片翼だけの天使たち

@ex_himuro

プロローグ:Peace

 朝から降り始めた雪は、昼を過ぎて夜になっても止むどころか勢いを増し、日が落ちて夜中になった時には既に吹雪になった。

 星のない夜空を切り裂いて荒れ狂う、白いサイクロンの中をもろともせず、中津川遼は硬く凍った雪に足跡を刻みながら一歩一歩歩いている。

 防寒は羽織った横浜FCのジャケットだけ。

 背中に背負った軍用のリュックサックだけという軽装は冬山、旭岳に登りに行くには余りにも軽すぎる。冬山というものを舐めてかかっていると思ってもいい。普通なら豪雨のように降り注ぐ雪に負けて、あっという間に凍死する。

 しかし、雪は遼の着衣に接するよりも早く、蒸気となって蒸発する。

 硬いとはいえ雪、踏み込めば膝まで沈むはずなのに、遼は軽やかなステップで新雪の上を進んでいく。

 遼としては普通に街中を歩いているようなものだった。

 吹雪の旭岳登頂はどう考えても無謀であり、遼も決して楽だというつもりはないが、最大の問題は旭岳登山がゴールではなく、単に目的への道のりでしかないということだった。

 これはいわば黄泉比良坂を下っているようなもの。

 実際は登っているのだが。

 本当の地獄は山頂を越えた先に待っている。

 暴風と雪を貫いて、かすかな殺気が嗅覚を捕える。

 だから、遼は迷わない。

 元から視覚に頼らないように修練を積んでいる遼ではあるが、そうでなくても間違い無く時間を掛ければたどり着ける。

 ほんのちょっとの殺気がだんだんと大きくなった先に、目指す戦いがある。

 吹雪の冬山登山という酔狂な真似をしたくやっているわけではない。

 本音を言えば、今すぐにでも回れを右をして家に帰りたい。妹である女の子に会いたい。女の子の置かれている状況を思い浮かべると心臓と右目があった場所が、それこそ刺されたように痛くなる。

 しかし、世の中というのは自身の思惑と他人の思惑がぶつかりあいながら流れているものなので、時として意に沿わぬことを強要させられる。遼にしては、ある意味、避けられない罰ゲームのようなものだった。

 これは中津川遼として、これからを生きていくために避けられないこと。

 遼の右の眼窩が空虚のままなのは、義眼で埋めて勝てるほど甘い状況ではないから。

「…あのクソ親父が」

 遼の父親は、息子から見て、あまりいい父親であったとはいえない。

 神煬流しんようりゅうという数千年の歴史を持つ武術の宗家であるが故、生まれながらにして父と子であると同時に師匠と弟子であった。そのため、物心つかない頃から修練を受けさせられていた。

 修練というより、虐待との区別が付かない代物で、三途の川を渡りかけたのも2度3度ではない。その度に遼は昨日よりも強くなって帰ってきた。だから、今の中津川遼がある。

 父親は聖人からはほど遠い。

 毎年、コミケ通いをしては年甲斐もなく二次絵に興奮し、エロゲーを名作からクソゲーまでやり込む趣味人ではあるが、問題なのはその身体から血の臭いが漂っていること。

 おおざっぱであるが、遼の見立てでは間違いなく数万規模の人間を殺している。

 そして、遼もこの場から生きて帰るためには最低1人は殺さなくてはならない。

 まったくもってくだらない。

 普通の親子なら殺し合う必要なんてない。某鬼の親子だってウィキペディアがギャグと化すような茶番の果てに和解したのに、遼とその父親はこれから生死をかけて殺しあわなければならない。和解するなんていう生ぬるい決着はない。それが父親の最後の望みなのだから。

