フロップニクHAL

@POTOIMO

ハローワールド編

おはよう世界、新昭和2030年

 新昭和2030年、“秩序的な暴力による問題解決”が最適化した時代。

 地下都市トーキョーの郊外に点在している幾つもの工場遺跡のうちの1つを、劣化した金属の香りと埃で何度もむせながら、仄暗い通路を進む。

 通路脇にはときどき扉があったが、そんなものには脇目もふらずに覚束ない足取りを1時間ほど続けて、ようやく歩くことをやめた。

 彼女──ミクミの眼前にはもう通路は続いておらず、代わりの光景として、非常灯に照らされた狭い部屋が視界に映っている。


「本当にあった」


 部屋の中心に設置されている、人間1人くらいがやっと入れそうな錆びついたカプセルを見て、声と笑みが漏れた。


「コールドスリープした、大昔のサイボーグ」


 ◇


 起き抜けにあくびをしようとして、うまくいかないことに気が付いた。

 ああ、ならば……と背を伸ばしてみて、あまり気持ちが良くないことに気付いた。

 とにかく人間らしい目覚め方を画策してみたが、そのすべてに失敗し、まぁ、頃合いだろうと思って目を開けた。

 辺り一面、鮮明なガラクタと、無造作に散らばった工具と、視界の端に居る誰か。

 視覚が機能した途端に脳機能は活性化し、“ここがどこか”から始まって、“自分が何者なのか”に思考がたどり着くのに、最早数秒も要しなかった。


「あの」


 視界の端で動いている“誰か”に、恐る恐る声をかけてみる。

 ソレは驚いたように大きく跳ね、視界の端から動かないまま、あどけない少女の声で、所々詰まりながら返事をした。


「お、おは、おはようございます、ごめんなさい、こんな埃っぽい部屋で」

「あ、いや、別に……」

「えっとあの、まだ上手く動けませんよね、まだ各部位の最適化が済んでいませんから……サイボーグの修理は専門外で……手間取ってしまって」


 サイボーグ。

 彼は、それが自身を指しているのだと気付き、視線だけ動かそうとするも失敗して、仕方なく頭ごと視線を落とす。

 どうやら地面に両足を伸ばして座っているらしい、人間らしいシャツ、人間らしいズボン、人間らしいコート、だがその衣類達はほとんど例外なく、例えば腹部なんかは、そこそこにハッキリと機械のような角ばった輪郭が浮き上がっていた。

 あくびができなかったのにも、眼球が上手く動かなかったのにも合点がいった、機械の身体に口や目があるはずもないのだから。


「その、混乱されていると思うので、説明しますね……今のあなたの状況と、あなたを目覚めさせた理由を」


 彼がぎこちない動きで頷いてみせると、少女は咳払いのあとに語り始める。


「今は新昭和2030年、あなたはコールドスリープしていて、さっき目覚めたばっかりで、今はあなたがいた時代から数百年か数千年後の未来……だと思います」

「信じ難い言葉がたくさんだが、続けてくれ」

「はい、今の時代は、あの……資料からの情報と推測でしかないのですが、きっとあなたが知っている時代と大きく違います、みんな当たり前のように人型兵器……“遂行機”を使って争っています、その、軍属とかじゃなくてもです……」


 なにもかもに現実感が感じられなかった、サイボーグと呼ばれるような体にも、この少女が話している意味の分からない内容にも。

 だがしかし、ずっと怯えて縮こまっているような口調が、デタラメのような説明をしている間も何の変化もしなかった、変に強調するようなこともせず、当たり前の常識を話しているような声色だった。

 それだけの理由で彼女の話が信用に足るわけもないが、彼にとっては何一つ状況が分からない中で唯一確かな情報になるかもしれない話だ、掘り下げる価値くらいはあるように思えたのだ。


「遂行機とか言ったかな、それって人型兵器なんだろう、そんなものを皆が気軽に使うというのは、この時代では日常的に人々が殺し合いをしていると?」

「それは……あの、そういった点については複雑なので、後ほど詳しく説明しますが……遂行機同士の戦いは殆どが組織間での権利の奪い合いです、シチュエーションは多岐にわたりますが、とにかく遂行機は“権利を奪う力”で、同時に“権利を守る力”でもあります……つまり、人権そのものです」


 要は、遂行機と呼ばれる人型兵器が無ければ自己防衛すらできない時代らしい。

 まったく穏やかじゃない話だが、少女の口からは、もっと穏やかではない言葉が続く。


「あの、それで、あなたをわざわざ遺跡から目覚めさせた理由なんですけど……私はワケあって遂行機を扱えません、私は自分の人権を守ることができません、だから私の代わりに……サイボーグさんに遂行機のパイロットをやってほしいんです……」

