第34話 心配する者が居るのは果報

「まぁ、なんじゃ。そなたは恵まれておる。今のそなたは以前の世界とは違い、一人ではない。此方も素直になれない少女も、他にも。そなたの苦難に手を貸してくれる者は多いだろう。だから命を削り自分で何もかも背負うような修練はよせ」


「そう、か。……ありだとう。これからは、一日七時間ぐらいは寝ることにするよ」


「それが良い」


 満足げな表情で頷くと、雫は玄関扉を開けた。


「あと、これは此方からの慈悲なのじゃがな……。今の言葉をのう、気苦労が絶えない不憫な少女にも伝えてやると喜ばれるだろう」


 去り際にそう告げると雫はその姿を家の中に消してしまった。


「素直になれない気苦労が絶えない少女ってのは、長光のことかな?」


 俺は風呂で汗を流してから、長光に心配をかけ続けたことへの謝罪と、毎朝毎夜のように用意してくれているスポーツドリンクの御礼を言うことを決意し玄関扉を潜った。


「――長光、ちょっといいか?」


 吹き出した汗を洗い流した後、心身共に清新した気持ちで長光の部屋をノックした。


「……義兄さん?」


 室内から長光の声がして、どたどたと人が動く気配がする。

 少し待つと、扉を開けた長光が隙間から顔を覗かせた。


「どうしたんですか? 夜間の異性の部屋への訪問は禁止って決めたはずですが」


「原則、な。原則と言うことは必要に駆られれば特例も許されるってことだ」


 普段なら「何を子供のような屁理屈をいっているんですか」と叱られそうなものだ。


 しかし、長光は困った様に眉尻を下げながらも、心なしか頬が緩んでいるように感じる。


「……特例では仕方ないですかね。立ち話も難ですから入って下さい」


 扉を目一杯開き入室を促してきた。

 雫が言っていた様に長光も俺に言いたいことが溜まっていたのだろう。

 俺は部屋に入ると、長光のベッドに座った。


 ふかふかして、なんだか――。


「すっごいふわふわした良い香りがする」


「べ、ベッドに座るのはダメです! 座布団を出しますので、ちょっと待ってて下さい!!」


 強制的にベッドから立たされると収納に締まってあった座布団を引きずり出し、座るよう促された。


 年頃の女の子の部屋は気を遣う。


「いや、失敬失敬」


「全く、義兄さんは女心が解っていません……」


 だって男だし。

 男心しか持ったことないし。


「で、こんな時間にどうしたんですか?」


 長光はベッドにちょこんと座ってクッションを抱きしめ聞いてくる。


「ああ、まずは――心配かけてゴメンなさい。それと、いつも支えてくれてありがとう」


 ぺこりと頭を垂れた。

 数秒ほど沈黙が室内を支配する。


「……全く、本当ですよ」


 柔らかく優しい声が聞こえて、俺はやっと頭を上げる。

 長光は今度こそ喜んでいるな、と解る花顔を浮かべていた。


「義兄さんがいきなりやる気をだしてくださった理由は、私には解りません。正直、今まではちょっと言動が恥ずかしかったので、真面目になってくださって嬉しい気持ちもあります」


 おーい。この世界の安綱君、なんか辛いこと言われてるぞ。

 俺が安綱君に哀れみを感じていると長光は神妙な面持ちで、「でも」と続けた。


「私は以前の義兄さんの方が安心して見ていられました。今の義兄さんは……自分のことをもっと大切に思っていいと思うんです。……もっと、自分のことも大切に思って欲しいんです」


 憂いを帯びた瞳を揺らしながらクッションに顔を下半分埋め、上目遣いで俺を見つめてくる。


 我が義妹ながら、可愛い。

 なんて可愛いんだ。

 これは世の男達が放っておかないな。


「俺は、何にも力が無いからな。……大切な人を守れるようになりたいんだ」


「……そ、それって!?」


 顔を真っ赤に染めて長光がぎゅっと身体を縮める。


「まぁ、まだ学内パートナーも決まっていないのに何を先走っているんだ、と思うかもしれないけど。でも、相手が誰であれ……その人に失礼のないよう、全力を尽くしたかったんだ」


 長光は全身の力をふにゃりと抜き、ぐったりとクッションに身体に埋めた。


「大丈夫か?」


「……大丈夫です。話はもう、それだけですか?」


クッションに顔を埋めたまま、くぐもった声で突き放すように言う。


「あ、ああ。とにかくこれからはしっかり休みを入れて、慈愛しようと思う」


 しばし静寂。

 クッションからちょっと顔を上げ乱れた髪を手で優しく整えながら、長光は優しく笑った。


「ふぅ……。まぁ、今日のところはそれで合格としましょう」


 しょうがないですね、と今にも口にしそうな困った笑顔だ。困り眉毛が可愛い。


「うん、これからも迷惑をかけると思うがその時はよろしく。頼りにしているよ。じゃ、おやすみ」


「……はい、お休みなさい」


 俺が扉を閉めきるときまで長光はベッドの上で俺を見送ってくれた。



―――――――――――

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