 理屈は理解しているはずなのに、身体が思うように動かないのは中津川遼が自己認識よりも甘い男だというのだろうか。


 ―――吹雪が一瞬、静まり返った。

 その沈黙が、遠い昔の雪の夜を呼び覚ます。


 昼過ぎから振り始めた雨は、陽が暮れるころには雪へと代わって、今では本格的な降りになっていた。細かい雪の粒が高速で地表に降り積もる。


 気がついたら、ここにいた。


 雪の薄い膜で覆われ始めた土手のサンクリング道路にスニーカーの跡を刻みながら一人の少年が歩いていた。年齢は10歳ぐらいでよっぽどの暴れん坊なのか、全身の至るところに出来たばかりの傷跡がある。この年頃の少年にしては鍛え上げられた身体をしているが、顔を上げようとはしない。

 ただ、少年は雪の舞い散る道を歩いている。

 どこに行こうという宛てもなく、ただ一人きりで。


 雪が降り落ちている。


 やがて、少年は転がるようにして土手を降り、河原まで落ちるとそれっきり動こうとはしなかった。

 疲れている。歩くのも走るも指を1mm動かすことさえにも疲れている。

 涙を流すことさえも


 雪はあいもかわらず降り積もっている。全てを覆い隠すように降り積もっている。夜の闇でさえも塗りつぶす勢いで降っている白い粒。少年もまた、そのまま白い風景の一つとなって埋もれていくのだろう。朝になればどんな姿で見つかるのだろう。そんなことはどうでもよいことだった。

 少年の目は降り落ちる雪を見つめている。

 寒い。身も凍るぐらいに寒いけれど、そんなのさえ、どうだってという気がしてくる。


 おれ……

 つぶやきが雪に隠れて消えた。

 おれ……かあさんのもとにいけるのかな………


 傷つき、体力もなくし、寒さを感じる感覚をさえなくした少年に残されたのは母親への想い。

 優しかった母親はつい先日、妹として生まれるはずだった赤子と一緒に逝った。

 気がついたら、家を出てこんなところを歩いていた。

 かあさん……

 涙なんてとうに枯れ果てていたはずなのに母親のことを思うと涙が出る。辛い稽古、毎日、大木に千発、二千発、三千発も木刀を叩きつけ、幼いのに容赦なく父親に打ちつけられ痣が耐えない日々、そんな少年を庇い、優しくいたわってくれたのが母親だった。打たれた跡に湿布をし、寝付くまで側にいてくれた母親。

 今はもういない。

 雪は降り積もる。


 かあさんは死んだ。


 精も根も尽き果てているのにそれでも立ちあがることを要求する父親から、守ってくれた母親はいない。

 かあさんが死んで、どうなるんだろう。

 その先のことは想像もできない。

 そんなこともどうでもいい。


 雪が降り落ちる。


 かあさ…ん……


 雪が降り落ちる。

 雪が降り落ちて雪が降り止んだ時、少年は母親の元にいっているはずだった。


 ………!!

 不意に少年の五感が鋭くなった。

 なにがくる…

 かあさんの元に行きたい、とは思っても感覚のレーダーの中に何が迫ってくるのを感じ取ると全身に力がみなぎり、いつでも即応できる態勢を整った。

 臨戦態勢。

 嫌であろうが、脅威が迫るとこの世に生れ落ちてすぐに、無意識のうちに迎撃が出来るよう少年は育てられていた。

 上半身が起き上がり、座っている、どの方向から襲いかかられても反撃できる態勢になっていた。視線が獲物を探す狼のように動き出す。

 土手からは誰も降りてこない。前にも後ろにもこない。河からはこない……か。

 ふと少年は父親のことを思った。

 少年の父親ならば気配を消して接近することができる。しかし、父親はこないだろう。そういう奴だ。もしやってきたら、どんな顔をする?

 強烈な感覚が後ろからした。

 落ちた!?

 そう思った瞬間、少年は駆け出していた。

 ほんの少し走っただけで、それはすぐに見えた。


 動きが止まった。


 降り積もる雪の中に女の子がひとりいる。雪の上に倒れ込み、身体の下で下敷きになった身長の倍はある黒髪が乱れていた。五歳ぐらいだろうか。手のひらに包み込めそうなほどに小さく、その肌は雪よりも白く、その全身を惜しげもなくさらしている。そして、背中に生えた大きな翼。


 てんし?


