冬のお話
いろは
第1話 擦り切れ慣れた
「あーあ、疲れた……」
ため息が白く染まる。今日はヤケ酒でも煽って寝よう。
そう思うのに、どうやら世間様はただでは返してくれないみたいだ。
駅舎内を歩けば、嫌に陽気な音楽があちこちから聞こえてくる。それもそうだろう、今日はクリスマスイブだ。会社終わりの社畜がふらふらと歩けば、下手をすればカップルにぶつかりかねない。
女はほうほうの体で駅舎を出、広場のベンチに座り込む。早く帰りたかったが、その体力すら一度休まないと補充できない。
「わっ」
隣から若々しい声がして、女は声の方を見やった。学ランの上にコートを羽織った高校生らしい男子が、こちらを驚いたように見つめている。
どうやら先客がいたようだ。何も見ずに座ってしまった。
「あー……すみません……」
「いえ、こちらこそ」
男子高校生はニコニコと返した。女はその爽やかさにわずかに気後れした。自分の学生時代ですら、こんな若々しさは持ち合わせていなかったような気がする。
「今日は寒いですね。クリスマスイブなのに」
「そうですね……」
その二つに相関関係はあるんだろうかと考えながら、曖昧に返事を返した。男子高校生が女の方を見る。
「失礼ですが、ご予定は?」
「……いや」
どうやら相手は会話を続けるらしい。なんだか妙な高校生の隣に座ってしまったなと思う。これで大の大人だったら警戒するが、相手が男子高校生なので多目に見れる気がした。こちらの方がずっと年上だ。もしかしたら気まずさを誤魔化すべく、背伸びして世間話を振ってくれているのかもしれない。
そんなことを考えていたからか、普段の自分では言わないような言葉が口をついて出た。
「社畜に、クリスマスなんてないわよ。あれを楽しむのは子どもと学生の特権」
「あは、そうなんですか?」
女の答えに、男子高校生は年相応のいたずらっぽい笑みを浮かべた。男子高校生の雰囲気ががらりと変わったような感じがして、楽しそうな声音で続ける。
「なんだか、寂しいですね?」
「あっは、喧嘩売ってる?」
「売ってないです。怒らないで下さい」
女が笑うと、男子高校生も笑う。踏み込んだことを言ったようで、失礼ではない。こういった振る舞いは男子高校生らしくないな、と女は心の隅で考えていた。
「そういう君は? もう遅いけど。なにか予定?」
女がそう訪ねると、男子高校生はいかにも照れくさい、というようにいやぁ、と声を漏らす。
「俺は彼女がいますから」
女はにやにやして男子高校生を見た。可愛らしい顔立ちをしているくせに、隅に置けない。男子高校生は依然楽しそうにニコニコしている。
「……嘘。意外だわ」
「意外、は失礼じゃないです?」
「さっきのお返しよ」
「これはやられました」
ふたりはくすくすと笑う。
「でも……なるほどね。大事にしなさいよ。女心は複雑なんだから」
「善処します」
「ていうか、彼女がいるならなんでこんなとこ座ってるわけ? それこそ予定とかないの?」
男子高校生は吹き出して、困ったように笑った。
「女心を説いた後になんてこと聞いてくるんですか。意外と女心を分かってないのお姉さんの方なのでは?」
どうやら訳アリらしい。女は自然に話を逸らすことにする。
「出会い頭にクリスマスの予定を聞いてきた男に言われたくないわよ」
「それは、たしかに」
妙に心地の良い会話だ、と女は思う。
ついさっき会ったばかりなのに、言葉がすらすらと出てくる。会話のテンポが心地よい。しかし見ず知らずの男子高校生と楽しくお喋りとは、とうとう末期らしいと女は内心ため息をついた。
女は呻きながら立ち上がった。
「お年ですか」
「失礼ねまだピチピチの20代よ」
これ以上話していたら一向に帰らなくなりそうだ。
「今日は、急に隣に座り込んじゃってごめんね。もう帰るからあんたも早く帰りなね」
