ。これはプワソン・ダヴリルよ。ほら、背中にくっついてたわ、これ」

 ソフィーは魚の絵が描かれた紙をヒラヒラと振って見せた。

四月魚プワソン・ダヴリル?」

「そう。トモ、今日は何月何日?」

「今日? 2031年4月1日」

「4月1日は日本じゃ何の日?」

「一年の始まり、会計の。あと、エイプリルフール」

「そう、エイプリルフール。これはフランスのエイプリルフールなの。魚の絵を描いた紙を背中に貼り付けるの。子供のイタズラね。トモ、今日の朝から、誰かに背中を触られなかった?」


 笑われてきたいらだちを収め、朝からの記憶を掘り起こしてみる。……被疑者あり。

「朝、アタシは挨拶された、ジャン=ルイに。あいつオドオドしてた。あいつ、私“の”背中にした」

英語とフランス語を混ぜるのをやめなさいネ メランジェ パ レングレ エ ル フロンセ。それで決まりね。あとで仕返ししてあげなさい。こういうの、日本語でなんて言うんだったかしら? 『キェションキェションみたいにする』?」

「『ケチョンケチョンする』じゃない? 今日は合同訓練あるよ。あいつが相棒役」

「そう、いい機会ね。じゃあ、私はオフィスに戻るわ」

「メルシー、ソフィー!」






 意思を固め、アタシの机のある第3突入部隊オフィスへ向かう。ミッションは索敵殲滅サーチ・アンド・デストロイ。廊下で何人かの同僚とすれ違うが、無視して一直線にオフィスへ。


 ドアを蹴破らんばかりの勢いで開けた直後、仁王立ちで死の宣告をしてやる。


「ジャン=ルイ! ジャン=ルイどこ!? 出てきなさい、死にたくなければ!」


 190cmの長身で、気持ち程度隠れようとしてフレンチローストコーヒーを背中丸めてすする影あり。いやがった。というか、コイツしかいない。


「や、やあ、トモ、ご機嫌いかがサ・ヴァ?」

 何がサバだこの野郎。

「機嫌いいと思う? でも、あなたが考えたんじゃないね?」

「ウ、ウー……」

「言え」

「……ク、クルトとジュアンが」

「あなた素直すぎる」

 こんなあっさり吐いてたら、敵兵はさぞ拷問しやすかろう。

「……ごめん」

「いいわ、まあいいわ。で、他のみんなは?」

「それは、さっき、呼び出しが――」

 ジャン=ルイが言いかけたところに、室内のブザーが鳴った。

「メトロ13でNBCテロ発生! メトロ13でNBCテロ発生! 第3突入部隊、会議室1へ!」

 NBCテロ対策に何故GIGNが必要なのか? 疑問はあるが、ジャン=ルイの首根っこをひっつかみ会議室へ向かった。






 事件の顛末はこうだ。パリの地下鉄メトロ13号線に、サルのマスクをして背中に例の魚の絵の紙を貼り付ける集団が出没。ただのフラッシュモブ(インターネット上で仲間を募ったイタズラ)と決めつけていたところ、めまいやおう吐を訴える乗客が多発。列車から下ろして日光に当てたところ、劇的な症状が起こり患者は次々と死亡。それだけでなく、救出にあたった駅員たちも次々と倒れた。原因を探ったところ、魚の絵の紙に何らかの毒物が塗りつけられていた、というのだ。


「患者の嗅いだにおいの証言、太陽光で活性化する、という状況から判断すると、おそらく毒物は『ブリュンヒルデ』と思われる」

 聞きなれない名前。隣に神妙な顔をして座るジャン=ルイに尋ねる。

「ブリュンヒルデって何?」

「毒ガス。前の大戦中に例の国が極秘開発してたものだよ。化学的には安定しているけれど、太陽光の刺激で発症するんだ。名前の由来はワルキューレのうちのひとり」

「ありがと」


 資料に再び目を落とし、「ブリュンヒルデ」の文言を探す。「大型タンク」「メトロ」「列車ハイジャック」の文字。

「犯人はブリュンヒルデを大型タンクにつめてメトロ13号線の車両を占拠。要求が呑まれない場合はタンクの中身を解放するとのこと。もちろん、要求は政治的かつ宗教的な内容を含むため、呑むことはできない」


 地下鉄、毒ガス、そして宗教。会議室内が“過去の事例”についてにわかにざわめき始める。

「なお、犯人の音声データ解析によれば、フランス語を母語とする者ではなく、おそらくアジア語圏の言語を母語とする者がフランス語を話している可能性が高い」


 欠けていたパズルの“最後のひとピース”が埋まってしまった。会議室全体の視線が、自分に向くのが分かる。

「マダム・ヤマモト、君はGIGNの正規隊員ではない。そして、君と同じ民族の者が犯人でいる可能性がある。よって、君には本ミッションの出動を拒否する権利を与える」

 司令官の言葉に、水を打ったかのような沈黙が訪れる。沈黙の影に隠れているのは、同じ祖国を持つ犯罪者に対峙することになるかもしれないアタシに対する憐憫なのか、それとも、隕石移民以後の日本人に対する憤怒なのだろうか。


 いずれにしろ、ここで逃げるわけにはいかない。ここで逃げれば、今までに積み重ねてきたアタシと仙台市警に対する評価と信頼を崩してしまうだろう。

「ムッシュ、アタシも今はGIGNです。出動します。出動させてください」






「連中はジュヌヴィリエ駅で降りてジュヌヴィリエ港からセーヌ川に出て、川の水にブリュンヒルデをばらまくつもりだろう。ジュヌヴィリエ駅で降りた際、身体の周りにまきつけたブリュンヒルデの容器の隙間を縫って、狙撃を敢行する」

「フォーメーションはどうなるんでしょう?」

「ポイントAにカミーユとシャルロ、ポイントBにクリストフとジョルジュ。ポイントCにはジャン=ルイと、トモだ。トモ、できるか?」

「はい、できます。やってみせます」

「ポイントD、セーヌ川に潜水した状態で待機するのはハインリヒとジェレミー。水遊びには少し早いが我慢しろ」

「ウィ、ムッシュ」


「『四月魚プワソン・ダヴリル』を『四月毒プワゾン・ダヴリル』に変えた、ジョークセンス最悪の連中に、そのつまらなさを思い知らせてやれ! 出動!」

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