 その少女を見た瞬間、何もかも忘れた。


 その少女は人のものとは思えないほどに静かだった。少女を見ていると少年は訳もなく悲しくなって目をこすると涙がこびりついた。

 その白い翼は雪よりも冷たくて、ほんのちょっとの刺激で折れそうだった。

 なのに、どこか暖かい。

 それはほんの僅かに残った命の色。

 心臓が一度だけ高鳴った瞬間、少年は理解した――この少女を放っておけば、本当に"死んでしまう"のだと。


 がさっ


 緊張に耐えきれなくなったように足が雑草をこすった。

「……!!」

 少女が少年を認識すると震えだす。

 瞳に浮かぶ恐怖の色

 足がすくみ、逃げ出したいのに逃げ出せない。

 少女は少年を脅威として認識している。少女にとって少年はヒグマにしか見えないのだろう。

 ある意味では間違っていない。

 遼は苦笑した。


 背後から唐突に殺気が遼の胸を刺し貫いた。

 受け止めるとか、避けるとか判断するよりも身体が動く。首を刎ね飛ばさんと空を切り裂き、轟音を響かせて飛んで来る一撃に向かって、遼は回転しながら、その勢いを利用して後背めがけて蹴りを繰り出した。

 間一髪のところで交差する拳と蹴り。

 間違って電信柱に全力で蹴りを入れたような違和感。接触した瞬間に、右足全体に折れそうなほどの衝撃が走る。

 それでも、コンクリートの津波のような圧力に負けず、逆に破壊せんと力を入れた。

 その矢先、急に脚全体にかかっていた圧力が一瞬で消えた。

 殺した?

 いや、それは違う。

 殺したという感覚が全くない。

 飛ばしたのではない。飛んだ。

 思考は高速で状況を分析し、身体は激変する状況に素早く対応している。

 蹴りを入れた時、強く地面を踏みしめたので当然のことながら身体は雪の下へと深く沈み込む。しかも、場所は平坦ではないので常人ならバランスを崩して、麓へと転がり落ちるが、遼は逆に足を雪の下の地面に深く食い込ませ、全身に力を入れると雄叫びを上げた。

 ミサイルが着弾して爆発したような叫びと共に周囲の空気が上昇、遼を中心とした範囲の雪が蒸発する。

 白く視界がぼやける中、高速で遼めがけて接近する5つの影。

 遼の口元が肉食獣のように歪んだ。

「冷艶鋸」

 遼が手刀で高速で横になぎ払うと、衝撃波が風や雪、空間そのものさえ切り裂いて一直線に5つの影へと向かう。

 衝撃波が当たろうとした刹那、影は闇の中に消える。

 しかし、遼は苦々しい表情で振り向きもせずに右腕を突き上げた。

 コンマ数秒で、背後からの一撃が二の腕に入る。電柱でフルスイングされたような激痛が腕に走るが、遼は飛び退いて距離を取った。

 間髪入れずに攻撃しても構わないが、会話が必要だった。お互いに。

「随分と遅いではないか。待ちくたびれたぞ」

 相手は遼の父親、中津川隆盛りゅうせい

 遼は背中に細長いものを差していることが気になった。

「せっかちなジジイだ。そんなに慌てて地獄に行くこともないだろうに」

 遼が冬の旭岳にいるのは、この男と戦うため。

「俺を地獄に送る? 若いくせに俺よりも怠惰な身体で地獄に送るとは寝ぼけているのか?」

 隆盛に指摘されるよりも自覚している。

 数か月ぶりの実戦。

 思考に対して、反射速度が思ったよりも落ちている。動きが想定よりもワンテンポもツーテンポも遅れている。コンマのズレでも死ぬのが戦場。そして、目の前にいる男は老人とは思えない、遼の想像を越えた速さで動いてる。