「わかりました。一つ聞きたいのですが、お姉さん」
「なに」
「明日もこの駅、使いますか」
女はぎょっとしたように男子高校生を見た。男子高校生はニコニコと笑っていた。
「なんだかお話、妙に楽しかったので。明日また、お会いできないかなと」
「……今の皮肉のドッジボールがなんだって?」
「明日もしましょうよドッジボール」
女ははぁとため息をついた。
「……ここ、私の最寄り。まぁまた会えたらね」
「お待ちしてますよ」
***
翌日女が仕事帰りまたあの駅舎を出ると、やはりというべきかそこには昨日の男子高校生がいた。
まさか本当にいるなんてと、若干面食らう。歩み寄るとこちらに気づき、男子高校生はにこやかに会釈をする。ベンチに座ったまま、場所を空けるように横にずれるので、ありがたくその横にどかりと座る。
「こんばんは、またお会いしましたね」
「こんばんは。暇なの?」
「出会い頭に唐突ですね。まぁ、ついさっき彼女と別れてしまったので、たしかに暇といえば暇かもしれません」
「……は?」
女がポカンとした表情を浮かべる一方で、高校生はニコニコと笑っている。ついさっき別れ話をしてきたとは思えない様子だ。
「…………なんで」
「あ、聞いちゃいますか、そこ」
「いや、言いたくないならいいけど」
「いえ、そういうわけでは」
高校生はこほんと一つ咳払いをした。妙に芝居がかった動作だ、と女は思う。
「『私のこと本当に好き?』って聞かれて『多分』って答えたらふられました」
「あんたそれ……」
「はい」
「…………一番言ったらだめでしょ」
「そうなんですか?」
「そうに決まってるでしょ」
「そうなんですか。じゃあお姉さん、模範解答教えてください」
女は少し考えた。今日は昨日より仕事が早く終わったので、気分がいい。男子高校生に習って咳払いを1つして、役になりきる。
「そんなの、『当たり前だ! 俺はお前が好きだよ。それとも……不安にさせちゃった?』」
最後の言葉は男子高校生を見て告げる。すると男子高校生もまた、胸に手を当て始めた。
「『そんなことないわ! でも……私寂しくて』」
そう言って上目遣いでこちらを見る。まさかのってくると思わず、面食らったが、ここまで来たら最後までやり切るしかない。
「『寂しかったの? ……俺は彼氏失格だね。今日は、ずっとそばにいるから』」
「『やだ! 嬉しい! ありがとう』」
そして、2人の間に沈黙が訪れた。近くで流れるジングルベルの音楽が、妙に間抜けに聞こえる。
「……ってなるんですか?」
男子高校生はいつものニコニコとした表情に戻っている。女は顔を逸らしてガリガリ頭を掻いた。もし往来の人々がこれを見て聞いていたとしたら、何事だと思っただろうと今更ながらに恥ずかしくなった。
「なんじゃない? 君がそんなにノってくると思わなかった」
「なんかお姉さんノリノリだなと思いまして。それならいっそ振り切らせてみようと」
「大人を揶揄うんじゃありません! ……まぁとにかく、女の子に好きかって聞かれたらはっきり好きって答えなきゃならないってことよ」
「なるほど、勉強になります」
屈託なく笑って応える男子高校生に、最近の若者はこんなもんなのだろうかと女は思う。
「というか。君は本当にその子のこと好きだったの?」
「どうでしょうね」
男子高校生は本当にわからないというように首を傾げた。恋愛がわからないと感じるその様子あたりは、年相応に感じられる。
男子高校生はいたずらを思いついたようにニヤリと笑った。
「――好きじゃなかったのかも。だって、他に好きな人ができてしまったから」
「ほー。誰よ」
「お姉さんです」
「それはまたびっくりね」
女が苦笑すると、男子高校生はその薄い反応に面食らったように言った。
