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 急な勾配の坂道を、木の幹に掴まりながら登り、川口は安田に経緯を話して聞かせた。目の前に十字架が見えると、安田に先を譲って言葉を切った。安田は川口の脇を抜け、割れた基礎を撤去してできた四角い穴を覗き込んだ。

「これは……。時代はもう調べたんですか?」

 安田は目を見開いて背後に立つ川口の方へ振り返った。

「私もまだ触れてもいないと言っただろう。警察からは最低でも二百年以上前のものだと聞いたが、詳しい調査はこれからだ。だが、一五六三年。その年で間違いないだろうと睨んではいる」

「一五六三年……」

 安田はスマートフォンのライトで照らし、もう一度穴を見て二度三度と頷いた。

 そこには数えきれないほどの、バラバラになった骨が折り重なっていた。所々で黒く酸化した銀の十字架が鈍く光を反射している。死者がかつて身に付けていた物をそのまま埋葬したようだ。

 この小さな港が世界に向けて開かれたのは一五六二年の夏。四六〇年前だ。

 事実上イエズス会に捧げられたこの港横瀬浦は、開港から僅か一年で目まぐるしい発展を遂げた。

 国中から多くのキリシタンや商人達を集めた横瀬浦には、教会や宣教師達の住まい、藩主大村純忠の別宅や、遊郭までできていた。だが何者かによって焼討に遭い、一五六三年の八月、一夜にして壊滅した。以降、横瀬浦には現在に至るまでキリシタンが帰ってくることはなかった。

 つまり、この地に十字架を身に着けるキリシタンが生活していたのは、その僅かな期間しかない。川口が一瞥して年代を特定したのはそのためだ。

「あの焼討事件に関係あるんでしょうか」

 安田が見える限りで骨の状態を観察したが、勿論それだけでわかることはなかった。

「焼討での死者の数は曖昧だし、埋葬場所は全く記録に残ってない。江戸時代に入って纏められた郷村記には、八ノ子島が唐人の墓などと憶測で書かれもしているが……。もしかしたら長年謎だった犯人がわかるかもな。あの日以降、キリシタンが戻ることが無かった理由も。わざわざこの島に埋めたというのも気になる。遺体を運び上げるだけでも一苦労だっただろうに」

 安田は、たった今自分が登ってきた道を思い返した。穴には少なくとも五十体以上の骨が埋まっているように思えた。確かに重労働だろうが、バラバラになった骨は、それが骨になった状態で運ばれてきた可能性も示している。安田はその可能性については口に出さず、もうひとつ気になった点について尋ねた。

「犯人って、横瀬浦の焼討は、後藤貴明の反乱で起こったと書かれていたような気がしますけど。違うんですか?」

「それは大村にあった純忠の居城、今富城と混同されているのだろう。宣教師のフロイスは、豊後の商人が略奪のうえ火を放ったと書いてあるが、それもどうだろうな」

 安田は川口の話を聞いて自分の記憶を辿ったが、長いキリスト教長崎伝道の歴史の中で、横瀬浦に関しての記述は極めて少ない。

 改めて穴の奥を見つめる安田の目がその暗さに慣れて、骨とは違う物を見つけた。

「先生、これはなんでしょう?」

 安田はそう言って、Tシャツが汚れるのも気にせず、地面に寝そべって穴の奥に腕を伸ばした。他の遺体とは違い、十字架ではなく翡翠の勾玉を胸に抱いた骨の横に置かれている物を掴む。起き上がった安田の手には、大きなガラスの瓶が握られていた。

「ワインボトルのようだな。中身は?」

 勾玉と同じ濃いグリーンのガラス、ギヤマンのボトルの中身は見えない。だが、瓶を持った安田は首を横に振った。

「空ですね。軽い」

 そう言って瓶を軽く左右に振って見せると、カサカサと音が鳴った。

「いや、ワインじゃない何かが入っていますね。でも口が蝋で封印されています。開けますか?」

 川口がそれに頷くのを確認すると、安田はバッグからシートを出して広げ、その上に瓶を置いてナイフで開封し、並べた指が三本入る大きさの開口部から、ピンセットを使って中に入っていた物を出した。

「書簡のようですけど、どうしてこんな物の中に……」

 安田は封筒に書いてある文字を一瞥した。まず、日本語でないことは一目でわかった。そして、その文字の特徴には見覚えがあった。

「先生、この字」

 覗き込んだ川口も小さく頷いた。

「見慣れた字だな。アルメイダか」

 ルイス・デ・アルメイダ。戦国日本でキリスト教の布教に勤めた宣教師の一人だ。多くの書簡を残していて、同じく宣教師だったルイス・フロイスの「日本史」と共に、歴史的に重要な資料となっている。

「先生! 何を!」

 現地調査を依頼された長崎キリスト教伝来の歴史を研究する第一人者とはいえ、躊躇なくその封を開けようとしている川口に、安田は声を上げた。

「ほう、これは……」

 この場で開封した川口に対して、驚きから呆れの感情に変わっていた安田も、川口のただならぬ気配を感じ取って書簡を覗き込んだ。

「これは日本語の文も……。アルメイダではないのでしょうか?」

 川口は安田に応えず、重なった紙を慎重に捲った。

「いや、このポルトガル語の文章は確かにアルメイダが書いたものだ。日本語の方は……内田トメか。……ん? ここを見てみろ。『安起龍』とある。どうやらこの人物に向けて書かれたものらしい」

 川口の言葉に、安田は首を傾げた。唐人の名のようだが、これまでに目にしたことのない名だった。

「何と読むのでしょうか。アン・ギロン。それとも、アン・ジロン……」

 安田の呟きに、川口の方が僅かに震えた。

「アン・ジロン……。もしかすると、これがアンジェロかもしれんな」

「まさか! 彼はこの時代には生きていないでしょう? いや、それにしたって……」

「骨と一緒に埋められている意味がわからない。と、言いたいのだろう?」

 安田は生唾を飲み込みながら頷いた。アンジェロこと日本人修道士アンジロウが生きていたとするなら、それなりの方法で渡せばいい。逆に破棄するつもりなら、それこそこの港同様焼いてしまえば面倒がない。

「だが、君でもこれを読めば、そう思うことになりそうだ」

 安田は震える手で、川口から渡された書簡に目を通し始めた。

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