 それでも遼が生きているのは目の前にいる男が本気を出していないだけで、全力を出す前に現実がイメージに追いつかないと間違いなく死ぬ。

 修練不足。

 ルーチンワークの大切さを実感する。

 言いたいことは山ほどあるのだが、遼にはいうつもりはない。

「一応、念のために言うがこのまま帰る気はないか。真衣が待っている」

 答えは決まっていた。

「俺は決めたのだ。この世の幼女愛を禁止しようとする罪深い輩を一匹残らず粛清するのだと。遼、貴様には今の俺の実力を計る礎になってもらう」

 病室、もしくは自宅で大人しく死を待つのであれば、わざわざこんなところまで散歩に出たりはしない。

 もちろん、そのセリフの90%は嘘。

「真衣はどうしている」

 この時は、義理とはいえ娘に対する心情が溢れていた。

「わからない」

 遼は正直に答えた。

「親父の薬が効けばいいんだけど、最後に会った時、あいつは眠っていた」

 機械の作動音が静かに響くだけの病室。

 少女はありとあらゆるケーブルに繋がれて、目を覚まさない。

 呼吸音さえも呼吸器に接続されているので聞こえず、生存を確認できるのは脳波計の僅かなブレだけ。

「親父。もう一回だけ言う」

 体温が一気に上昇する。

 両拳に力がみなぎる。

「帰る気はないか?」

「ワガママだというのは承知している。可愛い娘が生きるか死ぬかの瀬戸際にいるというのに、こんなところで遊んでいるのだから、いい父親ではないが、遼は俺のことをいつから仏のような善人だと勘違いするようになったんだ」

 隆盛は背中にある細長い物を引き抜いた。

「……まったくだ」

 裏切られたとは思っていていない。

 中津川の一族は人というカテゴリーから外れた、あるいはぶっ壊れた忌むべき一族だからだ。目の前にいる化物だけではなく、遼も壊れている。

 数千年前から、ありとあらゆる事象に打ち勝つという目的のために、ありとあらゆる修練と実戦を積み重ねてきた一族。

 それが中津川。

 隆盛は背中から抜いたもの、日本刀を両手にもっておもむろに鞘から抜くと、けだるげに構えた。

「俺も年だ。真衣も余命幾ばくないように、俺も余命幾ばくもない。だからこそ神煬流宗家としてのしての最後の仕事を果たさなければならない。俺の代で神煬流を終わらせてもいいが、遼はどうなんだ?」

 遼に向けられた日本刀の切っ先。

 神煬流は一般には徒手格闘術と見られているがそれは大きな誤りである。神煬流には「武器を抜いたら、相手を確実に殺さなくてはならない」という掟があり、武器を抜かせて生き延びられた敵はいないというだけの話なのである。

 父親の行動は、まさに戦線布告。

 遼は幼い頃から死神と友達だった。

 日々の激しい修練で死にかけるたびに、死神の吐息を浴び、その都度、生と死の狭間から生へと這い上がっていた。だから、死の恐怖には慣れっこになっていた。慣れていたはずだった。

 …さっきの、隆盛の気配が消えて、後ろに迫られた時の感覚はいったいなんなんだったのだろうか。

 震えが止まらない。

 首筋が寒くなるのは、雪山にいるからではない。

 2人が放つ熱気で吹雪の雪山が、噴火している火山のように熱せられて雪が溶けてきているにも関わらず、首筋が氷のように冷たい。

 いや、正確には日本刀の刃が首筋に当てられているよう。

 あの時、感じたのは体験した事もない恐怖。

 胸をえぐられて、心臓を万力のような力で他人の掌に握られているような気持ち悪さ。

 それは今までの死の感覚を超えていた。それこそ、日々の修練で味わってきた恐怖が冗談のようにしか思えなかった。

「バカだな。日々の修練で俺が遼を殺すわけないだろう。修練の内容に遼がついていけなかっただけだ。これでも死の恐怖というにはまだ遠い。俺は本気でお前を殺す。真衣に会いたかったから、お前は俺を殺すしかないんだ」