「え、もっとなんかないんですか」
「え? ……いや、だって。そんないいギャグ思いついたぞ、と言わんばかりの顔で言われても」
「あらら、バレてましたか」
「大人を揶揄うんじゃありません」
本日二回目だ。男子高校生は楽しそうに笑う。
「大人ってったって、そんなに歳変わらないですよね?」
「女性に年齢を聞くもんじゃないわよ」
「それは……承知で」
女は盛大にため息を吐く。聖なる夜に、何度もため息を吐いている。
「……二十三」
「ほら、やっぱり。俺十七です」
「二十越えると人は一気に衰えるのよ」
「それはもっと上の年齢の人が言うことじゃないですか」
「ええ。でもそれは年齢を重ねるにつれて、その衰え具合が加速するって、ただそれだけのことなのよ」
「なるほど、妙に実感こもってますね」
女は呻きながら立ち上がった。
「年ですか」
「かもね」
昨日も同じような会話をした気がする。
「じゃあ、帰るわ」
「あ、ちょっと待って下さいよ」
「まだ何かあるの」
女が振り返ると、男子高校生は満面の笑みで女に向けて手を差し出す。
「今日はクリスマスですよ。サンタ改め大人から子どもに、何か渡すものがあるんじゃないですか?」
女は盛大に顔を顰め、周りに子どもがいないことを確認する。幸い今の発言を聞いた子どもはいないらしい。
最近の高校生はこういうものなのか。甘え上手なのか、計算高いのか。
「……会って二日の大人に、よくもまぁ」
「会って二日目がクリスマスなんですから仕方ありません。しかも二人の女性から振られた日なんですから。傷心中の俺を慰めて」
二人? と女が首を傾げると、男子高校生も鏡のように首を傾げる。
これはどうやら計算高い方だ。
女はため息をついた。
「傷心中、は嘘でしょ……」
言いながら、財布を取り出すのを見て、男子高校生はお菓子を買ってもらえる子どものような顔をした。
「お姉さん。この自販機でいいですよ」
言いながら、心底楽しそうに自販機に歩み寄る。未だによくわからない男だ、と思う。
いや、未だにも何も、昨日あったばかりなのだから、何もわかるはずはないか。数日会って言葉をいくつか交しただけで、分かったような気になっているだけだ。
男子高校生は自販機の一番上を指し、一番下のボタンまでを指で辿りながら、
「こっからここまでで」
「人生で一度は言ってみたいセリフだけど、真冬の自販機で、しかも人の奢りで言われてもね……」
ブツブツと文句を言いながら女が千円札をねじ込む。お釣りが一回一回出ないタイプのようで、男子高校生は連続してコーラとモンスターエナジーのボタンを押す。ガコンガコン、と小気味良い音を立ててジュースが落ちてくる。男子高校生は少し屈んでよく冷えたそれらを取り出した。
「俺は優しいので、二本で満足してあげますよ」
「そりゃ寛大だ」
女は無表情で無糖の温かいコーヒーのボタンを押す。
「じゃ、これでいいわね。今度こそ帰るから」
「ええ。――お姉さん」
男子高校生は少し悲しそうに笑った。
「さようなら」
***
翌日、女は一人でベンチに座っていた。昨日まで妙に心地よい会話を交わしていた高校生の姿はどこにもなかった。
一人、意味もなく神妙な面持ちで無糖の缶コーヒーを啜る。無糖にしては甘いような、苦いような、よくわからない味だった。何で好きでもないのにこんなもの飲んでいるんだろうとすら思えた。
飲み終えて、静かに立ち上がる。クリスマスというイベントが過ぎ去った世間様は、今度は年末年始に忙しそうだ。
今年の年越しは冷たい蕎麦にしようかと、この寒い中に冷えた炭酸を人の金で二本も買いやがった男子高校生を思い出しながら、ぼんやりと思った。
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