「ふむ、ああ、ほんのちょっぴり考える、待ってくれ」

 

 彼は今しがた聞いたばかりの情報たちを整理し、よく考え、“パイロットをやってほしい”という要望にさっそく決断を下すことにした。

 気が付けば訳の分からない時代で目覚め、自分が何者なのかも分からないまま異常な社会情勢を聞かされる、その上見たことも聞いたこともない兵器を使って、良く知らない少女のために戦えと。

 まあ、頷く理由が無い。


「あ、あのぉ、断りますよね、分かってます、あなたにメリットなんて何もないから……」


 意外にも、彼が意思を伝えるよりも早く、少女が言った。

 メリットが無いなんて、まさに彼が同じことを口にしようとしていたところだ。

 

「で、でもいいんです、あなたにはメリットなんて必要ありません」


 視界の端に立っていた少女が、ボロボロのスニーカーでコンクリートを踏みながら近寄ってくる。

 ふらつくような不規則な足取りに不気味さを感じ取り、彼は身をよじって逃げようとするが、少し顔を上げるので精一杯だった。

 目に映ったのはやはり少女、背は低く、目は黒い前髪で隠れ、似合わないツナギの上にダボついたコートを羽織っている。

 

「あなたは元々ひどい損傷具合でした、四肢はほとんど故障していましたし、脳機能維持装置はコールドスリープしていないと給電すらされない危険な状態でした」

「直してくれたことは感謝してるよ、恩を返すのはやぶさかではないが、単に知らないマシンを乗り回せというのが納得できないだけなんだ」

「あの、私はあなたの身体を嫌と言うほど弄り回したんです、だから仕込む機会はいくらでもありました、爆弾とか、脳機能維持装置の近くに、たくさん」


 少女の手がコートのポケットから妙なモノを取り出す。

 エンピツくらいの大きさの棒状のガジェット、だが先端にスイッチがあるばかりで、他に機能があるようには見えない。

 先程の発言と見慣れないスイッチ、つまりそういうことなのだろう──彼は悟り、騒ぎもせず、ただ少女の言を待った。


「こ、これは交渉じゃないんです、脅しです、元よりあなたに意思決定権はありません」

「念のために聞くけど、脳機能維持装置ってのが壊れると僕は無事じゃ済まないんだよね?」

「はい、徐々に脳が腐っていくから……きっと、楽には死ねませんよ」


 脅しをかける唇が、スイッチを握った手が震えている。

 きっと本来はこんなことを平気でやるような子供ではないのだろう、それほどまでに追いつめられているのは、“このままでは自分の権利を守ることができない”からだろうか?

 ふと、最初からずっと視界に入っていたガラクタが、人間の指の形に見えた。

 彼はもう少し顔を上げ、ガラクタの輪郭を捉えてみる。

 指から辿って肩、肩から胸、頭、それから両足へ、うす暗いこんな場所では全てを読み取ることはできないが、それは片膝をついている金属の巨人、人型兵器に見えた。


「なあ、僕はアレに乗せられるのか」

「あ……7m級多目的作業用遂行機の“七八式兎鉄”です、今は戦闘用に改修中、です」


 ため息をついてみても、息は出なかった。

 呆れたのだ、この少女や、眼前の人型兵器にではない。

 あろうことか、今まさに武装されている途中であろうその兵器の端切れを見て、少々だが彼の胸は高鳴ったのだ。

 ああ、それにどうせ選択権など無い、記憶も無ければ行く宛も無い、都合よく脅されているから、今しがた惹かれたマシンの手綱を取ってやる口実もある──なんてことを考えてしまうなんて。


「まあ脅されてるなら仕方ないかな、やってみるよ」

「……ありがとうございます、そしてごめんなさい、サイボーグさん」


 少女の両目は前髪に阻まれていてよく見えないが、少し声が引きつり、足元のアスファルトにいくつか小さな水滴の染みができている。

 彼はキリキリと軋む腕をゆっくり持ち上げ、開いた手の平の先を彼女に向けながら、ふと脳裏に浮かんだ名を口にした。


「……田中ライロウだ、まあ、その起爆スイッチを握ってない間くらいは仲良くやろうよ」

「あ……Di-393、ミクミです……」


 ライロウの手を、ミクミが弱々しく握る。

 ああ、なんて歪で情けない関係なんだろうと思考を浮かべ、またため息を吐こうとして、空回った。

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