「……わかった」

 遼の口元が獲物を狙う肉食獣のように歪む。

 次の瞬間、などという言葉よりも短い刹那、衝撃波が爆風と共に吹雪の夜空を切り裂いた。

 夜間などではっきりとは分からないが、山体が大規模に崩落しているのを、遼は確信している。

 一秒にも満たない間に、遼は打ち込んだ。

 ガンダムWのツインバスターライフルの一斉射を越える一発を。

 愉悦が止まらない。

 あの男、目の前に立つ、死神と武神を足して2で割らず旧支配者を掛け合わせた、災厄というものを具現化したような男が、コンマ数秒だけ、魂でも抜けたかのような呆けたような顔をしたのを、遼は見逃さなかった。

 この男は、さきほどの遼の攻撃に反応することができなかった。

 遼が味わった思いも、この男も体感している。

 肌から僅か数ミリ離れた地点を、戦闘機が音速で通過したようなものだから、恐怖しない人間なんていない。

 余命幾ばくもないとはいえ、それでも生を掴もうともがくのが獣としての本能だからだ。

「まったくもって愚かしい。仕留める機会があれば、必ず仕留めろと教えたはずだが」

 そして、遼がわざと外したということも。

 父親の言うことはまったくもって正しい。

 初見では対応できなくても、次からは必ず対応する。さっきの攻撃がこの男に勝てる最後の機会であったのかも知れないのに、遼はわざと捨てた。その事を悔いる瞬間が来るのかもしれない。


 でも、右目を棄てたのはまったく後悔していない。


 このまま何もしなければ少女は少年の目の前から消える。

 でも、色のない瞳に涙が零れ落ちているのを見た瞬間、少年は理解する。

 少女はひとりなのだと。

 この冷たくて凍える世界に切り離されてしまった少女なのだと。

 理解した瞬間、少年は動いていた。

 この白い世界の中で、泣き続ける少女を永久に孤独にさせるほうが嫌だから。

 2人の距離が触れ合うほどに縮まって、少女の手が少年の顔面めがけて伸びる。

 恐怖が乗った手はおもったり伸びていたが遼には躱せる。身体が無意識にうちに避けつつ、カウンターを入れるように動く。少年の実力なら、いとも簡単に強烈な一撃を与えることができただろう。

 でも、少年は無意識で動く身体を、意思によって鎖で縛るように押さえつけた。

 視界が一気に半分になった。

 体験したこともない痛みが少年を襲った。

 爆弾が身体の中で爆発するのは、こういう感じなのだろうかと思った。

「…いがいとえぐいことするな………」

 彼女の指が少年の右目に打ちこまれていた。

 打ち込んだまま動作が止まった少女を少年は引き剥がす。指が抜ける。その指先は血で染まり、少年の閉じた瞼から血が溢れ出す。

 雪の上に飛び散る赤い血潮が、色のない世界に再び、色が戻らせる。

 少女は茫然としていた。

 少年の視界がいきなり視界が半分になり、たとえようもない痛みが駆け巡っている。何もすることもできない。立つこともできずに痛みが去るまでもがき苦しんでいるしかない、はずなのに少年は歯を食いしばって耐えていた。そのことが更に痛みを倍増させる。それでも少年は耐えた。倒れるわけにはいかなかった。

 ここで倒れたら、親父に笑われる。

 少年は少女を残った左目で見た。

 見られた少女は後ずさりをしようとしたが力が抜けて雪の上にへたりこんだ。

 凄い顔になっているんだろうな・・・・・

 そんな少女を見て少年は苦笑する。痛みをこらえるために歯を食いしばり顔が強張っているのを自覚していた。

 そして、少年は抱きしめる。

「だいじょうぶ」

 教えてあげたかった。

「おれがいっしょにいるから」


「悪いな、親父」

 武器を持ってくればよかったと思った。

「ようやく本気やるきになったか。遅いぞ」

 遼にとって中津川隆盛は父親だ。

 師匠なので殴り合うことはあるが、それでも大切な肉親だ。

 でも、それ以上に守りたいものがあるのであれば、肉親であっても切り捨てるべきなのだ。

「それでよい」

 父親は笑っていた。

 笑いながら、目の前に広がる"空間"を槍のような固形物に変えて、それを瞬時に複数、遼に突きこんでいた。

「中津川遼、楚王中津川隆盛を楽しませてみせろ。そして、この俺を超えてみせよ!!」

 衝撃が先にきて、後から音がついてくる長谷部しょうげきをぎりぎりのところで躱し、あるいは大典太ぼうへきで受けながら、遼は笑う。

「超えてみせろ? 偉そうに」

 遼は複数の長谷部の乱射をすり抜け、隆盛が効果がないと見るや回避を許さない範囲攻撃の冷艶鋸に入る隙間を狙って加速する。

 遼の拳が隆盛の身体に入った。

 M1エイブラムスの装甲よりも硬い、人肌とは思えない感触を気にすることなく、触った状態から更に拳速を加速した。

「俺が"楚王"だ」


 気づくと少女は泣いていた。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ!!!!」

 少女は泣きじゃくった。自分のやったことに対する取り返しのつかないことにきづいたらしい。

「だいじょうぶ、だいじょうぶだから」

 少年は声をかけようとしたが、ただ少女はひたすらに泣くだけだった。声をかけることもできずに少年は苦笑いをした。そして、笑える自分を不思議に思った。

 もう、そこにいるのはただの少女。

 どこにでもいる。

 いや、すごく素敵ですごくかわいい少女

 雪が降っている。

 少女は少年の腕の中で泣き続けている。声をかけようと思ったけれど、やめて空を見上げた。

 雪が降っている。

 少年は空を見上げた。雪は降り積もっている。それ以外のものは見えなかった。周りは寒く、全身がまるで一本の棒になったようだ。指先がかじかんでてうまく動かない。右目がひたすらにいたい。煌煌と燃えているたいまつを突っ込まれたような熱さが右目、いや右の眼窩から浸透している。物凄く痛い。痛くて、動きたくない。

 なんか、おっかしいな。

 動かなければ死ぬだろう。少年も少女も。

 そのことを期待していたはずなのに。

 しかし、少年は少女の身体をかつあげる。みかけの割にしても少女の身体は軽い。かつぎあげると少年は歩き始めた。生きるために、人の世界へ帰るためにその一歩を踏み出した。


 その瞬間、少年は悟った。

 生きる意味は与えられるものではない。

 自ら奪いとるもの。

 ――この子を守る。それが全てなのだと。


 そして今、雪が怒涛のように吹き荒れるが、2人の領域に入るなり、瞬時に蒸発して跡形もなく消え失せる。


「楚王の名はまだまだ渡せないな、小僧」

「大人しく徐夫人で往生してろよ、ジジイ」

 押し当てたはずの右拳が、滑るように隆盛の左わきに流れて右肘をがっちりと固められる。はめられたことを悟った遼ではあったが、血液の循環だけで力を爆発させると拘束が緩んだので、左脚で隆盛の脚を蹴り飛ばす。

 隆盛の脚は電柱以上に硬くて、逆に足が折れそうになるが距離を開けるには充分だった。

 ……呼吸が荒い。

「あそこで太阿を打つのは分かるが、徐夫人は無謀だ。一撃で仕留められるが外されれば隙が大きい。何度言えば分かる」

 長谷部を乱射して冷艶鋸はブラフ。

 合間を縫って進入されるのは誘導、豪曹にくたいこうかで太阿の一撃を防ぎつつ、そこから遼が徐夫人を打つのを見越して、力を受け反らして遼の右肘を拘束、遼の反応が遅ければ遼の右腕は折れていた。

専諸けつえきごうけいの判断は悪くない。本来の使い方はそれだ。折れなかったのは残念だが」

「悔しそうに言うな」

 実力は互角となれば、後は初業の運用で差がつく。

 気が付くと、膝まであった雪が溶けて蒸発、空気は一気に夏と化し、大雪山は火山としての姿を取り戻しつつある。

 今度は隆盛が突っ込む。

 日本刀の切っ先がぶれたと思った瞬間、日本刀が無数に分裂して遼に襲い掛かる。一発掠っただけで死ぬ攻撃を前に遼は笑う。

 吹雪が、血と熱に呑まれて消える。

 ――白も黒も、もはや意味を失った世界で、彼はただ、生を賭けて立っていた。


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